(サムエル記上 16:7, 改訂新約聖書)

しかし主はサムエルに言われた。「その容貌や背の高さを見てはならない。わたしはすでに彼を退けている。神が見るのは人と同じではない。人はうわべを見るが、主は心を見る。」

 

私たちはこの世を生きる中で、人を外見やその人の境遇を見て判断することが多くあります。しかし、神様は人の外見を見ず、その心をご覧になると言われました。それゆえ、私たち神の者である聖徒たちは、人を表面で判断するのではなく、その人が神と共にいる人であるかどうかという点で人を判断しなければなりません。

 

 

ダビデの若者たちを辱める金持ちのナバル

 

ダビデの家来を侮辱するナバル

 

 

かつてサウル王の千人隊長まで務めた将軍ダビデが、サウルの嫉妬によって逃げ回っていた時、カルメルに住むナバルという大金持ちがダビデを侮り、侮辱の言葉を浴びせました。

 

(サムエル記上 25:10-11, 改訂新約聖書)

[10] ナバルはダビデの若者たちに答えて言った。「ダビデとは何者だ。エッサイの息子とは何者だ。近頃は、めいめい自分の主人から無理に離れていくしもべが多い。[11] 

わたしが、自分のパンと水、それに羊の毛を刈る者のためにほふった肉を取り出して、どこから来たかも知らないような者たちに与えることができようか。」

 

 

ダビデに夫の許しを乞うアビガイル

 

ダビデに慈悲を乞うアビガイル

 

 

この言葉を聞いたダビデが報復しようとした時、ナバルの賢い妻アビガイルは、贈り物と共にダビデを称賛する言葉をかけ、彼がやがて神の約束どおり王位に就くことを告げて、一家全員をダビデの刀から救います。そして、その女性の言葉どおりダビデは王位に就き、アビガイルはその妻となり王妃となりました。荒野をさまよう流れ者のようなダビデでしたが、彼が神様から与えられた約束を持つ人であることをアビガイルが知っていたために、祝福を受けたのです。

 

 

James Abram Garfield, 1831-1881

 

 

ジェームズ・エイブラム・ガーフィールド

(James Abram Garfield, 1831-1881)

 

 

アメリカ南北戦争後のとある春の日。オハイオ州にあるウォーシー・テイラー(Worthy Taylor)という人の大きな農場に、ジムという少年が仕事を探しにやってきました。主人であるテイラー氏は、少年ジムに仕事を与えました。ジムは夏の間、薪の準備をしたり、牛の世話をしたりと、仕事をよくこなしました。少年ジムは食事は台所でとり、寝床は干し草を貯蔵する倉庫で寝ました。

 

 

James Abram Garfield, 1831-1881

 

ジェームズ・エイブラム・ガーフィールド

(James Abram Garfield, 1831-1881)

 

 

ところが、一年も経たないうちに、ジムは主人テイラー氏の娘と恋に落ちてしまいました。しかし主人は、侮辱的な言葉で、「お前のような金も名誉もなく、将来性のない人間に、私の娘を嫁がせることはできない」と冷たく言い放ちました。

 

 

James Abram Garfield, 1831-1881

 

ジェームズ・エイブラム・ガーフィールド

(James Abram Garfield, 1831-1881)

 

 

そこで少年ジムは、何も言わずに自分の持ち物をまとめて、その農場を去ってしまいました。30年という歳月が流れ、農場主テイラー氏は干し草倉庫を取り壊し、新しい施設を建てることになりました。ところが、かつて少年ジムが寝ていた片隅の柱に、ジムが自分のフルネームを彫って刻んでいたのです。

 

 

James Abram Garfield, 1831-1881

 

 

ジェームズ・エイブラム・ガーフィールド

(James Abram Garfield, 1831-1881)

 

 

その名前は ジェームズ・エイブラム・ガーフィールド(James Abram Garfield, 1831-1881)でした。ガーフィールドは、その農場を去った後、勉強して教授や大学の学長を経て、8回も下院議員に当選し、ついにアメリカ合衆国の第20代大統領になったのです。

 

 

John Davison Rockefeller, 1839~1937

 

ジョン・デイビソン・ロックフェラー

(John Davison Rockefeller, 1839~1937)

 

 

私たちの世俗的な判断はこのように限界があります。ジョン・デイビソン・ロックフェラー(John Davison Rockefeller, 1839~1937)は、今でも世界的に名の知れた富豪で、ビル・ゲイツの6倍もの資産を持つと言われています。

 

 

John Davison Rockefeller, 1839~1937

 

ジョン・デイビソン・ロックフェラー

(John Davison Rockefeller, 1839~1937)

 

 

しかし、ロックフェラーも若い頃、生活能力がないという理由で付き合っていた女性に振られました。しかし、ロックフェラーは生前、百万坪を超える総合大学を12校と単科大学を12校建立しました。そして生涯で4,928もの教会を建てて神様に捧げました。

 

 

天国でイエス様に会う聖徒たち

 

いつの日か、私たちは誰もがイエス・キリストの御前に立つことになるのです。

 

 

