通常の充実度を維持したままでの記事作成が間に合えば、
連休中は毎日更新予定です。
無人都市東京2020-4-24秋葉原
タイトルからも察するように、
この記事(無人都市東京2020-4-24台場/SOS決死圏)の続報。
同記事内に、
結果からいくと外出の成果はあがり、
予想外の収穫もありました。
とある、
予想外の収穫とは、
無人のダイバーシティで、
ユニコーンガンダムの写真を撮り放題だった
——ということではありません。
渋谷
↓
新橋
↓
台場
と目当ての店舗がのきなみ営業休止で
空振り続きだった2020年4月24日。
次に目指すは秋葉原。
というのも、
この記事(レベルカラーの過去と未来/場所の記憶・30)との関連で、
グンゼ産業+藤倉化成の
タカラ+藤倉応用化工の
エヘヘ、それは秘密です。
※意地悪ではなく、
後で判明しましたが、
たいていの品がヤフオクの方が安いです!
とにかくさすがは秘密の場所だけに、
しっかり営業してましたよ。
そこでゲットしたのは、
月刊ホビージャパンの
↓1984年12月号と
↓1985年3月号。
選定理由は、
ビニールパック包装の誌面内容は買わないとわからないので、
表紙と裏表紙からだけ判断。
↓こちらが84年12月号の裏表紙
↓こちらが85年3月号の裏表紙
あくまでも秘密ショップの店頭在庫に限るが、
タカラのキャラクターキットの広告が
ホビージャパンの裏表紙だったのはこの号が最後で、
以降はホビージャパン製のZガンダムのRPGの広告に交代している。
で、これで探究している何がわかるかというと、
タカラ(TAKARA)はバンダイのガンプラ対抗商品として、
「太陽の牙ダグラム」(1981年10月23日から1983年3月25日)よりプラモ事業を本格始動。
1977年にグンゼ産業から引き継いだ塗料名レベルカラーと同時展開。
18mlで100円。蛍光色は200円。1981年
1981〜83年。タカラ製ラッカー系ダグラム専用カラーは10ml1本100円で発売。
【「ダグラム」→「ボトムズ」切り替え時のダグラムカラー一覧表】
↑容量10mlのダグラムカラーをはさみ、左がタカラのレベルカラー、右がグンゼのMr.カラーで共に18ml。1981〜83年頃。
1984〜85年に「ボトムズ」が始まってからは、
どちらにも使えるように「タカラアニメカラー」と改称された。
【「ボトムズ」時のアニメカラー一覧表】
というわけで、
「装甲騎兵ボトムズ」1983年4月1日から1984年3月23日
「機甲界ガリアン」1984年10月5日から1985年3月29日
——までは、タカラ+藤倉応化版・新レベルカラーは販売継続。
ダグラムカラーは、
↓グンゼ産業のガンダムカラー対抗商品なため、
角型の7ml小瓶が3本入で250円。
この時期に「容量10mlで発売」が
↓Mr.カラーを倣(なら)っているなら、
同カラーの容量変更も1981年だったんだろう。(※推測/断定できず)
さて、タカラ版レベルカラー
販売終了時期がわからず、
タカラトミーに問い合わせても、
後日、
藤倉応化に問い合わせても、
なにぶん古い話なのでたどれないとの返答だった。
そしたらTwitterに、
デュアルマガジン関連画像が!
「3Dジャーナル」は、
- プラモデルや玩具などの自社製品の紹介・広報を目的に、主に模型店で配布・販売されていた。
- 創刊当時の1979年8月号は無料だったが、その後50円に有料化され、1984年7月号からは100円となった。
- 1981年3月号から1984年6月号までは『タミヤニュース』と同じ定型封筒サイズの判型で、1982年からは読者の要望に応え、専用のファイルも発売されていた。
- 1984年7月号からの価格変更にともないB5判サイズに大型化した。
- 100円時代の末期には編集にゼネラルプロダクツが関わっていたことから、漫画連載によりページ数が増大してゆき、『サイバーコミックス』に発展した。
- 1988年7月号にて誌名を一度「MJ」へ変更し200円となるが、1993年2月号より判型が小型化すると共に誌名は元へ戻っている。
- 1994年1月号(174号)で休刊した。
——に対抗したタカラの模型販促機関紙で、
タカラの模型誌「デュアルマガジン」(1982年6月から1985年3月)
の穴埋め的な役目も担う。
バンダイ「模型情報」がおもに模型店で流通する小冊子だったのに対し、タカラ「デュアルマガジン」は書店で取り扱われるA4判の雑誌だった。ただし各号の間隔が3ヶ月開くため、発売されない月には補完として「3Dジャーナル」というA5判の小冊子が模型店で発売された(1983年11月の創刊準備号、1984年1月の創刊号から1985年2月の第10号までの通算11冊)。
「デュアルマガジン」は、
類似誌のバンダイ刊「B-CLUB」
(1985年10月から1998年2月)
より先行した。
というより、「B-CLUB」誌は「デュアルマガジン」を手本に創刊されたんでは?
