(テサロニケ人への手紙第一 5:18)すべてのことについて、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

 

 

 

タルムード

 

 

ユダヤ教のタルムードには「真の富豪とは、持っているものに感謝できる人である」とあります。また「感謝で舌を慣らすまでは、言葉を発してはならない」とも言われています。感謝できるということは、人間を気高くします。

 

 

 

タルムード

 

人が感謝できないということは、その人の魂が病んでいることを意味します。感謝の経験と感謝の表現は、人を人たらしめる条件となります。

 

 

 

説教を行う (せっきょうをおこなう)

 

あるキリスト教新聞のインターネット版「読者の声」に、あるネットユーザーが投稿した文章が上位にランクインしました。彼は、毎週教会に行って説教を聞くことは何の意味もないとわかった、と記しました。

 

 

 

説教を行う (せっきょうをおこなう)

 

彼はこう言いました。「私はこの30年間、ほとんど欠かさず礼拝に出席しました。そしてその期間に少なくとも3000回の説教を聞きました。しかし驚くべきことに、今その中の何一つとして記憶することができません。

 

 

 

説教を行う (せっきょうをおこなう)

 

もしその時間に別のことをしていたら、今頃もっと良い生活を送れていたのではないかと思えてなりません。牧師先生も、説教以外の方法を用いてくださった方が有益だったのではないでしょうか?」彼の文章には数多くの返信が寄せられました。

 

 

 

説教を行う (せっきょうをおこなう)

 

そのほとんどが同感であるという言葉であり、様々な類似した事例が殺到しました。

 

 

 

食事を準備する (しょくじをじゅんびする)

 

 

ところが、ある方が書いた返信が、これらすべての非難を静めました。その方はこう記しました。「私は結婚して30年が過ぎました。その間、32,850回の食事をしましたね。これらのほとんどは妻が作ってくれたものです。

 

 

 

食事を準備する (しょくじをじゅんびする)

 

 

ふと、私はどの食事のメニューも思い出すことができないということに気づきました。しかし、私は間違いなくそのすべての食物から栄養分を供給されてきました。もしそれらの食事がなかったら、私はおそらくずっと前に飢え死にしていたことでしょう。」

 

 

 

食事を準備する (しょくじをじゅんびする)

 

その通りです。私たちはしばしば自分の見解や観点だけに埋没し、受けた恩恵さえ忘れて、かえって神を恨んだり不平を言ったりすることがあります。

 

 

 

食事を準備する (しょくじをじゅんびする)

 

例えば、エジプトでの死のような奴隷生活から救い出されたイスラエルの民は、感謝するどころかエジプトの肉の鍋のそばを慕って涙を流し、神が降らせてくださったマナは味がしないと不平を言うことさえしました。あまりにも呆れた、恩知らずな欲深い振る舞いでした。

 

 

 

食事を準備する (しょくじをじゅんびする)

 

 

実は考えてみれば、大きな奇跡だけでなく、些細な日常のすべてが感謝すべきことばかりです。雨をしのぐ屋根、足元でゴロゴロと喉を鳴らす猫、食卓に残されたイチゴを数個。などです。

 

 

 

小説家の申達子(Shin Dal-ja, 1943- )

 

 

一度、小説家の申達子(Shin Dal-ja, 1943- )氏が、あるラジオの対談でこのような話をしました。「私は9年間の義父母の看病と、24年間の夫の看病をしましたが、夫は結局そのようにして亡くなりました。」そう言いながら、自分の人生に全く何の役にも立たない夫だと思っていたと語りました。

 

 

 

小説家の申達子(Shin Dal-ja, 1943- )

 

 

ところが、ある日窓の外に雨が降っていて「あら、雨が降っていますね。」と振り返ってみると、その日常的な言葉を聞いてくれる人がいなかったのです。そしてその時初めて、夫の存在が自分に何をしてくれたからではなく、ただ存在していること自体がありがたい対象であったということに気づいたと言います。

 

 

 

小説家の申達子(Shin Dal-ja, 1943- )

 

 

大切なものを忘れて生きていた人は、大切なものを失った後に初めて大きな痛みと後悔を感じるようになります。たくさん稼ぐことや、成功すること、勉強ができること、そのようなものは重要なことではありません。愛する人が存在しているということ、それだけでもう幸せなのです。

 

 

 

小説家の申達子(Shin Dal-ja, 1943- )

 

今日も感謝の目が開かれ、神様が与えてくださった感謝の条件に気づき、神様に感謝を捧げる一日となりますよう、主の御名によってお祈りいたします。

 

(ヨハネの福音書 12:24、新改訳)まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままです。しかし、死ぬなら、豊かな実を結びます。

 

 

 

ヒトラー(Adolf Hitler, 1889-1945)

 

 

歴史を振り返れば、多くの人がこの世を生きる中で、無益な虚名を残そうとして数え切れないほどの人々を死地へと追い込む征服戦争を繰り広げたことがわかります。

 

 

 

ヒトラー(Adolf Hitler, 1889-1945)

 

アレクサンドロス大王(Alexander the Great, 356-323 BC)、キュロス(Cyrus the Great, 600-530 BC)、チンギス・カン(Genghis Khan, 1162-1227)、ナポレオン(Napoleon Bonaparte, 1769-1821)、ヒトラー(Adolf Hitler, 1889-1945)のような人物たちです。彼らは世の中では名声を得たかもしれませんが、神様の御前では厳重な裁きを受けることになるでしょう。

 

 

 

マザー・テレサ(Mother Teresa, 1910-1997)

 

一方で、世の人々が敬遠する仕事に自らを献身させ、多くの人を助け、救いの道へと導いた人々もいます。シュバイツァー(Albert Schweitzer, 1875-1965)、リビングストン(David Livingstone, 1813-1873)、マザー・テレサ(Mother Teresa, 1910-1997)のような人々です。私たち聖徒は、今日、私たちの心がイエス様の心で満たされ、主と人々を喜ばせるために用いられるよう祈りの中で生きることができるよう切に願います。

 

 

 

Tijn Kolsteren(2010-2017)

 

 

オランダの6歳の少年、Tijn Kolsteren(2010-2017)は、脳腫瘍と診断され、余命一年未満という宣告を受けました。通常、余命宣告を受ければ、どんなに心胆の練れた大人であっても悲しみ、恐れ、苦しむものですが、Tijn Kolsterenは違いました。

 

 

 

Tijn Kolsteren(2010-2017)

 

Tijnは普段から自身の病気や痛みを深く考え、あるラジオ番組に出演して、自分のように病気で苦しむ他の子どもたちを助けたいという願いを伝えました。そして、人々にマニキュアを塗ってあげる代金として、1回につき1ユーロ(1,300ウォン相当)の寄付を集めるキャンペーンを始めました。

 

 

 

Tijn Kolsteren(2010-2017)

 

 

