(テサロニケ人への手紙第一 5:18)すべてのことについて、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
タルムード
ユダヤ教のタルムードには「真の富豪とは、持っているものに感謝できる人である」とあります。また「感謝で舌を慣らすまでは、言葉を発してはならない」とも言われています。感謝できるということは、人間を気高くします。
タルムード
人が感謝できないということは、その人の魂が病んでいることを意味します。感謝の経験と感謝の表現は、人を人たらしめる条件となります。
説教を行う (せっきょうをおこなう)
あるキリスト教新聞のインターネット版「読者の声」に、あるネットユーザーが投稿した文章が上位にランクインしました。彼は、毎週教会に行って説教を聞くことは何の意味もないとわかった、と記しました。
説教を行う (せっきょうをおこなう)
彼はこう言いました。「私はこの30年間、ほとんど欠かさず礼拝に出席しました。そしてその期間に少なくとも3000回の説教を聞きました。しかし驚くべきことに、今その中の何一つとして記憶することができません。
説教を行う (せっきょうをおこなう)
もしその時間に別のことをしていたら、今頃もっと良い生活を送れていたのではないかと思えてなりません。牧師先生も、説教以外の方法を用いてくださった方が有益だったのではないでしょうか?」彼の文章には数多くの返信が寄せられました。
説教を行う (せっきょうをおこなう)
そのほとんどが同感であるという言葉であり、様々な類似した事例が殺到しました。
食事を準備する (しょくじをじゅんびする)
ところが、ある方が書いた返信が、これらすべての非難を静めました。その方はこう記しました。「私は結婚して30年が過ぎました。その間、32,850回の食事をしましたね。これらのほとんどは妻が作ってくれたものです。
食事を準備する (しょくじをじゅんびする)
ふと、私はどの食事のメニューも思い出すことができないということに気づきました。しかし、私は間違いなくそのすべての食物から栄養分を供給されてきました。もしそれらの食事がなかったら、私はおそらくずっと前に飢え死にしていたことでしょう。」
食事を準備する (しょくじをじゅんびする)
その通りです。私たちはしばしば自分の見解や観点だけに埋没し、受けた恩恵さえ忘れて、かえって神を恨んだり不平を言ったりすることがあります。
食事を準備する (しょくじをじゅんびする)
例えば、エジプトでの死のような奴隷生活から救い出されたイスラエルの民は、感謝するどころかエジプトの肉の鍋のそばを慕って涙を流し、神が降らせてくださったマナは味がしないと不平を言うことさえしました。あまりにも呆れた、恩知らずな欲深い振る舞いでした。
食事を準備する (しょくじをじゅんびする)
実は考えてみれば、大きな奇跡だけでなく、些細な日常のすべてが感謝すべきことばかりです。雨をしのぐ屋根、足元でゴロゴロと喉を鳴らす猫、食卓に残されたイチゴを数個。などです。
小説家の申達子(Shin Dal-ja, 1943- )
一度、小説家の申達子(Shin Dal-ja, 1943- )氏が、あるラジオの対談でこのような話をしました。「私は9年間の義父母の看病と、24年間の夫の看病をしましたが、夫は結局そのようにして亡くなりました。」そう言いながら、自分の人生に全く何の役にも立たない夫だと思っていたと語りました。
小説家の申達子(Shin Dal-ja, 1943- )
ところが、ある日窓の外に雨が降っていて「あら、雨が降っていますね。」と振り返ってみると、その日常的な言葉を聞いてくれる人がいなかったのです。そしてその時初めて、夫の存在が自分に何をしてくれたからではなく、ただ存在していること自体がありがたい対象であったということに気づいたと言います。
小説家の申達子(Shin Dal-ja, 1943- )
大切なものを忘れて生きていた人は、大切なものを失った後に初めて大きな痛みと後悔を感じるようになります。たくさん稼ぐことや、成功すること、勉強ができること、そのようなものは重要なことではありません。愛する人が存在しているということ、それだけでもう幸せなのです。
小説家の申達子(Shin Dal-ja, 1943- )
今日も感謝の目が開かれ、神様が与えてくださった感謝の条件に気づき、神様に感謝を捧げる一日となりますよう、主の御名によってお祈りいたします。






































































































































