(テモテへの手紙 第一 1:15, 現代訳) 「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人の中でも最たる者です。

 

 

「ダマスコへの途上でイエスに出会うパウロ」

(Paul the Apostle, AD 5-67)

 

私たちは福音の光に近づくほど、自分自身がいかに悪く、醜い存在であるかを深く悟るようになります。かつて自分のことを「律法による義については、非難されるところのない者」(ピリピ 3:6)と堂々と主張していたパウロ(Paul the Apostle, AD 5-67)は、ダマスコの途上で強烈な光とともにイエス様を体験して初めて、自身の真の姿に向き合うことになりました。

 

 

 

「ダマスコへの途上でイエスに出会うパウロ」

(Paul the Apostle, AD 5-67)

 

その光の下で、彼は自分がいかに頑なな迫害者であったかを悟り、生涯の最期の瞬間まで自分を「罪人のかしら」と告白し、そのような自分を救い出してくださったのは、ただ神様の全き恵みであったと賛美しました。

 

 

神様の恵みは時代を超え、20世紀のアメリカ・シカゴでもある青年の人生を根底から変えてしまいました。レイモンド・リリー(Raymond Lilly, 19世紀末-20세기 중반)という黒人青年は、当時、悪名高いシカゴの犯罪組織に関わっていた、乱暴で邪悪な人物でした。

 

 

彼にとって教会は嫌悪の対象であり、牧師は目障りな存在でした。ある日、彼は牧師を殴り殺そうという狂気に満ちた決心をし、一個のレンガを紙に包んで教会へと乱入しました。

 

 

牧師は死の影が迫っていることも知らず、切に説교をしていました。彼が教会に入った時に耳にした説教の本文は、「ルカの福音書15章の放蕩息子のたとえ」と「イエス・キリストの赦し」に関するものだったと伝えられています。その時、聖霊様は説教の御言葉を通して、リリーの頑なな心を容赦なく打ち砕かれました。牧師の頭を打とうとしたレンガは床に落ち、代わりに彼の傲慢な自我が砕かれました。その夜、殺人犯を夢見ていた青年は、イエス・キリストを受け入れ、新しく生まれ変わるという驚くべき恵みを授かったのです。

 

 

 

「世界最大級の慈善病院の一つであるシカゴ・クック郡病院」

 

 

それから年月が流れ、世界最大級の慈善病院の一つであるシカゴ・クック郡病院(Cook County Hospital)には、貧しく病める人々に献身的に仕える一人の牧者がいました。彼はその病院のチャプレン(Chaplain)として30年近く奉仕しました。

 

 

「世界最大級の慈善病院の一つであるシカゴ・クック郡病院」

 

彼は単に礼拝を捧げるだけでなく、誰も顧みない伝染病患者や路上生活者たちの足を自ら洗いながら福音を伝えました。人々は彼を指して「シカゴの黒人聖者」、あるいは「レンガの聖者」と呼びました。彼はかつて自分を打ち砕いたそのレンガを生涯、書斎の机の上に置き、このように告白していました。

 

 

「世界最大級の慈善病院の一つであるシカゴ・クック郡病院」

 

「このレンガは私が誰かを殺そうとした凶器でしたが、神様はこれを私の頑なな心霊を打ち砕く福音の金槌として用いてくださいました」

 

 

「世界最大級の慈善病院の一つであるシカゴ・クック郡病院」

 

彼が世を去った時、シカゴ市長をはじめ数千人の市民が葬儀に参列しました。黒人と白人が共に集い、彼の死を悼んだ出来事は、当時人種差別が激しかった社会に大きな響きを与えました。葬儀の日、礼拝堂に展示された彼の手垢のついたレンガの上には、彼が毎晩流した悔い改めと感謝の涙の跡が染み込んでおり、会葬者たちの心を熱く揺さぶりました。

 

 

このような恵みの記憶は、18世紀の大覚醒運動の主役であったジョージ・ホワイトフィールド(George Whitefield, 1714-1770)牧師にも見出されます。彼は数千人の炭鉱労働者と数百万の魂を神様へと導きながらも、常に自分が初めて回心した時のあの感激を忘れないよう努めました。彼は苦難が襲うたびに自身の無力さを告白し、ただ神様の絶対的な主権のみに拠り頼みました。

 

 

「世界最大級の慈善病院の一つであるシカゴ・クック郡病院」

 

