angoの世の中フラリフラリと -234ページ目

Cream - White Room

なんでしょ

癒しという言葉が何かのキーワードになっていると聞いたのは

ずい分前でしかもその時日本に居なかったので何の事やらサッパリ解からなかった


随分と年寄り臭い音だなと思ったけれど

そう言う事でも無いのだと・・・・


余ほど疲れたのか無気力なのか

そんな印象だった


その印象は強ち外れでは無かった様にも思えるし

今でもよくわからない


環境や状況に順応する能力に長けている分だけ

外部からの何かに浸ってしまうような感じがして好きではなかった


癒しってのは息抜きなのか?

その程度の事だったらそれでもありかなと思うけれど


どうもいまひとつ

二つも三つもよくわからない


それを感じるアイテムの一つが猫だったりするのだろうか


猫はそういう存在ではないから色々と忙しい生き物で


クラゲなのか


こうなると最早病的である


海月で思う事は沢山あるのだけれど

それで自分の中の緊張が解けてゆく様な気持には成った事が無い


癒しってのは夫々でその言葉の意味が違うのだろうけれど


癒しを求める心持に至る経過の方が気になる


これが癒されますという提案においそれと乗りたくないという気持ちが先に立つ


そういう提案が反って雑踏のようで



私としては与えられた癒しは誤魔化し程度の事だろうと思うけれど


癒しというキーワードで提出された物はかえってストレスを感じるというのは

癒しなんて要りませんという事なのか

そうではなくて

すっかり溶けたいよ

という末期の状況なのか


どちらにしても




まぁ いいか


要らぬ事に忙しがっても仕方がない



どちらにしても癒しブームは長過ぎる

積極的な堕落の方が余程為になる様な気がする


為に何ぞなる必要は無いのだと言えばそれまでの事

無意味でないのなら


為にならぬ事というのは時に有用でもあるとは思う

貢献しない価値というのが無いとは言えないのだ


大いに貢献してはいけない価値観というのもあるし

それはけして悪では無くて

ヨシヨシでもないのだけれど


よくわからないけれど

癒しはリラックスとどこかが違うようで

ほのぼのとも違うような気がして


頼りない歯応えの渦巻きのようで





渋谷区神南中央電信台

夜遅く

「日本人は何を考えてきたか」

というのがあって


足尾銅山鉱毒事件

鉱毒と住民の健康被害の因果関係はない

多少の銅は健康に良い


当時の東大の意見でした


大爆笑!!



熊楠も登場です

・・・・・・・・


昔の人は偉かったんですね!


