angoの世の中フラリフラリと -236ページ目

歌とか音楽とか酒とか星とか

昔質問したその答えが今でもはっきりとしない


ある時テレビを見ていてふと不思議に思ったのである

角の丸い白黒の14インチだった筈で


ねぇ

なんでこの人は歌うの

普通に話した方がよく解るんじゃないの


よく覚えていないけれど

その時の歌手は

守屋浩だったかも知れない


幼稚園でも小学校でも歌わされて来たのだけれど

なぜ歌うのか未だによく解らない



それでも音楽は聴く

音楽は何かの作業には必ず付いて回る必需品である

何かを考える時や

それを文字に書くとき

音楽が無い方がいい事はあるが

寝る時ですらラジオをヘッドフォーンで聴きながらという事もあるくらいなのだ


今朝起きたら寝ている間に長唄を聞いてイタ

やや目覚めが良くないのである


流行歌の歌詞など全く理解しておらず

聞き取ろうとしてもいないところをみると

どうも歌声を楽器の音と区別していないようだ


区別して聞き取ったらとても聞けないものもあるかも知れないが

余程気に入った楽器としての声ですら

その内容を特に気にして詩を理解して

好きだの嫌いだのと思った事がない


ソノクセあの頃の歌に引きずられるようにして

考えが出来て仕舞った様なところがある


私は演歌以外なら大概何かに言わずに聞く事が出来る

やはり歌詞よりも音の流れが大事なだけかも知れない


音は景色を描く事が出来るし



そう思うのである


それで

避ける事が出来ない環境で演歌が流れてくると

呪いのメロディーと

人をダメにする歌詞が聞こえてきてならない


小料理屋や和風のスナックなどへは

よほど強制されなければ行かないのである

そんな過酷な環境で酒でも飲めば

酒が荒れてしまうであろうぞ




実は

全ての音楽の歌詞を全く気にしないという訳ではないのである

ただ

言い歌詞といい声が重なると歌詞を聞き取る事が疎かになるので

そんな時は心して歌詞に聞き入ってみたりする

  

ひっくり返って好みの酒でも脇にたっぷりと置いて

月や星が近くになるようなのが一番いい


喰うの事

モリモリと喰うのである


亜奴の口癖は生きなきゃ

なのである


仇の様に喰うので落ち着かないが根が悪い男ではない


なんだか知らないが生きる為に食わねばならぬと思い込んでいる事は確かで

朝飯など食わず

昼が面倒なら無視し

夜は何か食って見たりするような私の態度がいかんと言うのだが


こっちにしてみれば

生きるなどと言う事に妙にトリツカレテ居る様で見ていて可笑しいのである


第一

今亜奴が腹一杯にしたという事が

その後の亜奴の時間の補償になる訳ではなく

その切羽詰った

喰わなきゃの強迫観念には

何の根拠も見当たらないのである


なぜ歌うのかもそうだけれど

タブン他の人が気にならん事を疑問に思うのが得意なので

この喰わなきゃというのは本当かどうかちょっと試してみたくなった


また

そういう事を思いながら普通に喰っている人の様子を観察すると妙に面白い事に気がついた


大凡の場合片手に箸などを持ち

自動的に顔面の穴にモノを運ぶその様子は

獣が獲物を食らう姿とは違い

サルが木の上で頬張って居るのとも何んとなく違うような気もするし

馬の道草ほどにのんびりとした景色でもない


そんな事なのである


夢野久作に

いなかの事件 と言うのがある

婆さんが怪死するのである

満腹で






なんでもない話

もうバカバカしいので
なるべく書かない事にしてやろうかと思うけれど

あの馬鹿どもはトロイカ体制で行くと言った事がある
その時もあまりのばかに何も言えなかったが
トロイカと言うのは彼らの心の故郷に使われていた三頭立ての
橇であろう

あの三人は別な事を考えていても御者が操る通りに元気に走ろうと言ったのである
その後の御者が橇から放した中でどう御しているかは知らないが・・・




もっとくだらない話

セシウムとストロンチウムとプルトニウムの混合比を
勝手に想定し
それぞれの性質と影響の度合いを無視して
分量で仮に想定して
検出の負担を減らすのだそうだ

それで安全とかいう答えに結び付けたがっている
確かに交通事故で人は死に続けているが
原発では死に続けていない
そういう話で良いのならば
自動車を作る企業は
無作為の殺人幇助にもなろう

あまり細かな事を気にしたくないほどにこの問題には旨みがありそうだ
有っても無くてもどうでも良いが
そういう事すら気にしたくなくなるほどに滑稽なお話の展開ではあるのかなと思う事がある

いまの政治家と称する者達が
清沢キヨシを知っているかどうか想像する事すら空しい感じがするけれども
この人は政治家の仕事を
今日只今の問題を解決するところにあると書いているけれど

時代が過ぎて質が低下して
素養を問わなくなった今
今日只今の誤魔化しに長けて来た事だけは確かなのだろう

歳を取ると
人は一様に偉くなる訳ではなく
阿呆は阿呆のままに歳を積み重ねるのだという事を確信するのです



そういえば
その無作為殺人に問われないでいる企業の
生産過程におけるコストの電力料比率は
0,3%である






そんな中 
若手の政治欲が関西で台頭し始めたけれど私は支持しない

一国二都制度と言うのは紀元前に存在した歴史はあるが
それは日本でもなく国と言う者の考えが全く違う上に
満面の笑みで訴える者にロクな奴は居ないのが世の常識であろうと思うからである

真剣な顔が出来ないのである
あの男に出来る事は作り笑いと因縁めいた恨みの暴言程度のものでしかない

そんな者にでも靡こうと言う年寄りどものどこが政治家なので御座んしょう

こういう猥雑な話はもう書きたくもない


You And The Night And The Music




こんな感じでいいのかなと思うのですね
いいんじゃないの?