このように世の中においても間違った判断をするとき、私たちは大きな失敗と後悔に見舞われます。しかし、何よりも重要なのは、天国を見ることができる目です。この目が閉ざされていると、私たちは天国を知らないまま生きて、準備なく死を迎えることになります。天国を見る目が開かれ、天国に入る準備をしながら、神様と共に歩む聖徒となられるようお祈りいたします。

 

 

 

 

(マタイによる福音書 13:31-32, 改訂新約聖書)

[31] また、一つのたとえをあげて言われた。「天の国は、人が自分の畑に蒔いた一粒のからし種に似ている。[32] からし種は、どんな種よりも小さいが、生長すると、野菜の中で最も大きくなり、空の鳥が来て、その枝に巣を作るほどの木になる。」

 

私たちは生きる中で、それぞれの判断に基づき、物事の軽重を決めることがあります。ある仕事は些細に見え、ある仕事は非常に重要に見えます。しかし、その結果がどうなるかは、人としては判断不可能です。それゆえ、私たちは神と人の前で最善を尽くし、日々、瞬間瞬間を生きるべきです。

 

 

 

イギリスのウェールズ地方のある田舎に、一人の少年が危険な病気で重体に陥っていました。彼の寡婦である母親は、息子を助けるために、雨が降りしきる夜道を8キロメートル歩いて医者のもとへ行きました。医者は様々なことで躊躇しました。この雨でぬかるんだ夜道を往復16キロメートル、どうやって歩いて行けばいいのか? 私が行って治療してあげたところで、この貧しい寡婦が治療費を払えるだろうか? その少年が命を取り留めたとしても、将来はごく普通の労働者にしかならないだろうに。

 

 

David Lloyd George, 1863-1945

 

しかし、医者は人間愛と責任感からすぐに道に出て、少年の命を危機一髪で救い出すことができました。この少年が将来、イギリスの政界を牛耳り、財務大臣、国防大臣を歴任し、首相となって第一次世界大戦でイギリスの勝利をもたらすデイビッド・ロイド・ジョージ(David Lloyd George, 1863-1945)になることを、その時は誰も知りませんでした。ロイド・ジョージが首相になった後、その医者は語りました。

 

 

 

David Lloyd George, 1863-1945

「雨が降りしきる夜道を8キロメートルも歩いて、あの田舎の貧しい農家の少年を救ったことが、まさかイギリスの大指導者の命を救うことになるとは、夢にも思わなかったことです。」

 

 

David Lloyd George, 1863-1945

 

 

それゆえ、私たちは神様が私たちに委ねてくださった人生の中で、瞬間瞬間、誠実でなければなりません。そして、すべての人に愛と尊敬の心を持って接するべきです。中世ドイツのある教師は、教室に入るたびに丁重に帽子を脱いで生徒たちに挨拶をしました。

 

Martin Luther

 

そこで、生徒の一人が「なぜ先生は教室に入るたびに私たちに挨拶をしてくださるのですか?」と質問しました。すると先生の答えは、「将来、お前たちの中からどのような立派な人物が出るか分からないからだ」というものでした。その先生の言葉通り、その生徒の中の一人が、堕落した中世カトリックから正しい信仰を立て直す役割を担った宗教改革者、マルティン・ルターでした。

 

 

Martin Luther

 

今日も、神様から委ねられた人生の中で、すべてのことに誠実と最善を尽くすことによって、私たちを通して実を結ぶ歴史が起こることをお祈りいたします。

 

 

(ダニエル書 3:15-18、改訂) [15] さあ、今でも、あなたがたが用意をしていて、角笛、横笛、竪琴、三味の琴、箱型の琴、バグパイプ、その他あらゆる楽器の音を聞くとき、わたしが造った像の前にひれ伏して拝むなら、よろしい。しかし、もし拝まないなら、即座に、燃え盛る火の炉の中に投げ込まれる。だれが、わたしの手からあなたがたを救い出す神だというのか。」 [16] シャデラクとメシャクとアベデ・ネゴは王に答えて言った。「ネブカドネザルよ、私たちはこの件について王にお答えする必要はありません。 [17] 王よ、もし私たちが仕える神がおられるなら、その神は、燃え盛る火の炉の中から私たちを救い出すことがおできになります。王の手からも救い出されます。 [18] たとえ、そうされないとしても、王よ、ご承知ください。私たちは、王の神々に仕えることはせず、王が立てられた金の像を拝むこともしません。」

 

 


ある中国の青年がアメリカで学業を終えると、アメリカの良い官職のポストを提案されました。しかし、その青年はアメリカ政府の役人になることを辞退し、牧師の道を選びました。後日、ある牧師が彼に「どうしてそのような良いポストを断って牧師になったのか」と尋ねたところ、彼はこのように答えました。

 

Boxer Rebellion、1900

 

義和団事件(Boxer Rebellion、1900年)

 

 

 

「私は義和団事件(Boxer Rebellion、1900年)があった時、中国の内陸地方に住んでいました。その集落には偶像を祀る寺院がありました。ある日、多くのクリスチャンが馬賊のような兵士たちに連行され、その寺院に連れて来られました。兵士たちはクリスチャンたちを脅し、その偶像にひれ伏して信仰を捨てるように言いました。偶像に拝めば助けてやる、というのです。

 

 

 