このキャンペーンはオランダ全土を席巻しました。老若男女を問わず数多くの人々が参加し、手にマニキュアを塗ってキャンペーンに協力しました。SNSにはオランダのマルク・ルッテ首相(Mark Rutte, 1967-)、DJのアーミン・ヴァン・ブーレン(Armin van Buuren, 1976-)、EDM界のスーパースターであるハードウェル(Hardwell, 1988-)、オランダのウィンドサーフィン金メダリストであるドリアン・ファン・ライセルベルゲ(Dorian van Rijsselberghe, 1988-)など、オランダの著名人たちが爪にマニキュアを塗った姿を投稿しました。

 

 

Tijn Kolsteren(2010-2017)

 

そうして集まった募金額は250万ユーロ、韓国ウォンにして約32億ウォンに相当する金額でした。そして、この金額は全額、脳腫瘍で苦しむ子どもたちを助けるための研究および治療基金として寄付されました。そしてTijn Kolsterenは2017年7月7日、7歳の誕生日を1週間後に控え、天国へと旅立ちました。

 

 

 

Tijn Kolsteren(2010-2017)

 

 

人はどれほど長く生きたかよりも、何をして生きたかが重要です。多くの臨死体験者は口を揃えて、この地での命が終わる瞬間、眩い光が近づいてきて「どれほど愛して生きたのか?」と問いかける、と証言します。

 

 

Tijn Kolsteren(2010-2017)

 

 

神様がくださった命は、自分自身のためだけでなく、隣人と共に分かち合って生きるためのものです。私たちもいつか神様の御前に立つことになるでしょう。

 

 

 

ティン・コルステレン(Tijn Kolsteren, 2010-2017)を偲んで

 

その時、あなたの人生が愛で満たされていたという誇らしい告白ができることを願います。今日もそのような悔いのない人生で満たされる皆様の日常となりますよう、主の御名によってお祈りいたします。

コリント人への第二の手紙 5:9-10(新改訳)
[9] ですから、私たちは、体を住まいとしているときも、体を離れているときも、ひたすら主に喜ばれる者でありたいと願っています。[10] なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座の前に立たなければならないからです。そして、それぞれ善であれ悪であれ、肉体においてした行為に応じて報いを受けることになります。


 

人が人生の目的をどこに置くかによって、その人生はまったく異なる姿を持つことになります。人生の目的を快楽に置く人は、近くの隣人や友人はもちろん、時には家族さえも自分の欲を満たすための道具として利用することがあります。

 

 

 

コリー・テン・ブームと彼女の家族たち、コリーは一番右

 

しかし、聖徒の人生の目的は神を喜ばせることです。なぜなら、私たちの人生は神を栄光あらしめるために創られたからです。

イザヤ書 43:21 — 「この民はわたしのために形造った者で、わたしの栄誉を宣べ伝えるためのものだ。」

 

 

 

コリー・テン・ブームと彼女の家族たち、コリーは左から二番目

 

私たちが神を喜ばせるとき、私たちの人生はようやくあるべき場所を見出し、人生のすべてのことが意味を持ち、そのときにこそ輝き始めるのです。


 

 

コリー・テン・ブーム(Corrie Ten Boom, 1892〜1983)女史

 

 

オランダのコリー・テン・ブーム(Corrie Ten Boom, 1892〜1983)女史は、殺されようとしていたユダヤ人を匿い助けた罪で逮捕され、家族全員とともにナチスの収容所で苦しみました。しかしその後、自分の姉を死に追いやった看守を赦し、ヨーロッパやアメリカ、そして全世界を巡り、その証しによって私たちの時代を目覚めさせた信仰の巨人となりました。

 

 

 

コリー・テン・ブームの父、キャスパー・テン・ブーム

 

コリー女史は、自分の信仰はもともと父親の影響によるものだったと証言しました。父の名はキャスパー・テン・ブーム(Casper Ten Boom, 1859〜1944)といい、時計店を営んでいました。毎朝と毎晩、家族とともに聖書を読み、自分の店では親切と誠実さをもって喜んでお客様に仕え、福音を伝えていました。

 

 

 

コリー・テン・ブーム(Corrie Ten Boom, 1892〜1983)

 

その頃は経済的に非常に苦しい時代でした。ある日、一人の富裕な男性がやって来て、とても高価な時計を現金で買いたいと申し出ました。その時計一つ売れれば、家族全員がしばらくの間苦労せずに暮らせるほどの取引でした。ところが取引が終わり、その男性が時計を受け取った後で、実は別の時計店に大切にしている壊れた時計を持っていったところ、修理できないと言われたので、ここに新しい時計を買いに来たのだと話しました。

 

 

コリー・テン・ブーム(Corrie Ten Boom, 1892〜1983)

 

 

そのとき、コリーの父はその時計を見せてもらえないかと言いました。そして壊れた時計を受け取り、いくつか手を加えると、今や時計は正常に動いている、大した問題ではなかったと言って返しました。さらにその富裕な男性に、別の時計店の主人は実は腕の良い時計師だが、まだ少し経験が必要なだけなので、もう少し待てばその若者も自分のように優秀な時計師になるだろうと話しました。

 

 

 

コリー・テン・ブーム(Corrie Ten Boom, 1892〜1983)女史

 

 

そしてコリーの父は微笑みながら、受け取っていた現金をその男性に返し、「その時計をお返しください」と言いました。それを見ていたコリーは、父に対してひそかに腹を立てました。お客様が帰った後、あれほどの大金なのになぜその取引を断ったのかと父に詰め寄りました。

 

 

 

コリー・テン・ブーム(Corrie Ten Boom, 1892〜1983)女史

 

そのときコリーの父は真剣にこう答えました。「コリー、お金は必要なときにいつでも神様が与えてくださるのではないかい?でも、私たちが最善を尽くして正直にお客様に仕えないなら、神様は喜ばれるだろうか?コリー、私たちクリスチャンはお金を稼ぐために生きる人間ではなく、神様を喜ばせるために生きる人間なんだよ。」

 

 

 

コリー・テン・ブーム、ユダヤ人を匿った壁の前で

 

 

この言葉を聞いたコリーは、その後、そのときに受けた教訓を生涯忘れることができなかったと告白しています。


 

 

コリー・テン・ブーム(Corrie Ten Boom, 1892〜1983)女史

 

そうです。私たちクリスチャンは神を喜ばせるために生きる者です。イエス様はご自身の喜びのためではなく、神を喜ばせる人生を歩まれました。十字架の苦しみを避けたいと思われたほどに、「できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」(マタイ26:39)と祈られました。

 

 

 

コリー・テン・ブーム(Corrie Ten Boom, 1892〜1983)

 

 

今日、私たち聖徒はイエス様を通して神の家族となった新しい被造物です。どうか私たちみながイエス様の姿に倣い――神を喜ばせる人生を歩まれたそのお姿に――残りの人生を神を喜ばせることで満たす美しい執事者となられますよう、主の御名によって祝福してお祈りいたします。

 

(詩篇119:71、新改訳)苦しみにあったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。

 

 

春化現象

 

もし私たちの人生に失敗がなく、成功だけがあったなら、幸せでしょうか?そうではないようです。昔の人々は経験を通じて、人生の三大災難のひとつとして「若い頃の成功」を挙げました。人は幼い頃に失敗を通じて謙遜を学び、忍耐と粘り強さも身につけなければならないのに、最初から成功すると高慢になり、必ず学ぶべき忍耐と粘り強さを身につけられないまま、結局は道を誤りやすいということを、彼らは体験的に知っていたのです。

