み・み・み=見ましたよ未来のミライ | アディクトリポート

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※今回はひたすらネタバレです。

 

未来のミライ

TOHOシネマズ西新井 2018/8/22 スクリーン1 C-9

 

『インクレディブル・ファミリー』と同日に鑑賞。

 

『未来のミライ』鑑賞の経緯と、

本記事の組み立ては以下のとおり。

 

  • 『インクレディブル〜』の出来の良さと観客満足度の高さに納得。
  • それと対称的な『未来のミライ』の不人気ぶりを、実際に鑑賞して『インクレディブル』との比較から突き止める。

ほぼ同日のYahoo!映画レビューより
 
ところが、実際に『未来のミライ』を観てみると、
Yahoo!映画レビューの酷評は不当で、
いくらなんでも星一つってことはないと自己判定。
やっぱり映画は、
自分の目で確かめないとわからないと痛感した。
 
でもって、
『未来のミライ』については、
多くのレビューに(低評価を拾い読みして)接したものの、
「主役の子供の声が合っておらず、気になってドラマに没入できない」
「どこかの家庭のホームビデオを見せられた気分」
あるいは主人公の口まねで、
「こんな映画、好きくない」
と異口同音のオンパレードだが、
肝心のドラマの欠陥ポンコツ構造に触れた人がほとんどおらず、
それでレビューと言えるのか、
夏休みの宿題の読書感想文と大差ないじゃないかと、
そんなものの閲覧に時間を割いて、
 
細田作品で最初に観たのは、
『時をかける少女』(2006)で、
きっかけはミクシィマイミクの超オタクな大絶賛。
 
公開館数は少なく、
わざわざ幕張のシネプレックスまで、
埼玉県草加市から観に行った。
 
独特の「アニメにしては」という称賛にひっかかりつつ
(比較対象や評価基準がアニメ止まり)、
マイミクにも遠慮がちで、
とりあえず私も絶賛を示した。
 
『サマーウォーズ』(2009)も、
『時かけ』と同じ監督と言うことで、けなすのには何となく遠慮があって、
いちおう褒めるだけに撤した。
そしてこの2作については、ここで述べた
 
ほんとに感心した細田作品はだから、
『おおかみこどもの雨と雪』(2012)だけである。
いらすと
本作についてはここで述べたが、
すっかり見入ってしまい、
途中でアクビが出たのは、それまで見入った集中疲れによるものだった。
 
同じ細田作品なのに、
『おおかみこども』は画面とドラマに引きこまれ通しで、
かたや『未来のミライ』は、客がこぞって興味を失い、
スマホの画面をながめっぱなしなんて、
この差はどうしたことか?
 
6年間で、細田作品にいったい何が起きたのか?
 
『バケモノの子』(2015)は未見だが、
表題の「バケモノの子」とは、「おおかみこども」のことなのか?
それともまったく別物なのか?
 
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そもそも細田監督はどうして、
シリーズや続編を手がけず、
毎回作品ごとに、
別の新しい話を別の新キャラで律儀に紡(つむ)ぐのか?
 
等々の幾多の疑問を抱いたまま、
『未来のミライ』を観てみたわけだが、
実際に鑑賞した感想を簡潔に言い表せば、
「やっぱ、そりゃそうだよな」
だった。
 
いやね、ちっとも飽きずに、
最後まで画面に引きこまれて観てはいたんですよ。
 
子供の観客も楽しんでおり、

 
『インクレディブル・ファミリー』ほどではないにせよ、
 
終映後に「おもしろかった」と言う子供の声をたしかに聞いた。
 
子供たちは、Yahoo!映画レビューなんかチェックしないから、
アニオタ世論が一斉に攻撃、叩く方向になびこうが、
それに同調する気はさらさらないんで、
妹のミライちゃんが、
兄のくんちゃんのイタズラ材料で、
新幹線のオモチャ(プラレール?)に囲まれたり、
サカナ型のお菓子を顔に貼り付けられるところでウケていた。
 
かくいう私も、
いつもの細田監督作品同様、
まったくタイクツせずに、
寝落ちすることなく最後まで見通した。
 
なにせ映画を見ると、
スパイダーマン:ホームカミング』(2017)のように、

なぜか必ず眠くなることもあるので、

寝落ちせず、ちっとも眠くならなかったのは、
たいしたもんだと思いますから、これだけでも高評価ですよ。
 
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元来は、『インクレディブル・ファミリー』と比較して、
いかに『未来のミライ』がダメかを叩くつもりだったのに、
すっかり思惑が外れた。
 
いくらなんでも星一つってことはなかろうし、
私の観た回は誰もが作品にじっくり見入り、
スマホに逃げこむ客など皆無だったが、
それでもさすがに、
手放しで絶賛(☆5つ)とまでは行かない。
 