Boxer Rebellion、1900

 

義和団事件(Boxer Rebellion、1900年)

 

 

兵士たちはクリスチャンたちを一列に並ばせ、偶像の前を通り過ぎる時に拝むように命じました。しかし、そこに連れて来られた163名の信者は、拝むどころか頭も下げずにその偶像の前を歩いて行き、鋭い刀を振り下ろす兵士の前で首が地面に落ちて転がり、殉教しました。私はそれを見ました。たった一度拝むだけで命が助かるのに、163名のクリスチャンは皆、信仰を守り、殉教の道を選んだのです。

 

 

Boxer Rebellion、1900

 

義和団事件(Boxer Rebellion、1900年)

 

 

私の父もその163名の中の一人でした。私は幼かったとはいえ、その事件は私の人生を新しくし、私がどのように生きるべきかをまっすぐに教えてくれたのです。」

 

 

Boxer Rebellion、1900

 

義和団事件(Boxer Rebellion、1900年)

 

 

時に、多くの人々が信仰のために命を捧げるのを歴史を通して見ます。なぜでしょうか。モーセは、この地上の人生についてこのように語りました。

 

(詩編 90:10、やさしい日本語訳) 私たちの人生は長くて七十年、たとい健康であっても八十年です。その最盛期でさえも、労苦と悲しみばかりで、あっという間に終わってしまいます。まるで飛んで行ってしまう矢のようにあっという間に過ぎ去ります。

 

 

このように告白しました。しかも、このような虚しい一生を終えると、終わりのない地獄での生活が始まります。そこには、死ぬこともできない永遠の苦痛が続きます。神様は、このような私たちの人生があまりにも憐れで、イエス・キリストをこの地上に送って死なせ、彼を信じ頼る人々に永遠の命をお許しになりました。したがって、これを知っている聖徒は、たとえ死んでも決してイエス様の御名を裏切ることはできないのです。

 

朱基徹(チュ・ギチョル)牧師

 

殉教者 朱基徹 牧師 (1897~1944)

 

 

朱基徹(チュ・ギチョル)牧師は、日本帝国主義の神社参拝を拒否しながら、このように語りました。

 

できません。できません。 キリストの花嫁は、他の神に貞節を破ることはできません。 キリストの花嫁は、神社に拝むことはできません。 この身は幼い頃からイエスの内で育ち、 イエス様に献身することを十度百度誓いました。

 

 

 

殉教者、朱基徹牧師の葬列

 

殉教者 朱基徹 牧師 (1897~1944) お葬式

 

 

神様の戒めが破られ、イエスの御名が地に落ちた今日、 この身がどうして命を惜しむことなどできましょうか。 ああ、私の主イエスの御名が地に落ちていく。 平壌よ、平壌よ、東方の私のエルサレムよ。 大同江よ、幾千年の歳月を流れながら私と共に泣け。 捧げます。捧げます。この命だけでも主にお捧げします。

 

今日も、このような殉教の信仰をもって、生きるにも死ぬにも、いついかなる時も、キリストの純潔で素晴らしい花嫁となる聖徒でいられるよう、主の御名によってお祈り申し上げます。

 

(詩編 94:8-9、改訂) [8] 民のうちの愚かな者たちよ、よく考えよ。愚昧な者たちよ、いつになったら知恵を得るのか。 [9] 耳を造られた方が聞かれないだろうか。目を造られた方が見られないだろうか。

 


 

ビリー・グラハム牧師(Billy Graham, 1918~2018)

 

 

私たちは時々、神様が私たちの祈りを聞いてくださらないと考えます。長い間祈っても応答がないと、ますますそう思いがちです。しかし、神様は私たちのすべての祈りを聞いてくださっています。そして、時が来ればその祈りを実現してくださいます。ビリー・グラハム牧師(Billy Graham, 1918~2018)は、天国には途中で諦めて届けられなかった祈りの応答が山のように積み重なっていると言いました。勇気を出しなさい。

 

 

セント・ポール大聖堂

 

イギリスのロンドンにあるセント・ポール大聖堂

 

イギリスのロンドンにあるセント・ポール大聖堂の中で、ある靴屋の青年が、革を買うお金がなくて商売がうまくいかず、結婚ができないと愛する恋人に話しました。すると、その娘さんはすすり泣きました。

 

ところがこの時、遠くからこの靴屋の青年のすすり泣く祈りを聞いた人がいました。この紳士は、その青年のために何かをしてあげなければならないと決心しました。この靴屋の青年が祈りを終えて教会を去る時、その紳士はそっと後をつけ、場所を突き止めた後、彼の店にたくさんの注文を入れ、革もたくさん送ってあげました。貧しい靴屋の青年の喜びは言葉に表せないほどでした。

 

 

William Ewart Gladstone, 1809-1898

 

 

ウィリアム・ユワート・グラッドストーン

(William Ewart Gladstone, 1809-1898)

 

 

青年は事業を繁盛させ、ついに愛する娘さんと結婚することができました。しかし、この青年は革を送ってくれた名も知らぬ紳士が一体誰なのか気になり、方々を探し回りました。彼は3年が経ってようやく、それが他ならぬ当時のイギリス首相であった ウィリアム・ユワート・グラッドストーン(William Ewart Gladstone, 1809-1898)であることを知りました。