愛する聖徒の皆様、神様の恵みを記憶する「初愛の場所」があるでしょうか。人生が苦しく、信仰が揺らぐたびに、資格のない自分を救ってくださったあの時間とあの場所を思い出してください。私たちを打ち砕き、新しく造りかえてくださった神様の恵みにしがみつき、再び力強く立ち上がる祝福された聖徒となりますよう、切にお祈りいたします。

 

(イザヤ 33:6, 新改訳) あなたの時代の安定、救いと知恵と知識の豊かさは、主を恐れること、これがその宝である。

 

 

「羊飼いの出身であったが、王となったダビデ」

 

私たちは人生において、しばしば世の中の価値基準で人を評価し、世の価値観に頼って成功しようとします。しかし、神様は神を恐れる者に救いと知恵、知識と平安を与え、自ら宝となってくださいます。神様は羊飼いを王に据え、最大強大国の総理にならせることもあります。神様がこのように用いられる人々の共通点は、主を恐れる信仰を持っていたということです。

 

 

「アメリカ第17代大統領アンドリュー・ジョンソン」

(Andrew Johnson, 1808-1875)

 

アメリカ第17代大統領アンドリュー・ジョンソン(Andrew Johnson, 1808-1875)は、神を恐れることで人生の逆境を乗り越えた代表的な人物です。彼は3歳の時に父を亡くし、ひどく貧しい幼少期を過ごしました。学校の門をくぐることさえできなかった彼は、14歳の時から仕立屋で見習いとして働き、生計を立てました。しかし、彼の心の中心には常に神への畏敬の念がありました。

 

 

 

「アメリカ第17代大統領アンドリュー・ジョンソン」

(Andrew Johnson, 1808-1875)

 

 

当時、彼は字が読めませんでしたが、学びへの渇望は非常に大きなものでした。そこで彼は、仕事をしている間、他の人にお金を払って聖書や歴史書、政治家たちの演説文を大きな声で読んでくれるよう頼みました。手では絶えず針仕事をしながら、耳では神の御言葉と世界を導く知恵を聞いていたのです。たとえ目で文字を読むことはできなくても、「聞くこと」を通じて信仰と知識を育み、その信仰と知識が後に彼を霊的な巨星へと成長させました。

 

 

「アメリカ第17代大統領アンドリュー・ジョンソンの妻、エリザ・ジョンソン」

(Eliza McCardle Johnson, 1810-1876)

 

 

このように神を慕い求めて仕えたジョンソンに、神様は彼の人生に大きな祝福を授けられました。その一つが妻エリザ(Eliza McCardle Johnson, 1810-1876)との出会いです。ジョンソンが18歳、妻のエリザが16歳の時に結婚しましたが、当時ジョンソンは自分の名前さえ満足に書けない状態でした。

 

 

「アメリカ第17代大統領アンドリュー・ジョンソン」

(Andrew Johnson, 1808-1875)

 

 

結婚後、妻のエリザは仕立屋で夫が針仕事をしている傍らに座り、文字と算術を教えました。夫は生計のために服を作り、妻は夫の未来のために知識を植え付けたのです。これについてジョンソンは後年、「私の妻は人生で最大の師であり、神様が送ってくださった最も貴い贈り物だった」と告白しました。

 

 

「アメリカ第17代大統領アンドリュー・ジョンソン」

(Andrew Johnson, 1808-1875)

 

 

また、ジョンソンは誠実な人でした。後に彼が政治家となり大衆の前に立った時、人々は彼を「仕立屋上がり」と蔑み、卑しめました。しかし、ジョンソンはこれを恥とせず、自身の過去を堂々と明らかにしました。大統領候補時代の演説中、誰かが彼の卑しい出自をあざ笑うと、彼はこう言いました。「私が仕立屋だった時、私が作った服はただの一度も縫い目がほころびたり、お客様を失望させたりしたことはありませんでした。私は一針一針を縫うごとに、神様の前で正直に最善を尽くしました。今、その正直さと誠実さをもって国を治めます」と語り、人々を感動させました。

 

 

「アメリカ第17代大統領アンドリュー・ジョンソン」

(Andrew Johnson, 1808-1875)

 

ジョンソンはこのような誠実さと信仰を土台に政界入りし、知事や上院議員を経て、ついにエイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln, 1809-1865)大統領を補佐する副大統領の座にまで上り詰めました。リンカーン大統領の突然の崩御後、ジョンソンは大統領職を継承することになります。当時、政敵たちは彼の学歴を非難しましたが、ジョンソンはイエス・キリストの生涯を手本として堂々と立ち向かいました。

 

 

「アメリカ第17代大統領アンドリュー・ジョンソン」

(Andrew Johnson, 1808-1875)

