太陽の蓋(2016)/場所の記憶(18) | アディクトリポート

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太陽の蓋
えんで

この映画について語るには、前段として、
ふたたび『シン・ゴジラ』について触れねばならない。

ヤフーレビューの電通汚染度

シン・ゴジラ』は、
1ssa
世評はおおむね絶賛と受け取っていたが、
どうも情報操作の疑いが濃厚になってきた。

ヤフー!の映画レビューは、
「ルパン三世」の頃からステマ疑惑があり
すてま
同じ論調のヨイショレビューが大量投入され、
雪崩なだれ式に点が下がるのを防いでいた。

『進撃の巨人』二部作でも、
きょじん
ぽすた
雪崩は食い止められ、
否定的な投稿は削除されていた実態もある。

電通と組んでいないと、
工作部隊は動かないから、
そこが手薄だった『ギャラクシー街道』では、
ぎゃら
正当な圧倒的低評価で、レビューが埋め尽くされた。

次回の三谷作品は、
当然ヨイショ策を固めてくるので、
今からヤフーのレビューはあてにならないと予言しておく。

かくして、試写を行えば、
たちまち低評価のレビューであふれる恐れがあるため、
『シン・ゴジラ』では一切なし。

これだけだったら、
『フォースの覚醒』だって同じ方法を採ったから、
sre
昨今のネット対策としてはありだと思うが、
『シン・ゴジラ』であからさまなのは、
公開たちまち、
示し合わせたように高評価なレビューの、
不自然な大量発生。

読むだけ時間のムダだからチェックもしないが、
おそらくは、
「この良さがわからないヤツはバカ」
「ゴジラ映画の最高傑作」
「娯楽映画ではなく、むしろ芸術」
って感じの持ち上げ方ではないのか。

だけどこの論調が幅をきかせて、
「こういう映画を楽しめない方が無粋」
とか、
「あのキャラの、あそこがウケる」とか※
庵野が、つるむ人間を間違ってると確信させるキャスティング。
主演のはずの佐藤江梨子より明らかに出番が多かった『キューティーハニー』(2004)や、
中谷美紀の妹役の『嫌われ松子の一生』(中島哲也監督・2006)等、
なぜかみるたび、共感よりも人を苛立たせ、
俳優としての適性に首をかしげざるを得ない、
↓市川実日子の「演技不成立」は今回も炸裂。
uyuyuy
↑ほかにも松尾諭(中)とか高橋一生(下)とか、
なぜか反感を誘う顔ぶれに、
思い切りわざとらしい記号的な演技を割り振っている状況に立ち会い、
(演出は樋口真嗣)
なんでイヤな思いをするために金を払わなアカンの?
と絶望的な気分になる。

※とにかく
肯定的でない意見の方がおかしいみたいな、
同調圧力が蔓延する
背景には、
怪獣ファン/マニアはどうせ怪獣映画しか観ないので、
それらとの比較でしか語れず、
異質な作風に対して、
「怪獣映画の中では」
という評価基準しかあてはめられないことにもある。

もっとさあ、観ておくべき映画ってもんがあるんじゃないの?

『進撃の巨人』の副産物

最近は、
事前に作品を観ないで映画雑誌の記事を構成せざるを得ず、
映画評論家は評論の場を失い、
失業の危機にある。

『進撃の巨人』酷評で名を馳せた前田有一氏だって、
おそらく東宝作品の試写からは出禁処分になったんじゃないか。

あるいは、そんなことをしたら、
超映画批評という自分の土俵を使って、抗議の声だって上げられる。

だから『シン・ゴジラ』の試写なし公開は、
評論家潰しと、
新作を公開前に酷評にさらさないという、
両方の戦略だったのかも知れない。

と勘ぐりたくなるほど、
『進撃』直後の超映画批評は、
パッタリ新作レビューが途絶えた時期があった。

心配になって、
前田氏のTwitterをフォローし、
そこでも活動が休止気味だったので、
Facebookでもつながった。

だけど、元のペースに戻ったかどうかはわからずじまいのうちに、
こちらは映画どころの状況ではなくなり、
すっかり忘れていたのだが、
6月の末に、
前田氏とつながっていてよかった、
と思わされる一件があった。

それは『太陽の蓋』という映画の存在である。
いいゆy

場所の記憶‐千葉市中央区‐

8月1日に『シン・ゴジラ』の13:50の回を、
イオンシネマ市川妙典で観たのには※
開店当初はサティ、ワーナーマイカルだった。
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今ではすっかり、イオンシネマに。

