(マタイ 23:9, 新共同訳) また、地上の者を『父』と呼んではならない。あなたがたの父は天の父お一人だけだ。


 

今日の御言葉は、一見すると理解しがたい内容かもしれません。神様は、聖書の出エジプト記 20:12に記された十戒(十誡命)において、「あなたの父母を敬え」と命じられました。またエフェ소書 6:2でも、「『あなたの父と母を敬え』。これは約束を伴う第一の掟です」と記されています。しかし、今日の箇所では、肉心の父を父と呼んではならないとおっしゃっています。なぜでしょうか。

 

 

イエスは当時の律法学者たちとは異なる方法で、律法を理解し教えました。

 

 

実のところ、今日イエス様が語られている「この世の父」とは、当時の律法学者、あるいは偉大な師、長老教唆、またはある学派の巨匠(巨匠)などを指す一般的な表現でした。もちろん、ここには自分の子供たちがよく生きることを願ってはいるものの、実際には世の価値観や伝統を教え、結局は神様の御心から外れた教えを固執する肉心の父親たちも含まれ得ます。

 

 

イエスは当時の律法学者たちとは異なる方法で、律法を理解し教えました。

 

しかし、今や神の子となった私たち聖徒(聖徒)は、もはや世の価値観や伝統に従うのではなく、ただ神の御言葉に従って生きる天国の市民(市民)となった聖徒であるべきです。したがって、私たちがこれから従うべき正しい導きを与え、唯一仕えるべき方は天の父お一人であるため、イエス様はそのようにおっしゃったのです。

 

 

金教臣(1901–1945) 先生

 

金教臣(1901–1945) 先生は、『聖書朝鮮』1933年8月号の巻頭言(卷頭言)で、次のような言葉を残しました。

 

 

 

不肖(ふしょう)とは、『父に似ていない愚かな息子』という意味で、自分を低めて言う謙譲の表現です。

 

 

題名は「不肖(不肖)」です。この文章を紹介する前に、まず「不肖」の意味を調べてみると、「不(不)」は打ち消し、「肖(肖)」は似るという意味で、父に似ていないことを指します。

 

 

 

「金教臣(キム・ギョシン)は、自身が発刊した『聖書朝鮮』において、『不肖であれ』という自身の教えを説きました。」

 

 

通常は、後ろに控えるという意味の「侍生(侍生)」や「小生(小生)」を合わせ、「不肖侍生」あるいは「不肖小生」と使い、「優れた父母に似ることができなかった愚かな子」という謙譲(謙讓)の表現として、かつてよく使われていました。

 

 

 

中国の堯舜(ぎょうしゅん)大王

 

 

孟子(孟子)の「万章」編に登場するこの言葉は、中国の治世(治世)の黄金期(黃金期)である堯舜時代(堯舜時節)に由来する故事(故事)です。中国の聖君(聖君)であった堯帝が、自分の息子である丹朱(丹朱)が不肖、つまり自分に似ず、器(器局)が小さくて天下(天下)を受け継ぐには不足していることを知ったため、権力を舜(舜)**に譲ることにしました。

 

 

金教臣(1901–1945) 先生

 

舜に王権(王權)を譲れば天下のすべての人が利益を得て、息子である丹朱だけが損をするが、息子である丹朱に王権を譲れば天下のすべての人が損をして丹朱だけが利益を得るということを知っていたためでした。結局「不肖」とは、父に似ることができなかった愚かな息子を指します。

 

 

 

日本の思想家、内村鑑三(うちむらかんぞう)とその弟子, 金教臣(キム・ギョシン)先生

 

ところが金教臣は、『聖書朝鮮』の中で「不肖」という題名でこのような文章を残しています。「私たちは不肖であれ。あえて先祖に似るなと叫びたい。特に生と死の重大な問題において、私たちは先祖たちの観念(観念)をそのまま受け継いではならない」。そう語り、似てはならない先祖たちの不適切な生活形態(行態)をいくつか挙げました。

 

 

 

「金教臣(キム・ギョシン)の思想を解説した本」

 

 

第一に、子供たちを未成年期(未成年期)に結婚させること(早婚)。第二に、明堂(明堂)を探して先祖の遺骸(遺骸)を安置(安葬)し、三年間服喪(服喪)すること。第三に、早くに隠退(隠退)して子供の孝行にあやかる寄生生活(寄生生活)を送り、早々に自分の墓地(墓地)を調べることなどです。

 

 

金教臣(1901–1945) 先生

 

 

金教臣先生は、先祖たちが代々「大事(大事)」、つまり大きな事として誤って捉えてきたこのような事柄は、むしろ後継(後孫)たちが受け継がず、必ず捨てるべきものだと語りました。そうして、「死体(死體)と糞土(糞土)を崇尚(崇尙)する先祖に似るのではなく、『私は道であり、真理であり、命である』というイエスに似るべきであり、地にあるものに似るのではなく、天にあるものに似るべきである」と述べました。

 

 

金教臣(1901–1945) 先生, 後列(こうれつ)の右(みぎ)から4番目(よばんめ)

 

そうです。聖徒となった私たちは、神の形(形象)に象どって造られた天国の民(百姓)です。したがって、朽ち果てる世の誤った価値観や伝統を分別なく伝えようとする先祖たちの教えに盲目(盲目)に従うのではなく、私たちを創造(創造)し、身を捧げて救い(救援)出してくださった真の天の父である神の御言葉に従い学ぶことで、天国の民としての生を全うしなければなりません。

 

 

金教臣(1901–1945) 先生

 

今日、私たちは先祖の誤った伝統だけでなく、目を開けば溢れんばかりに流れ込んでくるメディア(媒體)の世俗的な知識によって、歪んだ価値観で洗脳(洗脳)されようとしています。しかし、神の息子、娘となった私たち聖徒は、聖書の御言葉と聖霊(聖靈)の導きを受ける生を通じて、正しい聖徒の歩みをすべきです。このような聖徒となられることを祝願(祝願)いたします。

(テモテへの手紙 二 2:1-2, 新改訳)

[1] 私の子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。 [2] 多くの証人の前で私から聞いたことを、ほかの人たちにも教える力のある、信頼できる人たちに託しなさい。

 

人類の歴史において最も古い記録の一つであるシュメールの粘土板をはじめ、古代ギリシャの記録にも共通して似たような話が記されています。それは、「最近の若者は礼儀を知らない」という言葉です。それほどまでに世代間の葛藤は、どの国、どの時代にも存在してきました。

 

 

 

タマラ・エリクソン教授(Tamara J. Erickson, 1954~)

 

しかし、近年の世代間葛藤はさらに深刻化しています。ロンドン・ビジネス・スクールのタマラ・エリクソン教授(Tamara J. Erickson, 1954~)は、「世界的に社会の変化が加速する中で、世代間の葛藤はさらに拡大している」と述べています。このような世代間葛藤の難しさの中で、いかにして次世代を正しい信仰へと導くべきか、私たちは深い悩みに陥ることがあります。しかし、神様の助けがあるならば、この使命を必ず完遂できるはずです。

 

 

木村秋則氏(1949~)

 

2006年、NHKの番組『プロフェッショナル 仕事の流儀』に出演し、大きな反響を呼んだ木村秋則氏(1949~)のエピソードは、ブームと呼べるほど多くの人々の関心を集めました。その実話を綴った本が2009年に『奇跡のリンゴ』というタイトルで出版されました。

