ヒーロー共演の軌跡〈その6・付記A〉 | アディクトリポート

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これの続きだが、基本的に、〈その5〉で終わりにした理由

「人気の推移」

子供向け番組の人気の主流が、1971年春にはウルトラに代表される怪獣・巨大ヒーローものから、仮面ライダーに代表される

↑「仮面ライダー」旧1号編(1971年4月3日~6月26日・全13話)
等身大ヒーローものに移行する兆候が現れ、

↑「仮面ライダー」2号編(1971年7月3日~1972年3月25日・全38話)
その他の1971年子供向け番組はこちらで

1年後の72年春には、東映製作の等身大ヒーローものの記念撮影体制が整い

↑「仮面ライダー」新1号編(1972年4月1日~1973年2月10日・全45話)

↑「超人バロム・1」(1972年4月2日~同年11月26日)

↑「変身忍者嵐」1972年4月7日~1973年2月23日

すぐにNET(関東・現テレビ朝日)/石森章太郎原作ものだけに対象が絞られるようになり、

↑「人造人間キカイダー」1972年7月8日~ 1973年5月5日

1973年春には、局こそ(ロボット刑事で)

↑「ロボット刑事」1973年4月5日~9月27日
フジテレビが加わったものの、東映製作/原作・石森章太郎のタイトルオンリーという体制は変わらなかった

↑「仮面ライダーV3(ブイスリー)」1973年2月17日~1974年2月9日

↑「キカイダー01(ゼロワン)」1973年5月12日~1974年3月30日

ところがこれ以降、こうした異種ヒーローの記念撮影は激減してしまう。

歴代ライダーとか、ゴレンジャーとジャッカー電撃隊等、同一シリーズで放送時期の異なるヒーローの共演を除外すると、

これと
作家集団Addictoe オフィシャルブログ-びびゅ
宇宙鉄人キョーダイン」(1976年4月2日~1977年3月11日 毎日放送制作・TBS系列・全48話)
超神ビビューン」(1976年7月6日~1977年3月29日 NETテレビ=現・テレビ朝日系・全36話)

作家集団Addictoe オフィシャルブログ-びびゅ2
放送局のみ異なるが、両作共に、東映製作、原作は石森章太郎。



これと
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-これ
仮面ライダーZX(ゼクロス)」(左・「10号誕生!仮面ライダー全員集合!!」1984年1月3日 毎日放送、TBS系列で放映)
バッテンロボ丸」(右・1982年10月3日~1983年9月25日 フジテレビ系全51話)

これもまた、放送局のみ異なるが、両作共に、東映製作、原作は石森章太郎。




これぐらい
作家集団Addictoe オフィシャルブログ-しゅしゅ
有言実行三姉妹シュシュトリアン」(1993年1月10日~10月31日 フジテレビ系列・全42話)
※オープニングはこちらで
しか見あたらない。

記念撮影激減の理由は、
1.東映/石森作品で、成功・長寿シリーズ(仮面ライダー)でのヒーロー共演が増えて行き、単独ヒーロー共演の機会が減った。
2.「どうせ同じ(東映の/石森)作品でしょ」と見透かされ、わざわざ共演しても、さしたる効果が見込めない。
等々あろうが、
最大の要因は、人気の主流が、
同じ東映作品でも、等身大実写ヒーローものから、「マジンガーZ」(1972年12月3日~1974年9月1日・全92話)に始まるアニメ作品に移行してしまったからでもある。

Wikiによれば、

本作(「マジンガーZ」)放映以前はテレビアニメの制作本数は減少傾向にあり、辻真先によると「テレビアニメはそのまま死滅の道を辿ったかもしれない」という時期であった。
また当時、東映動画は東映の実写キャラクターの版権も取り扱っており、同社の版権収入は実写9、アニメ1の割合だった。それが本作のヒットによりアニメの方が版権収入が上になった。このように本作は実写優位だった当時の市場環境を覆し、アニメの価値を示した作品である。


そしてそのアニメ作品群の看板タイトルの大半が、「デビルマン」「ゲッターロボ」「グレートマジンガー」と、ことごとく永井豪/ダイナミックプロ原作だったこともあって、ヒーロー共演は、劇場用作品で恒例行事として行われるようになっていった


実写作品でのヒーロー共演に話を戻せば、最後のシュシュトリアン(石森/東映作品)とウルトラマン(円谷プロ)との共演だけは事情が異なるので、これについてはまたいずれ。