とにかく「デュアルマガジン」「3Dジャーナル」で扱われた作品は、
すべてタカラが模型商品化し、スポンサーとなっていた。
テレビアニメ
高橋良輔監督による「ダグラム」「ボトムズ」「ガリアン」は同誌の顔とも言える。
「ダグラム」は放映終了後もオリジナル企画を起ち上げ、「ボトムズ」は新番組速報から休刊号まで掲載された。
劇場用アニメ
「ゴーグ」と「ジョウ」は安彦良和関連作品だったが、
安彦は「ジョウはプラモにしても売れんと思う」と誌上で発言した。
漫画
「エリア88」は当時まだアニメ化されていなかったが、タカラより模型が発売されていた。
ということで、
「ダグラム」(1981/10/23-1983/3/25)
「ボトムズ」(1983/4/1-1984/3/23)
「ガリアン」(1984/10/5-1985/3/29)
『クラッシャージョウ』(1983年3月12日公開)
「ゴーグ」(1984/4/5-9/27)
「デュアルマガジン」(1982年6月-1985年3月)
「3Dジャーナル」(1983年11月-1985年2月)
———を総合すると、
タカラ版レベルカラーの販売時期は、
1985年3月で終了したと思われる。
また、
レベル (模型メーカー)のWikiによれば、
1986年にレベルは同じく老舗の模型メーカーであり、長年ライバル関係にあったモノグラムとともに、ニューヨークの複合企業 Odyssey Partners によって買収され、両者は合併してレベル-モノグラム(Revell-Monogram)となった。新会社はイリノイ州を拠点とし、レベルのベニス工場は閉鎖され、金型は全てイリノイ州の旧モノグラムの工場へ集められた。合併後しばらくは両者のブランドはそのまま使用されたが、旧モノグラム製品は順次レベルブランドへ移行され、ほぼレベルブランドに統合された。
↓
レベルとモノグラムの合併に伴い、それまでモノグラムの輸入代理店だったハセガワがレベル製品の国内販売も行うようになった。ハセガワも一部のレベル製品を独自デカール、自社パッケージで販売している。
——とのことで、1986年にはタカラとレベルの提携はありえなくなっている。
さてさて本記事冒頭に戻り、
タカラ版・新レベルカラーの製造/販売時期を1977(78)〜1985と特定できたのが、
新型コロナウィルス感染の脅威にめげず外出した、
決死圏SOSの収穫だというのか?
実はホビージャパンのバックナンバーを入手した店で、
意外にもグンゼ産業・旧レベルの1975年カタログを発見!
チョイ高かったが、
「俺が買わずに誰が!」と感じ、
↓ご覧のように。
めでたく?ゲット。
帰宅後にヤフオクで調べたら、
ずっと安価で出品されていた。
それもあって今回は、
グンゼ産業版の元祖レベルカラーの関連ページを抜き出して紹介しよう。
プロ・スプレー Mk- 1
カラー
うすめ液
特製筆セット
塗料皿
ラビングコンパウンド
パテ
マスキング・ゾル
スプレーカラー
カラーセット
カラー7(セブン)
セメント/セメントデラックス
以上、45年前(2020−1975)まで
タイムスリップしてお送りしました。
ホビージャパンヴィンテージVol.3
を買った時には、
レベルカラーについてこれほど深掘りすることになるなんて、
思ってもみなかった。
↓旧・グンゼ産業版レベルロゴ
↑新・TAKARA版レベルロゴ
レベルカラーの過去と未来Ⅱ