『トップガン マーヴェリック』IMAX
2022/6/1 池袋グランドシネマサンシャイン シアター12 f−24
私はたとえば世間が大好評/大歓迎だった『シン・ゴジラ』(2016)を、
とうてい受け入れがたかったのと同様に、
やはり世間一般には大ウケしても、
自分にはどうにも肯定的な評価ができない映画があって、
それが『トップガン』(1986)だった。
有楽町の日本劇場で、
『バック・トゥ・ザ・フューチャー』の上映後に付いてきた予告にはビックリしたが、
いざ本編を観て、どれだけガッカリ失望、
ドンヨリ落胆したかは、とても語り尽くせない。
とにかく、ひたすらくだらない内容でビックリした。
こんなもので喜ぶと見込まれるほど、
観客の知性は低く見積もられ、
みくびられているのかと。
ところが、
『トップガン』に対して、同じ意見の人に出くわした事がない。
かろうじて、公開当時だと双葉十三郎氏が、
「『刑事ジョン・ブック 目撃者』(1985)で良い味を見せたケリー・マクギリスの次回作だから期待したのにトンデモ作でガッカリ」
と共感を誘う感想を述べていたのを思い出し、
あるいは『映画秘宝』(再々休刊中)の過去の名作回顧記事で、
町山智浩氏が、全世界絶賛の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』を黒人蔑視映画と見破った(これは慧眼)のに続き、
『トップガン』も製作のジェリー・ブラッカイマーが、いかに何もわからないまま、
軽率なノリで取り組んでいたかが克明に記されており、
溜飲が下がった。
また、柳下毅一郎氏も、
「トニー・スコットの映画なんて…」と『トップガン』を敬遠していたそうで、
これにも共感。
柳下氏は、『ALWAYS 三丁目の夕日』(2005)のような山崎貴作品のように、
「全てをセリフで説明するような」わかりやすい映画を忌み嫌う一方で、
私にはさっぱり理解不能だったゴダールの『アワーミュージック』(2004)をその年のベスト作に推すなど、
映画鑑賞を知能指数や知能偏差値テスト代わりと解しているかのような姿勢に思われたが、
『グラインドハウス(前編)』(2007)の試写にたまたま同席したら、
まるでアメリカ人観客のようにめちゃめちゃウケてたので印象が変わった。
『シン・ウルトラマン』公開で、
『ULTRAMAN』(映画・2004)の再評価気運が、ごく一部で高まっているのと同様、
『トップガン』を推すよりは、
『ファイヤーフォクス』(1982)を再評価したいが、
『トップガン』に誰もが皆、絶賛・熱狂・大興奮なので、
ヘンに水を差すこともなかろうと、
私個人の意見や感想は差し控えていた。
それからウン年…。
『トップガン』続編新作『〜マーヴェリック』の映画館での予告はさんざん見たが、
ちっとも期待が持てない。
ところが公開たちまち、
圧倒的好評価の嵐!
そうかあ、
そういや近年のトム・クルーズ主演、スカイダンス・スタジオ製作の映画にハズレはなく、
『フォールアウト/ミッション:インポッシブル』(2018)も大いに堪能したっけな。
というわけで実際に観てみたところ…。
いや、これに文句を言っちゃイカンでしょ!
前作『トップガン』を踏襲していることはもちろんだが、
いざ実際に任務遂行になってからのトンデモ展開には、
「クソ真面目にリアリズムばかりを突き詰めちゃダメ」と言う制作陣の自戒も込められ、
しかも2022年の技術で『トップガン』を再現するならの精神は、
ついでに『スター・ウォーズ』も『ファイヤーフォックス』も『ライトスタッフ』(1983)も『ブロークン・アロー』(1996・未見)も『ステルス』(2005)もまとめて再現しとくかと抜かりなし。
実はIMAXでも天地フル表示はなく画角はビスタ固定。
音響ももっと迫力が出るはず…だったりはしたけれど、
懐かしき“ほぼデビュー同然”のメグ・ライアン(回想シーンのみ/グースの妻)とか、
さすがにケリー・マクギリスの再登場はなかったけれど、
そこそこ良い具合に年が取れるジェニファー・コネリーは大画面に映っても衰えなし!
さすがに中盤で3回ぐらいアクビは出たが、
これはもう間違いなく、
上映中に映画館で観ておくべき作品です!
ところで本作で10周年を迎えたスカイダンス・スタジオは、
『宇宙戦艦ヤマト』のアメリカ版実写作品『スター・ブレイザーズ』の権利を握っているので、
トム・クルーズ主演で公開たちまち、
リメイク版の「22なんたら」アニメ群を誰も振り向かなくなるような、
超弩級決定版に仕上げて欲しい。
JOE
ところでヤマト第一作のメカ設定は、松本零士氏の元、全てスタジオぬえが担当したと思ったのですが、豊田有恒氏の著作「日本アニメ誕生」によると、豊田氏が第一作の時間軸で出渕氏を紹介し、やられメカをデザインしたのが最初、と書かれていました。
出渕氏がヤマトに関わったのはⅢからだと思っていたので驚きました。
それが真実だとすれば、親を殺したに等しい2199はどれだけ罪深い作品なのか。
自分が愛する作品を、図らずも自らが葬る事になった事実に、監督の出渕氏はまだ気がついていないのでしょうか。