 

 

 

木村秋則氏(1949~)

 

その内容は、青森県岩木町(現在の弘前市)という小さな田舎町に住む木村秋則氏が、肥料も農薬も使わない自然栽培でリンゴを育て上げたというものです。このリンゴは販売開始からわずか3分で完売するほどの人気を博しています。

 

 

木村秋則氏(1949~)

 

また、東京の高級住宅街、白金台にあるフランス料理店「シェ・イノ(Chez Inno)」では、コース料理が一人2万ポンド(約2万円)ほどします。高価な食事であるにもかかわらず、予約は6ヶ月待ちとなっていますが、その理由はコースに含まれている木村秋則氏の「リンゴのスープ」にあります。

 

 

「木村秋則さんのリンゴは、腐らずに枯れる(しぼむ)だけです。」

 

木村氏のリンゴが不思議なのは、購入したいくつかのリンゴを同じ条件で並べておくと、6ヶ月後には他のリンゴはすべて腐ってしまったのに対し、氏のリンゴは少し乾燥しただけで依然として瑞々しさを保ち、さらには2年以上置いても腐らず、ただ萎んでいくだけだという点です。木村氏はこの驚くべきリンゴを作るために、数多くの困難を経験しました。彼は無農薬の代用品を見つけるために、あらゆる実験を繰り返しました。

 

 

木村秋則氏(1949~)

 

醤油、塩、油、わさび、泥水、酢などを散布しましたが、すべて失敗に終わりました。その間、まず黒星病という細菌が木を蝕み、ついには害虫がリンゴの木の葉をすべて食い尽くしてしまい、6万坪のリンゴ園にある木々には6年もの間、花が咲くことはありませんでした。

 

 

木村秋則氏(1949~)

 

 

絶望に陥った木村氏は、リンゴの木一本一本を訪ね歩き、**「苦労をかけて申し訳ない。花を咲かせなくても、実を結ばなくてもいいから、どうか枯れないでくれ」**と励まし、語りかけました。彼はその時、周囲の人から狂ったと思われるのを恐れ、隣の畑に面した木や道沿いの木には声をかけなかったといいます。

 

 

 

木村秋則氏(1949~)

 

ところが驚くべきことに、声をかけなかったリンゴの木は、例外なくすべて枯れてしまったのです。私はこの部分に大きな感動を覚えました。農家は植物であるリンゴの木にさえ語りかけ、真心を伝えるのです。ならば今日、私たちが育ちゆく若いリンゴの木のような次世代のクリスチャンのために、愛の励ましと助言を惜しまないことは、当然のことではないでしょうか。

 

 

木村秋則氏(1949~)

 

現代の発達したマルチメディア環境は、あたかもリンゴの木に襲いかかる病害虫のように、私たちの子供たちを傷つけようと猛威を振るっています。たとえ私たちが彼らを生んだ親世代であっても、もし彼らの心と魂が世の価値観に支配されてしまうなら、彼らは事実上、神様に忠実な私たちとは異なり、サタンの支配する世界に忠実な「世の子」となってしまうでしょう。

 

 

木村秋則氏(1949~)

 

このような死活を分ける熾烈な霊的戦いにおいて、最も必要なのは、先に信じた先行世代である私たちの格別な配慮と慰めです。

今日の御言葉で、使徒パウロはテモテにこう言っています。

[1] 私の子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。 [2] 私から聞いたことを、信頼できる人たちに託しなさい。そうすれば、彼らがまた他の人たちを教えることができるようになります。

 

 

ロジャー・バブソン(Roger Babson, 1875~1967)

 

米国の著名な経済学者であり、国家財政に関する著作を残したロジャー・バブソン(Roger Babson, 1875~1967)は次のような言葉を残しています。

「国家の繁栄は、その国民の知的・霊的な成長にかかっている。金や富にかかっているのではない。バビロニア、ペルシャ、ギリシャ、ローマ、スペインといった国々は世界で最も裕福な国であったが、ほどなくしてすべて没落した。彼らの富が自分たちを救うどころか、むしろ滅亡を早めたという事実を歴史が証明している。米国は今、最も豊かな先進国であるが、もし私たちが神を捨てるなら、遠からず二流国家に転落し、その後は地へと叩きつけられるだろう。」

 

 

木村秋則氏(1949~)

 

その通りです。 今日、私たちは韓国(および日本)の次世代を担う子供たちや若者たちに神様の御言葉を伝え、信仰の励ましを通じて、彼らが神様に寄り頼む霊的な巨人へと成長するように、絶えず努力しなければなりません。「奇跡のリンゴ」を作り上げた木村氏のように、疲れ果てることなく、諦めることなく、私たちの次世代の耳に神様の御言葉をささやき続け、彼らを「奇跡の世代」へと育て上げる聖徒となられることを祝福し、お祈りいたします。

(ヤコブ 2:15-17, 正訳) [15] もし、兄弟あるいは姉妹が裸で、その日の食べ物にも事欠いているとき、 [16] あなたがたのうちのだれかが彼らに、「安らかに行きなさい。暖かくして、お腹いっぱい食べなさい」と言葉だけをかけ、体に肉体に必要なものを与えないなら、何の益があるでしょうか。 [17] それと同じように、信仰も行いが伴わないなら、それ自体は死んだものです。


 

 

山を動かした男、マンジー

 

 

私たちは人生の中で、良い意見や素晴らしいビジョンを持っていても、いざ行動に移さないために何も成し遂げられないケースをしばしば目にします。これと同様に、私たちの信仰生活においても実践と行いがなければ、その信仰は何の価値もない死んだ信仰になってしまいます。

 

 

 

山を動かした男、マンジー

 

したがって、私たちは信仰の告白と共に、実践する勇気と献身が調和した信仰生活を送らなければなりません。本日の御言葉の中で、主の兄弟ヤコブは、私たちの信仰が行いのない死んだ信仰にならないようにと警告しています。

 

 

山を動かした男、マンジー

 

インドのビハール州ゲラウル村(Gehlaur village)に住んでいた Dashrath Manjhi(ダシュラト・マンジー, 1929-2007)氏は、幼い頃から愛を育んできた Falguni Devi(ファルグニ・デヴィ)と結婚しました。ところがある日、妻のデヴィは農作業をする夫のために弁当を届ける途中、足を踏み外して崖の下へ転落してしまいました。

 

 

 

山を動かした男、マンジー

 

 

マンジーは負傷した妻を見つけ、すぐに彼女を背負って病院のある町へと向かいました。ところが、ゲラウルから病院のある町まではわずか15kmでしたが、その間に岩山が立ちはだかっていたため、マンジーは山の周囲を55kmも迂回しなければなりませんでした。

 

 

山を動かした男、マンジー

 

さらに、僻地の村であるゲラウルには自転車や自動車などの交通手段が全くなく、徒歩で移動するしかありませんでした。結局、時間がかかりすぎてしまい、妻のファルグニ・デヴィは息を引き取ってしまいました。デヴィが病院に間に合わなかった理由は、まさにマンジーの住む村と、病院のある隣村との間に横たわる巨大な岩山のせいでした。

 

 

 

山を動かした男、マンジー

 

 

最愛の妻を亡くし、深い悲しみに暮れたマンジーは、妻を偲んで31歳だった1960年から、ハンマーとたがねだけを使ってこの岩山に道を切り開き始めました。彼は、他の隣人たちが自分と同じような不幸な目に遭わないことを願う一心で、この仕事を始めました。

