クワイエット・プレイス A Quiet Place
TOHOシネマズ新宿 2018/10/2 スクリーン5 D-11
当日はアサイチで『若おかみは小学生!』(錦糸町)、
上映時間94分
昼に『赤毛のアン 卒業』の試写(六本木)、
上映時間90分
午後に『クワイエット・プレイス』(新宿)と、
先の2本の上映時間が各90分程度だから、どうにかこなせる強行軍だった。
『クワイエット・プレイス』は、予告編を見た時点で興味津々(しんしん)。
アメリカ公開は2018/4/6だったのに、
昨今の映画にしては珍しく、約半年遅れの9/28から日本公開。
他にもまだ未見の観たい映画はあっても、
まずは何よりこれでしょ!と勇んで鑑賞。
公開週たちまちの平日午後につめかけた観客は、
どうやら相当のホラー映画ファン/マニアらしく、
中島哲也監督の『来る』(2018/12/7公開)の予告でも、
やけに反応が良い。
『クワイエット・プレイス』はしかし、
とにかく息を潜めて観る映画なため、
歓声や笑い声は一切聞こえず、
音からの観客の反応はつかめなかった。
うっかりポップコーンセットで、
袋入りの味付けを選んでしまい(バカ)、
紙の音を立てないためには不用意にガサガサボリボリ食べられず、
飲み物だってジュルジュルとは飲めない、
なにしろ「音は一切立てるな」状態が続く。
それでも終映後に退場していく人々の表情は、
誰もが皆いちように満足げだった。
上映中はとにかく、「この先どうなるのか」
を、ひたすらじっくり見守りつづけるんだが、
「こうなったらいやだなあ」と言う方向に確実に話が進みまくるので、
ひどく疲れる映画である。
途中から、
けっこう達観して、
(以下プチネタバレ 白抜き文字)
これは『ダイ・ハード』みたいなもんなんだ
(主人公はそうあっさりとはくたばらない)、
と悟りはしたが、
だからといってダレることもなく、
上映時間の95分を、
劇中人物と共に駆け抜けた。
出演者のキャスティングが絶妙で、
大人も美男美女過ぎず、
生々しさが作品に見合って好抜擢(ばってき)。
子供もどこか小憎らしい表情で、
となると最後まで命の保証はないから(なぜかカワイイ子供は命が助かる)、
これが緊迫感を高めて、効果バツグン。
こういう侵略ものは、
いよいよ敵の勢力が増しに増し、
もはや最大のピンチのその時、
一気に問題が逆転解決するという、
『宇宙戦争』(2005)のトライポッド壊滅や、
搭乗していたエイリアンの絶命。
『マグマ大使』(1966)の
ショッキングな49話「再生怪獣キンドラ出現」に続く、
『アウターリミッツ』
邦題は、
『空想科学劇場 アウターリミッツ(NET:1964)/『空想科学映画 ウルトラゾーン』(日テレ:1968)』の第1シーズン22話
を思い出した。
まあ、これぐらいでは、
ネタバレにならないでしょう。
本作の脚本家も、
「マグマ大使」ももちろん、「アウターリミッツ」も知らないだろうし、
参考になった映画は、
『宇宙戦争』よりも、
もうすぐ公開の『ヴェノム』のオリジン、
アメリカ公開2018/10/5、日本公開11/2
『スパイダーマン3』の方だと、いろんな意味で感じた。
『ヴェノム』の話が出たところで、
プーちゃんさんより、
MCU次回作はソニーの『ヴェノム』ではなく
『キャプテン・マーベル』(2019年3月8日米国公開予定)です。
MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)は
アイアンマンの第1作目から続くシリーズで
途中でマーベル社がディズニー傘下になっています。
で、20世紀FOXの「X-MEN」(「デッド・プール」もこの関連作)と「ファンタスティック・フォー」、
ソニー・ピクチャーズの「スパイダーマン」は
マーベルコミック映画ですがMCU作品ではありません。
ソニーは「アメイジング・スパイダーマン」シリーズ失敗の後(3部作構想が2作で終了)
スパイダーマン新作シリーズを立ち上げる際にディズニーと提携し
トム・ホランド主演の「スパイダーマン新3部作」の最初の2作を
MCU作品として制作することになりました。
(なので、3作目はソニー単独作品になる予定)
『ヴェノム』はMCUとは切り離されたマーベルコミック映画作品で
将来的にはMCUを離れたトムホ・スパイダーマンとの共演の可能性もあるそうです。
(『ヴェノム』をR指定ではなくPG13にとどめたのもそのため)