そうじゃなくてバカの度合いが

今とは違うのでしょう

その意味合いも違ったのでしょう

一握りの知識が多くの無知をリードしていた時期と

多くの馬鹿が知識を淘汰する時代の違いじゃないんですかね


馬鹿が持てはやされて

自身を上回る馬鹿を見ては喜ぶ時代の真只中で

何かの知識に触れるので偉く見えるってのもあるかもですな


偉くないバカよりは

偉い馬鹿が今はいいのでしょう


何を恥ずかしいのか

言い訳なのか


昔の偉いは深夜に近く放送されます



馬鹿とバカは違うのです






T Rex - Get It On

蕎麦とかハンバーグ

メディウムというのがあって

この言葉を良く使う人がいると多分その人は絵か何かを描く人で
絵の具に混ぜるのです

後は
十割蕎麦と言うのに対して
普通の蕎麦には小麦粉が入っていて
これもメディウムで

ハンバーグに混ぜるパン粉もそれで
要するに単に 繋ぎ なんだろうけど

メディアってのはこのメディウムの何処とか弁で
混ぜ物で繋ぐというのは訳があるのでして

メディアがある事で何かと何かが繋がって
ああ 良し良しですが

そうそう
言葉が会話が最初のメディアでしょう
その内に絵が来て文字が来て
そういった順番です

独り言はメディアじゃないですな
人に見せない日記なんかも違います

音楽 絵 文字 音声言語
こういったのがメディアで
ここには無意識はありまへん

シューリストの自動記述なんていうのは
実は有得ないでしょう
好きですけど





良くある事ですが
絵の展覧会で
この人の言語は好きだとかどうだとか言う事があるのです
絵は言葉と同じ一般的に通じるかどうかは別の問題
なので
上手とか下手が無い




実は
ある人の絵に何か書いてくれと言われたので書かないといかんのですが
絵描きは雄弁ではないので絵にするのでして
その人も絵について下手な言葉を発してくれません
なので
何か書けといっても切っ掛けが無いのです

日本人です

日本人の絵描きは普通あまり語りませんからね

そうだね

それで何か通じるとでも?

でもいい絵ってのはあるのだし
何か書いてくれないかな

という話で・・・・

芸術と美術なんでしょうね
日本の市場で持て囃されるのは9割近くが日本画です
美なんでしょうね
美しい綺麗綺麗が美術で
血や体液や体臭のするのはどうも・・・
そういう事でしょう

絵を言葉に替えると
耳障りがいいのが持て囃されるという寸法で

この人のは日本画ではないけれど
自分の言語を綺麗にしようとしているような感じがしてならない


こんな事は書けないので上手に嘘付いてやろうかなと思っているのです



ふつうにぼんやり

別にどうでも良いような感じはしますが

発想が沸いたので中身を作ってくれないかという様なのに同対応したものかと考えるのは当たり前のことで
それをそのまま言えばいい物をそうは言わないので

反対して居やがる!
そんな馬鹿な事を言う人相の悪いのが
メディアにイスワって
それが評論家だというのだから程度が知れたような話で

それらしいのが出来たら今度はもう話なんかよくなっちゃって
広く国民にアピールだ
国民にって言ったところでねぇ

国民は国民で国民なのだし
確かに選挙もあるのだろうけど
煽って成し遂げようというのが良いのか悪いのか
それでいいのが隣にあるけれど

普通に馬鹿じゃね
と思うのでした

こんな話はどっちにしてもそれで良いならそれでいい話で
それでいいのが大半ならそれで良い訳で

良いんだから良いんだよと言う事なんでしょうね

順番に重なって行く時間の階層なのだから
避けられない時間かもしれないのだけれど

どっちにしても人の歴史は大概無残なもので
部の悪い時期というのもあるわけで

全体が分が悪いのだと印象付けれ引きずり込むのが時の政かも知れないし




話が近いか遠いか良く分からないけれど
世の為他人のためになる事を成し遂げようなんぞと公言する庶民の心理の裏側に何があるのか知らないけれど
それを声高に言う輩の状況を見ると
結局は自分への見返りの手っ取り早さに惚れ込んでいる様に見えるのは捻くれか

ざっくり言うと
尤もらしい偽善が一番で
最も安心出来るという事だ

自分を犠牲にして事故の目的を達成する事よりもとっても簡単だという事だ
人が生き物ならば動物ならば
そう考えれば答えは簡単なのだけれど

人間が他の動物と違うので
今の様な環境を作れたのだぞと言われるとウッカリト騙されそうではあるけれど
他の生き物は人間ほどに小賢しさに恵まれていないという事でしかないのだ

大雑把に言って人は知恵を持って以来態々面倒な事を繰り返して来たに過ぎない
そんな中で小ズルイ事ばかり上手く行くので
ろくな事は無い

狭義に言えば尤もな事柄も
小狡さと詰まらなさの視点を変えれば
今ある事柄の殆どは無くても良いような事になってしまう
そうなって困るかどうかは知らないので
しまうという言い方がそれで正直かどうかは判断しがたいけれど