 

 

 

春化現象

 

それゆえ彼らは、「若い頃の苦労はお金を出しても買えない」という言葉を教訓として残しました。私たちの信仰生活にも、同じ原理が当てはまります。だからこそ神は、鷲がその雛を鍛えるように、苦難によって私たちの人生を錬えて成長させてくださると言われています。

 

 

 

神は人生を鷲のように鍛えられます。

 

 

(申命記32:11、新改訳)ちょうど鷲が巣をかきたて、その雛の上に舞いかけ、翼を広げてこれを取り、羽の上に運ぶように。

 

 

 

冬を越さなかった連翹(レンギョウ)は、花を咲かせることができません。

 

 

オーストラリアのシドニーに住む在外同胞が、故郷を訪れた帰り道に連翹(レンギョウ)の枝を折り取り、自宅の前庭に植えました。翌年の春が来ました。澄んだ空気と豊かな日差しのおかげで、枝と葉は韓国にいるときよりも青々と茂りましたが、花は咲きませんでした。

 

 

春化現象

 

 

最初の年だからだろうと思っていましたが、2年目も、3年目も花は咲きませんでした。そこで初めてわかったのです。韓国のような厳しい冬のないオーストラリアでは、連翹の花はまったく咲かないのだということを。

 

 

 

ソ連の植物学者トロフィム・ルイセンコ(Trofim Lysenko、1898–1976)

 

 

このように、低温を経てはじめて花が咲くことを、専門用語で「春化現象(Vernalization)」と言います。1918年、ドイツの植物学者ヨハン・ゴットフリート・ガスナー(Johann Gottfried Gassner、1881–1955)が最初にこの現象の基礎研究を発表しました。続いて1928年、ソ連の植物学者トロフィム・ルイセンコ(Trofim Lysenko、1898–1976)が、この現象の農業的活用の可能性を論文で提示しました。

 

 

 

春化現象

 

 

春化現象とは、植物が特定の低温刺激を受けたときにはじめて開花能力を持つようになる現象であり、植物が早まって花を咲かせ、寒い冬に凍死することを防ぎ、暖かい春に合わせて繁殖できるよう助ける生存の仕組みです。

 

 

 

春化現象

 

春化現象が起こる植物は、主に根の先端や茎の先端という成長点で低温刺激を受け取ります。低温にさらされたときに生成されるバーナリン(Vernalin)という仮説上のホルモンが働き、その刺激が植物全体に伝わって花芽の形成を促します。

 

 

 

ソ連の植物学者トロフィム・ルイセンコ(Trofim Lysenko、1898–1976)

 

 

この春化現象の原理を農業に活用すると、人工的に開花時期を調節して収穫量を増やしたり、栽培期間を短縮したりすることができます。たとえば、寒い冬を越さなければならない秋大麦の種を水に浸し、冷蔵庫のような低温施設に一定期間保管してから春に植えると、その年の夏に正常に収穫することができます。

 

 

 

ソ連の植物学者トロフィム・ルイセンコ(Trofim Lysenko、1898–1976)

 

このような原理を利用して栽培時期を調整することもあり、野菜や花卉作物の場合、市場の需要に合わせて開花時期を早めたり遅らせたりするのに活用されます。

 

 

 

ソ連の植物学者トロフィム・ルイセンコ(Trofim Lysenko、1898–1976)

 

低温に反応して花芽が分化し、花を咲かせる植物には、チューリップ、ヒアシンス、ユリ、ライラック、ツツジ、ミツバツツジ、菊などがあり、麦類では秋大麦と小麦、野菜類では大根、白菜、キャベツ、ニンジンなどがあります。

 

 

 

ソ連の植物学者トロフィム・ルイセンコ(Trofim Lysenko、1898–1976)

 

人生もまた、春化現象を経験します。人生の眩い花々は、厳しい寒さの苦難を経てはじめて咲くのです。これはちょうど、春に種をまく春大麦に比べ、秋に種をまいて冬を越す秋大麦の収穫がはるかに多く、味もよいのと同じです。つまり、人生が結ぶ実りは秋大麦のようなもので、冬を経ることでより豊かに、より堅実になります。多くの苦難を乗り越えてきた人ほど、強さと芳醇な味わいがいっそう深く滲み出るのです。

 

 

 

ソ連の植物学者トロフィム・ルイセンコ(Trofim Lysenko、1898–1976)

 

 

このような理由から、神は神の人々を荒野の学校へと召されます。アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、ダビデなど、すべての偉大な神の人々は、例外なく荒野の学校を経てきました。

 

 

 

人生の冬を経て、見事に咲き誇った日本の作家、三浦綾子。

 

 

1964年、日本の朝日新聞が主催した一千万円懸賞公募小説において、『氷点』で最優秀賞を受賞した作家、三浦綾子(1922–1999)は、生涯を病とともに歩みました。自らの体を「病気の巣」と表現するほど、病に苦しめられ続けました。しかしそれゆえに三浦綾子の思索は深まり、彼女は苦難の中にあっても感謝することを知っていました。

 

 

人生の冬を経て、見事に咲き誇った日本の作家、三浦綾子。

 

 

彼女が苦難について書いた、心を打つ詩があります。

病まなければ、できない祈りがある。

病まなければ、信じられない奇跡がある。

病まなければ、近づけない聖所がある。

病まなければ、仰ぎ見ることのできない聖人がいる。

ああ、病まなければ、私は人間ですらいられない。

 

 

 

人生の冬を経て、見事に咲き誇った日本の作家、三浦綾子。

 

 

時に苦難によって錬えられるとき、どうか落胆せず、私たちを善へと導いてくださる神に寄り頼み、錬えの中で七たび火で精錬された銀のように美しく成長される聖徒となられますよう、主のみ名によって祝福いたします。

 

(ヨハネによる福音書 15:14-15、改訂) [14] 私が命じることを行うならば、あなたがたは私の友である。[15] もはやあなたがたを僕(しもべ)とは呼ばない。僕であれば主人が何をしているのか知らないからである。あなたがたを友と呼んだ。父から聞いたことをすべて、あなたがたに知らせたからである。

 

 

 

ロビン・ダンバー(Robin Dunbar, 1947- )

 

人は何人の友達を作ることができるでしょうか。イギリスのオックスフォード大学の人類学教授であるロビン・ダンバー(Robin Dunbar, 1947- )教授は、概ね150人程度であると推定しました。

 

 

ダンバー数(Dunbar's number)

 

これをダンバー数(Dunbar's number)と呼びますが、このように推定した理由は、大脳の新皮質の大きさと友達の数に関連があるためです。これに基づいて数値を算出してみると、チンパンジーの場合は30匹が上限であり、人間は150人程度であるといいます。

 

 

 

 