 

 

 

スミス・ウィグルスワース

(Smith Wigglesworth, 1860-1947)牧師

 

 

今日の御言葉には、「耳を造られた方が聞かれないだろうか。目を造られた方が見られないだろうか」とあります。神様は私の祈りを常に聞き、信仰に従って応答してくださる方です。神様の驚くべき奇跡の道具として用いられたイギリスの伝道者 スミス・ウィグルスワース(Smith Wigglesworth, 1860-1947)牧師は、その能力の秘訣を尋ねる人々に、「信仰の祈りには、神様が百万人の人を通り過ぎて、あなたのもとへ来させる何かが宿っている」と語りました。

 

 

 

南極大陸のコウテイペンギン

 

 

南極大陸に住むコウテイペンギンは、何十kmも離れた内陸へ行って卵を産み、孵化させ、雛を育てます。交代で食べ物を取って再び戻ってくる雄と雌のペンギンは、そっくりな数千羽のペンギンの群れの中で、正確に自分の妻や夫、そして自分の雛を見つけ出します。

 

 

 

 

ましてや、つがいとなる期間がわずか4ヶ月しかない愚かな動物、ペンギンでさえそうであるのに、神様が祈る人とそうでない人を混同されるでしょうか。約束の御言葉を頼りに信仰をもって祈り、宣言するとき、神様は百万人の人の中からまさにその人を見つけ出し、彼に約束された祝福を実現してくださいます。

 

 

 

(ルカの福音書 12:8-9、現代訳) [8] わたしははっきり言います。だれでも人々の前でわたしを知っていると言えば、わたしも神の天使たちの前でその人をわたしを知っていると言うでしょう。 [9] しかし、人々の前でわたしを知らないと言えば、わたしも神の天使たちの前でその人を知らないと言うでしょう。


 

信仰のせいで、のけ者にされる

 

キリスト教信仰によるのけもの

 

 

私たちはしばしば、この地上で生活する中で信仰の挑戦を受けることがあります。信仰のゆえに、酒やタバコ、さらには汚れた事柄に関わらないことで、社会生活から仲間外れにされたり、嘲笑されたりすることも起こります。しかし、たとえ不利益を被っても、聖徒が神様が憎まれる事柄に加わることはできません。

 

 

 

麦飯 (むぎめし)

 

麦100%のご飯

 

 

いつだったか、アメリカに移住して牧会をされたある牧師の証を読んだことがあります。その牧師の父親は教会の長老で、朝鮮戦争(6・25)の時に共産党によって殉教されました。父親を亡くした後、母親と幼い兄弟たちが飢えていたため、幼少の頃の牧師は母方の伯父の家を訪ねてよく助けを受けました。ところが、伯母は厳しい人で、ひどい仕打ちをされることも多かったそうです。

 

 

麦飯 (むぎめし)

 

麦100%のご飯

 

 

ある日、助けを求めに伯父の家に行ったところ、たまたま誰もいませんでした。そこで台所に入ってみると、大麦を煮たものが見えました。「あれだけこっそり持って帰れば、家族全員がお腹いっぱい食べられるだろう」と考えましたが、その瞬間、父親が生きていた時に教えてくれた言葉が頭に浮かびました。

 

 

 

土まんじゅう型の墓

 

盛り土の墓

 

 

「イエス様の御前で、常に恥じない生活を送りなさい」という父親の言葉が彼を引き止めました。それで彼はその日、手ぶらで帰り、父の墓に伏して一晩中泣いたと言います。私たちはその父親がどのような人物だったのかはよく知りません。しかし、一つ言えることは、本当に素晴らしい影響力を持っていた方だということです。彼が及ぼした影響力は、彼が亡くなった後もその子供の心に残って、子供の人生をイエス・キリストの中で正しく導き、見守りました。

 

 

イエス・キリストの死

 

十字架の上で贖いの供え物として亡くなられたイエス

 

 

私たちはイエス様の顔を見たこともありません。しかし、イエス様が私たちのために死んでくださったことを知っており、信じています。それで、その方に忠誠を誓い、その方の御心に従って生きることを誓った聖徒です。

 

しかし、世間はイエス様を知らず、従いません。そして、イエスを信じるという理由でいじめたり、不利益を与えたりもします。イエス様はこれを前もって言われました。

(マタイの福音書 10:22、バラン訳) あなたがたはわたしの名のためにすべての人に憎まれるであろうが、最後まで耐え忍ぶその人は救われるであろう。

 

 

私たちはイエスの名によって救われた聖徒です。不利益が来ようとも、決してイエスの名を裏切ることはできません。

 


Frederick II, 1712-1786

 

フリードリヒ2世(Frederick II, 1712-1786)

 

 

名前の後に「the Great(大王)」という修飾語がつくほど有能な統治者であった フリードリヒ2世(Frederick II, 1712-1786)は、ドイツ・プロイセン王国の第3代国王でした。彼は国家の統治、人材の登用、軍隊の組織と指揮、征服戦争の指揮などをすべて自ら担当し、何一つとしておろそかにしませんでした。フリードリヒは、優れた軍事的才能と合理的な国家経営を発揮してプロイセンを当時のヨーロッパ最強の軍事大国に成長させただけでなく、フルート演奏などの芸術的な才能と関心も兼ね備えていたため、「啓蒙専制君主」の典型と見なされています。

