(エゼキエル書 2:4-5、改訂) [4] この子らは顔が厚く、心がかたくなな者である。わたしはあなたを彼らに遣わす。あなたは彼らに『主なる神はこう言われる』と言いなさい。[5] 彼らは背く族である。彼らが聞こうと聞くまいと、彼らのうちに預言者がいたことを彼らは知るであろう。
私たちは時として、霊的に非常に荒涼とした場所へ導かれることがあります。そして神は、そこで涙をもって種を蒔くよう命じられることがあります。しかし、人の目から見れば、その場所には何の希望もないように見えることもあります。しかし、私たちがこのような主の命令に従うとき、神は驚くべき方法で実を結ばせてくださいます。
テレマコス (Saint Telemachus, ?-404)
紀元後4世紀に、テレマコス (Saint Telemachus, 404) という有名な修道士がいました。彼のニックネームは「砂漠の改革者」でした。彼は俗世を離れ、砂漠で隠遁生活をしながら霊的修練をしていました。ある日、神はテレマコスにこう言われました。「あなたはローマへ行かなければならない。そこはまさにあなたの職場であり、そこがあなたを呼んでいる」。これに従い、テレマコスは直ちにローマへ歩みを進めました。
ローマの剣闘士
当時、ローマはすでにキリスト教国家となっていましたが、週末になると円形劇場の中では、捕虜として捕らえられた剣闘士たちの剣の戦いがありました。それは、一方が死ぬまで戦い続ける競技でした。人々はそうした残酷な剣の戦いを見ながら快感を得ていました。
ローマの剣闘士
テレマコスがローマに到着したとき、ローマの円形競技場の中には8万人を超える観衆が集まり、剣闘士の試合に熱狂していました。競技場はすでに血で染まっており、血を見た観衆は興奮の極みにありました。テレマコスはその光景を見て、神が自分をローマに送り、これを止めさせようとされたのだということを悟りました。
剣闘試合を制止するテレマコス
彼は直ちに競技場の中へ飛び込み、力の限り大声で叫びました。「イエス・キリストの名において命じる。この戦いを直ちにやめよ!」最初は人々も、それがショーの一部だと思い、笑うだけでした。しかし、テレマコスが剣闘士たちの間に入り、必死にその戦いを止めようとするとき、人々の口から野次が飛び出し始めました。
剣闘試合を制止するテレマコス
テレマコスはさらに大きな声で叫びました。「イエス・キリストの名において命じる。この戦いをやめよ!」ついには試合を指揮していた指揮官が、剣闘士の一人にテレマコスを先に始末せよという手振りで合図し、光る刃の下でテレマコスは血を流しながらその場に倒れました。
皇帝フラウィウス・ホノリウス (Flavius Honorius, 384-423)
しかし、彼は息が止まるまで叫び続けました。「イエス・キリストの名において命じる。この戦いをやめよ!」そしてその瞬間、競技場は粛然としました。その時参観していた皇帝フラウィウス・ホノリウス (Flavius Honorius, 384-423) は、静かに席から立ち上がり、何も言わずに競技場の外へ退場しました。
皇帝フラウィウス・ホノリウス (Flavius Honorius, 384-423)
すると彼の後に続いて他の人々も一人、二人とその場を離れ、後には剣闘士たちさえも頭を垂れたまま退場しました。この出来事は紀元後404年に起こり、西ローマ皇帝フラウィウス・ホノリウスはその後、剣闘競技場を閉鎖させました。
剣闘試合を制止するテレマコス
その通りです。私たちクリスチャンは、神がこの地のいたるところを変化させるために遣わされた大使です。従順に従って御言葉を宣べ伝えるとき、暗闇の世界が明るく照らされ、汚れた風習が取り除かれ、恥ずべき人生を生きていた社会が聖潔さで衣をまといます。
基督新聞
例えば、韓国教会史を見ると、基督新聞 第5巻 第26号、1901年6月27日付に女人問答が出てきますが、その部分を引用すると次のようになります。
問:女を低く見る風習はどこから出たのか? 答:女は弱いがゆえに、男に支配される風習が昔から天下に広がった。例えば、紅人(北米大陸先住民)は女に仕事をさせ自分は遊び、インドでは夫が死ぬと妻を焼き殺し、清国の南方では息子の誕生を望みながら娘が産まれると道端に捨てることもある。 問:西洋の女の地位はマシなのか? 答:マシである。 問:どうして分かるのか? 答:女も男と同じように学堂で教育を受け、自分の子供をよく教育し、国事まで勉強する。ゆえに女が王となり、イギリスのヴィクトリア (Victoria, 1819-1901) 女王のように立派に治めることがあるからだ。 問:西洋の女の境遇はいつからそうなったのか? 答:イエスの教えを受けてからだ。
その通りです。神の御言葉が入れば世界は変わります。ゆえに神の御言葉を持つ聖徒たちは、神の導きを受け、御言葉で世界を美しく、聖潔に変える道具として用いられなければなりません。今日も神の聖なる働き人となり、世界を美しく明るく変えていくことを主の御名によって祝福します。



























































































