実際に人々がオンラインで知り合っている友達の全数は、平均的にダンバー数である150人程度だそうです。しかし、健康で長生きするためには友達が多くなければならないといいます。オーストラリアで高齢者を対象に10年間追跡してきたある研究によると、友達が多い高齢者は、友達がいない、あるいは少ない高齢者に比べ、10年後の死亡率が22%減少したといいます。

 

 

 

 

ハーバード大学医学部で実施した研究によると、友達が多い人は年をとっても大脳の健康状態が良好であることが明らかになりました。

 

 

 

ダンバー数(Dunbar's number)

 

2006年に看護師3,000人余りを対象にした研究では、親しい友達がいない女性は、10人以上の友達がいる女性に比べ、乳がんで死亡する確率が4倍も高いことが明らかになりました。したがって、良い友達がいるということは人生の幸いです。

 

 

宋季雅(そう きが)

 

中国の南北朝時代(AD 420〜589年)の『南史』に、宋季雅(そう きが)という高位官僚が定年退職に備えて老後を過ごすための家を探し回ったという話が出てきます。当時、呂僧珍(りょ そうちん)という人がいましたが、誠実で謙虚であり、学問を好みました。そのため自然と官位も高くなっていきました。

 

 

 

 

ある地方の長官として赴任することになったのですが、仕事を非常に公正に処理し、精一杯務めました。そして請託を受けないようにするため、自身の兄弟さえも役所に入れないようにしましたが、当時、再従(6親等の親戚)の弟がネギを売る仕事をしていたところ、身内の兄が地方長官として来るという話を聞いて、官職を一つ得ようとしてそれまでしていたネギ売りをやめ、人事請託をしました。

 

 

 

 

すると呂僧珍は断固として、「それぞれの身分には、それぞれに合う職業がある。どうして親戚だからといってその徳を頼りに官職を得ようとするのか。お互い自分の仕事を一生懸命することが良いだろう」と言って追い返しました。人々はこのような呂僧珍の清廉潔白で公明正大な性格と、飾り気のない人柄に感動し、称賛が絶えませんでした。

 

 

 

 

その時、宋季雅という人がいましたが、彼は退職して住む場所を定める際、呂僧珍が住んでいる所の隣の家を買って引っ越しました。彼は100万両出せば十分に買える家を、1,100万両を出して喜んで購入しました。ある日、村の長老であった呂僧珍が挨拶に行き、「家をいくらで買われましたか?」と尋ねました。すると宋季雅は、「1,100万両出しました」と答えました。

 

 

 

呂僧珍

 

呂僧珍は驚いて、「なぜそんなに高く買われたのですか?100万両出せば十分に買える家を、どうしてそんな大金を払って買われたのですか?」と問い返しました。

 

 

 

するとこの時、宋季雅はこう答えました。「百万買宅(百万両で家を買う)、千万買隣(千万両で隣人を買う)」。彼は笑いながら、「百万両は家代として支払い、千万両は平素からその人柄を慕っていたあなたと隣人になるために支払ったのです」と答えました。

 

 

 

 

このように古来より「居必択隣(居を定めるには必ず隣人を選べ)」と言われ、住居を定める際には必ず隣人を選んで選びなさいと語り継がれてきました。このように古来より良き隣人、良き友達と共に生きることは、人生において何よりも最も幸せなことの一つとされてきました。険しく荒い人生の道のりで、良き人々と友情を結んで生きることは、あまりにも尊いことです。

 

 

 

イエス様はあなたと親しい友となることを望んでおられます。

 

ところが、今日の御言葉で神様であるイエス様は、聖徒となった私たちに親しく友達になってくださると語っておられます。これは卑賤な私たちの人生には、あえて願うことも、想像することもできない特権です。

 

 

イエス様はあなたと親しい友となることを望んでおられます。

 

本来、神様と敵であった私たちを十字架の血によって救い出してくださった後、神様の僕の中でも最も卑しい僕としてくださっても感謝すべきことなのに、さらに私たちを友達にしてくださるとは、何と表現すべきか言葉もなく、ただ感激するばかりです。今日も天と地の上、地の下にいるすべての者がその御名に膝を屈することになる尊いイエス様を友達として、世の中で勝利しながら生きていく聖徒となられますよう、主の御名で祈願いたします。

(詩篇 37:4-6、改訳) [4] 主を己の喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえられる。[5] あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ、主が成し遂げてくださる。[6] 主はあなたの義を光のように、あなたの公正を真昼の太陽のように輝かされる。

 

 

私たちの人生は、誰もが例外なく弱い存在です。一生を生きる間に数々の危機が押し寄せてきますが、私たちはそれを予測することもできず、たとえ事前に知っていたとしても、それを乗り越える力が無い場合が多々あります。

 

 

それゆえに、知恵ある信仰の先輩たちは自らの弱さを悟り、神の翼の陰に逃れて主の助けに寄り頼みました。ダビデもこのように歌っています。 

(詩篇 57:1、改訳) 神よ、私を憐れんでください、私を憐れんでください。私の魂はあなたに身を寄せます。この災いが過ぎ去るまで、私はあなたの翼の陰に身を寄せます。

 

 

そうなのです。最も知恵のある人とは、IQの高い天才ではなく、むしろ自らの弱さを悟って神に寄り頼む人です。私たちが神に寄り頼むとき、神は驚くべき方法で私たちを立たせてくださいます。

 

 

シンガポールの建国の父リー・クアンユー(Lee Kuan Yew, 1923-2015)

 

リー・クアンユー(Lee Kuan Yew, 1923-2015)はシンガポールの政治家で、26年間にわたり首相を務めました。彼は小さくみすぼらしかった国であるシンガポールを、世界的な金融・物流の中心地へと発展させ、清廉な政府を築くことに貢献し、「建国の父」と呼ばれています。

 

 

 

シンガポールの建国の父リー・クアンユー(Lee Kuan Yew, 1923-2015)

 

 

1972年、リー・クアンユーはシンガポールを観光地として開発する計画を立てました。その際、観光庁が評価書を作成してリー・クアンユーに報告したのですが、その内容は次のようなものでした。

 

 

シンガポールの建国の父リー・クアンユー(Lee Kuan Yew, 1923-2015)

 

「中国には万里の長城や秦の始皇帝陵があります。エジプトにはピラミッドが、そして日本には富士山があります。しかし、シンガポールにはこれといった遺跡や名所がなく、1年中太陽が照りつけるだけなので、観光産業は発展しにくいです。」

 

 

 

シンガポールの建国の父リー・クアンユー(Lee Kuan Yew, 1923-2015)

 

その時、リー・クアンユーは返答をこのように書き記しました。「天は私たちに多くのものを与えてくれましたね。強い日差しがあれば十分です。」その言葉は、シンガポールの最大の長所である日差しを活用せよという意味でした。

 

 

 

シンガポールの建国の父リー・クアンユー(Lee Kuan Yew, 1923-2015)

 

 

この言葉を聞いた観光庁の職員たちは、年中降り注ぐ太陽の下で様々な木や花を育て、ボタニック・ガーデン(Botanic Gardens)を世界的な名所へと育て上げました。

 

 

 

ボタニック・ガーデン(Botanic Gardens)

 

 