 

 

山を動かした男、マンジー

 

しかし、最初に道を掘り始めたとき、多くの人々が彼を嘲笑し、助けてくれる人も多くありませんでした。それでも彼は諦めず、ひたすらハンマーとたがねだけで山を削り、22年後の1982年、53歳のときについに道を造り上げました。

 

 

マンジーが切り拓いた道

 

 

彼が完成させた道は、幅9m、全長110mに及びました。これにより、隣村への道は70kmから15kmへと大幅に短縮されました。ビハール州政府はダシュラト・マンジーの功績を称え、表彰状と賞金を授与する意向を示しましたが、彼は「自分との約束を守っただけだ」と言ってこれを辞退しました。

 

 

マンジーが切り拓いた道

 

その代わりにマンジーは、人々が通行しやすいように自分が造った道を舗装してほしいと願い、これを受けてビハール州政府がその道に道路舗装を施しました。マンジーは2007年に癌のため73歳で亡くなり、インドのビハール州は彼を偲んで州葬を執り行いました。

 

 

 

映画になったマンジーの実話

 

マンジーのエピソードはドキュメンタリーや映画として制作され、多くの人々に感動を与えました。インドの有名な映画監督 Ketan Mehta(ケタン・メータ, 1952-)は、2015年に『Manjhi - The Mountain Man(マンジー:ザ・マウンテン・マン)』というタイトルの映画を制作しました。

 

 

 

マンジーが切り拓いた道

 

そうです。夢だけでは道は生まれません。その夢を叶えるための努力と犠牲が必要です。努力と犠牲のない夢は、空想に過ぎません。今、多くの人々が享受している恩恵のほとんどは、誰かの努力と犠牲の産物であることを忘れてはなりません。私たちの信仰も同じです。

 

 

マンジーが切り拓いた道

 

私は見知らぬ街を通り過ぎるとき、美しい礼拝堂の建物を見るとしばしば感動します。ほとんどの教会は、最初はたいてい一間や二間の小さくて質素な空間から始まります。そのような教会が大きく成長するためには、目に見えない多くの人々の涙と祈り、献身があったことを知っているからです。今日、私が涙ながらに植える種と苗木が、いつか誰かの実と木陰になることを信じて実践する信仰でありたいと思います。

 

 

 

美しい教会の背景には、誰かの汗と涙、そして祈りがあります。

 

 

私たちがイエス様を伝える働きも同様です。救いの主であるイエス・キリストを伝えるとき、長い時間がかかり、決心が見えないように思えても、最善を尽くして勧め続けるとき、いつか神様の助けの中で人々を天国の道へと導く実を結ぶことになります。忍耐と粘り強さで天国の福音を伝え、多くの人々を神様のもとへと導かれますよう、主の名によって祝福いたします。

(詩篇 15:1, 4, 聖書新改訳2017) [1] 主よ。だれが、あなたの幕屋に宿るのでしょうか。だれが、あなたの聖なる山に住むのでしょうか。[4] …主を恐れる者を尊ぶ人。誓ったことは、損になっても変えない人。


 

 

ゴリアテを倒すダビデ

 

 

私たちが信仰する神は、真実な方です。したがって、神がなされた約束は決して変わることがなく、私たちが想像もできないほど長い年月が過ぎても、必ず成就します。10代後半の幼い羊飼いだったダビデ(David, BC 1040? – BC 970?)に王になると言われた神の約束は、10余年が過ぎた30歳の時に成就しました。また、同じく10代後半の幼いヨセフ(Joseph, BC 1891? – BC 1781?)に夢を通して与えられた神の約束も、22年後にそのまま成就しました。

 

 

 

ヤロブアム王の前で預言する預言者

 

 

また、北イスラエルの王ヤロブアム(Jeroboam, BC 931 – BC 910)が偶像の祭壇を作った時、ユダから来た預言者がベテルにあるその祭壇に向かって呪い、将来その祭壇を裁く王の名を予言します。

(列王記 第一 13:2, 聖書新改訳2017) 彼は主のことばによって祭壇に向かって叫んで言った。「祭壇よ、祭壇よ。主はこう言われる。『見よ、ダビデの家に、名をヨシヤという男の子が生まれる。彼は、おまえの上で香をたく高き所の祭司たちをおまえの上でいけにえとし、人間の骨がおまえの上で焼かれるようになる。』」

 

 

預言者が預言した通りに、偶像を焼き払うヨシヤ王

 

 

この予言は、おおよそ南北王朝が分かれた紀元前931年頃に宣言され、予言に登場するヨシヤ(Josiah, BC 648 – BC 609)王が宗教改革を起こしたのは紀元前622年です。その時間の差はおよそ309年ほどです。しかし、神の約束は300年が過ぎた後でも、違わず成就します。

 

さらに、旧約聖書に登場する預言者イザヤ(Isaiah, BC 765? – BC 681?)の予言は、おおよそ紀元前740年から紀元前686年の間になされたものと見なされます。これを西暦700年前とだけ捉えても、この予言通りにイエス様の誕生が700年後に正確に成就したことが分かります。

 

 

神の預言通りに王となったダビデ

 

 

このように、神のみことばはいかに長い時間が流れても必ず成就します。したがって、私たちは神が人間に与えてくださった最大の約束である永遠の命と天国の約束を信じ、死さえも堂々と迎えることができるのです。

 

このように真実な神は、ご自身の民である私たち聖徒にも、真実な性質を求められます。ですから、私たちは神に仕える時、真実さをもって御座の前に進み出なければなりません。


 

 

神との約束に真実な町、オーバーアマガウ

 

 

ドイツ南部バイエルン州のアルプスの麓には、「オーバーアマガウ」(Oberammergau)という村があります。2018年基準で人口5,474人しかいないこの小さな村では、村人たちが総動員され、10年ごとに上演されるイエスの受難劇(Passion Play)を公演することで世界的に有名です。ところで、彼らがこのような劇を始めることになった由来は、非常に感動的です。

 

 

神との約束に真実な町、オーバーアマガウ

 

 

今から約400年前の1633年、当時ヨーロッパではペストが急速に蔓延し、ヨーロッパの全人口の3分の1が死亡しました。また、この伝染病はヨーロッパ全域に広がり、すべてのヨーロッパ人が恐怖に震えていました。この時、オーバーアマガウの村人たちは教会に集まり、切実な祈りを捧げました。

 

 

神との約束に真実な町、オーバーアマガウ

 

 

「全能なる神よ、イエス様の宝血によって私たちの村を伝染病から守ってください。そうしてくださるなら、私たちがイエス・キリストの受難の物語を全世界に広く知らせます。」そのように祈ったところ、不思議なことにその日以来、村からはペストが消え去り、これ以上住民が一人も伝染病で亡くなることはなく、ペストにかかっていた人々さえも皆回復するという奇跡が起こりました。

 

 

 

神との約束に真実な町、オーバーアマガウ

 

 

これを受けて「オーバーアマガウ」の村人たちは、神に捧げた約束を守るために、その翌年である1634年の「聖霊降臨祭」に際して歴史的な初演を行いました。その日以来、彼らは10年ごとにこの行事を続け、村中を挙げて心血を注ぎ、心を込めて公演する受難劇「Passion Play」を今日まで継続しているのです。

 

 

 

神との約束に真実な町、オーバーアマガウ

 

 