 

 

また、彼の在任中、国務長官ウィリアム・スワード(William H. Seward, 1801-1872)と共に断行したアラスカ購入は、神様が与えてくださった知恵の結果でした。当時は非難を浴びましたが、結果的にアメリカの巨大な資産となったこの決断は、主を恐れる者に与えられる先見の明がいかに偉大であるかを示しています。

 

ロシアはこのアラスカを二束三文で売り払い、今に至るまで後悔し嘆いています。未来を見据える政治家の先見の明は、一国の興亡を左右すると言えるでしょう。今日、イザヤは主を恐れることが私たちの宝であると言いました。今日も神様を尊ぶとき、神様があなたを尊い存在にしてくださる聖徒の皆様と、貴いご家庭となりますよう祝福いたします。

 

(コロサイ 2:3, 聖書協会共同訳) このキリストの中に、知恵と知識の宝がすべて隠されています。

 

 

傘立てとして使われていた陶磁器が、中国の秘宝(お宝)であることが判明しまし

 

 

私たちは人生において、時としてある物の真の価値を知らずに、疎かに扱ってしまうことがあります。納屋で埃をかぶっていた絵が、実は巨匠の作品だと判明して数十億円の値がついたり、居酒屋で灰皿として使われていた器が、とてつもない価値のある遺物だと分かって世界的なニュースになったりもします。

 

イエス様は、ご自身の血ですすぎ洗い清めた亜麻布の衣をあなたに着せ、

天国へと導いてくださいます

 

では、私たちの人生において最も価値のある宝とは、一体何でしょうか。羊にとって牧者が命のように大切であるように、私たちの人生にはイエス・キリストが命よりも大切です。使徒パウロはコロサイの信徒への手紙2章3節を通して、「その中には、知恵と知識の宝がすべて隠されている」と宣言しました。

 

 

 

アメリカのアラスカ州 (Alaska)

 

この「隠された宝」の価値をよく表している歴史的な事件があります。アメリカのアラスカ州買収事件です。アラスカの面積は約171万$km^2$に達し、これはアメリカ本土の5分の1に該当し、朝鮮半島の約7.7倍、韓国の面積の約17倍にもなる広大な土地です。1867年、アメリカはこの地をロシアから720万ドルで買い取りました。

 

 

国務長官 ウィリアム・ヘンリー・スワード 

(William Henry Seward, 1801-1872)

 

当時、アメリカ議会は国務長官の**ウィリアム・ヘンリー・スワード(William Henry Seward, 1801-1872)アンドリュー・ジョンソン(Andrew Johnson, 1808-1875)**大統領を召喚し、猛攻撃を浴びせました。何の役にも立たない巨大な氷の塊を、巨額の資金を投じて買ったという理由からでした。当時のアメリカ国民はこのことを、スワード長官の名を取って「スワードの愚行(Seward's Folly)」あるいは「スワードの冷蔵庫(Seward's Icebox)」と呼んで嘲笑しました。

 

 

国務長官 ウィリアム・ヘンリー・スワード 

(William Henry Seward, 1801-1872)

 

非難する議員たちはこう叫びました。「この愚かな人よ!そんなに氷が必要なら、冬にミシシッピ川の氷を割って奥の間にでも置いておけばいいものを、なぜあんな遠くの無用な土地を720万ドルも出して買ったのか?」

 

 

国務長官 ウィリアム・ヘンリー・スワード 

(William Henry Seward, 1801-1872)

 

しかし、時が経つにつれて大逆転が起こりました。買収から約13年後の1880年、アラスカで金鉱が発見されたのを皮切りに、白金や銅などの凄まじい地下資源が次々と見つかったのです。調査の結果、そこは単なる氷の倉庫ではなく、無尽蔵の石油が埋蔵された資源の宝庫であり、豊かな漁場と鬱蒼とした森林を持つ宝物蔵であることが分かりました。嘲笑されていた720万ドルの投資が、人類史上最も利益の大きい取引の一つとなったのです。

 

 

国務長官 ウィリアム・ヘンリー・スワード 

(William Henry Seward, 1801-1872)

 

アラスカが見た目には冷たい氷の地のようでありながら、その中に宝を抱いていたように、イエス・キリストの中には、私たちが想像もできないほどのあらゆる宝が満ちています。その価値を知る人は、世の中のいかなる代価を払ってでも、イエス様を自分の中に迎え入れようとします。しかし、外見だけを見る人はその価値を悟ることができず、鼻で笑って通り過ぎてしまうでしょう。

 