『ヴェノム』以外のスパイダーマン関連キャラの作品も計画されていて
これら「スパイダーマン」スピンオフ作品は、
同社内でSony’s Universe of Marvel Characters(SUMC)と呼ばれているそうです。
以上、すべて「THE RIVER」https://theriver.jp/の受け売りです。
——と、詳しい訂正情報をいただきました。
『クワイエット・プレイス』に話を戻すと、
敵ビジュアルの元ネタは、
(ネタバレ白抜き)
ヴェノム
ザ・フライ
スターシップ・トルーパー
あたりから。
見終われば、「なんだ」と拍子抜けする部分もあり、
「なるほど、こういう作りね」とかの達観はあるにせよ、
作り手の仕掛けはうまく働いて、
観客の一体感や連帯感の生まれるイベントムービーとして大成功、
十分楽しめたんだから、私はよしとする。
というより、
作品が根源的に備える弱点、いわゆるツッコミどころを指摘して、
だからダメ
と酷評してご満悦と、いい気になるほどバカじゃない。
ところが、
いつも必ず出てくるのは、
ほんの些細な弱点だとか至らぬ点をあげつらって、
全否定する勘違いレビュー。
今年の作品に絞って例を挙げると、
このAmazonレビューとか、
『カメラを止めるな!』の
『未来のミライ』の
このレビュー(中身なし)とか、
「累 —かさね—」の、
『若おかみは小学生!』の
『あの頃、君を追いかけた』の、
このレビュー(ネタバレ)とか、
今日の本題『クワイエット・プレイス』なら、
よくもまあ、同じものを、
大方の意見とは裏腹にばかりこきおろしてくれるよなあ。
こうしたマイナス酷評には共通点がある。
熱狂やブームに冷笑的な姿勢で、
話題作や評判の良い作品、ヒット作に限って、
狙い撃ちで酷評レビューをぶちまけ、
「こんなものに浮かれてる奴は、まだまだだな」と、
見下した態度をシニカルに示し続ける。
だけどそもそも、
それは破壊行為だから、
創作とか創造という建設的行為とは正反対なので、
この手の否定的な見方は、
映画と言う創作活動にはまるで不向きで、しっくり来ない。
だいたい、やり玉の映画テク(脚本・演出・撮影等)にケチをつけるクセに、
本人のレビューテクが未熟で、
「以外/意外」「驚異/脅威」等の漢字の誤用はしょっちゅう、
やたらとネタバレが多いのもルール違反じゃないか。
なのになんで、
この全否定病が蔓延(まんえん)してるかというと、
やはりネット社会に移行中の悪影響なのかも。
10年前に、
『スター・ウォーズ・ヴォールト』で翻訳を担当したが、
講談社
売り上げランキング: 785,220
否定レビューはしかし、
『ヴォールト』の中身だとか出版意図を知っていれば、
そこに期待する方がどうかしているものを勝手に期待し、
その期待が裏切られたと勝手に文句を言っていた。
そんな期待に応えられるわけないじゃんか!
なのにその酷評レビューを「役に立った」と評価する人が実に多い。
このカラクリを分析すると、
- 欲しいと思っているが高価で買えない。
- 買わなくて良かった、と思い込める言い訳を探し始める。
- 否定レビューを見つけて、「そんなにひどいのか。買わなくて良かった」と安心する。
欲しいものを苦労して手に入れる行為をはなから放棄し、
ネット社会で、なんでもクリック一つで解決。
異常に簡素化された仕組みに依存してしまうのが、
どれだけ狂っているのか気づけない。
レビューというのは評価。
読んだ人に、「観なくていいや」とあきらめさす拒絶者を演ずるよりも、
「観なくっちゃ!」と気づかせる誘(いざな)い役のはずだろうに。
自分の感覚を疑うべきで、
夏休みの宿題の読書感想文じゃあるまいし、
感想の全員提出が義務づけられてるわけでもないんだから、
書き散らかして汚染するなよ。
2ちゃんかなんかですっかり汚染されてて、
なんでもかんでも、
けなしたり、叩けばいいって勘違いしてるんじゃないの?
作品の評価が☆1つの場合、
実際に作品自体が☆1つではなく、
レビューがヘタクソで的外れすぎて、
そのレビューの質(鑑賞眼とセンスの無さ)こそ、
☆1つだったりするわけですよ。
映画を観るのに費やした金と時間のムダ
を嘆く前に、
なんの役にも立たない、
お前のヘタなレビューを読んでしまった時間のムダを返して欲しいね。
そんなこんなで、
『クワイエット・プレイス』は、ぜひ満員の劇場で、
なのに誰も音を立てない、希有(けう)なイベントに参加してくださいね。