大きなバルコニーが難しいなら
昔の屋根の上の物干し台でも

少なくとも真上を見上げる事が出来れば
いいんじゃないの



深夜のタイムマシンのこの頃

もう一つの方は



間抜けな間延びする口調で既に聞けないけれど

NHKのFMで

11時から12時まで

これも随分と続いているプログラムだと思うけれど

クロスオーバーイレブンと言うのがある



ナレーションも昔と変わらない

これが終わると

星の瞬きと区別が付かなくなる方へ行ったものだけれど

もう行かない



やはりナレーションと言うのは大事なのです

スクリプトもそうだ



今の声は役者だが

矢張り役柄の狭さ其の儘に無理した緊張が間延びしたナレーションになってしまうのでしょう



恥ずかしくなるのでそのままNHKに留まる



すると

朝の5時までらしいが深夜放送がある

全くタイムマシンである

番組構成もなぜかNHKらしく

何より凄いのは

毎時毎のニュース

まるでニュースの口調で良い

です とか ますとか

語尾が昔なのである



11時から深夜かどうかは判然としないけれど

最近はそれを聞いているのです



あとは放送大学ね

講義によっては面白う御座いますです
もう一つの方は



間抜けな間延びする口調で既に聞けないけれど

NHKのFMで
11時から12時まで

これも随分と続いているプログラムだと思うけれど
クロスオーバーイレブンと言うのがある


ナレーションも昔と変わらない

これが終わると
星の瞬きと区別が付かなくなる方へ行ったものだけれど

もう行かない



やはりナレーションと言うのは大事なのです
スクリプトもそうだ



今の声は役者だが
矢張り役柄の狭さ其の儘に無理した緊張が間延びしたナレーションになってしまうのでしょう

恥ずかしくなるのでそのままNHKに留まる



すると
朝の5時までらしいが深夜放送がある

全くタイムマシンである
番組構成もなぜかNHKらしく
何より凄いのは

毎時毎のニュース
まるでニュースの口調で良い

です とか ますとか
語尾が昔なのである



11時から深夜かどうかは判然としないけれど
最近はそれを聞いているのです



あとは放送大学ね
講義によっては面白う御座いますです

裏山の残酷

子供の頃近所に裏山と呼ばれる処があった


裏山は山ではなく

高台のへこみである


深く入り組んだ奥まで田んぼがあって

そこにはザリガニがいるのでよく行った

今そこに行ってみると


行くというよりもすぐ裏なのである

ひと折れして凹みの底に着いてしまうほどの傾斜は

なんと言う事の無い傾斜だった

その日陰の下の田んぼは積み木の一つにも満たないほどの家が建ち

見る影もない


裏山が裏山だったころ

田で働く農家のばあ様が

ザリガニをもって皆を呼んで

大きいのが居たよと言った事がある


バケツを持って走り寄った途端にばあ様は

その立派なハサミを千切ってしまった


危ないから取ってやるよ


全然嬉しくも無かった


両手の無くなったザリガニは少し離れたところで捨ててしまった

手が無いのだから死んだだろう


タブンこの光景は最初に見た残酷であろうかと思う




白黒の記憶

当時校舎は木造モルタル2階建てで

窓は木の枠で9つに区切られた枠にガラスがパテ止めだった


パテは外の日光で堅くなり

ひどい雨は滲んで内側に入って来た様な気がする


窓の手前には観察台というのがあって

クロッカスの水栽培や

メダカの水槽やらが置いてあって


階段も廊下もみんな板張りだ

角などは丸く擦り減っていた


或日外は酷い雨で

黒い雲が校舎の屋根をかすねながら雷が迫った


そんな気もするが

そんな事は無かったかも知れない



院線

百鬼園日記帖


家族で横浜見物に行ったとある


帰りは院線で

子どもは窓の外ばかり見ていた


院線・・・・

その後の省線だろう


子供の頃 省線と言うおばさんが近所に居た

省線は国鉄の事だなと思ったが


国鉄はもうJR だから

間違えそうになるのを気をつけなければいけない


私が今度は省線のおばさんになるかも知れないのだと思う


本屋で

紀伊国屋で

阿部公房と内田百閒で迷った


今思えば

両方でいいのである


何故か其の時は

どちらかにしたかったようだ


澁澤龍彦と塩野七生も混ざって来たので

混乱したのだろう


軍配は百閒に上がった

日記である


だから今は大正6年にいるような感じがしていい

新しいYES