『街~運命の交差点~』を振り返る。 | アドベンチャーゲーム研究処

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アドベンチャーゲーム(AVG・ADV)の旧作から新作まで、レビュー+紹介を主として取り上げるブログ。(更新は不定期)
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【紹介】

1992年登場の『弟切草』、1994年登場の『かまいたちの夜』に続くチュンソフト製作の

サウンドノベルシリーズ第三作として登場したのが、この『街』である。


『弟切草』がドット絵の一枚絵、『かまいたちの夜』がキャラクターはシルエットで背景は実写と、

着々と実写化を進めていった中での登場ということもあり、

シルエットを撤廃して登場キャラクターを含めての全面的に実写となった作品だった。


しかし、既にプレイステーションとの販売競争に敗れていたセガサターンでの

リリースということや、プロモーションの失敗など、数々の失策により販売的には振るわず、

続編構想もありながら、この一作で終わってしまい「未完の名作」となってしまった。




【背景】

『街』がリリースされた時期は1998年

当時は既にSFCのROM媒体からCD媒体へ完全移行していた時代で、

容量の増加に伴い3DCGを用いたゲームや、

プリレンダムービーをゲームの途中に挿入することが流行っていた。


その流れに添い、容量やハードスペック(画質が悪いと、ある程度アップでないと顔の識別がしにくい)を

必要とする実写ゲームも幾つかリリースされていたのだが、

当時はサウンドノベルブーム真っ只中ということもあって粗製乱造が繰り返され、

またゲームの製作費の都合上少々j安っぽい配役などが祟り、

「実写=つまらない」という不当なレッテルを貼られてしまっていた。

このことが、『街』の販売的な大不振へ繋がるひとつの要素だといわれている。


(1998年にリリースされた作品 『ゼルダの伝説 時のオカリナ』『メタルギアソリッド』など)


【プロット】

「主人公は100人」

冗談と思われるかもしれないが、街のプロットは100人の主人公を描くことを目標としていた。

そのため、ゲーム中では主人公として扱われないものの、

ゲーム内で補足説明的にストーリーが紹介されたり、背景として登場したりする

準主役的なキャラクターが何人か『街』内だけでも相当数いる。

プレイヤーはその何人も居る主人公の中で、
選ばれた8人+αを操作し時には他の主人公に時には準主役に干渉しあう。
つまり脇役が主役であり、主役が脇役というわけである。

【システムとゲーム性】
システムとしては、選択肢を選ぶことで自分あるいは他者の行動に影響を与える
いわゆるザッピングシステムが最大のウリとなっている。

これは例えば、主人公Aが何もしていなくても、

どこかにいる他の主人公Bが何か主人公Aに都合の悪い選択肢を選択してしまうと、

その何もしていない主人公AがBADENDに向かってしまう。

つまり副題の通り、運命が交差しているというわけである。

また、一人の主人公にだけ注力させることを避けるために、
ストーリーをある程度進めると唐突に「つづく」と出て
他の主人公のストーリーをある程度進めないと続きが読めなくなる。
これが、連続ドラマ的で続きが気になる憎い演出のひとつとして作品の熱中度を上昇させている。

複数の主人公が生きる空間、それが『街』というゲームだ。


』というゲームは、基本的に一本道だ。

分岐することがあっても、それはバッドエンディングへの分岐であり、

かまいたちの夜』や『弟切草』の様に「~編」の様な形で話自体が分岐するわけではない。

一直線に『街』を生きるキャラクターの行動を変え、それぞれの結末へ向かわせる、

ただそれだけを目的とした「神様視点」のゲームスタイルは

一見するだけならば、ゲーム性が低下したと感じれるかもしれない。

ある意味、今までサウンドノベルのやってきたことを否定しているといっても良いだろう。


しかし、そこには偶然を弄り主人公達の人生を変化させてゆくことを通し、

同時進行で展開する「街」という奇妙なドラマ空間を共有するという、
今までのサウンドノベルでは絶対に出来なかった、

ゲームだからこそ表現できたゲーム性が確実に存在している。


【ストーリーとしての街】

『街』というゲームは、それぞれの主人公が「街」で生きる姿を描いている。

そのため、描かれるドラマはそれぞれ勝手な方向に進み、それでいて個別だ。


だが、渋谷という器(街)から離れて行ってしまうことはないし、

それでいて無関係な方向にドラマが展開されているはずの主人公同士の運命が交差しあう。

はっきり言ってしまえば、それは「ご都合主義」と言って間違いないだろう。


確かに、これが「普通の物語」ならば許されたものではない。

しかし、『街』はゲームで展開される物語だ。

操作をしながら、キャラクターを導く過程を含めて「物語」であるサウンドノベルであるがゆえに

この運命を絡ませるというご都合主義がカタルシスとして消化されていく。

正しく『街』はゲームであるからこそ許されるストーリーなのだ。


解りやすい?図

「勝手な方向に進む主人公たち」解りにくい図(1)


【428に向けて】

では、今回リリースされる『428』はどうなるのだろう?

私の個人的な印象としては、『街』は勝手にそれぞれの方向へ向かって行くゲームだとすれば、

『428』は渋谷爆破というキーワードに導かれて、

内側へとそれぞれ絡み合いながら向かっていくゲームではないかと思う。


解りやすい?図2
「内側に向かう主人公たち」解りにくい図(2)

かつて、チュンソフトの代表取締りである中村光一は、

ゲームソフトを完成させるたびに「やった、百万本だ!」と言っていたそうだ。

今現在、氏にそれほどの情熱があるのか

チュンソフトを長く支持してきた私にも、正直言って解らない。


だが、こんな採算が取れるかどうか全く解らない大予算タイトルを

作るだけの気概があるのなら、きっとまだ情熱はある。

ファンだからこそ、そう信じていたい。


2008年12月4日リリースを迎える『428~封鎖された渋谷で~』
【コメント】
『428』前夜祭的に気合を入れまくっての執筆。
ちょっと思い出話の様な記事となってしまいましたね。
昨日は手抜き更新だったので、今日は一球入魂です。
変な画像を作るのが一番苦労したのは秘密。


【参考】

『弟切草 蘇生編 公式ガイドブック チュンソフト編』 1999年発行 大日本印刷株式会社

『かまいたちの夜 公式ファンブック』 1998年発行 株式会社チュンソフト