ルーカスのネタ帳(前編)/SWキャラのルーツ(6) | アディクトリポート

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さて、これまで数回にわたり、SWキャラの元ネタ探しをやってきた。
具体例としてあげたのは----

有紀蛍からスペースガールズ

$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-有紀

キュラソ星人からC-3PO(未遂)
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-キュラソ

アナライザーからR2-D2
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-やりな

血車魔神斎からダース・ベイダー
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-顔

マシンガンデスパーからストームトルーパー
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-トル

キャプテンハーロックからハン・ソロ

$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-ふたり

----の6点だが、いかに歴然たる証拠を示しても、「ホントにそんなことがありうるのか?」といぶかしむ方もいらっしゃると思う。

そこで今回は、実際にそれが起こりえたのかを検証していくことにする。

まずは時間的、年代的な問題。
いくらドンピシャリにそっくりだろうとも、SW製作中までにそれがこの世に存在していなければ、マネしたり、元ネタにできるはずがない。
その場合は反対に、SWをマネしたのだろうと疑われることになる。
↓SWをまねたのが顕著な一例。上は1983年刊の『ジェダイ』スケッチブック。
下は1992年刊の「ニーベルングの指環①ラインの黄金」松本零士。

$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-ですです

SWの本編撮影は、1976年の3月22日にチュニジアで開始されているから、平面でのデザイン作業は1975年中に、それに続く立体造形はおそくとも76年の1~2月までには終わらさなければならなかった。
マクォーリーが1作目『SW』のプロダクションイラストレーターとして雇い入れられたのは、1974年の11月だったので、ルーカスからの参考資料提供は、当然それ以降と考えられる。

つまりラルフ・マクォーリーの平面デザインに影響を与えるためには、アナライザーと有紀蛍、キャプテンハーロックの画像が、おそくとも1975年中にはこの世に存在していなければならない。

アナライザーの登場する「宇宙戦艦ヤマト」の日本での初放映は、1974年10月6日から1975年3月30日までの26回。
ただし(これは後の説明にも関わってくるが、)ルーカスは番組本編のフィルムを見ている必要はなく、アナライザーの絵(設定資料やフィルムのコマ焼き転載の印刷物)さえ入手できればよかっただけなので、時期的にはじゅうぶん間に合う。

問題は有紀蛍とハーロックの設定画の方で、それは松本零士直筆の初期設定画ではなく、東映動画(ほぼ専属)のアニメーター、小松原一男の描き直した方でなければならないという、厳しい条件がつく。

ところがこの東映動画製作の「宇宙海賊キャプテンハーロック」の放映は、なんと1作目の『SW』が本国アメリカで公開された1年も後で、あと3ヶ月ほどでようやく日本でも公開される時期の1978年3月14日(から1979年2月13日まで)だったのである。

ということは、SWがハーロック(登場キャラ)をパクったのではなく、ハーロックがSWのデザインをパクったのだろうか?

こと有紀蛍(と、それに相当するマクォーリーの描いたキャラ)に関しては、それはありえない。
なぜなら該当デザイン(右)が世間に初公表されたのは、
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-比較
「ハーロック」放映終了から9ヶ月も後の、1979年11月に刊行された『アート・オブ・スター・ウォーズ』においてであり、
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-1979
さらに、最初期の零時社製作の企画書にあったイラストに酷似したデザイン画(右)に至っては、
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-もっと比較
SW30周年記念の2007年刊、(日本語版は翌08年刊)「メイキング・オブ・SW」で、初めて世間に公表されたものだから、これ以前の年代には、パクリたくてもパクリようがなかったのである。
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-メイキング

というわけで、1975年には、零時社版だけでなく東映動画版のキャプテンハーロックの企画書も存在しないと事実関係に説明がつかないので、それを絶対の前提として話を進める。

まず、アナライザーを借り出された「宇宙戦艦ヤマト」だが、当時は初放映の視聴率がさんざんで、当初の予定回数を短縮して、つまり打ち切りで終わった失敗作という位置づけだったことが大切である。
「ヤマト」が再放送で人気を次第に獲得し、その人気に後押しされて劇場用に再編集して公開されるのは、ようやく1977年のことである。
ということは、1975年の時点ではアニメ雑誌や特集本もほとんどなく、一般大衆には設定資料や企画書は入手がきわめて困難だった。

それなのに、ルーカスはどうやって、「ヤマト」の企画書もしくは設定資料を入手できたのだろうか。

実はルーカスはSWの制作の下準備として、アメリカの一般大衆にはなじみのない参考ビジュアルを、国の内外を問わず、それは精力的に集め尽くしていた形跡が認められる。

「シネフェックス」の1作目SW特集号は、SW20周年を翌年に控える、1996年3月にようやく刊行された通算65号だったが、
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-シネフェ
その中で、「SWの基本ビジュアルは、人工天体に向かう航空機型のロケットを描いた、ジョン・バーキーの絵に発想の原点がある」と記されていた。