 

 

Frederick II, 1712-1786

 

フリードリヒ2世(Frederick II, 1712-1786)

 

 

しかし、彼は 根深い懐疑論者(Skeptic)であり、信仰や教会の権威を批判し、キリスト教の教義に対して冷笑的でした。そのため、フリードリヒはしばしばキリストと教会を嘲笑しました。そのような彼に忠実な家臣である将軍がいました。ハンス・ヨアヒム・フォン・ツィーテン(Hans Joachim von Zieten, 1699–1786)で、非常に誠実なクリスチャンでした。

 

ある日、家臣たちと多くの貴族が集まった席で、フリードリヒ大王が下品な野次でイエス・キリストを嘲笑する言葉を発しました。すると、その場に集まった者たちは皆、そのような雰囲気に流されていきました。

 

 

Frederick II, 1712-1786

 

フリードリヒ2世(Frederick II, 1712-1786)

 

 

ところがこの時、厳粛な表情をしたフォン・ツィーテン将軍が席から立ち上がり、大王をまっすぐに見つめながら、このように申し上げました。

 

「大王陛下、陛下は私が死を恐れないことをよくご存知です。ですから、私は戦場で陛下のために38回戦い、勝利を収めたのです。しかし、今や私は年老いた者となりました。私はまもなく、今陛下が嘲笑しておられる、私の救い主キリストにお目にかかりに行くことになります。永遠を見つめる私は、イエス・キリストが陛下よりもさらに偉大な方であることを知っております。陛下、私はこれで退席させていただきます。」

 

この途方もない言葉と態度に、場内にいた人々は恐れおののきました。誰もが、将軍を直ちに処刑せよという厳しい大王の命令が下るだろうと予想しました。しかし、すべての人の予想に反して、大王は震える声でこのように言いました。

 

「将軍、私が間違っていた。許してくれ。」

 

 

私たちは皆、いつか神様の前に立つことになります。

 

 

その通りです。

私たちは近いうちに、私たちの創造主である神様の御前に立つことになります。世のすべての権威と栄光も、神様の御前にひざまずくことになるでしょう。したがって、やがて神様にお目にかかる日が来ることを忘れず、神様に敵対する世のすべての権威の前でも、神様を崇める大胆で勇気ある信仰を固く守らなければなりません。神様はこう言われています。

 

 

(サムエル記上 2:30、改訂) それゆえ、イスラエルの神、主であるわたしが言う。わたしを重んじる者を、わたしは重んじ、わたしを侮る者を、わたしは軽んじる。

常に神様を尊び、人々の前で大胆に信仰を表す勇気ある生活をもって、神様に栄光を帰されますように、主の御名によってお祈り申し上げます。

 

 

(詩篇 139:14-16, 現代人訳) [14] 私はこのように驚くほど不思議に造られているので、あなたを賛美します。あなたの御手はなんと見事なことか、私はよく知っています。 [15] 私が目に見えない母の胎内で造られていたその時も、あなたは私の形をご覧になっていました。 [16] あなたは私が生まれる前にすでにご覧になっており、私のために定められた日が一日も始まる前に、そのすべての日があなたの書物に記録されていました。

 


塩(しお)

 

塩の組成は実に神秘的です

 

 

 

私たちが食べる塩は、健康に非常に重要です。料理の味を調え、防腐剤にもなり、食べなければ死に至ることもあります。しかし、これほど重要な塩が、実は性質の異なる二つの元素で構成されているというのは驚くべきことです。

 

 

塩(しお)

 

いろいろな種類の塩

 

 

塩は塩素とナトリウムという二つの元素が結合してできたものですが、この二つの元素はそれぞれ毒性を帯びたり反応性が強かったりする物質であるにもかかわらず、結合すると生命維持に不可欠な化合物になります。

 

 

水は神秘的です

 

不思議な性質を秘めた水

 

 

水もまた実に不思議です。水は水素と酸素、この二つの元素が結合してできたものですが、酸素は燃焼を助け、水素も燃焼する性質を持つ物質であるにもかかわらず、この二つが結合して安定した化合物になると、正反対に火を消すことができる水になるのです。

 

 

様々な磁石 (さまざまな じしゃく)

 

磁石には不思議な性質があります

 

 

さらに、永久磁石であるアルニコ磁石(AlNiCo)は、アルミニウムと強磁性体であるニッケル、コバルトなどを組み合わせて作られます。この合金磁石は驚くべきことに、なんと500度の高温でも磁力を大きく失いません。現存する最も強力な磁石の一つであるネオジム磁石は、常温では非常に強力ですが、80度以上の高温では磁力が急激に弱まり、使用が制限されます。しかし、アルニコ磁石は500度でも磁性を発揮し、特殊な高温環境で使用されます。

 

 

水は神秘的です

 

不思議な性質を秘めた水

 

 

