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空痴漢

次の痴漢の衝動が空を切るために。

話を戻すと、職場に異動してきたBさんの目を過剰に意識したわたしは、「Bさんに冴えない男として見られている」という妄想に耐え切れなかった。


あるいは、「Bさんは、わたしを冴えない男と認識するほどの関心もわたしに持っていなかった」というのがもっとも現実に近いとは思うが、「自分が意識している女性が、自分になんの関心も持っていない」というのは、それはそれで耐え難かった。


そのあたりがいかにも子どもっぽい。


「みんなが自分に興味を持ってくれるはず。なのに、どうしてボクを見てくれないの」といったところだろうか。

文章を見返しながら、父親が「人間関係なんてそんなに気にすることはない」というようなことを言っていたことを思い出した。


真意は定かではないが、当時のわたしは、「人間関係なんて必要ない。いらない」と言われているような気がした。


実際、当時の父は、だいたいが会社と家の往復で、余暇は、読書や芸術作品の鑑賞など、一人で楽しめることに時間を費やしていたし、「俺は青春時代、本と音楽に救われた」というようなことを言っていたと思う(しかし、そう言っていたわりには、大学時代、登山に行く友人がいたようだし、最近は、仲間とゴルフを楽しんでいる)。

中学や高校は、大学と比べると、ほとんどの時間を用意されたクラスで過ごすので、ある程度の人間関係は用意されているともいえる。


また、教師の指導が人間関係に及ぶこともある。



しかし、大学では、用意されたクラスや人間関係はほぼ皆無だし、誰かが指導したり、世話したりしてくれるわけでもない。


自分からアクションを起こさなければ、人間関係の質も量も豊かにはならない。



初めは友だちを作ろうと、語学のクラスやサークル、バイト先などでそれなりに努力したと思うが、「どうもうまくいかないな」という感覚を拭うことはできなかった。

心のこわばりを感じ始めたのと同じころ、今も続く身体的違和感も出始めたが、それについてはまた別の機会に記そうと思う。



高校1年ごろまではクラスの輪の中に入ってのびのびとはしゃいでいた感覚があるが、2年の後半ごろから、一人で何かをしている「ふり」ばかりしていた気がする。


実際は周りと話したくないから(あるいは、周りと話して、自分のボロが出るのが怖いから)、そんなことをしていたのだと思う。


わたしは高校では優等生キャラのようなものが確立されてしまっていたが、周りと話すのを避けるという点では、そのことが役立っていた。



しかし、大学ではそういうわけにはいかない。

Bさんを前にすると、自分が未熟な「お子ちゃま」であることを突きつけられるような気がした。



しかし、改めて振り返ると、同年代の人間といると、常にそのような負い目を感じていたような気もする。


高校生活の後半くらいから、のびのびとした心の動きが失われ、心がうまく動かなくなっていったような、未熟なまま固くこわばっていったような感覚がある。


周囲の人間が着実に上っていく大人の階段をどうもうまく上れない違和感をごまかすために、自分から周囲の人間を切り離していったような気がする(フラれるまえにフッてしまえ、というような感覚だろうか)。

わたしがいる部署は、分かりやすく言えば「窓際」の部署である。


40代以降の社員がほとんどであり、わたしくらいの年代の者は、女性も含めて皆無だったが、同年代の健康に働いている同僚の目がなかったのは、却って、負い目を感じずに済み、気楽だったのかもしれない。


そこに、同年代の、それでいて、わたしより精神的にずっと成熟した美しい女性が現れたことで、わたしの負い目なり敗北感なりが一気に刺激されてしまったのかもしれない。

彼女とうまくいかなくなっていたのと同じころ、職場に新しく女性が異動してきた(紛らわしいので、わたしと付き合っている女性をAさん、異動してきた女性をBさんと呼ぼう)。






Bさんは、可愛らしく、美しかった。




落ち着きがあり、品があった。






たまたま私の隣の席に座ることになり、わたしが基本的なことを教えることになった。




自意識過剰なわたしはとても緊張した。




Bさんといちいちやりとりするたびに、「ヘンなヤツとかパッとしないヤツとか思われたんじゃないか」という恥ずかしさで頭がいっぱいになった。

今でこそ、ある程度は、お互いの気持ちを適切に伝え合えていると思うが、付き合い始めてしばらく経ったころは、その点について、フラストレーションが溜まっていたと思う。


そのフラストレーションは、彼女とのコミュニケーションを通じて解消されるべきだったが、結局、さらなる痴漢や強迫的なマスターベーションがそのはけ口となった。


そのころには、彼女とメールをしたり、会ったりする頻度も、付き合い始めたころに比べると少し減っていた。

関係が深まるほど、お互いのナマの気持ちがだんだん出てくるようになるが、そうしたときにどうすべきなのかについて、わたしは無知だった。


相手に対して言いたいことが出てきても、お互いに「相手がどう思うか」について考えてしまい、自分の思いをきちんと相手に伝えられないことが多かった。


たとえば、会うペースは1週間に一度くらいくらいだったが、いま思えば、お互いに事情なりその日の気分なりで気持ちがノラないときでも、無理して会うこともあったと思う。

とはいえ、彼女と満ち足りた時間を過ごしていたときのほうが、「こんなことをしてちゃいけない」という自制心が働いていたとも思う。


痴漢をしてしまう頻度じたいは減っていたと思うし、痴漢の「程度」も、「逮捕してください」とでもいうような自己破壊的なものではなかったと思う(もちろん、頻度や「程度」や「こちらの自己破壊性」とは関係なく、痴漢は痴漢であり、相手の女性を辱めたという事実に変わりはない)。



しかし、彼女との関係が、いつまでも完璧であり続けたわけではない。