聖悠紀のヤマト〈その2〉/蒼きヤマトへの憧憬(42) | アディクトリポート

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「聖悠紀のヤマト」のタイトルを以前に掲げたのは、

これや

↑左のカラリングは、コミックアーティストでもある、「スター・ブレイザーズ」公式サイト管理者の、ティム・エルドレッドによるもの。


2010年7月16日のことでした。


宇宙戦艦ヤマトの原初形態を探求する、「蒼きヤマトへの憧憬」には、

p@ika

↑1作目パイロットフィルムより(色調補正済み)。

『復活篇』(2009)のヤマト

ふっじゃつ


(仮称ヤマト2220)はそぐわず。



↑『復活篇』ヤマトは、艦載機を設定通りに収納するため、艦の横幅が大きく増している。

※『復活篇』ヤマトの立体製品で決定版は、

だいひょう

CGデータに忠実に造形された、

よこよこ

Team STRIKE!の、1/1500キットだと思われる。


たてたて


翌2010年の『SPACE BATTLESHIP ヤマト』の、

こいおいうy

全長2倍(533.6~534.02メートル)のヤマト

(仮称ヤマトLA=ライブアクション)

は、論外。


ヤマトLA立体化の作業は、

ひっく

高名な道楽おやぢさんの

べくたー

DO楽DOで、進行中ですね。

そんなこんなで、今年の8月1日からは、海外版ヤマト
『スター・ブレイザーズ』公式サイトに、
当時6分載だった聖版ヤマトが、まとめて公開されてるので、

さいん

↑テレビ初放映当時、聖氏の手による、唯一とおぼしき宇宙戦艦ヤマト本体のカラー原稿。

テレビランド1975年2月号の、読者への年賀状ページより。


次のサイトリニューアル(現地時間10/7)直前に合わせて、今回ようやく検証してみよう。


聖氏には当初、キャラとメカの設定資料とシナリオしか供給されず、作画の参考用に、(宇宙戦艦ヤマトではなく)戦艦大和のプラモデルを使用したとのこと。

そのため、連載開始時のヤマトは主船体の幅が広く、

とびら

↑連載1回目の扉絵

おもいきり第二次大戦当時の戦艦スタイル。

なんわ

↑連載2回目より。


しかし、連載が進むにつれて、スリムでシャープな宇宙船フォルムに変わっていく。

横から見た艦首のラインも、くびれが深くなり、

おpご

↑連載1回目。

よこよこ

↑上の⑤が、テレビランド75年2月増刊特別号。

下の⑥は、通常連載最終回の75年3月号。

俯瞰のアングルでも、

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↑左・③=連載3回目/右・⑥=最終回

主船体の断面が、碗型の、ぼってりタイプから、

2と6

↑左の②が連載2回目、右の④は4回目。

ロケットに典型的な、円形に変化している。

有名な斜め前方からのアングルも、

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↑連載3回目(③・左)と、最終回(⑥・右)では、同アングルでも全く別物。

連載中に劇的な変化を遂げている。

とうしょ

↑連載1回目(①・上)と、2回目(②・下)では、戦艦大和風だが、

5えあ

↑5回目の増刊号(左右とも)では、おなじみのヤマトスタイルに。

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↑最終話。

後方からのアングルは、他と比べれば変化は少なく、

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↑上から②連載2回目、④連載4回目、⑥最終話。

吃水線が上下し、センターライン取りに苦慮している感じが読み取れる。

プロペラ状のフィンのあるメインノズルは、聖氏のコスモゼロに共通するデザイン。

ぜろ


また聖氏は、ヤマトの司令塔を、この艦の象徴として描くことも多かった。

とびら

↑連載2回目の扉絵。

さいしゅうわ

↑最終話の扉絵。

あっぷ

↑左より2回目、最終話、3回目。

第一艦橋の窓枠は、初期設定のまま4つ。


レーダーが可動式なのを、出版物で絵にあらわした例は、

れいとう

↑上が5回目、下が3回目から。レーダーのポジションの違いに注目。


この聖版ヤマト以外には、

幻の書、「宇宙戦艦ヤマト大図鑑」の、

287

戦闘モードで寝かせている状態の、

528

ただ一例しか存在しないと思われる。

えです

↑そこで、奇跡のご対面。

というわけで、聖悠紀は独立独歩で、アニメの設定資料に頼り切らず、自分ならではのヤマトの姿を追求し続け、確実に成果を上げたわけで、そこにはキャラクター共々、

とらんぷ

独自の美学が感じられる。


この美学が、ビジュアルセンス(絵心)のないプロデューサーに理解されず、長年日の目を浴びなかったのは残念だが、

hamidasi

↑資料名目で300部だけ発行を許可された、

はみだしFCの「聖悠紀版ヤマト」復刻版あとがきより。

「問題」って、おまえら(アカデミー)の方が問題だよ!


日本人の誰にもなし得なかった再閲覧を、30余年後に一個人の情熱と探求で可能にした、
ティム・エルドレッド氏の英断には、
kinnei
↑2010年12月。聖悠紀先生とティム・エルドレッド。

心から拍手を送りたい。


本ブログの次回のヤマトネタは、いつのことやら。