また、水は不思議な性質を持っています。ほとんどの物質は、液体状態の時よりも固体状態の時の方が密度が高くなります。つまり、固体が液体の中に沈むのが一般的です。しかし、水はこの法則に従わない非常に特殊な物質です。

 

 

氷も神秘的です

 

氷は他の固体とは異なる性質を持っています

 

 

すなわち、水は特異な性質を持っており、摂氏4度の時に最も密度が高くなり、摂氏0度以下の固体状態(氷)になると、かえって密度が低くなります。この驚くべき結果のおかげで、氷は水面に浮かびます。もし氷が他の物質のように水よりも重くて沈むとしたら、冬が来るたびに湖や海の底から凍りつき、水中の生物がすべて凍死し、地球の生態系は完全に破壊されてしまったでしょう。水のこの「異常な膨張」の性質のおかげで、水面下の生命体が酷寒の中でも生存できるのです。

 

 

人間の脳は驚異的です

 

人間の脳は本当に驚異的です

 

 

そして、私たちの体の中で最も複雑で神秘的な器官は、まさに脳です。脳の演算能力と構造は想像を絶します。人間の脳には約860億個のニューロン(神経細胞)があり、このニューロン間をつなぐシナプス(Synapse)の数は、なんと100兆個に達すると推定されています。

 

 

人間の脳は驚異的です

 

人間の脳は本当に驚異的です

 

 

しかも、この100兆個の結合は、地球上のすべてのコンピューターのネットワークよりも遥かに複雑です。このシナプスが絶え間なく情報をやり取りし、記憶、感情、論理、意識を生み出しています。しかし、人間の脳がわずか10〜20ワットの電力(小さな電球一つを点灯させる程度)だけで、このすべての複雑な演算を遂行するという事実は、現代の技術でも再現することが難しい神妙な領域です。

 

 

この世界は神秘に満ちています

 

神様が造られた世界は驚きに満ちています

 

 

 

このように、神様が創造されたこの世界には、不思議で驚くべきことが一つや二つではありません。それゆえ、神様はヨブに、全世界がどのように動いているのかを知っているかと挑戦されます。結局ヨブは神様に告白します。

 

(ヨブ記 42:3, 6, 分かりやすい訳) [3] 「無知な言葉で、わたしの目的を覆い隠す者はだれか」と問われましたね。本当に私は、知りもしないことを口にし、理解できない事柄を知ったかぶりをしていました。 [6] 今、私は自分自身を軽蔑します。そして、ちりと灰の中で悔い改めます。」

 

 

イエスの犠牲は何よりも神秘的です

 

全宇宙の何よりも神秘的なことは、イエスの血があなたの罪を洗いきよめるということです

 

 

ところで、世の中で最も驚くべき不思議なことは、イエス様の御血があらゆる罪をきよめることができるという事実でしょう。したがって、誰でも私たちの理性では理解できないこの神秘的な秘密を信仰によって受け入れるならば、皆が神様の息子・娘となり、永遠の天国の民となるのです。あなたも神様が聖書を通して約束されたこの御言葉を信じて、天国の民となられるようお祈りいたします。

(ヨハネ 6:40, 改訂) わたしの父の御心は、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを得るということだからです。わたしは、終わりの日にその人たちをよみがえらせます。

 

 

(ヘブル人への手紙 11:14, 16, 改訂) [14] 彼らがこのように言うのは、故郷を探し求めていることを表しているのです。 [16] しかし、彼らは、さらにまさった故郷、すなわち天にある故郷にあこがれていたのです。

 


 

 

私たちは、この世を生きる中で、しばしばこの世に心を奪われがちです。したいことも多く、手に入れたいものもたくさんあります。しかし、私たち信者の心は、常に神の国になければなりません。ヘブル人への手紙11章で、信仰の先人たちは、この地上での自分たちの人生を旅人、寄留者の人生だと述べています。そして、天国こそが彼らの故郷であるとしました。

 

(ヘブル人への手紙 11:14, 16, 改訂) [14] 彼らがこのように言うのは、故郷を探し求めていることを表しているのです。 [16] しかし、彼らは、さらにまさった故郷、すなわち天にある故郷にあこがれていたのです。

 

 

Mukesh Ambani's residence, Antilia

 

 

世界で最も高い邸宅:ムケシュ・アンバニ (Mukesh Ambani, 1957– ) のアンティリア

 

 

ところが、そうではない人々は、この地上に永遠の家を建てようとします。しかし、そのような計画は失敗に終わります。この地上にある全てのものは、しばらく借りて使ってから返して去らなければならないものです。私の所有は、ただ天国にだけあります。

 

 


 

Nero, the Roman Emperor

 

絶大な権力と贅沢を極めたローマ皇帝ネロ

 

 

世界最強のローマ帝国の皇帝として15年間王位にあったネロ(Nero, 37~68年)皇帝について考えてみましょう。彼は豪華絢爛な宮殿に住んでいました。屋敷の壁は全て象牙と螺鈿細工で装飾され、天井には特別な装置があり、訪れる客に香水が霧のように降り注ぐようになっていました。

 

 

Nero, the Roman Emperor

 

絶大な権力と贅沢を極めたローマ皇帝ネロ

 

 