預言者イザヤは、「その日、エッサイの根からひとつの芽が出て、諸国の民の旗として立ち、諸国の民は彼を尋ね求める。彼のとどまるところは輝く(イザヤ 11:10)」と語りました。この約束のように、イエス様がおられる人生は輝かしいものとなります。イエス様がおられる家庭や社会、国もまた輝かしくなります。何よりもイエス様は、私たちを永遠の天国へと導く真の命の道なのです。

 

 

今日も霊の目が大きく開かれ、私たちの人生の最も貴い宝であるイエス様を尊んでお迎えすることで、勝利する聖徒の皆様となりますよう、切にお祈りいたします。

 

(詩編 119:71-73、新共同訳) [71] 苦しみにあったことは、わたしに幸せでした。それによって、わたしはあなたの掟を学びました。[72] あなたの口から出る教えは、何千もの金銀にまさって、わたしに幸いをもたらします。[73] あなたの手がわたしを造り、固く立たせてくれました。わたしに悟りを与え、あなたの戒めを学ばせてください。


 

 

ユダの荒野

 

私たちは人生において、常に平安で豊か、かつ安楽な生活を送ることを望みます。しかし、もしそのような生活だけが続くならば、私たちは霊的に成長したり成熟したりすることができず、ともすれば傲慢になったり、他人の苦痛を理解できない無情な人間になってしまうかもしれません。それゆえ、数多くの神の人は「荒野の学校」という特別な苦難の過程を経て初めて、神の尊い道具として用いられるようになるのです。

 

 

王になると油を注がれるダビデ

 

聖書の中の人物たちもそうでした。少年ダビデは、将来王になるという預言者サムエルの預言と油注ぎを受けたにもかかわらず、その後約13年間、毎日が生死の境をさまようような苦難の中で練りられました。

 

 

兄たちに裏切られ、売られていくヨセフ

 

 

敬虔なヨセフもまた、太陽と月と星が自分にひれ伏すビジョンを夢で見ましたが、その夢が実現するまでには22年という長い年月が必要でした。そのうち13年は、奴隷や囚人の身分としてどん底の苦難を耐え忍ばなければならなかった時間でした。詩編の作者は告白します。「苦しみにあったことは、わたしに幸せでした。それによって、わたしはあなたの掟を学びました(詩編 119:71)。」

 

 

アーノルド・ジョゼフ・トインビー

(Arnold J. Toynbee, 1889~1975)

 

世界的な歴史家アーノルド・ジョゼフ・トインビー(Arnold J. Toynbee, 1889~1975)は、人類の歴史を「挑戦と応戦(Challenge and Response)」の記録であると定義しました。外部の過酷な環境(挑戦)に直面したとき、それに屈することなく応戦する文明だけが生き残り、発展するという原理です。この原理を説明するときによく引用される有名な「ニシンとナマズ」の例え話があります。

 

 

北海のナマズ

 

北海でニシン漁をする漁師たちの最大の悩みは、捕ったニシンを遠く離れたロンドンまで、いかに新鮮なまま運ぶかということでした。ほとんどのニシンは運搬中に水槽の中で死んでしまいましたが、ただ一人の漁師だけはニシンを生きたまま運び、大きな利益を得ていました。同僚たちの切実な問いに、彼はついに秘密を打ち明けました。

 

 

北海のニシン

 

「私はニシンを入れた水槽に、ナマズを一匹ずつ入れます。」

 

 

北海のニシン

 

驚いた漁師たちが、ナマズがニシンを食べてしまわないかと尋ねると、彼は答えました。「はい、ナマズがニシンを数匹食べてしまいます。しかし、数百匹の他のニシンたちは、そのナマズに捕まらないようにと、ロンドンに到着するまで必死に泳ぎ回り、逃げ惑います。その緊張感と動きが、ニシンたちを最後まで生きながらえさせるのです。」

 

 

北海のナマズ

 

 

安楽な水槽の中で徐々に死んでいくニシンではなく、ナマズという「試練」を前にして躍動的に生き動くニシンの姿は、私たちの信仰の旅路と似ています。トインビー(Arnold J. Toynbee, 1889~1975)が洞察したように、一つの国や個人を健全に維持する力は、安逸さからではなく、適切な緊張と苦難に対する応戦から生まれるのです。

 

 

アーノルド・ジョゼフ・トインビー

(Arnold J. Toynbee, 1889~1975)

 

