空痴漢

空痴漢

次の痴漢の衝動が空を切るために。

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前回の記事が2014年9月10日だから、3年ちかくこのブログを放置していたことになる。

 

ブログをご覧いただいた数少ない読者のなかには、この空白期間について「ああ、また痴漢やって捕まって、刑務所でも入ってるのかな」とお考えになる方がいらっしゃるかもしれないが、おかげさまで捕まっておらず、この期間中いちども痴漢はしていない。

 

それではなぜブログを放置していたのかというと、まあ、おそらく忙しくなって書くのが面倒くさくなったのだろう。

 

そしてなぜこのタイミングでキーボードをカチャカチャやる気分になったのかというと、ご想像のとおり、少しばかりヒマになったからである

わたしが通っている道場には、さまざまな人が来ている。


万引き、摂食障害、放火、抜毛、引きこもり、家族の問題……


その中で、痴漢をしないために来ている人の数は、多いほうではない。


主宰者との1対1のやりとりのみで来ている痴漢は多いのかもしれないが、ミーティング等、集団の中でそれを話す人はほとんどいない。


わたしはグループミーティング内で「わたしは痴漢などの性倒錯と性依存で通っています」と話すことが多いが、その負荷はやはり大きい。



身から出た錆ではあるが、ときどき思い出すイヤな場面がある。


その日、わたしは電車を往復して痴漢を繰り返していたと思う。


一人の女性の尻、さらにその下まで手を伸ばして、どうにかうまく触ることに夢中になっていたとき、ふと視線に気がついて横を向くと、3~40代とおぼしき女性が目を光らせ、薄気味悪くニヤニヤしながらスマホを眺めていた。


よく見ると、わたしが痴漢しているところを撮っていたようだった(写真か動画かは知る由もない)。


スマホを持った女性の近くにいた男性がふとその女性のスマホの画面に目をやって、ギョッとしたような表情を見せたあと、怪訝そうにこちらを見てきた。


「やばい、捕まる」と反射的に感じたわたしは、それ以上の展開が起こるのを恐れ、急いでその場を離れ、車両の中を人の間をぬって進み、少しでも現場から遠ざかろうとした。


そして、駅に着いたところで電車を降りた。


結局なにごとも起こらなかったが、スマホでわたしの痴漢を撮っていたであろう女性のこと、スマホに撮られたであろうわたしの痴漢の写真ないし動画のことを考えると、いつかばれるのではないか、あるいは、すでにネット上のどこかで自分の痴漢の様子が晒されているのではないかと怖くなるときがある。

うまくいかないとき、わたしは言葉を使った適切な自己主張ではなく、その場(その人間関係)から退却し、埋没する方法をとってしまうことが多いようだ。


あるいは、直接は言葉にしなくとも、表情や態度に不満や他人への警戒感、不信感が表れてしまうことが多いかもしれない。


主宰者の言葉を借りるならば、「受動攻撃」「ストライキ」「サボタージュ」といった言葉が当てはまると思う。


そうやって絶望的な気分に浸り、不機嫌でいると、人も近づいてくれなくなり、近くにいてくれた人も離れていってしまう、とのことだ。


行動から変えなさい、とはよく言われるが、腹の底はどうであれ、朗らかであるように、普通であるようにふるまうことが大切なようだ。


この1ヶ月は、それができていなかった。


ないがしろにしてしまった人間関係は元には戻せないかもしれないが、できなかったものは仕方がないので、これから改めて練習しよう。


「不安になったら道場の人のことを思い浮かべたり、早めに誰かに聞いてもらうようにしています。初めはうまくいかなかったけど、練習していたらできるようになってきました」と話していた人のことを思い出す。

前回の記事から間が空いてしまった。


この1ヶ月ほどは、「時間を余らせておくのはよくない。現状を一歩前に進めて忙しくしなさい」と主宰者から言われていたが、うまくいかないイメージばかりが大きくなり、不安に苦しめられてなかなかアクションを起こせなかった。