『未来のミライ』で最初にアクビが出たのは、
ひな人形のぼんぼりが床に落ちるところで、
思えばここで、期待していたのと作品が少し違って、
ガッカリしたんだと思う。
 
まず違和感をおぼえたのは、
この家に特有の怪現象の第一弾。
 
タイムトラベルでなく、飼い犬の“ゆっこ”が擬人化するんだが、
犬の名前は「ゆっこ」(=メス)なのに、擬人化は男性。
しかもゆっこは犬なのに黒目がちでなく、当初から三白眼。
後から出て来る馬は全頭、黒目がちなのに。
同じ動物でも、扱いや描かれ方が違う。
 
かくしてこの作品に、理詰め(論理的整合性)や一貫性を求めてはいけないんだなと察したものの、
高校生のミライが4歳(※劇中では言及がない)のくんちゃんに会いに来た理由も、
当初は「結婚が遅れないように、ひな人形をかたづけさせるため」
だったことにすっかり興ざめ。
 
そんなことのためにわざわざ…。
 
「ああ、ドタバタアクションの前フリなんだ」と気づきこそすれ、
私はもう子供ではないので、
一連のドタバタ場面はシラケて見ていた。
 
つまり私のアクビは、「失望のアクビ」だったんだろう。
 
オトナだから気になることというと、
「たとえると『未来のミライ』は、声のいい人の話がつまらないみたいな映画」
と評した岡田斗司夫氏が、
「細田守版『千と千尋の神隠し』がやりたかったんでは」
と推測したのには納得が行った。
 
家族の絆を疎(うと)ましく感じる主人公が、
自力で生き抜くしかない状況に身を置くことで、
かえって家族のありがたみを実感する、
という本旨はたしかに共通している。
 
だが一方で、
子供にはわからない性的な意味合いがひっそりと込められている確信犯の意地の悪さは、
  • 主人公の“くんちゃん”=クンニ?という愛称
  • アナルセックスを想起させる、ゆっこ人間態とのコンタクト
  • くすぐられたがりのヘンタイ性的倒錯
 
等々、『千と千尋』の湯女問題と似通っており、
「どうせ気づかれやしまい」なあざとさ、わざとらしさがが鼻につく。
 
湯女問題の指摘には、
「宮崎駿はそんな人じゃない」と、
理想神格化した信者の反発がすさまじかったらしい。
 
だが、宮崎氏が、社内のクリエイターに自分の意向を伝える時、
鈴木プロデューサーを伝令役にパシリ使いで、
『コクリコ坂から』で息子の吾朗に、
主人公にふとんを上げさせるシーンを入れろ
と指示したり、
高畑勲氏にも鈴木はパシッた過去もあり、
ジブリの現場は思い切り下世話で泥ダンゴ状態、
ピクサーの合議制とは雲泥の差の下町現場主義、
現場監督のやりたいように強引な力技で切り抜けているのが伝わって来る。
 
だから私が湯女情報を聞いたときも、
十分にあり得るなと感じた。
 
 
くんちゃんのでんしゃノート

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はたして「くん(に)ちゃん」の細田守監督も、
宮崎湯女とご同様だったわけだが、
まるで永遠のアイドル、
8月15日に乳がんで他界していたさくらももこ先生なら、
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-なんでも
「ちびまる子ちゃん」で絶対にそんな暗喩をやらかすはずがないと言えば、
tate
 
宮崎駿と
ちひろ

ぽにょ

細田守が、

どれだけ子供をバカにしてるか、
少しは伝わるのではなかろうか。
 
そんな卑屈なことをやる前に、
もっとやっておくべきことがたくさんあるだろうに。
 
現代の子供に切迫する問題と言えば、
万引き家族』が示すように、

貧困と教育の荒廃だと感じる。
 
そういや『君の名は。』で気になったのは、
都会の高校生が、恵まれた教育環境に身を置き、
バイトで金銭的に恵まれているところ。
おくさ
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公開年の2016年には、
2012年末の暗黒政権誕生から約4年が経過し、
もはやそんな「(金銭的な)ゆとり」状況は夢物語だったのに。
 
もっとも、恋愛ドラマが興ざめするので、
その難問はスルーと決めたんだろうが。
 
『未来のミライ』でも気になったのは、
現実の子供が悲惨な境遇に身を置いている、
陰鬱な報道続きの2018年に、
「どこの国の、いつの時代の子供の話だよ」ってところ。

 
住宅の広大なサイズ感とか、
所有するオモチャや本の量のハンパ無さとか、
 
これは察するに、
アニメの絵世界に陰惨な現実を持ち込むと、
くんちゃんの抱える問題は、
貧困に原因があると勘違いされてしまい、
それでは話の焦点がぼけてしまうからなんだろう。
 
中二階に中庭がある特殊な邸宅の構造は、
ここが時空の通路となる特殊な条件に、説得力を持たせるためかも知れない。
 
それでもおかしい、ヘンだと感じるのは、
なんでわざわざ、
妹ミライの未来の姿や、
自分の未来像クンニ君(笑)といった高校生たちや、
今のくんちゃんと同世代らしき過去の母親や、
今の父親(声:星野源)よりいくぶん若い、過去の曾祖父(声:福山雅治)が、
総動員されて、
くんちゃんと接するのか?
 
