(コリント人への手紙第一 1:21, 現代訳) 「それは、この世が自分の知恵によって神を知るに至らなかったのは、神の知恵によることだからです。そこで神은、宣教という愚か見える方法を通して、信じる者を救うことにされたのです。」
神はご自身の形に従って人を造られ、伝道書の記録にあるように、人の心に永遠を思う心を授けられました。そのため、人は動物のように食べたり飲んだりするだけでは満足できません。絶えず人生の秘密と救いの道を慕い求めますが、人間の限られた知恵と知識では、それを知る術がありません。
孔子 (551–479 BC)
人類の賢人と呼ばれる中国の孔子 (551–479 BC)は、「朝(あした)に道を聞かば、夕(ゆうべ)に死すとも可なり」という意の「朝聞道夕死可矣」という言葉を残しましたが、結局、人生と救いの秘密を悟ることのないまま亡くなりました。しかし、私たちはイエス様こそが道であり、真理であり、命であることを知っており、イエス様を通して救いを受け、永遠の命に至ることを信じています。これは私たちの知識の力ではなく、聖霊が私たちを呼び覚まし、福音を信じて救いに至らせてくださる賜物によるものです。
林語堂 (Lin Yutang, 1895–1976)
韓国語でイム・アダンの名で親しまれる林語堂 (Lin Yutang, 1895–1976)は、中国の知性を代表する国際的な人物として数えられます。彼は上海の聖ヨハネ大学を卒業した後、ハーバード大学で学び、ドイツのライプツィヒ大学で言語学の博士号を取得しました。北京大学や北京女子師範大学の教授を歴任した高名な知識人でした。
林語堂 (Lin Yutang, 1895–1976)
彼はもともと牧師の息子として生まれましたが、大学生になると信仰から遠ざかりました。その結果、イエス様だけが唯一の救いの道であるというキリスト教の教えを頑なに拒みました。そして、東西両洋の哲学を渉猟した教授であり哲学者として、彼なりに救いの道を求めて生涯懸命に努めました。
林語堂 (Lin Yutang, 1895–1976)
しかし、林語堂の心には救いの確信がなく、内面は暗く空虚なだけでした。そんなある日、妻の勧めに負けてある礼拝に出席し、説教を聞いている最中、イエス様こそが神の御子であり、キリストであることを悟り、心の中にイエス様を受け入れました。
林語堂 (Lin Yutang, 1895–1976)
あの日、その牧師は有名な方でもなく、特別な説教をしたわけでもありませんでした。ごく平凡な御言葉でしたが、聖霊が彼の心に働かれると、あまりにも単純で明快な真理をその瞬間に悟ったのです。彼は自分が罪人であるという事実と、イエス様がまさに自分の罪のために十字架にかかって亡くなられたという事実を悟り、次のような言葉を残しました。「太陽が昇った。ろうそくを消せ。」
使徒パウロ (Paul the Apostle, 5–67)
人類の師であった孔子も、東西の知識に通じていた林語堂も、自らの知恵と知識では救いの道を見いだすことができませんでした。それゆえ、使徒パウロ (Paul the Apostle, 5–67)は次のように告白しました。
(ローマ人への手紙 11:33, 新改訳) 「ああ、神の知恵と知識との富は、なんと深いことでしょう。その裁きはなんと知り尽くしがたく、その道はなんと測り知りがたいことでしょう。」
使徒パウロ (Paul the Apostle, 5–67)は、思いもよらなかった場所と時間にイエス様に出会い、回心しました。
何の知恵も能力もない私たちが救いを受け、天の御国の民となることができたのは、ただ神の恵みであり、賜物です。神は知識ではなく信仰という驚くべき方法を通じて、私たちに救いの道を開いてくださいました。今日も私たちは、伝道を通して人を救われる神の道具となるよう自らを捧げ、福音を聞く人々が信仰によって救いに至るよう、聖霊の働きを祈り求めようではありませんか。


























































