時に神様は、私たちが望まない苦難や試練を許されることがあります。もしこれが私たちの罪や過ちによるものではなく、自分を練り清められる神様の摂理であるならば、私たちは落胆の代わりに感謝を選択すべきです。その苦難という名のナマズが、私たちを霊的に眠らせず、より深い信仰の真理を発見させる祝福の通路となるからです。この練り清めの過程を通じて、神様の完全な道具として新しく生まれ変わることを、主の御名によってお祈りいたします。

 

(ルカ 12:42-44、新共同訳) [42] 主は言われた。「主人が、時に応じて食べ物を分配させるために、召し使いたちの上に立てる忠実で賢い管理人は、いったいだれであろうか。[43] 主人が帰って来たとき、言いつけられたとおりにしているのを見られる僕は幸いである。[44] 確かに言っておくが、主人は彼に全財産を管理させるにちがいない。」


 

 

明心寶鑑

 

よく、この世を生きる私たち一人ひとりには使命があると言われます。「使命」とは、命を使って使い(任務)を果たすという意味です。そのため、福音を知らず人生の真の真理を知らなかった昔の聖賢たちでさえ、私たちの人生には何らかの意味と使命があると信じていました。

 

 

明心寶鑑

 

『明心宝鑑』の省心篇にも「地不長無名之草」とあり、地は名前のない草を育てないと言っています。取るに足らないように見える雑草でさえ、天が与えた存在理由があるということです。ましてや、神の御言葉に従って生きる聖徒たちには、どれほど大きな使命と責任があることでしょうか。

 

 

ダニエル・ウェブスター(Daniel Webster, 1782-1852)

 

 

ダニエル・ウェブスター(Daniel Webster, 1782-1852)は、アメリカ最高の演説家、法律家、政治家、そして指導者として尊敬されている人物です。彼は下院議員だけでなく上院議員も二度務め、アメリカの三人の大統領(ハリソン、タイラー、フィルモア)の下で国務長官を歴任した有能な人物です。彼の演説は今もアメリカの歴史に大きな影響を与えた演説として敬われており、彼が残した様々な分野の業績は消えることなく記憶されています。

 

 

ダニエル・ウェブスター(Daniel Webster, 1782-1852)

 

ある日、著名人25人だけを招待してウェブスター(Daniel Webster, 1782-1852)のための名誉晩餐会が開かれたとき、一人の人物が彼に尋ねました。「ウェブスターさん、あなたの生涯において心に最も深く刻まれた素晴らしい考えは何ですか?」

人々は皆、大きな期待を持って彼を見つめました。するとウェブスター(Daniel Webster, 1782-1852)はこう答えました。

 

 

ダニエル・ウェブスター(Daniel Webster, 1782-1852)

 

「私の心に浮かんだ最も偉大な考えは、神様の前で私に与えられた責任です。」こう言いながら、彼は溢れる涙を抑えることができませんでした。ウェブスター(Daniel Webster, 1782-1852)は客人に断りを入れて、一度外に出て心を落ち着かせてから戻ってきました。そして約30分間にわたり、私たち人間が持つ創造主なる神様に対する崇高な責任について語り続けました。

 

今日、私たちは自分をこの地に送り出し、自分を通して栄光を現したいと願っておられる神様の前で、自分に与えられた使命と責任が何であるかを考えなければなりません。そしてそれを成し遂げられるよう、知恵と能力を求め、情熱を尽くして全うすべきです。そうしてこそ、私が世を去るとき、私によって世界がより明るくならなければならないのです。

 

 

デイヴィッド・リヴィングストン

(David Livingstone, 1813-1873)

 

デイヴィッド・リヴィングストン(David Livingstone, 1813-1873)が世を去った後、アフリカの人々が彼を偲んで残した言葉があります。「あなたが来られる前、私たちは暗闇の中に生きていましたが、あなたが行かれた後、私たちは光の中に生きています。」私たちは皆、この地を一時的に通り過ぎる旅人です。しかし、私たちが留まった場所には、リヴィングストン(David Livingstone, 1813-1873)のように福音の光が残らなければなりません。

 

 

デイヴィッド・リヴィングストン

(David Livingstone, 1813-1873)

 

私たちが生きている間、キリストの弟子となり、この地に種のように蒔かれて良い実をたくさん結ぶ聖徒となられることを、切にお祈りいたします。

 

 

(マタイ 7:6、新共同訳) 聖なるものを犬に与えてはならない。また、真珠を豚に投げてはならない。それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたをかみ裂くかもしれない。


 

 

私たちが世の中で大切だと思っていた多くのものが、実は無価値なものであることが判明したり、逆に疎かにしていたものが、後になって金よりも貴いものだと分かることがあります。

