ユーモア句 俳諧の発生事情
今日は昨日記事にする予定でした、俳諧についてお伝えしたいともいます。
前回俳諧のサンプルとして次のような句を挙げました。
①子を誉められて子の顔をみる 武玉川十一篇
②雨まで誉めて戻る仲人 武玉川三篇
③物に気のつく女淋しき 尾斧日録七篇
④厠へももれぬ禅家の法度書き 童の的六篇
①は親ばかの句
②は会合の帰り道、人間関係の達人の仲人は雨まで誉めて人の気をよくする
③は気の利きすぎる人を揶揄
④は少しわかりにくいですが、○○するべからずといった法度書きが、 各所に漏れなく、厠(便所)にさえ貼ってある禅宗の寺、さぞ大変だろうという意味
いずれも、どこかとぼけたユーモアやなにかしらの諧謔味が感じられる句ですね。
しかしこれらの俳諧ができるまでは、長い歴史をたどる必要があるようです。
以下、江戸古川柳の世界 / 下山 弘 講談社現代新書 を参考に俳諧の発生事情をお伝えします。
俳諧はもともと連歌の一種として位置づけられていました。
連歌は、しばしば複数名の間で行われ、
発句→脇→第三句→第四句→第五句→第六句…
というふうに発句以外は、句の制作者は前の句の影響を受けてつくるもので、鎌倉期から室町期で盛んに行われました。
俳諧も形式的には連歌と同じ形式でしたが、そこに俳諧味(諧謔)をといれたから俳諧といわれました。
俳諧はその後芭蕉やその一派により、より芸術的な物になっていきましたが、同時に「暇があればやってみようか」という程度の人々にとっては、高級すぎて手の届かないものとなったようです。
しかし、一方で手軽に楽しみたいという人に 「前句」+「付句」という二句立ての簡易俳諧とも言うべき物が登場しました。
俳諧の発生事。次回に続きます。
単純作業の裏側に
本日も原稿の補正作業。あるルールに基づいて、原稿にある、特定種類の言葉を字体変更する単純作業です。しかしこれは、その言葉の字体を変更するべきか、変更しないでよいか、ということが判断できなければ作業ができません。そしてその判断は、その言葉に対する知識の上に成り立っています。
ある本に、「仕事の本質はどれも無形」と書いてありましたが、私の作業を支えているのも、積み重ねてきた、またはきつつある知識という無形の物ということになるのでしょう。
やはりインプット(=必要な知識、情報の収集)は大事ですね。
今日はこれまでに…。
原稿の補正
本日から父の原稿の補正作業を始めました。補正…。作業としては単に原稿中にある特定部分について、読みやすいように字体を変える程度でのことです。
原稿自体の内容を変更するものではありませんので、日本全国の下山 弘ファンはどうぞご安心ください。
この作業はあと3日ほどかかる予定であり、その後次の打ち合わせまでの時間は編集プロダクションの方に提案する資料の作成に宛てることになります。
提案するアイデアは主に二つに分けられますが、効率的な進め方を今思案中です。
さて、昨日から俳諧とはなんぞや?という話題で記事を書いています。
大字泉で「俳諧」を引くと下記の意味とあります。
①こっけい、おかしみ、たわむれ
②俳句(発句)、連句および俳文などの総称
③「俳諧の連歌」の略
私がこのブログで紹介している俳諧とは、このうち①に近いですね。
サンプルをあげれば…
子を誉められて子の顔をみる 武玉川十一篇
雨まで誉めて戻る仲人 武玉川三篇
物に気のつく女淋しき 尾斧日録七篇
厠へももれぬ禅家の法度書き 童の的六篇
明日に続きます。
俳諧って?
昨日は俳句、俳諧、川柳という短詩句のジャンルを表す言葉を使いましたが、この中で一般的にイメージがしにくいのは「俳諧」ではないでしょうか?
大字泉を引くと、
①こっけい、おかしみ、たわむれ
②俳句(発句)、連句および俳文などの総称
③「俳諧の連歌」の略
とあります。
うーん、まだイメージしにくいですね。
私自身がまだよく分かっていないので、明確な説明はできかねます。
ただ、いわゆる「俳諧」と呼ばれる句はある程度、父の著作の中でストックがありますので、一緒に楽しめればと思います。
明日に続きます。
そして俳句と俳諧が残った
本日は図書館で昨日の調べ物の続きをしました。
調べ物は昔の風俗や習慣、使われていた道具など、様々な分野にわたりましたが、最後まで不明な事項として残ったのが、俳句や俳諧、古川柳の読解です。
別に俳句や古川柳の本を出版するわけではありません。しかし父の原稿やそれに関連する事項を調べていくと、最終的にこれらが残ったのです。
理由は単純に私に俳句や俳諧、古川柳に関する素養がないからですが、自分をひいきするわけではありませんが、これらの分野は素人には読解しにくい面があると思います。
五七五、または七七という限られた字数の中で表現するのですから、使われる言葉は最小限なものとなり、読者が句を理解するためには、小説など他の文芸分野以上に想像力が求められることが多いように思います。
また次にご紹介する忠臣蔵の一場面を描いた句のように、しばしばこの言葉ならばこの事実を指す、といったある一定の約束事の上に作られるものが多く、その知識がないと理解できないという場合があります。
(特に川柳に顕著のようです。)
では、本日意味を理解することができた句をご紹介します。
まず古川柳から一句。
むくむくと炭が動いて百年目 / 玉柳 (川柳撰集)
百年目とは、「ここであったが百年目」などという風に使われますが、この場合はせっぱつまった、いよいよ最後の時を表す意味で使われています。
この句のポイントは「炭が動いて」。忠臣蔵で吉良上野介は討ち入りにあった際、最後は炭部屋に隠れていたところを見つかって斬られた。
つまりこの句は吉良上野介が見つかったときは、こんな情景だったのだろう、と詠まれた句です。
次に俳句から一句。
こもらばや百日紅のちる日まで / 支考
百日紅(サルスベリ)は夏から秋にかけて、夏の暑い時期ずっと咲き続ける花。つまりこの句は、暑いのでじっと静かにこもって涼しくしていたいものだという意味です。
いろいろ調べたりして時間がかかることもありますが、意味がわかった時は、なかなか嬉しいものです。
さて反対に、調べても、結局句意がわからずじまいの句もあります。
まず俳句では、
日焼け田もことしは稲の立て伸し / 几董
夕暮や精進鮨も角田川 / 一茶
ちなみに精進鮨とは野菜だけを使った鮨を指すようです。
次に俳諧では、
二日灸を逃げて三味線 / 金砂子
吹く風の手や横紙のさくら花 / 昆山集
これらは引き続き要調査です。どなたかお詳しい方がいたら、是非お教え願いたいのですが…
明日からは編集プロダクションの方に提出する原稿の準備。いままでいろいろ調べたことを元に原稿を整理します。
こ作業自体はあまり時間がかからないと思うので、最近不足していたインプット(父の著作や古典文学の読書)の時間を増やして行きます。