マンガとアニメの地位逆転/追悼・荒木伸吾〈その7〉 | アディクトリポート

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荒木伸吾の追悼記事は、今回で終了です。

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『ベルばら』に続く荒木伸吾(と姫野美智の荒木プロ)の代表作は、
なんといっても
『聖闘士星矢』(セイントセイヤ)
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-せいんと

原作は少年ジャンプ連載の『リングにかけろ』で成功を収めた車田正美の次のヒット作で、ジャンプ連載の約5年弱(1986年1・2合併号~1990年49号)には及ばずとも、テレビアニメも大成功で、なんと約2年半(1986.10.11~1989.4.1)の長期シリーズとなった。

$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-hiraki

……なったけど、私は一度も見ていない。

なぜなら、人気で連載の長さが決まるようになってから、今現在に至るまでの『ジャンプ』のマンガは、本能的に拒絶反応があったから。

今考えると、ジャンプマンガの成功作ってことごとく、あくまでも商品マンガとしてのいびつな成功であって、作品としての成功を完全放棄してるよね。

$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-なんだ

まあ、それについてはまたいずれとして、とにかく自分は子供の頃から、絵がうまいマンガやアニメだけが好きだったから、
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-shousaizu
車田正美なんて、完全に興味の対象外だった。

$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-kocchi

だがこのこと(原作マンガの絵のクオリティが低いこと)が、アニメ『聖闘士星矢』にとっては、幸いする。

テレビまんが(昔はアニメをこう呼んだ)の頃(「アトム」の1963年から「ヤマト」が台頭する1970年代中期まで)は、原作がマンガの場合、
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-hani-
絵柄は確実にマンガの方がアニメよりうまく、色と動きがついてるかわりに、瞬間で移り変わって消えゆく、はかない運命のアニメの絵柄は、省略版とか簡略版とか原作の劣化コピーっぽくて、どうみても格下だった。

それが『ヤマト』でアニメの格が上がり、土臭い絵柄しか描けない旧タイプのアニメーター(森下圭介とか白戸武とか小泉謙三とか)が淘汰されて、つまりは絵のうまい人がマンガ家よりもアニメ界に増えて行き、
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-kugenns
原作マンガの絵柄と同レベルに拮抗する時期を経て、
「聖闘士星矢」では完全に形勢が逆転する。
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-musasi

これに伴い、同タイトルでも文化的浸透度や人気は、原作マンガよりもテレビアニメの方なのがあたりまえという時代に突入し、同じことは『美少女戦士セーラームーン』でもくり返される。
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-ramu
(※セーラームーンは、荒木伸吾とは全く無関係ですので念のため)

とにかく荒木伸吾は自分の画風を存分に発揮できる活躍舞台を見いだし、車田作品の専属アニメーター/キャラデザイナー的な様相を呈していく。

そんなこんなで、荒木伸吾の日本アニメ界での地位というのは、必ずしも最高峰というわけではなく、それこそが氏の個性と画風の自然なおさまりどころ+まっとうな評価だという気がするが、
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-motto
海外に目を向ければ、この評価や位置づけが完全に覆り、まぎれもなくアニメーター、キャラクターデザイナーとして頂点に君臨している国がある。

それはフランス。

荒木プロが後半に登場するキャラ(マリア等)のデザインを担当した「UFOロボグレンダイザー」は、
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-しんえん
ゴルドラック(Goldorak)と改題されて、
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-bega
1978年7月3日から1979年1月18日まで放送。
視聴率は平均75%、最高100%!

荒木伸吾が作画監督の「宇宙伝説ユリシーズ31」は、Ulysses 31(ユリシーズ31)として、フランスでの1981年の放映が先。
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-ゆるいしず
主題歌のレコード売り上げが100万枚を突破、ポピーの発売した玩具は日本円にして5億円ほど売り上げ、番組は一流紙のフィガロで高い評価を受けた。
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-もりり

まさにご当地のフランス市民革命が舞台の『ベルばら』は、イタリアと同じ『Lady Oscar』のタイトルで放映された。
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-1まいえ
が、人気のほどや評価は全く不明。

好評だったら「ゴルドラック(※フランス読みだから「ゴルドラク」じゃないかと言う気もするけど……)や「ユリシーズ31」みたいに、逸話が報じられるはずだから、日本アニメの表現限界に挑戦した最高到達点の一本も、当時のフランス人には、いささか高尚すぎたのかも知れません。

アニメ「聖闘士星矢」は海外でも大人気だが、その端緒もフランスだった。

1988年に、Les Chevaliers du Zodiaque(Knights of the Zodiac=十二星座の騎士たち)のタイトルで放映されて大成功! 
$作家集団Addictoe オフィシャルブログ-せいや
この人気がイタリア、スペイン語圏等に飛び火していく。


というわけで、フランスで成功するアニメはなぜか、ことごとく荒木伸吾の関わっている作品だったから、現地での氏の人気と支持、熱狂にはすさまじいものがある。

晩年に招待された、現地イベント会場での模様。


こちらで、最後のインタビュー(2011年10月2日)の肉声も聞けます。

※動画はハモンド・アラムリ(Hammond AlAmri)氏のFacebook情報を参考にしました。

つまり、アニメが日本人のものだけではなく、世界中の子供たちのものになったからこそ、荒木伸吾氏は存分にご活躍されることになったというわけです。

最後に、氏の業績をまとめた動画でしめくくりたいと思います。


※こちらは町山智浩氏のTwitterより。

安らかに。