なったしまうという言い方にすると都合が良いような気がするのだ
こうやって小狡さに磨きがかかる

なかなか捨てたものではないかもな
と詰まらない事を思うのでした


天真爛漫と楽天主義とが
自滅の始まり


日本の敗戦は

NHK Eテレ
世界史

この先どうやって造って行くのか
私には良く分からないのです

団塊世代以前の
敗戦と教育のあれの経験者で無いと想像はつかないのかも知れない

中国東南アジアの国を侵略していた日本軍は
最終的に中国共産党に負けました

毛沢東率いる共産党に負けた日本は
なぜアメリカ 連合国の言いなりになったのでしょう

そりゃ中国も怒るわなぁ

アメリカに引っ手繰られたようなものでしょう


移民政策と植民地政策とがまったく違うかどうか
余分な事を考えますな

中国人無くしてこれからの日本は有り得ないと言うのは今の流行ですもんね

私ほどの馬鹿だと
国境があって敵視するのは
相容れない物が有るからだなんて思ってしまう
隣なんだからこっちと同じなんだしそれならこっちが指導してあげますねと言う親切が今の中国の国土を形成しているわけで

やっぱ中国親切だわ
そう考える方が今的ですわ

中国人民の幸せ
極東の島にも通じますかな

それを段取りした日本人はそうなった時どんな立場で君臨するのだろ




メモ帳

時々メモ帳を作る
システム化した物なら売っているけれど
その使い方を理解する以前に一年が過ぎてしまうし
そんなに切羽詰った状況でもないのでそれを使う事もないのだ

ずっと若いころ2度ほど買った事があるけれどその頃は書く必要が無いほどの記憶力があったので殆ど使う事が無かった

それで
たまにしかメモしないのなら紙は何でも良いので
スケッチブックの中に書くこともあったけれど
紙が白いのでイライラするようになって

ならばという事で
気に入ったザラ紙の丈夫なので適当な大きさに作ることにした
罫線はいらないので
絵でもメモでも使えて便利だと思っていたけれど
今度は閉じの位置が邪魔になる事があって
いつでも方向を変えて使ってしまう
四方八方から書くのでページ毎に時間が経過しない

日付なども書いてみたけれどその順番もばらばらになる
第一
書いてしまうと記憶に残さないのでよくない
どこに何を書いたのか覚えているのなら文字に残す意味は無いのではないかと思う様になって来た

年の初めには必ず作るなどと決めるとそれだけで面倒なので
ついこの間気まぐれで作ってみた
作る度に大きさが違う
今回のはほぼ文庫本くらいの大きさで
その前のはその半分くらいだった

多分これも何が書いてあるのか分からない紙の束になるのだろうけど
表紙と裏に小さく絵を書くところまでは楽しい作業なのです

理想的な洞穴生活の計画
低音が効きそうなスピーカーボックスの断面図
どこの誰だかよく分からない誰かのメールアドレス
アメーバーみたいなの

そんな事が書いてあって
何かの役に立つ訳ではない
役に立たない物を書く為に持っていないと不便をするから
作るのです

背広姿のエライ人 

何の関係もない一曲



102-59-74
まあ
平均してこんなものなのです

ちょいとふえたところで
120-65-80
そんなもんです

そういう事なので朝は滅法弱い
朝が無いならずっと元気でしょう

夜型なのです

ずっと不摂生をして
無茶呑みはするし
呼吸に合わせて煙は吸うし
一時はお早うビール
おはようウォッカ

もしこれで健康なんかに気をつけていたとしたら
更に数値が下がって
消えていたのかも知れない

だからっていい事ばかりがある訳でもない
調子が悪ければいい方がいいと思うのだろうけれど
調子は兎も角状態が悪くないと云うのも良い訳でもないのだ

様子が悪い不都合より様子が良い不都合の方が心配がないというのは確かだけれど
心配が無い事が心配になれば
それはどうなるのでしょ

健康万歳
健康漫才

健康には基準が無い

都合と一般的な様子のお話だろうと思う
度合に過ぎない

ああ
なんと冷血なお話なのだろう



何の関係もない一曲
青森ライブ