ネロ皇帝は高価な王冠をかぶり、彼が使っていたラバやポニーは銀製の蹄鉄を履いていました。ネロが公式に外出するときは、多くの兵士と馬車と馬が付き従い、ネロが釣りをする際は金製の釣り針を使っていました。また、高価で良い服があまりにも多かったため、一度着た服は二度と着なかったと言います。

 

 

Nero's Golden House

 

 

ネロがローマを放火した後にその上に建てた自身の王宮、ドムス・アウレア

 

 

さらにネロ皇帝は、紀元64年のローマ大火災直後、ラテン語でドムス・アウレア(Domus Aurea、黄金の家)を建設しました。火災によってローマ市内の広い地域が破壊された後、ネロはその廃墟となった土地を私有化し、歴史上前例のない規模の宮殿を建てたのです。

 

 

Nero's Golden House

 

ネロがローマを放火した後にその上に建てた自身の王宮、ドムス・アウレア

 

 

その宮殿の敷地は最小で50ヘクタールから最大120ヘクタールと推定されており、宮殿の壁と天井には莫大な量の金箔、象牙、真珠、高価なフレスコ画(壁画)が使用され、華麗さの極致を極めました。

 

 

Nero's Golden House

 

ネロがローマを放火した後にその上に建てた自身の王宮、ドムス・アウレア

 

 

そして、その中に 回転式食堂(Coenatio Rotundaを作りました。これは天井が24時間回転し続けるように設計された食堂でした。歴史家スエトニウス(Suetonius)の記録によると、この天井からは食事の時間中、花びらと香水が客人に絶え間なく降り注がれたといいます。

 

 

The Colossus of Nero

 

 

ネロが自身を記念して建てた30メートルの像

 

 

さらにネロは自分の彫像(Colossus Neronis)も作らせました。宮殿の入り口近くには、ネロ自身の姿を模した高さ約30メートルに達する巨大な青銅像が建てられました。この巨像(コロッスス)は、後にコロッセオ(Colosseum)という名前の由来となりました。

 

このように世の極致の富と栄華を全て享受しましたが、ネロ皇帝が神の御前に立つとき、**彼は物乞いと何ら変わりません。**いや、それどころか、地獄へ行くしかありません。この地上に生きる間、将来行くべきあの世に対するいかなる準備もしなかったからです。


 

St. Paul

 

天国を伝えるために多大な苦労を重ねた使徒パウロ

 

 

一方、ネロ皇帝と全く同じ時代に、同じ文化圏で生きたパウロを見てみましょう。この人も、イエスを知る前は、誰にも劣らない世俗の野心と執着をもって生きていた人物でした。しかし、神の恵みを体験した後、彼は驚くべき新しい人に変えられました。彼は、この地上はしばらく通り過ぎる旅路であることを学びました。

 

 

St. Paul

 

天国を伝えるために多大な苦労を重ねた使徒パウロ

 

 

彼は、将来入る神の国のために備えながら生きました。時には鎖に繋がれ、鞭打たれ、牢獄での苦痛も味わい、生命の脅威にも数回遭いました。しかし、この世のいかなるものも、パウロの確固たる信仰を妨げることはできませんでした。彼はダマスコで出会ったイエス様を通して、天国を既に見通していたからです。

 

今日、私たちも将来入る天国に宝を積み重ねましょう。

(マタイによる福音書 6:19-20, 改訂) [19] 自分のために地上に宝を蓄えるのはやめなさい。そこでは、虫が食い、さびがつき、盗人が穴を開けて盗みます。 [20] むしろ、自分のために宝を天に蓄えなさい。そこでは、虫が食うことも、さびがつくこともなく、盗人が穴を開けて盗むこともありません。

 

いつか入る天国で、私たちの主である神様に恥じないよう、聖なる実をたくさん結ぶことを願っています。

 

 

(イザヤ 49:15-16, 共同訳) [15] 女が自分の乳飲み子を忘れることがあるだろうか。自分の胎の子を憐れまないことがあるだろうか。たとえ、この女たちが忘れても、わたしはあなたを忘れはしない。 [16] 見よ、わたしはあなたをわたしの手のひらに刻んだ。シオンの城壁は常にわたしの目の前にある。

 

 

 

子供たちを愛されるイエス

 

 

私たちは時々、神様は無関心な方だと考えます。私たちの訴えや叫びにも関心を払ってくださらないと考えます。しかし、そのようなご自身の感覚や考えを信じないでください。神様の真の姿は聖書を通して知ることができます。聖書に示されている神様は、私たちを愛するあまり、病の床につくほどに私たちを恋い慕ってくださる方なのです。

 

 

 

子供たちを愛されるイエス

 

 

今日の御言葉は、そのような神様の愛をよく示しています。 

(イザヤ 49:15-16, 共同訳) [15] 女が自分の乳飲み子を忘れることがあるだろうか。自分の胎の子を憐れまないことがあるだろうか。たとえ、この女たちが忘れても、わたしはあなたを忘れはしない。 [16] 見よ、わたしはあなたをわたしの手のひらに刻んだ。シオンの城壁は常にわたしの目の前にある。

 

このように、神様は親の愛にたとえて、私たちへのご自身の愛を語られます。実際、この世の私たちの父も、私たちに向けた愛を絶やすことはありません。

 

