(テモテへの手紙 第一 1:15, 現代訳) 「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人の中でも最たる者です。
「ダマスコへの途上でイエスに出会うパウロ」
(Paul the Apostle, AD 5-67)
私たちは福音の光に近づくほど、自分自身がいかに悪く、醜い存在であるかを深く悟るようになります。かつて自分のことを「律法による義については、非難されるところのない者」(ピリピ 3:6)と堂々と主張していたパウロ(Paul the Apostle, AD 5-67)は、ダマスコの途上で強烈な光とともにイエス様を体験して初めて、自身の真の姿に向き合うことになりました。
「ダマスコへの途上でイエスに出会うパウロ」
(Paul the Apostle, AD 5-67)
その光の下で、彼は自分がいかに頑なな迫害者であったかを悟り、生涯の最期の瞬間まで自分を「罪人のかしら」と告白し、そのような自分を救い出してくださったのは、ただ神様の全き恵みであったと賛美しました。
神様の恵みは時代を超え、20世紀のアメリカ・シカゴでもある青年の人生を根底から変えてしまいました。レイモンド・リリー(Raymond Lilly, 19世紀末-20세기 중반)という黒人青年は、当時、悪名高いシカゴの犯罪組織に関わっていた、乱暴で邪悪な人物でした。
彼にとって教会は嫌悪の対象であり、牧師は目障りな存在でした。ある日、彼は牧師を殴り殺そうという狂気に満ちた決心をし、一個のレンガを紙に包んで教会へと乱入しました。
牧師は死の影が迫っていることも知らず、切に説교をしていました。彼が教会に入った時に耳にした説教の本文は、「ルカの福音書15章の放蕩息子のたとえ」と「イエス・キリストの赦し」に関するものだったと伝えられています。その時、聖霊様は説教の御言葉を通して、リリーの頑なな心を容赦なく打ち砕かれました。牧師の頭を打とうとしたレンガは床に落ち、代わりに彼の傲慢な自我が砕かれました。その夜、殺人犯を夢見ていた青年は、イエス・キリストを受け入れ、新しく生まれ変わるという驚くべき恵みを授かったのです。
「世界最大級の慈善病院の一つであるシカゴ・クック郡病院」
それから年月が流れ、世界最大級の慈善病院の一つであるシカゴ・クック郡病院(Cook County Hospital)には、貧しく病める人々に献身的に仕える一人の牧者がいました。彼はその病院のチャプレン(Chaplain)として30年近く奉仕しました。
「世界最大級の慈善病院の一つであるシカゴ・クック郡病院」
彼は単に礼拝を捧げるだけでなく、誰も顧みない伝染病患者や路上生活者たちの足を自ら洗いながら福音を伝えました。人々は彼を指して「シカゴの黒人聖者」、あるいは「レンガの聖者」と呼びました。彼はかつて自分を打ち砕いたそのレンガを生涯、書斎の机の上に置き、このように告白していました。
「世界最大級の慈善病院の一つであるシカゴ・クック郡病院」
「このレンガは私が誰かを殺そうとした凶器でしたが、神様はこれを私の頑なな心霊を打ち砕く福音の金槌として用いてくださいました」
「世界最大級の慈善病院の一つであるシカゴ・クック郡病院」
彼が世を去った時、シカゴ市長をはじめ数千人の市民が葬儀に参列しました。黒人と白人が共に集い、彼の死を悼んだ出来事は、当時人種差別が激しかった社会に大きな響きを与えました。葬儀の日、礼拝堂に展示された彼の手垢のついたレンガの上には、彼が毎晩流した悔い改めと感謝の涙の跡が染み込んでおり、会葬者たちの心を熱く揺さぶりました。
このような恵みの記憶は、18世紀の大覚醒運動の主役であったジョージ・ホワイトフィールド(George Whitefield, 1714-1770)牧師にも見出されます。彼は数千人の炭鉱労働者と数百万の魂を神様へと導きながらも、常に自分が初めて回心した時のあの感激を忘れないよう努めました。彼は苦難が襲うたびに自身の無力さを告白し、ただ神様の絶対的な主権のみに拠り頼みました。
「世界最大級の慈善病院の一つであるシカゴ・クック郡病院」
愛する聖徒の皆様、神様の恵みを記憶する「初愛の場所」があるでしょうか。人生が苦しく、信仰が揺らぐたびに、資格のない自分を救ってくださったあの時間とあの場所を思い出してください。私たちを打ち砕き、新しく造りかえてくださった神様の恵みにしがみつき、再び力強く立ち上がる祝福された聖徒となりますよう、切にお祈りいたします。

























































































