前回は1972年の「キカイダー」についてがメインで、
*掲載権を小学館が持っていたため、講談社はキカイダーの写真を掲載できなかった
という話をしたが、実は番組放映中でも、
*講談社がキカイダーを掲載し、
*反対に小学館が仮面ライダー(V3)を掲載してもいいチャンスが、一度だけあった。
それは、1973(昭和48)年3月17日に公開された
↑この単体ポスターの超貴重な高解像度画像は、今日もこりずに(笑)、このページから無断盗用しますた。
「飛び出す人造人間キカイダー」
↓映画パンフレットの該当ページ。
今回の貴重なパンフレット画像3点(①これ+②表紙+③裏表紙)は、このページから勝手に無断でありがたくパクらせていただきました。
という、東映まんがまつりの一編の、
↑(左)映画ポスター/(右)映画パンフレット表紙
(一部)立体映画を紹介する記事なら、ということだった。
(※実際に紹介されたかどうかは不明です)
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↑この製品の、
↓ボーナスディスクに収録されてる…はずですが、ご確認は個人責任で。
同様に小学館は、同時上映の、
↑かたや「キカイダー」は完全劇場向け新作。
かたや「V3」は新番組とはいえ単なるテレビ版の転用。
なのにパンフレットの扱いはほぼ対等なところに、当時の「ライダー人気」と商品力の強さがうかがえる。
『仮面ライダーV3』(テレビ版第2話=「ダブルライダーの遺言状」2/24放送分)
なら紹介できた。
(※これも積極的な誌面展開があったかは、未確認ですので念のため)
「できた」けど、キカイダーとV3が集っての記念撮影というのは、なかったようだ。
と言うのもこの時期は、「V3」はバリバリの新番組(映画公開1ヶ月前の、1973・昭和48年2月17日放送開始)だが、「キカイダー」は、あと1ヶ月半で放送終了(1973・昭和48年5月5日)の頃だったから、新番組(V3)のプロモーションの役目を果たせなかったため。
映画の宣伝が出版社の垣根を越えやすかったのは、「映画の宣伝にさえなってくれれば」と、
製作・配給の東映が、
*番組と出版社の契約の縄張りからの解放に寛容、積極的だったからで、
(ライダーとキカイダーは同じテレビ局の続き番組だったこともある)
似たようなことはアニメの
「マジンガーZ対デビルマン」(1973年7月18日公開)
永井豪の原作「デビルマン」は、講談社の週刊少年マガジンに、1972年25号~1973年27号まで連載。
永井豪の「マジンガーZ」漫画版は、最初は集英社の週刊少年ジャンプに連載(1972年10月2日号~1973年8月13日号)されていた。
そしてこの映画の約3ヶ月後には講談社『テレビマガジン』の1973年10月号~1974年9月号に移動。
だがアニメ「Z」の特集記事はテレビマガジンに、本作公開4ヶ月前の1973年3月号から掲載されていた。
というわけで、デビルマンとマジンガーZの共演が、講談社の雑誌に掲載される事に、何の問題もなかった。
この2作品がテレビで共演できなかったのは、デビルマン放送局がNET(現テレビ朝日)で、「マジンガーZ」がフジだったから。
「グレートマジンガー対ゲッターロボ」(1975年3月21日公開)
「グレートマジンガー」の永井豪の漫画版は、「Z」に引き続き、講談社テレビマガジンに、1974・昭和49年9月8日から1975・昭和50年9月28日のテレビ放映に併せて連載(※現時点で掲載号の情報が確定できず)。
一方で同じダイナミックプロ作品ながら、石川賢の漫画「ゲッターロボ」(永井豪は原作)は、小学館の週刊少年サンデーに、1974年15号~1975年21号まで「第一部」の位置づけで連載。
本作のコミカライズは、講談社「テレビマガジン春休み増刊号」に掲載。
描き手は小学館の学年誌で「ゲッターロボ」を、秋田書店の「冒険王」で「グレート」を執筆していた桜多吾作(おうた・ごさく)。
「グレートマジンガー」と「ゲッターロボ」の放送局はどちらもフジテレビ。
等へと引き継がれて行く。
……アニメに寄り道して、今回でまだ終われなかったので、「ヒーロー共演の軌跡」は、また続く!