 

 

アメリカのサドルバック教会を設立したリック・ウォレン牧師

(Richard Duane Warren, 1954~ )

 

 

 

 

アメリカのサドルバック教会を設立したリック・ウォレン(Richard Duane Warren, 1954~ )牧師は、その著書『人生を導く目的』(The Purpose Driven Life)の中で、世の栄光のはかなさを示すあるアスリートのエピソードを紹介しています。

 

 

 

 

その選手は学生時代に優勝トロフィーを手にし、学校や地域社会のヒーローとして崇められました。しかし、卒業から数年後、母校から連絡を受けます。「トロフィー展示室を改装し、古いものを整理しているので、本人のトロフィーを持って帰りたければ持っていってください」という内容でした。

 

 

彼が学校を訪れて目にしたものは、かつてあれほど誇らしく大切にしていた栄光の象徴ではなく、埃が積もり色あせた古い鉄くずに過ぎませんでした。彼はそのみすぼらしいトロフィーを見て、世の中が与える名誉がいかに虚しいものかを痛切に悟ります。そうです。私たちの人生は短いです。その短い人生の間、私たちはすぐに消え去るものではなく、永遠に変わらない「本当に大切なもの」を見つけ、握りしめなければなりません。

 

 

アメリカの大文豪マーク・トウェイン

(Mark Twain, 1835-1910)

 

 

アメリカの大文豪マーク・トウェイン(Mark Twain, 1835-1910)の事例は、私たちにまた別の教訓を与えてくれます。彼は生前、いくつもの発明事業に莫大な資金を投資しました。

 

 

アメリカの大文豪マーク・トウェイン

(Mark Twain, 1835-1910)

 

当時の金額で約30万ドルから50万ドルに達する巨額を投じましたが、これは今日の価値に換算すると数百億円に及ぶ莫大な資金でした。しかし、残念ながら彼が投資した先は、そのほとんどが実用性のないもので、大きな損失を出し破産寸前まで追い込まれました。

 

 

 

アレクサンダー・グラハム・ベル

(Alexander Graham Bell, 1847-1922)

 

 

そんなある日、電話を発明したアレクサンダー・グラハム・ベル(Alexander Graham Bell, 1847-1922)が彼を訪ねてきました。ベルは自身の発明品を見せ、わずか25ドルで事業の株式を引き受けるよう提案しました。

 

 

アメリカの大文豪マーク・トウェイン

(Mark Twain, 1835-1910)

 

しかし、すでに何度も投資に失敗していたマーク・トウェイン(Mark Twain, 1835-1910)は、「糸筋を通じて声が伝わる」という言葉を信じず、電話の可能性を冷淡に無視してしまいました。後世、人類の生活を変えた必需品となった電話を見抜くことができず、彼はつまらないものには全財産を費やしながら、真の宝には25ドルさえ投資しなかったのです。

 

 

今日、私たちの人生における最も大切な宝は、永遠の命を与えてくださる神の御子、イエス・キリストです。主が与えてくださる福音こそが、真の命です。イエス様は天国へと導く唯一の道であり、全人類があれほど探し求めてきた永遠の真理です。

 

世の中の古びていくトロフィーや消えゆく財宝に心を奪われることなく、イエス・キリストを見分けることができる「霊的な目」を私たちが持っていることこそが、真の幸いです。この宝をしっかりと握りしめる信仰の持ち主となられるよう願います。さらには、私たちが生きている間、この命のイエス様をより多くの人々に伝える祝福された聖徒となられることを、切にお祈りいたします。

 

 

(ルカ 19:44) また、あなたと、その中にいるあなたの子らとを地にたたきつけ、石の上に一つの石も残さないであろう。それは、あなたが、顧みられる時を知らないでいたからである」。


 

 

今日、私たちはキリストの福音を軽んじ、教会を嘲笑し、福音を伝える人々を無視する時代を生きています。神に敵対する人々は、あたかも自分たちの無礼な態度や行動が当然の権利であるかのように、意気揚々と振る舞います。

 

 

 

ノアの方舟建設をあざ笑う人々

 

 

しかし、聖書ははっきりと警告しています。彼らの結末は決して軽いものではなく、私たち聖徒は福音を伝える中で、彼らの反応に落胆してはなりません。

 

 

 

ヤシャルの書

 

 

聖書の中でも引用されている古代文献『ヤシャルの書(Book of Jasher)』の記録を見ると、ノアの洪水が始まる時の緊迫した場面が描写されています。

 

 

 

洪水に飲み込まれながら、方舟の前で嘆く人々

 