この時期になると、アマチュア俳優である村の住民たちが皆集まって劇を準備し、進行しますが、公演は5ヶ月間にわたって行われ、5,000人の住民のうち約2,000人もの村人たちが参加します。これにより、毎年全世界から50万人に達する観光客が、この劇を観覧するためにドイツのこの小さな村に集まってきます。

 

 

神との約束に真実な町、オーバーアマガウ

 

数年前、ドイツでは世界各地で猛威を振るうコロナウイルスにより12万人が感染し、1万4千人もの人々が亡くなりました。これにより、この村でも2020年に第42回公演を開催する予定でしたが、残念ながらコロナにより2022年に延期されました。

 

 

神との約束に真実な町、オーバーアマガウ

 

 

この村の人々は、伝染病の脅威の中でも信仰の伝統を守り、神との約束を繋いでいこうと努力しました。

 

 

神との約束に真実な町、オーバーアマガウ

 

その通りです。私たち聖徒は、真実な神とイエス様の血の契約によって結ばれた神の息子、娘です。ですから、生きている間、常に神の約束の中で真実な忠誠を尽くして歩み、神が与えてくださる福を享受し、将来私たちを召される日に、信仰によって皆天国に入られる聖徒となられますよう、主の御名によって祝福いたします。

(詩篇 7:12-13) [12] 人が悔い改めないなら、神はその剣を研ぎ、弓を張って構えられる。[13] 神は彼のために死の武器を準備し、その矢を火矢とされる。


 

私たちは世を生きていく中で、大小さまざまな失敗や過ちを毎日犯します。ですから、毎日シャワーを浴びて体を清潔にするように、自分自身を振り返り、御言葉の光の中で一瞬一瞬悔い改め、イエス様の血で自らの罪を洗い流さなければなりません。

 

 

使徒パウロ (しとパウロ)

 

 

そして、万が一にも私たちの心が頑なになり、自分の罪が見えなくなるような境地に陥らないよう、常に注意する必要があります。使徒パウロ (Paul, 5-64/67) は、後の時代にある人々が信仰から離れ、心が頑なになることを次のように警告しています。 (テモテへの手紙一 4:2) それは、良心が焼き印を押されたようになっている偽り者の偽善によるものである。

 

 

ヨハネス・クリュソストモス (John Chrysostom, 349-407)

 

 

ヨハネス・クリュソストモス (John Chrysostom, 349-407) はシリアのアンティオキア出身で、4世紀にコンスタンティノープルの大主教を務めました。「黄金の口」という意味を持つ「クリュソストモス」は、人々が付けた別名です。多くの人は彼を歴史上最高の説教者の一人に数え、ギリシャ正教会は彼を極めて重要な聖人とみなしています。

 

 

ヨハネス・クリュソストモス (John Chrysostom, 349-407)

 

クリュソストモスは真理を適当に妥協して伝えることはせず、イエス様の御心でないものは、まるで燃えかすのように投げ捨てました。彼は常に貧しい人々の傍らに立つ一方で、華やかな衣服や装身具、金銀で作られた食器に執着し、銀のしびんを使用する上流層の贅沢な生活に対しては容赦ない批判を加えました。

 

 

 

ヨハネス・クリュソストモス (John Chrysostom, 349-407)

 

「皆さんはそのような行為を恥じるべきです。キリストが飢えに苦しんでおられるというのに、皆さんはそのような贅沢を享受しています。いいえ、もっと正確に言えば、そのような狂気じみた真似をしています。神の形に創造されたあなたの同胞が寒さに凍え死んでいるというのに、あなたはそんな家財道具などをしつらえているのですか?」

 

 

皇后アエリア・エウドクシア (Aelia Eudoxia, ?-404)

 

 

東ローマの皇帝アルカディウス (Flavius Arcadius, 377-408) の妻である皇后アエリア・エウドクシア (Aelia Eudoxia, ?-404) も、彼の批判を避けることはできませんでした。クリュソストモスは、彼女が皇后の権力を動員して不義を働いているのを見て、警告の手紙を送りました。

 

 

 

皇后アエリア・エウドクシア (Aelia Eudoxia, ?-404)

 

 

「もし神があなたに皇后の権力を与えたのであれば、それは正義を立てるために与えられたものです。人間が土と灰、草と塵に過ぎず、人生もまた影や煙、そして一時の夢に過ぎないように、皇帝もまた同じです。ですから、もはや絶望に陥っている人々に、これ以上の苦痛と不幸を押し付けないでください。

 

 

 

ユドクシア皇后に説教するクリュソストモス

 

 

あなたはブドウ園やイチジクの園、油と金、そして権力を携えて墓に下ることができると思っているのですか?」

クリュソストモスのこのような指摘は、エウドクシアの魂を救うための叱責でした。しかし、そのような叱責を受け入れることができなかったエウドクシアは、クリュソストモス主教に流刑を言い渡し、結局彼は小アジアの辺境の地で息を引き取りました。彼女は自ら悔い改めの機会を蹴り飛ばしてしまったのです。

 

 

 

ヨハネス・クリュソストモス (John Chrysostom, 349-407)

 

 

クリュソストモスは信徒たちに、五つの悔い改めの方法があると語りました。

  • 第一に、悔い改めとは自らの罪を認めることです。 罪を認める時、神の恵みの光が近づき、赦しの恩寵が注がれます。

  • 第二に、悔い改めとは他人の過ちを忘れることです。 他人に対して悪感情が湧いたとしても、その感情に囚われず、罪を犯した人々を許すために努力しなければなりません。

  • 第三に、悔い改めに至るためには、絶えず祈りに励まなければなりません。 自分を完全に神の前に差し出す、切実で熱い祈りが必要です。

  • 第四に、悔い改めようとする者は、広く慈善を施さなければなりません。 自分の罪を帳消しにしてもらったことに感謝しながら、その恩義を愛で返そうと努力すべきです。

  • 第五に、持続的な悔い改めとは、謙虚に自分を低くすることです。 自分には何の徳もなく、ただ犯した罪があるだけであることを神に告白することです。

 

 

ユドクシア皇后に説教するクリュソストモス

 

 

その通りです。 世を生きていく中で、罪のない人はいません。しかし、すべての人が立ち返って悔い改めるわけではありません。正当な指摘にも耳を貸さず、自分の過ちを指摘した人を敵対視する者さえいます。

 

 

 

ヨハネス・クリュソストモス (John Chrysostom, 349-407)

 

 

そのような人々は、神の裁きを自ら招いているのです。「神が人を滅ぼそうとされる時、まずその耳を塞がれる」という言葉があります。しかし、私たち聖徒は常に神の前で謙虚であり、聖霊の叱責に耳を大きく開き、自分自身を立ち返らせる場所に身を置く聖徒として歩んでいかれることを、主の御名によって祝福いたします。

(ヨナ 3:1-3, 新改訳2017) [1] それから、再びヨナに次のような主のことばがあった。[2] 「立って、あの大きな町ニネベに行き、わたしがあなたに告げる宣言をせよ。」[3] ヨナは主のことばのとおり、立ってニネベに行った。ニネベは、行き巡るのに三日かかるほどの、神にとって大きな町であった。

 

私たちは信仰生活を送りながらも、時として自分の考えや主張どおりに生き、行動しようとすることがあります。しかし、イエス様はご自分を信じたユダヤ人たちに次のように言われました。