ジョン・バーキーといえば、『タワーリング・インフェルノ』(1974)
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-タワー
『キングコング』(1976)
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-金婚
のポスターで有名で、SWの商品関連でも何枚か作品を提供している。
↓ノベライゼーション(小説版)のカバーアートや、
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-バーキー
↓サントラアルバムのおまけのポスター、
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-LP
↓テレビゲームのパッケージまで、バーキーは多岐の商品イラストを手がけた。
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-バーキーです

そこで、SWに影響を与えた、人工天体に向かう航空機型ロケットのイラストだが、該当するのは1971年に描かれた、この「無題」ではあるのだが----
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-バキバキ
↓こちらは上のイラストに影響された、マクォーリーのプロダクションペインンティング。
戦闘機(Yウイング)と、宇宙要塞の比率も同じぐらい。
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-Y????
↓バーキー自身もSWイラストの習作の中で、自分の過去のイラストのテイストを無意識に再現していた。
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-????

----ずっと世間には公表されず、初公開は描いてから20年たった、1991年の彼の画集、「ジョン・バーキー ペインテッドスペース」においてようやくだった。(シネフェックスの記述は、この画集を参考にしている)
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-バキバキ

1932年生まれのバーキーは、2008年4月29日に亡くなっている。
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-バーキー

なんにせよ、SW製作当時、つまり1974年から75年頃のルーカス、もしくは彼のスタッフは、こうした世間一般には未公表で、業界関係者のみに閲覧可能なアートや資料、企画書や宣材にアクセスが存分に可能だったと思われる。

そこで次の疑問。
放映を終えた「ヤマト」の資料はともかく、放送がまだ3年も先の「ハーロック」の企画書が、この時期にどうして、零時社の第1号と、東映動画による第2号まで、早々とできあがっていたのだろうか。

実は零時社の「ハーロック」企画書は、「宇宙戦艦ヤマト」終了直後(75年春)には完成していた。
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-企画書

松本零士は「ヤマト」に画期的なビジュアルを提供すべく、途中参加ながら精魂込めてつきあい、絶望的にセンスのなかったキャラ(山本瑛一・右3枚)とコスチューム(斎藤和明・左)のデザインを
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-初期設定
魅力的でモダンなものに刷新し、
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-刷新
これまたことごとく救いようのないメカデザイン(概間八郎・左)も、先鋭的な未来感覚あふれるものに衣替えした(右)。
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-新旧

そのうえ松本氏は、自分の持ちキャラのキャプテンハーロックまで貸し出す予定だった。
第1話で行方不明になる、主人公古代進(こだいすすむ)の兄、守(まもる)が、後半のエピソードにハーロックと名乗って登場し、ヤマトの危機を救うはずが番組は打ち切り。ハーロックの出番はなくなった。
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-松本ハー
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-アニメハー

松本零士は、これをチャンスと受け止めた。
「ヤマト」といえば、会議魔の西崎義展プロデューサーが実権を握り、松本氏の創作的自由さえ大きく奪った。しかし途中参加の身では、番組を乗っ取るわけにもいかない。

だったら今度は西崎抜きで、100パーセント自前の物語をアニメ化すればよいではないか。
というわけで自分の会社、零時社で製作した企画書からは、マンガ家松本零士ならではの、絵柄へのこだわりが明確に読み取れる。

「ヤマト」で知り合ったスタジオぬえに、ハーロックの宇宙戦艦アルカディア号のデザインを任せ、ヤマトのように角度によって設定が存在せず、画面処理を原画マン任せにしたために、劇中にお粗末な絵柄のヤマトが時折登場してしまった二の舞を、未然に防いだ。
↓この時点でアルカディア号の外形デザインは完全に固まっている。
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-アルカ
↓マゾーンの戦艦ゾネス(左)も決定稿と同じ。戦闘機コスモバット(右)だけは劇中に未登場。
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-マゾーン


アニメ「宇宙戦艦ヤマト」に参加した松本氏の(おそらく最大の)不満は、(同じ二次元の絵なのだから容易にできそうなはずなのに、)自分の絵柄が、そのままアニメのキャラに変換されなかったこと、特に魅力的な女性キャラが、まるで生かされなかったことだった。
実際にアニメーターの手に余ったスターシャの原画は、松本氏自身が描いたことさえあった。
↓第23話「ついに来た! マゼラン星雲波高し!」より。
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-スタシャ
当時のアニメーターの力量では、いわゆる松本美女の再現はムリだった。
↓エース作監で虫プロ出身の岡迫亘弘が、最終話近く(25話)でがんばっても(枠内)、企画書にある松本零士の森雪(左)の妖艶さには遠く及ばず。
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-資料

そこでキャラクターの図案は自ら描き、
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-集大成
この絵柄を忠実にアニメにしてくれる、いわゆる「絵の達者な(=動きよりも1枚絵の画力優先の)」アニメーターのリクルートにもつとめた。