※18:00から『太陽の蓋』を、
千葉劇場で観る兼ね合いがあった。

7月16日(土)に公開された『太陽の蓋』だが、
たった2週間で、メイン劇場の渋谷ユーロスペースでの上映が終了。

関東で8月1日に上映してるのは、
千葉劇場、ただ1館しかなかったのである。

千葉劇場って、もしかして、あの?
chiba

1992年から2002年まで、
千葉県私立高校の教員だったので、
パソコン備品の補充のために、
秋葉原まで出向くまでもないと判断したら、
千葉市中央区のメディアバレー千葉に、よく足を運んだ。
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1951-1986 十字屋千葉店
1986-1996 十字屋ショッカー千葉店
1997-2002 メディアバレー千葉

駅からかなり離れているため、
駅前の家電量販店との競争に勝てず、
2002年2月に閉店。

ビルは10年近くもそのままだったが、
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2011年12月頃に解体作業が始まり、
2012年7月には完全に更地となった。
現在はコインパーキング

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貴重な元画像は、こちらより

私はクルマで通っていたので、駅から遠くてもかまわず、
当時は路上駐車が今ほど厳しくなかったので、
隣接する千葉劇場の近くに駐めることが多かった。

「こんなところに映画館? まさかこの小さいビルじゃないよね」
と思って、一度も入ったことはなかった。

クルマはとっくの昔に、
チャリさえ昨年末に手放して、
電車を使うしかない私は、
このたび初めて、駅から徒歩で迷いに迷い、
上映開始ギリギリで、
これまで見たことのない、入口側にまわって入場した。
ちばげき

当日はとても暑い日だった。
そして私はデブである。
間に合わなければ、今日は鑑賞をあきらめようかとさえ思った。

必ず観るべき映画
111
さて、そんな奮闘の末に観た『太陽の蓋』だが、
おおげさでなく、日本人なら必ず観ておくべき映画である。

問題は、そんな重要作品を、
●ほとんど誰も知らず、
●公開規模も絶望的に限定されていて、
●認知度ほぼゼロのまま興行が終わりかねない
——と言う状況で、
しかもそれは、
『太陽の蓋』という作品の出来の善し悪しや、
製作陣、
映画スタッフ、
出演者
には何ら責任のない、もっぱら外的、社会的要因によるもの
——だということだ。

あさs

とにかく、マスコミが完全黙殺。
かろうじて報道されても、
「東日本大震災を扱った作品」とされてしまう


しゃに

いやいや、そっちじゃなくて、
その後のアレの方を扱った映画ですよ。



あっち

内容については、
まともな人が観ればたちまち伝わり、
響かない人にはクドクド説明しても無駄なので深入りしない。

せで

しかし、くしくも『シン・ゴジラ』と重なる要素がいくつもあって、
同じ場所や同じ衣装まで登場することも手伝い、※
「ウルトラマンX」のXio隊長役、神尾佑に至っては
↓『シン・ゴジラ』(外務省官僚役)と、
asaser
↑『太陽の蓋』(福山哲郎役)の両方に出ている。

※『太陽の蓋』の適切な采配との対比で、
『シン・ゴジラ』がいかにダメな作品かも浮き彫りになると言う、
皮肉な副作用もあった。

私の『太陽の蓋』の評価は、95点。

ゴジラは実在しないから、観ても観なくても困らないが、
『太陽の蓋』は現実で、今も問題は未解決どころか、
むしろ悪化の一途をたどるばかりだから。







話の通じる人、通じない人

でもって、この記事を書くにあたり、
実に久々に「超映画批評」を覗いてみたら、
『太陽の蓋』の採点は65点
『シン・ゴジラ』の採点は90点だった。

しかも、『太陽の蓋』の評は、
途中から「話の流れがヘン」になっていき、
まさにこの作品を黙殺する流れの延長上に位置する『シン・ゴジラ』の方を、
「もっと多くの人に観てもらいたい(これだけの映画が空席だらけというのは絶対にあってはならない)」と応援するに至っては、
もはやその思考回路は、私の理解の範疇を完全に越えている。

そもそも超映画批評の採点基準は、
作品ごとにバラバラで足並みが揃わず、
これが○○点で、なんであれが△△点?
と、納得できないことはしょっちゅうだし、
ストーリーやプロット説明、内容紹介でも、
些末なところに引っかかる割には、
肝心なところがあっさり見過されたりと、
評される映画の質を云々する以前に、
評する側のスキルも問われている気がしなくもない。


まあでも、前田氏のおかげで、
『太陽の蓋』の存在を知り、見逃さずに済んだので、
感謝はしてます。