そして、すでに開園していたジュロン・バードパーク(Jurong Bird Park)などと共に、シンガポールを美しい園芸国家、そして世界で5番目に観光収入の多い国へと成長させたのです。

 

 

 

ジュロン・バードパーク(Jurong Bird Park)

 

このように、知恵ある世のリーダーは、他国に比べて不足している資源であっても、それをタイムリーに活用して国を富強にし、国民を豊かにすることができます。しかし、私たちの神は、そもそも存在すらしないものを創り出されて、その民に食べさせ、飲ませてくださる方です。天から降ったマナがそれであり、岩から湧き出た水がそれです。

 

 

 

ボタニック・ガーデン(Botanic Gardens)

 

 

主を求める者は、すべての良いものに満ち足りて不足することがありません。ですから、聖書には次のように記されています。 (詩篇 34:10、改訳) 若き獅子は乏しくなって飢えることがあっても、主を求める者はすべての良いものに欠けることがない。

 

 

 

ボタニック・ガーデン(Botanic Gardens)

 

 

ですから、今日も神に寄り頼み、その御手の助けを真摯に求めてください。神は、ご自身に寄り頼む者を人生の中で決して恥ずべき目に遭わせることはなさいません。今日も主の助けによって勝利される聖徒となられますよう、主の御名によって祝福いたします。

(箴言 12:24, 改訂訳) 勤勉な者の手は人を治め、怠り者の手は苦役に服する。

 

聖書を読んでいると、神様が怠惰な者を嫌われるという事実を悟らせる御言葉を、新旧約聖書の中で数多く見つけることができます。その通りです。イエス様は、安息日にベトザタの池のほとりにいた38年も病気であった人を癒やしたことでユダヤ人たちと論争になった際、次のように語られました。

(ヨハネ 5:17, 共同訳) しかし、イエスは彼らに答えられた。「わたしの父は今も働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」

 

 

 

中国唐代の天才詩人、李太白 (ちゅうごくとうだいのてんさいしじん、りたいはく)

 

 

このように、神様とイエス様は今も熱心に働いておられます。

しかし、働くためには準備が必要です。幼いイエス様は、大工である父に従って大工仕事を熱心に学んだため、成人して立派な大工になることができました。また、幼少期に聖書を熱心に学んだため、パリサイ人との討論でも流暢に聖書を引用し、正しく教えることができました。

 

 

 

中国唐代の天才詩人、李太白 (ちゅうごくとうだいのてんさいしじん、りたいはく)

 

それゆえ、今の時代を導いていくべき神の聖徒たちも、学び、準備することに怠慢であってはなりません。もちろん神様が助けてくださいますが、神様は準備された器の分だけ満たしてくださいます。エリシャの祝福を受けた亡き預言者の弟子の未亡人も、準備された器の分だけ油を受け取ることができました。したがって、この時代の先導者となるべき私たち聖徒は、実力を備えることに最善を尽くさなければなりません。

 

 

中国唐代の天才詩人、李太白 (ちゅうごくとうだいのてんさいしじん、りたいはく)

 

唐の時代、卓越した文章力のために「詩仙」と呼ばれた李白 (Li Bai, 701-762) は、西域の砕葉城(現在のキルギス地域)で生まれました。彼は5歳の頃、貿易商であった父に従って唐の蜀地方(現在の四川省)に移住して暮らし、若い頃は多くの仲間と共に四川省の山々を巡り歩いたりもしました。

 

 

 

中国唐代の天才詩人、李太白 (ちゅうごくとうだいのてんさいしじん、りたいはく)

 

その頃、彼は立派な師を求めて象宜山に入り数学(修学)していましたが、ある日勉強に嫌気がさし、師に告げることもなく山を下りてしまいました。家に向かって歩いていた李白が渓谷の流れる川辺にたどり着くと、一人の老婆が岩で一生懸命に斧を研いでいました。

 

 

 

斧を研いで針を作る老婆

 

不思議に思った李白が尋ねました。「おばあさん、今何をしているのですか?」「針を作ろうとしているのだよ。」老婆の答えを聞いた彼は呆れてしまい、「斧で針を作るというのですか?」と大声で笑ってしまいました。

 

斧を研いで針を作る老婆

 

 

すると老婆は李白を真っ直ぐに見つめ、嗜めるように言いました。「坊や、笑い事ではないよ。途中でやめさえしなければ、いつかはこの斧で針を作ることができるのだ。」この言葉を聞いた李白は、「やめさえしなければ」という老婆の言葉を決して忘れることができませんでした。

 

 

 

中国唐代の天才詩人、李太白 (ちゅうごくとうだいのてんさいしじん、りたいはく)

 

彼はこの単純な言葉に大きな悟りを得て、再び山に戻り、脇目も振らず熱心に学問に励みました。その後、李白は心が緩むたびに、針を作ろうと懸命に斧を研いでいたあの老婆の姿を思い出し、奮起したといいます。

 

 

 

中国唐代の天才詩人、李太白 (ちゅうごくとうだいのてんさいしじん、りたいはく)

 

 

李白が古今を通じて偉大な詩人になれた理由は、まさに「やめさえしなければ」という忍耐の教訓を正しく悟り、それを実践に移したことにあります。この逸話から生まれたのが、「どんなに困難なことでも最後まで耐え忍べば必ず成し遂げられる」という意味の「磨斧作針(まふさくしん)」という四字熟語です。

 

 

 

中国唐代の天才詩人、李太白 (ちゅうごくとうだいのてんさいしじん、りたいはく)

 

磨斧作針は、南宋 (Nan Song) の時代に祝穆 (Zhu Mu, ?~1255) が著した地理書『方輿勝覧』や『唐書』の「文芸伝」に登場する言葉で、斧を研いで針を作るという意味から、いかに困難なことでも辛抱強く続ければ、いつかは必ず成功することを例えた言葉です。

 

 

中国唐代の天才詩人、李太白 (ちゅうごくとうだいのてんさいしじん、りたいはく)

 

 

中国最高の詩人を挙げるなら、誰もが唐の李白を挙げるでしょう。李白は天才型の詩人ですが、彼の詩には数多くの古書が伝える過去の歴史や事例が多く盛り込まれています。これは李白の読書量が膨大であったことを意味します。

 

 

 

中国唐代の天才詩人、李太白 (ちゅうごくとうだいのてんさいしじん、りたいはく)

 

 

李白は道教、儒教、仏教、そして歴史に通達し、万巻の書を積み重ね、凄まじい量の習作をこなしました。そのような練達を通じて、最高の大詩人として生まれ変わったのです。

 

 

 

赤レンズ豆の煮物一杯で長子の権利を売ったエサウ (Esau, 1836 BC-1706 BC)

 

 

英語に「エサウ・シンドローム (Esau Syndrome)」という言葉があります。旧約聖書に登場する双子の兄エサウは、空腹のあまり一杯の赤い煮物と引き換えに長子の権利を売ってしまいました。将来を考えず、ただ現在の目先の利益に目がくらんで生きる人を、エサウに似ているという点で「エサウ・シンドローム」と呼びます。このような人は、種を蒔かずに実だけを収穫しようとする人のようです。