 

ルイ・パスツール (Louis Pasteur, 1822-1895)

 

ルイ・パスツール (Louis Pasteur, 1822-1895)

 

 

フランスの化学者、ルイ・パスツール (Louis Pasteur, 1822-1895) は、化学、医学、工業に大きく貢献し、特に予防ワクチンの道を開きました。彼は炭疽病、鶏コレラ、狂犬病のワクチンを開発し、数百万人の命を救うという偉大な功績を残しました。このようにパスツールは現代の細菌学の創始者と見なされ、「細菌学の父」と呼ばれています。

 

 

ルイ・パスツール (Louis Pasteur, 1822-1895)

 

ルイ・パスツール (Louis Pasteur, 1822-1895)

 

 

パスツールは自然発生説に反論しました。彼はフランス科学アカデミーの後援による実験で、滅菌され密閉されたフラスコの中では何も発生しないこと、逆に滅菌された開放型のフラスコでは微生物が育つことを示しました。この実験によって、彼は1862年に科学アカデミーからアルベール賞(Prix Allembert)を受賞しました。

 

 

Louis Pasteur, 1822-1895

 

ルイ・パスツール (Louis Pasteur, 1822-1895)

 

 

このようにパスツールは、当時軽視されていた「病気が細菌によって引き起こされる」という理論を打ち立てた化学者および科学者の一人として認められるようになり、多くの実験を通じた直接的な細菌理論と臨床医学への応用プログラムを通じて、細菌による死を防ぐことができました。

 

Louis Pasteur, 1822-1895

 

ルイ・パスツール (Louis Pasteur, 1822-1895)

 

 

また、パスツールは深い信仰を持った人でした。彼の娘婿はパスツールの伝記に次のように記しています。「神と永遠に対する絶対的な信仰と、この世で私たちに与えられた善のための召命が世の終わりを超えても続くであろうという確信こそが、パスツールの生涯を貫いた感情でした。パスツールには常に福音の美徳が存在していました。」

 

ところが、普仏戦争(フランスとプロイセンの戦争)が起こったとき、パスツールの息子(ジャン=バティスト・パスツール、1846–1923)は軍隊に入隊し、戦場へ向かいました。伝えられる戦況の知らせは悪くなるばかりでした。さらに、息子からの連絡が数週間も途絶えてしまいました。

 

 

The children of Louis Pasteur

 

ルイ・パストゥールの子供たち(一番左が息子)

 

 

パスツールはその息子への愛と心配のあまり、とうてい家に留まって研究に没頭することができませんでした。そこで彼は、息子を恋い慕う切なる気持ちで、戦場にいる息子を捜しに出発しました。彼が息子を捜して北へ向かう道は、数多くの死んだ馬の死骸と、負傷した兵士たちが凍死していく光景で溢れており、その悲惨さは言い表せないほどでした。パスツールは苦労の末、かろうじて息子の所属する部隊の位置を確認し、たどり着きましたが、一人の将校が言うには、1,200名の兵士のうち生き残っているのはわずか300名にも満たないということでした。

 

それでもパスツールは力を振り絞り、遺体をかき分けて前へ進みました。すると、遠くに見えた、コートで雪まですっぽり覆っている兵士は、間違いなく彼の息子でした。二人は何も言葉を発することができませんでした。胸がいっぱいになった父親は、息子を抱きしめ、ただ熱い涙を流すばかりでした。この世の父親ですら、私たちをこのように愛して捜しに出るのです。しかし今日、主はご自身の愛はこれよりもさらに熱く、大きいと語られます。

 

 

Jesus disputing with the doctors (of the law)

 

律法学者と話されるイエス

 

 

イエス様がこの世に来られたとき、すべての村を訪ね回られました。人々がご自分のもとに来るのを待たずに、直接捜しに行かれたのです。

(マルコ 1:35-38, 口語訳) [35] そして、朝早く、まだ暗いうちに、イエスは起き出して、寂しい所へ行き、そこで祈っておられた。 [36] シモンとその仲間の者とが、あとを追ってきて、 [37] イエスに出会い、「みんながあなたを捜しています」と言った。 [38] するとイエスは言われた、「さあ、近くのほかの村々へ行こう。そこでも教を説こう。わたしはこのために出てきたのである。」

 

 

Jesus wept over Jerusalem

 

エルサレムの崩壊を前に涙を流されるイエス

 

 

また、イエス様は私たちを愛するあまり、涙を流されることもあります。

(ルカ 19:41, 現代訳) イエスはエルサレムに近づき、都を見て、そのために泣かれた。

 

(ルカ 13:34, 口語訳) 「ああ、エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、おまえにつかわされた者たちを石で打ち殺す者よ。ちょうど、めんどりがそのひなを翼の下に集めるように、わたしはおまえの子らを幾たび集めようとしたことであろう。それだのに、おまえたちは応じようとしなかった。」

 

 

Jesus washes the disciples' feet

 

弟子たちの足を洗われるイエス

 

今日もこのように、私たちに向けられた神様の大きな愛があることを信じ、その愛の中に留まり、とどまりながら、神様と美しい愛の交わりを分かち合う信徒となられるようにお祈り申し上げます。