どうやら、今のくんちゃんの身勝手できかんぼうな態度に、
自省を促すためらしい。
 
これがこの映画『未来のミライ』で、最も珍妙で納得できないところ。
 
一人っ子だった家庭に、少し歳の離れた弟や妹が生まれると、
親はそちらにかかりっきりになるので、
いきなり「お兄ちゃん(お姉ちゃん)でしょ」を理不尽におしつけられてパニック。
 
対抗策として、
親の興味関心を惹きつけるため、
赤ちゃん返り(幼児退行)するというのは、
くんちゃんに限らず、昔からよくある話。
 
くんちゃんだけに特殊な例は、
妹憎さのあまり、
何度かミライちゃんに向けて、おもちゃの列車でなぐりつけようとするところ。
 
こんな攻撃性を、お兄ちゃんが妹に示すだろうか?
あるいは、それを改めさせるために、
自分が今ここにいるのは、曾祖父が人間魚雷の操縦士だったのに生き延びたから
とかの反戦メッセージや、
家族の絆があってこそ、互いは生存できると、
無分別な年頃だからこそムチャに走るのがあたりまえの4歳児に、
わざわざ思い知らせる必要があるのか?
 
あるいは、観客の中にくんちゃんと立場が重なる幼児がいて、
この映画をみて、態度を改めたりするとでも思っているのか?
 
もしそうならば、
くんちゃんの母親(声:麻生久美子)の子供時代を思い出して欲しい。
 
子供は親の似姿(=子供の成績の悪さを嘆く親は、自分も勉強が苦手だった)なので、
くんちゃんと同様か、それよりひどい、
お片付けができずに散らかし放題で、親にひどく叱られていた。
 
ところが、今ではすっかり成長し、
反対に、そういう態度を改めさせる立場に転じている。
 
もしもくんちゃんの態度を改めさせるのが必然だったら、
母親にも、彼女が4歳の頃にゆかりの人たちが現れて諭(さと)してくれたはずだが、
まさかそんなことはありえないし、
そこからの逆算で、
4歳児のくんちゃんに起きた諸々も余計な御世話で、別に必要なかったことがわかる。
 
くんちゃんが思い知るために味わう恐怖体験、
駅舎と周囲は古びたまま、電車だけが新しい地元の田舎駅(磯子)から、
誰がどう見ても明らかな、近未来の超近代的な東京駅にたどり着き、
そこで誰にも存在を認知されない疎外感と孤独感にさいなまれた挙げ句、
どこかへ連れ去られる寸前を、
間一髪で救われるなんて激動の展開は、
ほんとに今のくんちゃんに必要だったのか?
 
これが『未来のミライ』の構造的欠陥で、
それに比べりゃ、
「上白石萌歌(かみしらいし・もか)の声がくんちゃんに合ってない」だの、
「家庭のホームビデオを見せられた気分」だの、
「こんな映画、好きくない」だの、
星一つ評価の根拠に持ってこなくていいと思うが?
 
上述した細田守監督の軌跡や経歴への疑問と関心、
すなわち
 
そもそも細田監督はどうして、
シリーズや続編を手がけず、
毎回作品ごとに、
別の新しい話を別の新キャラで律儀に紡(つむ)ぐのか?
 
——と言う疑問は、
「細田守は闇落ち(ダークサイドに転向)した方がいいんでは」と言う意見にも頷いたが、
酷評のピントがずれているのは大差なかった。
 
高評価はじっくり閲覧していないので、
この構造欠陥に触れているレビューもあるかも知れないが、
私の知る限り、
それにかすっているのは、
常にアメブロの映画レビューでトップを独走の、
三角絞めでつかまえて
の、本作関連の記事だけで、
それについてはさすがだと思った。
 
さらに同時に、
この人が集う番組パーソナリティのレビューを聞き返して、
この点にまったく触れないくせに、
「階段を片足ずつ一段一段下りていく様子のアニメーション的快楽」
「他のアニメ作品で見かけない独自性」
等々をベタ褒めすることにすっかり呆れ、
 
「でました接待批評」
「この人は
①挨拶してきた人
②知り合うと
③仲良くなると
④その監督で一本好きになると
⑤自分の境遇に重ねると
ことごとく甘い。
信奉している人もいるけど、一線引いて聞いた方がいい」
 
というコメントの方に、強くうなずいてしまうのであった。
 
これがつまり、
実際に鑑賞した感想をひと言で言い表せば、
「やっぱ、そりゃそうだよな」
(このラジオ自体を聞いてより、コメント評の方が正論だから頷ける人も多いだろうな)
ということなのである。