(ヨハネ 8:31, 聖書協会共同訳) イエスは、自分を信じたユダヤ人たちに言われた。「わたしの言葉にとどまるならば、あなたたちは本当にわたしの弟子である。」

 

 

 

神の命令に背いて逃げ出し、魚の腹の中に入れられた預言者ヨナ

 

 

ですから、主の弟子である私たちは、自分の意志や判断ではなく、神様が導いてくださる道に従って生きなければなりません。今日の本文に登場する預言者ヨナは、自分の判断に従い、「アッシリアの首都ニネベに行って御言葉を宣べ伝えよ」という神様の命令に背いて逃げ出し、魚の腹の中に入れられるという罰を受けて初めて悔い改め、従順になりました。主の弟子である私たちは、自分の判断を捨て、導きに従順になることで、一瞬一瞬を主に忠実な者として生きるべきです。

 

 

レイトン・フォード (Leighton Ford, 1931- ) 牧師

 

 

ビリー・グラハム (Billy Graham, 1918-2018) 牧師の義弟であり、協力者として生涯を世界宣教のために捧げたレイトン・フォード (Leighton Ford, 1931- ) 牧師がいます。フォード牧師は、全世界の若いキリスト教指導者を養成する「レイトン・フォード・ミニストリーズ」の会長です。

 

 

 

レイトン・フォード (Leighton Ford, 1931- ) 牧師

 

 

彼は全世界37カ国で数百万人もの人々に会い、ビリー・グラハム伝道協会の副会長としても奉仕しました。1985年にはアメリカン・リリジャス・ヘリテージから「今年の聖職者」に、国立長老教会センターから「今年の長老派説教者」に選ばれ、タイムズ紙は彼を「福音における最も影響力のある説教者の一人」に挙げました。

 

 

レイトン・フォード (Leighton Ford, 1931- ) 牧師

 

ある時、レイトン・フォード牧師が「忘れられない出来事」として、自身の経験を語りました。フォード牧師が旅行中、飛行機が給油のために着陸したセネガル (Senegal) のダカール空港で、あるフランス人宣教者に会い、短時間話をしました。その宣教者は自分を「イスラム圏で10年間働いた」と紹介しました。

 

 

レイトン・フォード (Leighton Ford, 1931- ) 牧師

 

 

すると、フォード牧師の一行の一人が宣教者に尋ねました。「その間、どれほどの回心者がいましたか?」すると宣教者は「二人です」と短く答えました。10年間の宣教活動で、救われたのはたった二人だったというのです。すると別の人が思わずこう問い返しました。「では、一体何のためにここにいるのですか?」その言葉には、「10年でたった二人しか救えなかったのに、なぜまだここに留まっているのか」という意味が込められていました。

 

 

レイトン・フォード (Leighton Ford, 1931- ) 牧師

 

その言葉を聞いた宣教者は、むしろ非常に驚いた様子で言いました。「なぜここにいるのか、ですか? それは、イエス・キリストが私をここに置かれたからです。その理由で、私はここにいます。」レイトン・フォード牧師は、「この出来事は、自分の生涯の中で起きたことのうち、忘れられないほど衝撃的なことだった」と証ししました。

 

 

 

レイトン・フォード (Leighton Ford, 1931- ) 牧師

 

そうです。神様は、結果の大きさに関係なく、主の御言葉に従順である聖徒を喜ばれます。サウル王は、「アマレク人のすべての人と家畜を聖絶せよ」という神様の御言葉に背き、自分の欲に従って牛や羊の群れを生かして連れて帰りました。

 

 

 

レイトン・フォード (Leighton Ford, 1931- ) 牧師

 

 

そして、その過ちを指摘する預言者サムエルに対し、「これらの家畜は神様に捧げるためのものだ」と言い訳をしました。しかし、預言者サムエルは、神様が喜ばれるのは多くの家畜の群れではなく、従順であると語ります。

 

 

 

レイトン・フォード (Leighton Ford, 1931- ) 牧師

 

(サムエル記第一 15:22-23, 新改訳2017) [22] サムエルは言った。「主は、主の御声に聞き従うことほどに、全焼のささげ物やいけにえを喜ばれるだろうか。見よ、聞き従うことは、いけにえに勝り、耳を傾けることは、雄羊の脂肪に勝る。[23] 反逆は占いの罪、不遜は偶像崇拝の悪だからだ。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王の位から退けた。」

 

そうです。神様は、私たちが多くの成果を上げたり、世の人々から成功したと称賛されるようなことをしたりするから喜ばれるのではなく、小さなことでも神様の命令に従順であることを、より一層喜ばれるのです。今日も主の前に従順であり、神様を喜ばせる聖徒として歩まれることを祝願いたします。

(ヘブル人への手紙 3:13-14, 現代訳) [13] 「今日」と言われている間、毎日互いに励まし合って、誰も罪の誘惑に陥って心を頑なにする者がいないようにしなさい。 [14] もし私たちが、最初に持った確信を最後まで固く保ち続けるなら、キリストが与えてくださるすべての祝福を豊かに受けて楽しむことができるのです。

 

 

 

劉漢(Liu Han, 1965-2015)漢龍グループ会長

 

 

 

人がこの世を生きる中で、ふと誤った世の中の価値観に従い、また自分の中の欲に従ってしまうと、その結果は幸福とは全くかけ離れた破滅の淵へと落ちていくことになります。世の中のすべての製品には取扱説明書があり、その説明書通りに使用してこそ、製品の性能が正しく発揮され、最善の結果をもたらすことができます。

 

 

劉漢(Liu Han, 1965-2015)漢龍グループ会長

 

これと同様に、神様も人を造られ、人が当然従うべき取扱説明書をくださいましたが、それがまさに聖書の御言葉です。この御言葉に従って生きるか、あるいは拒絶するかは私たちの選択に任されていますが、その結果については私たちが責任を負わなければなりません。申命記30章19節の御言葉です。

(申命記 30:19, カトリック訳) わたしは今日、天と地を証人に立て、命と死、祝福と呪いをあなたの前に置いた。あなたとあなたの子孫が生きるためには、命を選ばなければならない。

 

 

劉漢(Liu Han, 1965-2015)漢龍グループ会長

 

 

2015年2月9日、中国中部の湖北省では、犯罪組織の結成および殺人などの容疑で死刑を宣告された劉漢(Liu Han, 1965-2015)漢龍グループ会長と、その弟の劉維(Liu Wei, 1969-2015)ら5人が処刑されました。当時、彼の年齢は満49歳。1990年代に運送業と貿易業で事業を始めた劉漢(Liu Han, 1965-2015)は、1997年に中国南西部の四川省で法人グループ「漢龍」を設立し、会長に就任します。

 

 

劉漢(Liu Han, 1965-2015)漢龍グループ会長

 

彼は電気、エネルギー、金融、鉱山、不動産、警備分野の子会社を従える富豪であり、アメリカやオーストラリアの鉱山を買収し、7兆ウォン以上の巨万の富を蓄え、2012年にフォーブスが発表した中国の富豪148位にランクインすることもありました。そのため、経済専門誌フォーブスでは、彼を中国の「隠れた富豪」の一人に数えたりもしました。また、劉漢は四川省の政協3選委員、常務委員などを務め、政財界の有力者として定着します。

 

 

 

劉漢(Liu Han, 1965-2015)漢龍グループ会長

 