いっぽう、道場での人間関係の中で、思うように親密な会話ができない自分を責めたり、かと思えば、相手に対して恨みがましい気持ちを抱いたりしていた。


被害妄想がひどくなり、「どうせ皆に嫌われているのだろう」「こんなわたしに、主宰者もそのうち愛想を尽かすだろう」という考えが四六時中アタマを占めていた。


そうした中で結局わたしがしたことといえば、せっかくそれまで少しずつできてきた道場の人間関係を遠ざけ、そこから退却することだった。


食事もろくにとらず、歯も磨かず、何日も風呂にも入らず、掃除もせず、ゴミだらけの部屋の中に引きこもり、埋没した。


目が覚めているあいだは、ポルノを見て、マスターベーションをして、射精の陶酔感以外の感覚を麻痺させた。

四六時中そんなことをしていると、しまいには勃起もままならなくなり、無理やり射精だけするような状態だった。


それに疲れると、YouTubeでお笑いやどうでもいいようなものを見た。


よかったことといえば、何本かの映画を観られたことくらいだ。


疲れ切って眠ってしまったら、今度はいつまでも眠りにしがみつき、起きて現実に引き戻されるのを必死に避けようとした。

主宰者の言葉に従い、わたしは痴漢という自分の問題をミーティングで大勢の聴き手に向かって話すことにした。

そのころは、参加者が男性限定のミーティングがあったため、その場で話すことにした。


主宰者ミーティングでは、部屋の前方に発言者のための席が1つあり、相対する形で参加者(聴き手)のための席が並べられている。

発言者はマイクを用いる。

檀上から聴衆に向かってスピーチするようなイメージだ。

したがって、話の内容が痴漢でなくとも、発言者には一定の負荷がかかるしくみになっている。

同時に、主宰者が出席するミーティングで、痴漢等の問題をなるべくありのまま話すよう求められた。


「話すことにより、その事実が『経験』として定着する。話さないと、自分の中で溜まっていき、『欲望』となってしまう」と言われた。



もちろん、それまで、自分が痴漢であることを精神科医やカウンセラー以外の誰かに向かって表明したことはなかった。


聴き手(ミーティングの参加者)に向かって表明することは怖かった。


「恥」に対する怖れがあった。

そんな状態で捕まりかけたのは、前に書いたとおりだ。

もはや通勤じたいが危険になったため、わたしは再び会社を休んだ。


こんなことではいけないと思ったわたしは、「道場」に電話し面接を受けた。

前回と違い、今回の担当は「道場」の主宰者だった。

初めての面接で「完治はしないよ」と言われたことを覚えている。

その他、「極力、電車にのらないこと」「仕事を続けること」「結婚し、子どもをもうけ、夫として、父としての仕事をすること」等を提案された。

そうして、ある日から出社できなくなった。


過去に何度か同じようなことがあったため、そのまま家に停滞して長期間休んでしまうことにならないよう、何度か頑張って会社に身体を運んだが、その間、頭の中は性的な妄想ではちきれんばかりだった。


街を歩く女性を見るたびに妄想で頭がおかしくなりそうだった。


頑張って会社に行き、会社から帰る最中の電車内で、その妄想は痴漢行為として実現された。


文字通り、我を失い、見さかいがなかった。


頭の中で火事が起きていた。


頭の中が燃えるように熱かった。

自分がバカにされているのではないかという不安か、自分に関心を持ってもらいたい相手に関心を持ってもらえないという絶望感(というと少し大げさだが)か、とにかく、どんどん打ちひしがれた気持ちになっていった。


家に帰れば延々とアダルト動画を見て生活のリズムを崩していった。


「自分はダメだ」という気持ちがどんどん大きくなっていった。



そういうときに会社を休み始めることが多い。


誰ともつかない誰かに向かって、頭の中で「ごめんなさいごめんなさいゴメンナサイ…」とバカの一つ覚えのように延々と繰り返しながら、布団のなかで小さく縮こまっている。