 

洪水がついに地を覆い始めると、ようやくノアの警告が事実であることを悟った数万の人々が方舟の前に押し寄せました。その時、ノアは彼らに向かってこのように答えました。

 

 

洪水に飲み込まれながら、方舟の前で嘆く人々

 

 

「あなた方はなぜ、120年もの間、神が伝えられた御言葉を聞かずに無視したのですか?」

 

 

 

洪水に飲み込まれながら、方舟の前で嘆く人々

 

彼らはその時になってようやく泣き叫び、悔い改めましたが、すでに恵みの門は閉じられ、手遅れでした。彼らは無理にでも方舟に乗り込もうとしましたが、神は彼らを退けられました。審判の日に、悔い改めのない嘲笑の代償がいかに悲惨であるかをよく物語っている場面です。

 

 

 

ドルイド教徒

 

 

このような歴史的教訓は、18世紀のアメリカでも繰り返されました。皆さんは「ドルイド(Druid)」という名を掲げた集まりをご存知でしょうか。本来、古代ドルイドはケルト族の司祭であり知識人階級で、自然を崇拝し、魂の輪廻を信じる汎神論的な思想を持っていました。1700年代、イギリスでロマン主義の熱風とともに彼らの精神を継承しようとする動きが起こり、その影響力はアメリカにまで及びました。

 

 

 

ドルイド教徒

 

 

ところが当時、ニューヨークのニューバーグ(Newburgh)地域には、ドルイドという名を掲げてキリスト教を露骨に嘲笑し、冒涜していた極端な無神論団体「ニューヨーク・ドルイド結社(Druidical Society)」が存在していました。有名なハミルトン牧師はこの団体について、衝撃的な報告を残しています。

 

 

 

ドルイド教徒

 

 

「36人の会員で構成されたこの団体の目的はただ一つ、『イエス・キリストを信じる信仰を妨害し、冒涜すること』でした。ある時、彼らは集まって聖書を焼き、犬に洗礼を施し、聖餐式を真似るなど、言葉では言い表せないほどの極端な神聖冒涜を犯しました。

 

 

 

ドルイド教徒

 

 

しかし、神の公義は即座に下されました。まさにその日の夜、団体の会長が激しい苦痛の中で急死し、翌朝には別の会員も息を引き取りました。それだけではありません。その後5年の間に、8人が撃たれて死に、2人は餓死し、7人は断頭台で、残りは溺死、自殺、凍死などで、36人全員が悲참な最期を遂げたのです。」

 

 

神のみことばである聖書

 

 

聖書は私たちに明白に宣言しています。

(ガラテヤ 6:7) まちがってはいけない。神はあざけられるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。

 

 

 

神のみことばである聖書

 

 

神を思いや言葉、行動で侮る人は、結局その人がまいた通りに報いを受けることになります。ですから、私たちは常に神を恐れ(Holy Fear)、その方の細やかな勧告に耳を傾けなければなりません。自分のこだわりと高慢を捨てて神を尊ぶとき、主はその豊かな知恵と知識と愛をもって、私たちの人生を最も善い道へと導いてくださるでしょう。

 

 

神様、私はあなたの助けが必要です

 

 

今日も主の御前に進み、その方の導きが必要であると謙遜に告白してください。神の慈しみ深い助けが、聖徒の皆様の人生と共にありますように。人生の険しい航路の中でも、ただ主だけに寄り頼んで勝利し、ついに永遠の天国の宴に皆が預かれることを、主の御名によって切にお祈りいたします。

 

 

(使徒 24:25, 新改訳) パウロが正義と自制と将来の審判について論じていると、フェリクスは恐ろしくなり、「今は去ってよい。折を見て、また呼ぶことにしよう」と答えた。

 

 

 

ユダヤ総督フェリクスに福音を語る使徒パウロ

 

 

私たちは人生において, 物事を先延ばしにすることが多々あります。「今すぐでなくても、また機会があるはずだ」と言い訳をし、聖霊の勧告に従うことを遅らせてしまうのです。しかし、神様が心に負担感(促し)を与えてくださったときは、即座に従うことを習慣にしてください。本日の本文に登場するフェリクス総督とその妻ドルシラは、いたずらに先延ばしにした結果、一生に一度しかなかったかもしれない救いの機会を永遠に逃してしまいました。

 

 

 

R. A. トーリー(Reuben Archer Torrey, 1856-1928)

 

 