貧しい家に生まれ、学歴も芳しくなかった劉漢が、化学工場の労働者から始めて成功に至ったストーリーは、自力更生の模範と見なされ、慈善事業家としても名声が高かったです。しかし、それほど経たないうちに彼の二重生活が露呈しました。調べてみると、劉漢は数々の請負殺人を犯してきた暴力組織のボスでした。

 

 

劉漢(Liu Han, 1965-2015)漢龍グループ会長

 

 

結局、彼がライバル関係にある8人を殺害するなど、11の容疑がかかる犯罪を犯したことが明らかになり、劉漢は自身の組織員4人とともに死刑宣告を受けました。

 

 

 

劉漢(Liu Han, 1965-2015)漢龍グループ会長

 

 

劉漢が死刑執行を受ける前に家族と面会した際、彼は号泣しながら、李白よりも悲しく繊細な「詩のような言葉」を残しましたが、遺言となった彼の詩の言葉は名言として残りました。その内容は次の通りです。

 

 

劉漢(Liu Han, 1965-2015)漢龍グループ会長

 

「もう一度人生をやり直せるなら、露店や小さな店を開き、家族を世話しながら生きたいです。私の野心も、私の人生も、すべてが束の間であることを、あんなに厳しく生きなくてもよかったことを。風の言葉に耳を傾け、水のようにただ流れて生きてもよかったことを。

 

 

劉漢(Liu Han, 1965-2015)漢龍グループ会長

 

声を荒らげ、叫びながら、がむしゃらに生きなくてもよかったことを。一言飲み込み、水を一杯先に差し出し、優れたところばかりを量るのではなく、劣ったところも抱きしめながら、鏡の中の自分を見つめるように互いを憐れみ、恨んだり憎んだりせずに許して生きればよかった。

 

 

劉漢(Liu Han, 1965-2015)漢龍グループ会長

 

 

歳月の流れの中で、すべてが束の間の人生を生きているということを、流れる水は常に同じ場所にはいないということを、なぜ私だけが知らずに生きてきたのだろうか。立派な老松ではなくても、ただ雑木林の近くの野茨になって生きていってもよかったのに。何をどれほど富貴栄華を享受しようと、これまであくせく生きてきたのかわからない。

 

 

劉漢(Liu Han, 1965-2015)漢龍グループ会長

 

愛も綺麗に熟さなければならないことを、熟していない愛は苦くて痛いということを、綺麗な心で待たなければならないということを、若き日の私はなぜ知らなかったのだろうか。柿の木の熟柿(ホンシ)のように、私が私の中で柔らかく熟すことができていたならよかったのに。痛くても、冬の柿の木の枝先に残っていて、最後に去っていく風が伝える言葉だけでも聞けていたならよかったのに。」

 

 

劉漢(Liu Han, 1965-2015)漢龍グループ会長

 

そうです。 もし漢龍グループの劉漢(Liu Han, 1965-2015)会長が神様の御言葉を聞き、またその御言葉通りに生きていたならば、自分も命と祝福を享受し、世界も彼によってより明るくなっていたはずですが、彼は不幸にもそうしませんでした。

 

 

劉漢(Liu Han, 1965-2015)漢龍グループ会長

 

私たちは今日も、一度きりの人生を後悔なく生きるために神様の御言葉に従い、またこれを通じて天国に至る希望の人とならなければなりません。そして、まだ神様の御言葉を聞いていない人々に天国の福音を伝えることに励まなければなりません。このような聖徒になられることを祝願いたします。

(詩篇 91:9-11, 新改訳) [9] あなたが主を「私の避難所」と言い、いと高き方を自分の住まいとしたので、[10] わざわいはあなたにふりかからず、災難もあなたの天幕に近づかない。[11] 主があなたのすべての道であなたを守るように、あなたのために御使いたちに命じられるからである。


 

 

ダビデの息子で、幼くして王位に就いたソロモン王

 

 

私たちは人生の中で、目もくらむような困難に直면することがあります。たとえば、準備もできていない自分に、あまりにも大きな使命が与えられたとき、私たちはどうすればよいのでしょうか。ダ윗の十番目の息子であったソロモンが、自らを「小さな子供」と告白するほど幼い年齢で経験した王位継承は、まさにそのような状況だったでしょう。

 

 

 

ソロモンの夢に現れた神

 

十代後半という若さで王となったソロモンは、国家の経済や国防、外交、内政、そして私欲のために王を操ろうとする老練な家臣たちに囲まれ、悩みも多かったはずです。ソロモンは王位に就くとすぐに、モーセが荒野で作った聖幕と燔祭の祭壇があるギブオンの高き所に上り、神の前に一千頭の全焼のいけにえ(一千回献祭)を捧げて助けを求めました。

 

 

神から授かった知恵で国を治めたソロモン

 

 

そして、民を導くための知恵を求めました。そのようなソロモンの姿勢を心から喜ばれた神様は、彼が求めた知恵はもちろん、求めなかった富と誉れまでも添えてくださり、ソロモン王国はイスラエル史上、最も栄光ある時代を謳歌しました。今日、神の前に助けを求める聖徒と教会もまた、神の栄光を授かることになります。

 

 

フランクリン・ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt, 1882-1945)

 

 

1945年4月12日、アメリカの第32代大統領フランクリン・ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt, 1882-1945)が脳出血により急逝し、アメリカ国民は大きな衝撃に包まれました。ルーズベルト大統領は小児麻痺という困難を抱えながらも、アメリカ史上唯一、四期連続で大統領を務めた神話のような存在でした。

 

 

フランクリン・ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt, 1882-1945)

 

ルーズベルトが就任した1933年当時、アメリカは世界恐慌により国全体が混乱の渦にありましたが、彼は就任後、ニューディール政策などの大規模な公共事業を展開して失業者を救済し、経済改革を通じて国家経済を再生させました。

 

 

 

ハリー・S・トルーマン(Harry S. Truman, 1884-1972)

 

 

そして第二次世界大戦が勃発すると、連合国の首脳として戦争を勝利へと導きました。しかし、その戦争が続く最中に、ルーズベルトは突然この世を去ったのです。この悲報に誰よりも大きな衝撃を受けたのは、副大統領であったハリー・S・トルーマン(Harry S. Truman, 1884-1972)でした。

 

 

ハリー・S・トルーマン(Harry S. Truman, 1884-1972)

 

 

ハリー・トルーマンは、ミズーリ州出身の上院議員として副大統領に指名された人物でした。外交経験はほとんどなく、ルーズベルトのようなカリスマ性も乏しかったため、周囲の人々も彼にはあまり期待していませんでした。ルーズベルト大統領が亡くなったのは、四期目の任期が始まってわずか82日目のことでした。そのため、トルーマンは副大統領になってすぐに、突然大統領の重責を担うことになったのです。

 

 

 

ハリー・S・トルーマン(Harry S. Truman, 1884-1972)

 

トルーマン副大統領は大統領逝去の知らせを受け、大きな重圧を感じて記者たちにこう語りました。「空の月や星、そしてすべての惑星が私の上に落ちてきたような気分です。もし皆さんが一生に一度でも祈ることがあるなら、今、私のために祈ってください。」

 

 

ハリー・S・トルーマン(Harry S. Truman, 1884-1972)

 

 

トルーマンにとって、偉大なる前任者の後を継ぐことは言いようのないストレスでした。実際、在任期間中、彼は人々から多くの嘲笑と非難を浴びました。しかし、彼はその苦難の中で、日本への原子爆弾投下の決断を下し、終戦後の疲弊したヨーロッパ経済復興のためのマーシャル・プランも支援しました。