 

 

 

赤レンズ豆の煮物一杯で長子の権利を売ったエサウ (Esau, 1836 BC-1706 BC)

 

私たちは決して「どうにかなるだろう、なんとかなるだろう」と漠然とした期待を持って生きてはなりません。人は何を蒔いても、その蒔いたものを刈り取ることになります。私たちは将来収穫する実のために、今日、涙ながらにその種を蒔かなければなりません。実は種を蒔いた者に与えられるものです。

 

 

 

 

今日実力を養えば、明日は世界を導くことができます。エイブラハム・リンカーン (Abraham Lincoln, 1809-1865) は、「本を一冊読んだ人は、本を二冊読んだ人の指導を受けることになる」と言いました。神様があなたを立派な働き手として用いられる未来のために、今日も勤勉に実力を磨かれることをお祈りいたします。

 

(列王記下 13:14, 18–19 やさしい訳) 〈エリシャの死〉 エリシャは病にかかり、死にかけていました。イスラエルの王ヨアシュはエリシャのもとへ行き、泣きながら言いました。「わが父よ、わが父よ!イスラエルの戦車と騎兵よ!」[18] エリシャは言いました。「弓を取りなさい。」王が弓を取ると、エリシャは言いました。「地を打ちなさい。」ヨアシュは三回地を打って、やめてしまいました。[19] 神の人は王に怒って言いました。「なぜ五、六回打たなかったのですか?そうしていれば、アラムを完全に滅ぼすまで大いに勝てたでしょうに。しかし今は、たった三回しかアラムに勝てないでしょう。」

 

 

神は今日も、熱い情熱を持つ人を求めておられます。そして、そのような情熱を持つ人に、ご自身のわざを委ねられます。一方、情熱がなかったために与えられる祝福を逃した人も、聖書には数多く登場します。その一人が、今日の本文に登場するイスラエルの王ヨアシュです。

 

 

 

「イスラエルの王ヨアシュを祝福する預言者エリシャ」

 

 

イスラエルに敵が攻め込むたびに、敵の王の心の中まで読み取り、どこへいつ攻めてくるかを察知して備えさせた預言者エリシャが死を迎えようとしていました。イスラエルの王ヨアシュはひどく落胆してエリシャのもとを訪ね、まるで子どものように「わが父よ、わが父よ!イスラエルの戦車と騎兵よ!」と悲しみ泣き叫びました。

 

 

 

「イスラエルの王ヨアシュを祝福する預言者エリシャ」

 

 

エリシャはその姿をあまりにも哀れに思い、死ぬ前に最後の祝福を授けます。王に弓を手に取るよう命じ、戦いに勝てるようにとその手の上に祝福を与えました。

 

 

 

アラムを打ち破る武器を象徴する弓

 

そして、アラムのある東の方向に窓を開けて矢を放つよう命じ、さらに矢で地面を打つよう言いました。ところがヨアシュ王は三回だけ打って、やめてしまいました。するとエリシャは、王の情熱の乏しさを嘆いて叱りました。

 

(列王記下 13:19 改訳)「神の人は怒って言った。『王は五、六回打つべきでした。そうしていれば、アラムを完全に滅ぼすまで打てたでしょう。しかし今は、アラムにたった三回しか勝てないでしょう。』」

 

神が白紙小切手を渡してくださったのに、わずかな金額しか書き込まなかったようなことになってしまいました。

 

 

 

情熱的なサッカー選手、チェ・ヨンス

 

2000年、安養LGを10年ぶりにプロサッカーの頂点へ導き、最優秀選手(MVP)に選ばれたチェ・ヨンス選手は、韓国人選手最高移籍金記録(3億円)を打ち立て、ジェフユナイテッド市原へ移籍し、日本の舞台でデビューを飾りました。

 

 

 

情熱的なサッカー選手、チェ・ヨンス

 

 

チェ・ヨンスがJリーグにスカウトされた経緯は大変興味深いものです。当時、日本の関係者たちはチェ・ヨンスには関心がなく、他の選手を見に来ていました。

 

 

 

情熱的なサッカー選手、チェ・ヨンス

 

 

ところがちょうど前半28分で交代させられたチェ・ヨンスが、得点を奪えなかった悔しさをこらえきれず、上半身のシャツを脱ぎ捨て、壁を足で蹴り、頭を両手でかきむしりました。それを目にした日本の上級関係者は、即座にスカウトを指示しました。

 

 

情熱的なサッカー選手、チェ・ヨンス

 

 

日本にはこれほどの情熱を持った選手がいない、というのがその理由でした。

神は今日も、このような情熱ある聖徒と教会を求めておられます。信仰の情熱を取り戻す聖徒となられることを願います。過ぎ去った世紀、韓国教会はさまざまな面で不足がありましたが、熱い情熱だけは満ち溢れていました。

 

 

 

情熱的なサッカー選手、チェ・ヨンス

 

韓国キリスト教会史を見ると、アメリカ人や日本人が韓国のキリスト者を見たとき、低い道徳性や責任感のなさ、礼儀の欠如などから、軽蔑することが多かったといいます。しかし、韓国の聖徒たちに発見した驚くべき一点がありました。

 

 

 

神は情熱的な信仰者を喜ばれます

 

それは、神が恵みを与えてくださるまで飢えながら断食し、あるいは床に転がって号泣しながらすがりつく情熱を見て、日本人は「恐ろしい」という言葉を使ったほどでした。

 

 

神は情熱的な信仰者を喜ばれます

 

 

あるとき、シンガポールで世界キリスト者会議が開催された際、司会者は情熱的な「コリアンスタイル」で声を合わせて祈ろうと提案するほどでした。このような叫びの祈りは、今や韓国教会のスタイルとして世界中の人々に刻み込まれています。

 

 

 

神は情熱的な信仰者を喜ばれます

 

神は情熱的な信仰に祝福を与えてくださいます。先人たちの熱い信仰のバトンを受け継いだ私たちが、切なる情熱をもって信仰し、神に大いに用いていただける聖徒となられますよう、主の御名によって祝福いたします。

 

 

 

(ルカによる福音書 11:5-9、新共同訳) [5] また、イエスは言われた。「あなたがたのうちのれか、友達のところへ真夜中に行って、次のように言うとする。『友よ、パンを三つ貸してください。[6] 旅行中の友達がわたしのところに来たが、出すものがないのです。』[7] すると、その人は内側からこう答えるだろう。『面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちもわたしのそばで寝ています。起きてきて何かをあげるわけにはいきません。』[8] しかし、言っておく。その人は、友達だからということで起きて何かを与えることはないにしても、しつこく頼めば、起きてきて必要なものは何でも与えるであろう。[9] そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」


私たちは神様のもとへ行くとき、時として神様をあたかもケチな方であるかのように考えてしまうことが多々あります。私たちが切実に求めて初めて、しぶしぶ少しずつ差し出すような、そんな方だと。しかし、神様の御性質は決してそうではありません。

 

 

「フッツパ(Chutzpah)」の意味は、無礼、図々しさ、厚かましさなどを指すと同時に、勇気や度胸、挑戦精神などを意味することもあります。

 

