訃報:廣田恵介氏 | アディクトリポート

アディクトリポート

真実をリポート Addictoe Report

訃報:廣田恵介氏

 

Facebookで、

氷川竜介氏がこれを取り上げていた。

廣田恵介さんと「マイマイ新子と千年の魔法」- プカプカ散策記(2023/7/17)

 

皆さんは廣田恵介(ひろた・けいすけ)さんをご存知ですか?

 

廣田恵介 ひろた・けいすけ (広田恵介)
1967年3月15日生まれ

フリーライター。
日本大学芸術学部・映画学科・監督コース卒。

最近はアニメ、映画、ホビー関連の取材やレビュー、映像ソフトのパッケージお手伝い、イベントの司会等をやらせていただいています。

 

これが最も公式に近い訃報通知でしょうか。

「先日急逝」とあるため、亡くなられた日時や死因は不明のまま。2023年7月11日より前だったことだけわかる。

 

2023年8月22日の、このブログ記事作成中でも、廣田氏の Xアカウントは、

Twitter時代の6月28日のツイートが最後。

最上段の表題は表示固定で、

固定開始は2023年5月31日から。

 

 

つまり今年の6月末まではアクティブだったのに、

それからわずか2週間のうちに急逝された。

 

「月刊ホビージャパンならびにHJヴインテージなど、卓越したセンスと豊富な経験で数多くの企画に携わりご活躍された」

との説明だが、あいにくWikipedeiaの項目がない。

  1. 数年前まで月刊モデルグラフィックス誌に、定期連載コーナーがあった。
  2. 「ガンダム」以降のアニメプラモの推移に誰よりも詳しく、しかも現状まで経過や軌跡を追い続けていた。
  3. 『マイマイ新子と千年の魔法』から『この世界の片隅に』までの、片渕須直(かたぶち すなお)監督の成功の道を整えた。

『マイマイ新子と千年の魔法』は、30数館という小規模で公開され宣伝もほとんど行われなかったため、興行的には振るわなかったが、感動した観客からの熱心な活動が行われた。この作品の高い評判が、片渕監督の次回作『この世界の片隅に』につながることになった。

と言ったところだろうか。

 

私の中では、2のガンプラ以後のアニメプラモ、「ボトムズ」だとか「ガリアン」だとか、タカラが主力商品のプラモを出し、ニットー等が小型プラモを併売した経緯を追い、

近年のBOX再販が他社からなされた場合もそれを丁寧に追いかけたネット記事に感銘を受け、それをtwitterで表明したら、廣田氏から賛辞を受けたんだが、

確かその関連記事が再掲されると勘違いした、

ホビージャパン ヴィンテージ Vol.9
2023年1月31日に発売される直前だったから、
わずか半年ほど前のこと。

 

廣田氏は私のコメントを見ても、かつての武田英明からとは気づかなかっただろうが、そんなことはどうでもいい。

 

亡くなる直前に、再びやり取りが交わせたのが何よりだったので。

 

実は廣田恵介という名前を知っていて、かすかながらも顔見知りだったからこそ、

同氏のご活躍に注目していたわけだから。

 

知り合ったきっかけは、

須賀大観(すが たいかん、1968年 - )監督映画『ブリスター!』(2000)のエンディングにワンカット出演の際、

監督の友人として紹介された廣田氏と会った。

 

その後SWから離れて路頭に迷った際、「僕は雑誌ライターとして生計が成り立っています。今のあなたの姿は恥ずかしい」みたいなことを言われたが、全くその通りだったので言い返せず、そのご指摘はもっともなので腹が立ったりもせずそれきりだった。

 

それから約20年。

須賀監督のWikiは不完全ながらもあるし、

氏の監督作『最終兵器彼女』(2006年)は映画館で、

『ROBO☆ROCK』(2007年)は試写で観たが、

廣田氏のWikiはないので、

この方(藤津亮太)や、

この方(山本寛)や、

この方(エリック教授の超音楽的日常)のように、

私もブログで同志(同氏)を偲ぶしかありません。

 

少年の心を持ち続け、それを社会に広めた方でした。

 

こちらは廣田氏の思い出を語れるまで生き延びただけラッキーなため、その強運をムダにしないように今日も生きています。

 

感謝。