 

 

ハリー・S・トルーマン(Harry S. Truman, 1884-1972)

 

朝鮮戦争の際には、韓国への米軍派遣を決定し、最終的には再選も果たして、大統領としての職務を忠実に遂行しました。

 

 

ピーター・ドラッカー(Peter Drucker, 1909–2005)

 

 

その結果、「経営学の父」と呼ばれるピーター・ドラッカー(Peter Drucker, 1909–2005)は、2005年10月のフォーブス誌とのインタビューで、アメリカ史上最も偉大な大統領の一人にトルーマンを選びました。

 

 

 

ピーター・ドラッカー(Peter Drucker, 1909–2005)

 

トルーマンは自分をルーズベルトに比べて力不足だと考えていましたが、彼が徹底して神に依り頼んだ結果、神様はトルーマンをルーズベルトに勝るとも劣らない指導者として立ててくださったのです。

 

今日の御言葉をもう一度お読みします。
(詩篇 91:9, 11, 新改訳) [9] あなたが主を「私の避難所」と言い、いと高き方を自分の住まいとしたので、[11] 主があなたのすべての道であなたを守るように、あなたのために御使いたちに命じられるからである。

 

 

神の助けによって国を治めたソロモン

 

その通りです。神の前に膝をつく者は、人の前に膝をつかなくて済むようにしてくださいます。人間は弱い存在です。しかし、神を保護者とする人、家庭、そして国家は強いのです。自分自身の弱さを悟り、神を避ける岩、避難所として告白し、信頼するなら、神様はあなたの保護者となってくださいます。どうか、このような信仰に固く立ち、人生のすべての道で勝利される聖徒の皆様となりますよう、祝福してお祈りいたします。

 

 

(マラキ書 3:8-10, 新改訳) [8] 人は神のものを盗むことができようか。ところが、あなたがたはわたしのものを盗んでいる。しかも、あなたがたは言う。『どのようにして、私たちはあなたのものを盗んだでしょうか』と。それは、十分の一のささげ物と奉納物をもってである。[9] あなたがたは、ひどい呪いに呪われている。あなたがた、この民全体がわたしのものを盗んでいるからだ。[10] 十分の一のささげ物をすべて、倉に運び入れ、わたしの家に食物があるようにせよ。これによってわたしを試してみよ。――万軍の主は言われる――わたしがあなたがたのために天の窓を開き、あふれるばかりの祝福をあなたがたに注ぐかどうか。


 

 

 

私たちはしばしば、世の中の多くの人々が聖書をまるであたかも古い古文書のように見なしているのを目にします。彼らは聖書には良い徳談がたくさん込められているけれど、その大部分は今私たちが生きている現代には適用できないものだと考えています。

 

 

しかし、聖徒たちはすべての神様の霊的な法則は、いくら歳月が流れても変わることなく今も作動していると信じ、御言葉に従うことを通じて神様の働きを経験します。今日も神様の御言葉を信じて従うことで勝利する聖徒となられることをお祈りいたします。

 

 

 

Jack Hartman and his wife Judy Hartman

 

アメリカに Jack Hartman(1932-2023)という実業家がいました。1974年、ハートマンの会社は大きな財政的困難に陥り、再起の可能性がなくなりました。その時、彼は友人を通じてイエス様を信じるようになりましたが、それでも会社の財政状態は良くなりませんでした。

 

 

 

Jack Hartmanが財政に関する霊的な法則を悟り、執筆した著書

 

 

そこでハートマンは決心しました。「信じるなら、はっきりと信じよう! 聖書には間違いなく祝福の原理があるはずだ」。その時からハートマンは聖書を通じて、神様が豊かにしてくださる方法が何であるかを探しました。そのように集中的に聖書を研究してみたところ、聖書が語る富の法則は、結局「種をまくこと」であったということを知りました。

 

 

 

Jack Hartman(1932-2023)と彼の妻 Judy Hartman(1937-2019)

 

 

ハートマンはその時から涙ながらに種をまきました。そして聖書に出てくる財政に関連する句を小さなカードに書き、常に身につけて持ち歩きながら、聖書の御言葉通りに財政運営を行いました。時には会社の財政が苦しくても、変わることなく献金を捧げました。聖書の御言葉に従って霊的な種を植えることでした。

 

 

 

Jack Hartmanが財政に関する霊的な法則を悟り、執筆した著書

 

 

そのたびに秘書は言いました。「社長! こんなことをしていては、もっと早く潰れてしまいます」。ハートマンはその言葉を聞いても、当然すべき献金を諦めませんでした。もちろん、そのことは簡単なことではありませんでした。お金が急用な時は血の気が引くほどでした。

 

 

 

Jack Hartmanが財政に関する霊的な法則を悟り、執筆した著書

 

 

それでもハートマンが変ることなく献身すると、神様は不思議にも財政的な危機を乗り越えさせてくださり、結局会社も大きく繁栄させてくださいました。ですから、彼は今も世界各地を回りながら、聖書通りに生きれば祝福を受けるという事実を伝えています。彼が書いた本は1994年に韓国語でも翻訳されましたが、タイトルは「神様に財政問題を委ねなさい(Trust God for your finances)」で、ベダニ出版社から出版されました。

私たちが覚えるべき種まきの法則には7つがあります。

  1. 先にまいて、後で刈り取ります。刈り取るためには、まず種をまかなければなりません。そうしてこそ、収穫することができます。

  2. 種をまく前に畑を耕さなければなりません。種が根を下ろすためには準備ができていなければなりません。畑を耕さずに植えると、芽が出ても根を下ろすのが難しくなります。

  3. 時間が経ってこそ刈り取ることができます。どんな種もまいた直後に刈り取ることはできません。どんな事でも始めたからといって、すぐにその結果があることを期待してはいけません。

  4. まいた種がすべて実を結ぶわけではありません。10個まいたからといって、10個すべてから収穫できるわけではありません。したがって、すべての事に成功だけがあることを期待してはいけません。世の中で自分を好きだという人が10人のうち7人いれば、あなたは立派な人です。

  5. まいたものよりは、もっと多く刈り取ります。すべての種から収穫できなくても、結局は自分がまいたものよりはるかに多く刈り取ります。あまり焦らず、一喜一憂しないでください。

  6. 豆をまいたところには豆が生え、小豆をまいたところには小豆が生えます。したがって、どうせ植えるなら、尊く良い種を選んで植えなければなりません。そして、自分だけに良いものより、世の中に有益なものを植えなければなりません。

  7. 種子は残しておかなければなりません。冬にいくら飢えても、来年まくための種子は残しておかなければなりません。種子を食べてしまえば、何も収穫することができません。

 

 

十分の一献金は、神様に植える財政の種です。

 

 

使徒 Paul the Apostle(5-67)はコリント人への手紙第二で、種まきの法則についてこのように語りました。 (コリント第二 9:10, 新改訳) 種をまく人に種と食べるためのパンを備えてくださる方は、あなたがたにもまく種を備え、それを増やし、あなたがたの義の実を豊かにしてくださいます。

 

 

 

十分の一献金は、神様に植える財政の種です。

 

 

そうです。神様はまく者である私たちに、種と食べるための糧をくださると言われました。どちらも同じ穀物ですが、そのうちあるものは食べてもよい糧ですが、あるものは食べてはならず、植えて明日を期すべき種となります。絶対に種としてくださった十分の一を、自分の糧として食べてしまわないよう願います。