神様は豊かに押し入れ、揺すぶり入れ、あふれるほどに注いでくださる御性質を持っておられます。しかし、私たちが神様に何かを求めようとするなら、必ず切実に祈らなければなりません。今日、イエス様は私たちの祈りが「フッツパ(Chutzpah)」の祈りでなければならないと、たとえ話を通じて教えてくださっています。フッツパはイディッシュ語の chutzpah に由来し、英語圏でも広く使われるようになりましたが、その根源はヘブライ語の חוצפה です。ヘブライ語のフッツパの意味は、無礼、図々しさ、厚かましさなどを指すと同時に、勇気や度胸、挑戦精神などをも意味します。

 

 

 

Fritz Kreisler (フリッツ・クライスラー, 1875-1962)

 

1962年にこの世を去ったアメリカの Fritz Kreisler (フリッツ・クライスラー, 1875-1962) は、世界的に有能で熟達したヴァイオリン奏者として広く知られている人物です。彼はロマン派の作曲家としても有名ですが、オーストリアのウィーンで生まれ、フランスの市民権を取得した後、のちにアメリカの市民権を得てアメリカに定着しました。

 

 

 

Fritz Kreisler (フリッツ・クライスラー, 1875-1962)

 

彼は帰化する前、第一次世界大戦時にオーストリア=ハンガリー帝国の陸軍将校として参戦し、負傷しました。そのため、彼はしばしば演奏で集めたお金を傷病兵のための治療費として寄付していました。ヴァイオリニストである彼は、常に良いヴァイオリンを探していました。しかし、演奏で得た収益の多くを慈善事業に使っていたため、手元に貯金はありませんでした。

 

 

 

Fritz Kreisler (フリッツ・クライスラー, 1875-1962)

 

 

そんなある日、旅行中に非常に素晴らしいヴァイオリンに出会いました。彼がこれまで出会ったヴァイオリンの中で、音が最も優れた最高のヴァイオリンでした。彼は持ち主に、後でお金を持ってくるから誰にも売らないでほしいと頼み、持ち主もそうすると約束しました。

 

 

 

Fritz Kreisler (フリッツ・クライスラー, 1875-1962)

 

しかし、しばらくして、お金を貯めてそのヴァイオリンを買いにそこへ行ってみると、持ち主はすでに約束を破り、そのヴァイオリンを別の人に売ってしまった後でした。そこでクライスラーはそのヴァイオリンを買った人を探し回り、ついにそれを買い取った楽器収集家を見つけ出しました。そしてクライスラーはヴァイオリンを自分に売ってほしいと提案しましたが、断られてしまいました。

 

 

 

Fritz Kreisler (フリッツ・クライスラー, 1875-1962)

 

結局、彼はすべてを諦めて立ち去ろうとしましたが、最後にそのヴァイオリンで一度だけ演奏したいという思いに駆られました。そこで彼は楽器収集家に、そのヴァイオリンで一度だけ演奏させてほしいと願い出て、ついに許しを得ました。クライスラーはそのヴァイオリンを手に取り、切実な思いを込めて、狂おしいほどに演奏しました。

 

 

 

Fritz Kreisler (フリッツ・クライスラー, 1875-1962)

 

演奏が終わり、彼が帰ろうとした時、楽器収集家が彼にそのヴァイオリンを差し出しながら言いました。「このヴァイオリンの持ち主はあなたです。あなたの手に委ねられてこそ、このヴァイオリンは真価を発揮することができます。このヴァイオリンをあなたに差し上げましょう。」

 

 

 

 

今日、私たちもこのように神様の前で、切実さにもがき苦しむ心で祈る者とならなければなりません。「神様、今、私の祈りを聞き届けてくださらなければ、私は退くことができません」という切迫感を持って祈るべきです。適当に祈って、聞き届けてくれたらいいし、そうでなくても仕方がないというような、生ぬるい心で揺れ動く祈りをしてはなりません。

 

 

 

小林ハル, 1900-2005

 

三本の弦を持つ日本の伝統楽器である三味線の最高の名人となった、日本の伝説的な Goze (小林ハル, 1900-2005) についての記事を読んだことがあります。この女性は、生まれた時から目の見えない視覚障害者でした。三味線を弾き、食べ物を乞うて命をつなぎながら、いつしか三味線演奏の最高手となったのです。その女性のモットーは「命がけで弾く」というものだったそうです。

 

 

 

小林ハル, 1900-2005

 

寒い冬の日、他人の家の門の前に立ち、主人が出てきて施しをしてくれることだけを願う燃えるような心で、一曲、また一曲と演奏する時、その女性の心情は誠に切実だったことでしょう。閉ざされた門が開き、主人が米一升でも持って出てきてくれることを心から待ち望み、必死に演奏したはずです。

 

 

 

小林ハル, 1900-2005

 

自分の生計がその演奏にかかっているという切迫した心情で毎回演奏していたため、いつしか日本最高の三味線名人の座にまで上り詰めたのです。

 

 

 

小林ハル, 1900-2005

 

そうです。今日の私たちの祈りも、祈りの場に立って、決して退くことができないという切迫感、すなわち「フッツパ」の祈りを捧げる時、天の御座を動かし、神様の権威が現れる歴史が起きるのです。このような祈りの答えを受けられますよう、主の御名によって祝福いたします。

(歴代誌下 20:21-22, 新改訳) [21] それから、彼は民と相談し、主に向かって歌を歌う者たち、聖なる飾り物を着けて軍勢の前に出て行く者たちを任命した。彼らはこう歌った。「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。」 [22] 彼らが喜びの声、賛美の声をあげ始めたとき、主は伏兵を置いて、ユダに攻めて来たアンモン人、モアブ人、セイル山の住民を襲わせたので、彼らは打ち負かされた。

 

 

聖徒となった私たちの賛美と告白は、あまりにも重要です。神様は次のように仰いました。 (イザヤ書 43:21, 新改訳) この民は、わたしの栄誉を宣べ伝えるために、わたしがわたしのために造った。

 

 

 

人間は神を賛美するために造られました。

 

 

このように、人生の最大の目的の一つは神様を賛美することです。これが神様の御心であり、神様が私たちを造られた目的であり、私たちの人生が当然従うべき本分です。

 

 

あなたが歌う歌が、あなたの運命を決定づけます。

 

しかし、多くの世の人々はこの真理を知らないため、自分のために無益な歌を作って歌い、それを楽しみます。しかし結局、神様のない歌は、その内容が虚しかったり、卑しかったり、悲しかったりせざるを得ません。人間のための歌は、そのほとんどが悲しみと別れ、虚しさと涙が主な内容を成しています。

 

 

 

人間は神を賛美するために造られました。

 

ですから、私たちが世の命のないこのような歌を歌えば歌うほど、私たちの心は過去に成し遂げられなかったことへの後悔と未練、そして溜息で満たされます。そして、私たちの未来と運命は、私たちが歌うその歌の告白に従って形作られていくのです。

 

 

 

神を賛美することによって大きな勝利を得たヨシャパテ(Jehoshaphat, BC 873-848)王とユダの民

 