アニメ制作の会社として東映動画が名乗りをあげ、小松原一男による、松本タッチを忠実に再現したアニメ用デザインも完成。
↓松本氏の描く第一企画書のラフレシア(左)と、小松原一男氏の描くラフレシア(右)。
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-ラフレ
この(東映動画の)第二企画書が1975年前半には完成し、(零時社の)第一企画書にも目をつけていたルーカス側がこちらもゲット。
----というのが真相だと思われる。
というより、こうでないと辻褄が合わない。

ではどうして、1975年にはとっくに企画書ができあがっていて、製作体制(主要作画スタッフ)も固まっていた「宇宙海賊キャプテンハーロック」が、実際に放映されるまで3年もかかってしまったのか。

1975年は「ヤマト」が失敗に終わり、「ヤマトの松本零士」というのが、企画の売り込みのプラス材料にならなかった。
↓よく言われる「ヤマト」の強力な裏番組。フジテレビの場合は、「アルプスの少女ハイジ」は1974年中で、75年からは世界名作劇場(カルピス劇場)の次番組の「フランダースの犬」だった。
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-ハイジ
↓TBSでは円谷プロの「猿の軍団」を放送。「ハイジ」「ヤマト」は何度も再放送されたが、これはTBSでの再放送が一度もなく、だったらこれを見ておきゃよかったのかも。ビデオもCSもなかった時代。

$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-軍団

ルーカスにとってこれは好都合で、「失敗に終わった企画」だからこそ目をつけたとも言えた。
「ハーロック」も同様で、この先実現するかどうかもわからない、もしかしたら永遠にお蔵入りしてもおかしくない企画だからこそ、目をつけたのかもしれない。

皮肉なことに、「ハーロック」が世に出る手助けになったのは、1作目の『スター・ウォーズ』だった。
「ヤマト」が再放送からブームになり、
↓日テレの日曜午後7時半からのアニメ枠の「ヤマト」以前の先輩は二つだけ。
「ルパン三世」(左)が1971年10月24日から1972年3月26日まで。
「侍ジャイアンツ」(右)が1973年10月7日から1974年9月15日まで。
両方とも東京ムービー制作、大塚康生が作画監督。しかも再放送の常連人気作だった。

$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-侍ルパン
再編集劇場版が公開された1977年、
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-ヤマト
アメリカでは宇宙冒険ものの実写映画『スター・ウォーズ』が大ヒットし、来年には日本でも公開される予定だというのが世間の大きな話題だった。

なんと「ヤマト」の松本零士が、「スター・ウォーズ」(と「ヤマト」)のような、宇宙ものアニメの別企画を持っている!
業界の注目はがぜん集まった。

それでも77年中は、秋田書店の隔週刊青年誌「プレイコミック」で連載が始まっただけだった。
↓1977年12月22日号の表紙。左下のタイトルに注目。
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-プレイコミック

「宇宙海賊キャプテンハーロック」は、ようやく『SW』公開の前哨戦かつ、「ヤマト」に続く松本アニメ第2弾として、1978年3月14日より毎週火曜日の午後7時から30分間、テレビ朝日で放送され、メインスポンサーは、くしくも『SW』の玩具も製造販売することになるタカラだった。
↓アルカディア号のスーパーコントロール機構は、直後のR2-D2玩具にも引き継がれる。
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-アルカ

この頃から、事態はルーカスの予測できなかった方向に進み出す。
アメリカに続き、日本でも『スター・ウォーズ』が大ヒットとなり、(実際はそれまでの最成功作『ジョーズ』の記録は抜けなかった)時代劇からの「ジェダイ」や黒澤映画「隠し砦の三悪人」の引用等々、元ネタにしまくった日本からの注目度が、がぜん増してしまった。

また、宇宙戦艦ヤマトはアメリカで「スターブレイザーズ」として、
↓1979年の米国初放映から30周年を記念する、今年のサイトバナー。
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-バナナ
「ハーロック」はヨーロッパで放映されて、
↓ヨーロッパでは、Herlockではなく、Harlockと綴られる方が一般的なハーロック。ここでは「キャプテン」ではなく「カピタン」綴りなのにも注目。ヤマトビデオって、いったい……。
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-ハロック
どちらも人気を博した。

アメリカ人もヨーロッパ人も、『SW』を先に見て、「ヤマト」や「ハーロック」を後で見たから、松本アニメがSWをパクッたと思っている。
まあ、原作マンガの連載開始が(アメリカで『SW』1作目が公開された)1977年の『銀河鉄道999』に出てくる車掌さんが、ジャワのような光る目をしていたり、
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-じゃわ
『SW帝国の逆襲』の1年後に公開された、『さよなら銀河鉄道999』(1981)の黒騎士ファウストが、ご覧のような出で立ちなうえに、
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-おふたりさま
主人公の鉄郎の父だったりと、
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-父子
$オレにやらせろ! 作家浪人Addicto救出プロジェクト-鉄黒
自分からわざわざ評判を落とすようなことも、してしまってはいるんだけどね。

次回は立体造形時点での元ネタについて。

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