 

 

 

十分の一献金は、神様に植える財政の種です。

 

 

今日の本文の御言葉に、十分の一は聖徒が必ず植えなければならない種であると語られています。種をよく植えて、後日豊かに収穫される聖徒となられることをお祈りいたします。

(ルカ 5:4-6, 新改訳) [4] 話が終わると、シモンに言われた。「深みに漕ぎ出し、網を下ろして魚を捕りなさい。」 [5] するとシモンが答えて言った。「先生、私たちは夜通し苦労しましたが、何一つ捕れませんでした。でも、お言葉通りに網を下ろしてみます。」 [6] そして、その通りにすると、おびただしい数の魚が入り、網が破れそうになった。

 

私たちが信仰生活を送る際、神様は時として私たちの理性や知性を超えた従順を命じられることがあります。そうなると、私たちの心は葛藤に苛まれ、どうすべきか困惑してしまいます。しかし、そのような時に自分の判断を捨て、神様の御言葉を信じて従えば、驚くべき実を結ばせてくださいます。

 

 

 

ヨルダン川で身を洗うアラムの軍司令官ナアマン

 

 

列王記第二 5章を見ると、アラムの王の軍司令官ナアマンは、イスラエルの預言者エリシャに自分のツァラアト(重い皮膚病)を治してほしいと願い出ます。これに対し、エリシャはヨルダン川へ行って七回身を洗うように命じます。この言葉を聞いたナアマン将軍は、そのやり方が気に入らないと言って一々問い詰めます。

 

 

 

ヨルダン川で身を洗うアラムの軍司令官ナアマン

 

 

「私の考えでは、預言者がわざわざ出て来て、私の患部の上に手を振り、祈って治してくれると思っていたのに。それにヨルダン川で身を洗えだと? それならば、我が国ダマスコの川、アマナやパルパルは、イスラエルのどの川よりも優れているではないか」と、自分の判断を押し立てて憤ります。その時、幸いにもナアマンの家来たちが彼をなだめました。

(列王記第二 5:13, 聖書協会共同訳) ナアマンの家来たちが近づいて彼に言った。「父よ、あの預言者がもし、何か大変なことをするように命じたとしたら、あなたはなさったのではないでしょうか。まして、あの預言者があなたに『身を洗って、清くなれ』と言っただけではありませんか。」

 

その言葉を聞いて思い直し、エリシャを通して与えられた神様の御言葉に従ったナアマンは、病が完全に癒やされました。

 

 

 

ペテロに命じられるイエス様

 

 

本日の本文に登場する漁師ペテロも、明るい昼間には魚を捕ることができないという自身の長い経験や、先祖代々伝わってきた確固たる知識があるにもかかわらず、イエス様の御言葉に従います。

(ルカ 5:5, 新改訳) するとシモンが答えて言った。「先生、私たちは夜通し苦労しましたが、何一つ捕れませんでした。でも、お言葉通りに網を下ろしてみます。」

 

 

ペテロが従順したときに魚でいっぱいになった網

 

 

このようにペテロがイエス様の御言葉に従った時、網が破れ、舟二隻が沈みそうになるほど魚が捕れるという奇跡が起こりました。

 

 

 

デイビッド・ケープ(David Cape, 1945-)牧師

 

 

南アフリカ共和国にあるロビンヒルズ教会で成功した牧会を行っていたデイビッド・ケープ(David Cape, 1945-)牧師は、ある日突然、神様の御声を聞きました。「お前が牧会している場所を離れなさい。そして街へ出て行き、人々の足を洗いながら、しもべとして仕えた私の愛を示し、福音を伝えなさい。」

 

 

 

デイビッド・ケープ(David Cape, 1945-)牧師

 

 

彼はこの御言葉があまりにも当惑するような召命であったため、14ヶ月もの間、悩みながら祈りました。「この声は本当に神様の御心だろうか。」

 

 

 

『イエスのための愚か者』(On the road with Jesus)

 

 

ケープ牧師は著書『イエスのための愚か者(On the road with Jesus)』の中で、最初に神様の御声を聞いた時についてこのように述べています。「神様、人々が本当に自分の足を洗わせてくれるでしょうか、主よ。それは完全に馬鹿げたことです。いっそ地を割って私を飲み込ませてください。なかったことにできませんか。」

 

 

 

デイビッド・ケープ(David Cape, 1945-)牧師

 

 

 

彼は叫び出したいような心境になりました。しかし、彼は神様の御言葉に従わなければならないことを悟り、「愚か者にならなければならないなら『イエスのための愚か者』になろう」と決心し、結局すべての働きを置いて「街頭洗足事役」に従いました。

 

 

デイビッド・ケープ(David Cape, 1945-)牧師

 

 

ケープ牧師は「イエス様が洗われた足は幸せな足です」というフレーズが刻まれたTシャツを着て、十字架、たらい、水瓶、タオル、椅子など20kgを超える荷物を背負い、諸都市の隅々を歩きながら、主が命じられる場所ならどこへでも行って人々の足を洗う「洗足事役」を始めました。

 

 

 

デイビッド・ケープ(David Cape, 1945-)牧師

 

ケープ牧師は3,000kmを超える長い道のりを歩き、悪天候の中でも重い荷物を背負って数多くの逆境を通り抜けながら従順しました。その間、彼の妻と子供たちはトレーラーに乗って移動しながら彼のためにとりなしました。

 

 

デイビッド・ケープ(David Cape, 1945-)牧師

 

 

ケープ牧師は2年間、国家の元首、主要都市の市長、軍の将軍から、組織暴力団、アルコール依存症者、同性愛者、ハンセン病者に至るまで、主が心に示された人々の足を洗いました。

 

 

デイビッド・ケープ(David Cape, 1945-)牧師

 

 

すると驚くべきことに、その現場で超自然的な癒やしと回復の歴史が起こり始めました。壊れた家庭が回復し、アルコール依存症が癒やされ、組織暴力団員が足を洗ってもらったその場で主を受け入れ、彼と同行したりもしました。

 

 

南アフリカ共和国のピーテル・ウィレム・ボタ

(Pieter Willem Botha, 1916-2006)前大統領

 

 

彼は南アフリカ共和国のピーテル・ウィレム・ボタ(Pieter Willem Botha, 1916-2006)前大統領の足も洗いました。

 

 

デイビッド・ケープ(David Cape, 1945-)牧師

 

 

ケープ牧師は言います。「今までどれほど多くの人に高速道路や道で出会い、足を洗ったか分かりませんが、優に数千人にはなるでしょう。ただ、神様が教えてくださったことがあります。『神の国には成功も失敗もなく、ただ従順があるだけだ。一日に二、三十人の足を洗えば、その日は成功した日なのか。そうではない。神様は私たちの中心を見られる。』神様が望まれ、求めておられることが一つあるとするなら、それは私たちが神の子として従順することだ。」

 

 

 

デイビッド・ケープ(David Cape, 1945-)牧師

 

 

このように、神様は今日も御言葉に従う聖徒たちを通して働かれます。このような神様の霊的な原理は今も変わりません。今日も私たちが理解できなくても、主の命令に従えば多くの実を結ぶことができます。神様に従い、人生の中で驚くべき奇跡の実を結ばれる聖徒となりますようお祈りいたします。