今日の御言葉では、ユダのヨシャパテ(Jehoshaphat, BC 873-848)王が民と共に神様を崇め賛美したとき、神様がユダに攻め込んできたモアブ、アンモン、マオンの人々を打たれたため、ユダの人々は手を下すことなく敵を打ち負かすことができました。それゆえ、唇に賛美が常に絶えない聖徒となられることをお祈りいたします。

 

 

 

亡国の音について記録した韓非子

 

中国の『礼記』(礼記)「楽記」(楽記)篇と『韓非子』(韓非子)「十過」(十過)篇には、「亡国の音」(亡国の音)という故事成語が出てきます。そのうち『韓非子』という本には、次のような話が記録されています。

 

 

 

中国の春秋戦国時代

 

 

昔、春秋戦国時代、衛の霊公(Ling of Wei, BC 540-493)が晋の平公の宴会に招かれて行く途中、濮水(Pu River)という場所に差し掛かったとき、どこからか哀切で美しい音楽が聞こえてきました。その音楽を聴いていると、自然に涙が出るほど物悲しい音色でした。夢中で聴き入っていた霊公は、随行していた楽師の師涓(Shi Juan)に命じて、その音楽を採録させました。

 

 

衛の霊公(Ling of Wei, BC 540-493)

 

そして晋に到着した衛の霊公は、自分が経験した不思議な出来事を自慢し、楽師の師涓に濮水の近くで学ばせたその曲を演奏するように命じました。師涓が曲を演奏し始めると、突然、晋の平公の楽長である師曠(Shi Kuang)が言いました。「この曲をこれ以上演奏させてはなりません」と制止したのです。

 

 

 

楽師の師涓(Shi Juan)

 

 

晋の平公がいぶかしく思い理由を尋ねると、師曠はこう答えました。「かつて紂王(King Zhou)の楽師であった師延(Shi Yan)は、紂王のために『新声百里』という淫らで退廃的な曲をいくつか作りましたが、これがまさにその歌です。

 

 

 

武王(King Wu)が紂王を征伐した際、楽師の師延も追われて濮水に身を投げたため、濮水では今でもこの音楽が聞こえるのです。しかし、近隣の人々はこれを亡国の歌として恐れています。このような音楽を聴けば、必ず国が滅びてしまうでしょう。どうかこの音楽をこれ以上聴かないでください」と諫めました。

 

 

 

しかし、晋の平公は楽長の忠告を聞き入れませんでした。そして、「私は音楽が好きだ。聴いてみると、実に感動的な音楽ではないか。続けて演奏せよ」と言い、音楽は演奏され続けました。さらに師曠に、それよりもっと悲しい歌があれば演奏せよと命じ、「清徴」(Qingzhi)という音楽を聴きました。

 

 

 

 

師曠が「清徴」を演奏すると、西北から黒い雲が湧き上がり、28羽の黒い鶴が廊門に集まって首を長く伸ばして鳴き、舞い踊りました。これを見てさらに興に乗った晋の平公は、師曠の制止にもかかわらず、もっと悲しい歌を演奏せよと命じ、師曠はやむを得ず「清角」(Qingjue)という曲まで演奏しましたが、演奏を始めるやいなや黒い雲と狂風が押し寄せ、激しい雨が幕を裂き、膳を壊し、屋根の瓦を落としました。

 

 

楽師の師涓(Shi Juan)

 

 

これに人々は皆、恐怖に震えて逃げ出し、晋の平公は廊下の隅に伏せて震えていました。その後、晋の国には激しい干ばつが3年も続き、晋の平公はひどい腫れ物に苦しめられることになり、衛の霊公の国は国力が衰退していきました。

 

 

 

神を賛美することによって大きな勝利を得たヨシャパテ(Jehoshaphat, BC 873-848)王とユダの民

 

これは今日で言えば、サタンを崇拝するロックミュージックのようなものです。退廃的で破壊的なメッセージを込めた音楽を好んで聴いていると、人間の魂が壊れ、悪霊が押し寄せ、社会が崩壊していくのです。

 

 

 

ティッパー・ゴア(Tipper Gore, 1948-)夫人

 

実際、1985年にアメリカで「ペアレンツ・ミュージック・リソース・センター」(PMRC)を設立し、ロック音楽の歌詞と暴力性について警告する運動を主導したティッパー・ゴア(Tipper Gore, 1948-)夫人は、次のように述べています。

 

 

 

ティッパー・ゴア(Tipper Gore, 1948-)夫人

 

 

「今日のロック音楽が、多くの十代の若者の自殺や強盗、強姦などの原因となっています。子供たちを標的に自殺を賛美し、強姦やサディズム、マゾヒズムなどを表現するメッセージが急速に広まっているのが見て取れます。」

 

 

 

どのような音楽を聴き, 歌うかによって, あなたの運命が決まります。

 

 

当然神様を賛美すべき人生が、サタンの好む歌を作って歌うので、家庭と国が結局は汚れた唇と歌によって滅びることになるのです。しかし、私たちが神様の命令通りに神様を賛美する歌を歌えば、神様の栄光が現れます。

 

 

 

サウル(Saul, BC 1050-1010)王とダビデ(David, BC 1040-970)

 

ダビデ(David)は少年時代、サウル(Saul)王が神様の命令に背いて聖霊が去り、悪霊が臨んで苦悩した際、神様を賛美する音楽でサウル王を治療しました。 (サムエル記上 16:23, 新改訳) 神からの悪霊がサウルを襲うたびに、ダビデは竪琴を手に取って、指で弾いた。するとサウルは気分が良くなって快くなり、悪霊は彼から離れた。

 

 

 

人間は神を賛美するために造られました。

 

このように、賛美には悪霊を追い出す能力があります。不幸と呪いと闇に打ち勝つ能力があります。眠れる魂を呼び覚まし、暗闇の勢力に打ち勝つ力があります。使徒たちが獄に閉じ込められて賛美を歌ったとき、彼らを縛っていた足かせが外れ、彼らを閉じ込めていた獄の門が開きました。

 

 

 

人間は神を賛美するために造られました。

 

このように、賛美は否定的な考え、暗い考え、破壊し憎む考えを振り払い、不安と心配に打ち勝つ天の権威と能力を引き出します。

このように、賛美は私たちを活かし、悪霊を追い出します。ですから聖書は私たちに、すべての人が神様を賛美することをはっきりとした言葉で命じています。 

(詩篇 148:12-13, 新改訳) [12] 若い男も若い女も、年寄りも子供も。[13] 彼らに主の御名を賛美させよ。主の御名だけが高く上げられ、その威光は地と天の上にある。

 

 

 

人間は神を賛美するために造られました。

 

詩篇はその最後の一節で、

  (詩篇 150:6, 新改訳) 息のあるものはすべて、主を賛美せよ。ハレルヤ。 と命じています。

 

 

人間は神を賛美するために造られました。

 

そうです。今日、私たちは賛美を命じられた神の民です。賛美することによって神様を崇め、大きな栄光に満ちた人生を歩まれる聖徒となられることをお祈りいたします。