一般にR. A. トーリー(Reuben Archer Torrey, 1856-1928)として知られるルーベン・アーチャー・トーリー(Reuben Archer Torrey, 1856-1928)牧師は、アメリカのムーディー聖경学院(Moody Bible Institute)の院長を歴任した、キリスト教界の偉大な「たいまつ」のような方です。聖霊の働きと祈りの人として有名だったトーリー牧師には、驚くべき逸話が数多く残されています。

 

 

 

シカゴにあるムーディー聖書学院

 

 

その一つを紹介しましょう。トーリー牧師がムーディー聖書学院の院長を務めていた頃、学校はしばしば財政的な困難に直面しました。ある時、会計担当者が牧師のもとに駆け寄り、切羽詰まった様子で言いました。 「先生、今すぐお金が入らなければ、明日の朝、学生たちに与えるパンさえ買えません!」 

 

 

 

R. A. トーリー(Reuben Archer Torrey, 1856-1928)

 

それを聞いたトーリー牧師は慌てることなく、静かに書斎へと入っていきました。そして数時間、ただ神様だけに祈りで縋りつきました。彼は人に助けを求める代わりに、「神の仕事は神の方法で供給される」という信仰を持っていました。

 

 

 

R. A. トーリー(Reuben Archer Torrey, 1856-1928)

 

トーリー牧師が祈りを終えて出てくると、一人の見知らぬ紳士が学校を訪ねてきました。彼は「突然、ムーディー学院に献金しなければならないという強い心の感動を受けました」と言い、多額の小切手を差し出しました。その金額は、驚くべきことに必要としていた財政額と正確に一致していました。トーリー牧師は生涯この逸話を伝えながら、「祈りは天の倉を開く鍵である」と強調しました。

 

 

 

R. A. トーリー(Reuben Archer Torrey, 1856-1928)

 

 

もう一つの逸話は、トーリー牧師がイギリスのブライトンで伝道集会を開いた時のことです。当時、トーリー牧師の集会を手伝い、その説教に大きな恵みを受けていたある信徒が、レストランで夕食をとることになりました。彼は自分に注文を聞き、給仕をしてくれるウェイターを見て、なぜか彼に福音を伝えたいという強い思いに駆られました。

 

 

 

 

R. A. トーリー(Reuben Archer Torrey, 1856-1928)

 

 

しかし、「私のような者が伝道なんて……」という思いや、場所の決まり悪さから、申し訳ない気持ちを抱きつつも食事を終えました。店を出ようとしたとき、どうしても心が痛み、「やはり一言だけでも伝えなければ」と思い直し、再び店の中へと戻りました。彼はそのウェイターが出てくるのを切に待ちました。

 

その様子を見た店主が出てきて、何を待っているのかと尋ねました。彼が自分を給仕してくれたウェイターを待っているのだと答えると、店主は悲痛な表情で言いました。 「お客さん、もう遅すぎます。そのウェイターは、あなたへの給仕を終えた後、2階へ上がって自ら命を絶ってしまいました。」

 

 

 

ユダヤ総督フェリクスに福音を語る使徒パウロ

 

 

パウロの福音を聞いたフェリクス(Antonius Felix, ? ~ ?)は、奴隷の身分からローマの総督にまで上り詰めた人物で、残酷さと貪欲さで悪名高い不義な男でした。その妻ドルシラ(Drusilla, AD 38 ~ AD 79)は、ヘロデ・アグリッパ1世の娘であり王族でしたが、代々悪名高いヘロデ家の呪いの下にいた人物でした。

 

 

ユダヤ総督フェリクスに福音を語る使徒パウロ

 

 

カイサリアの総督官邸に監禁されていたパウロ(Paul the Apostle, AD 5 ~ AD 67)は、彼らにとって最も必要な御言葉を伝えました。 「パウロが正義と自制と将来の審判について論じていると……」(使徒 24:25)。

 

今すぐ神様に従いましょう

 

 

しかし、彼らは先延ばしにし続け、パウロと同じ場所に2年間もいながら、結局、救いの道を逃してしまいました。今日、私たち一人ひとりが、神様が感動をもって勧告される導きを決して逃すことのないよう、即座に従うことで応える聖徒となることを切に願います。

 

(箴言 16:3) あなたのなすべきことを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画は成功する。

 

 

 

忙しい人生の中で, 助けが必要ではありませんか?

 

 

私たちの知識や経験は, この複雑な世の中を勝利をもって生き抜くには十分ではありません。世の中には, 私たちが予測できないことや, 知っていたとしても自分の力では負いきれないことがたくさんあります。そのような世界で自分の力だけで勝とうとするのは, 非常に愚かなことかもしれません。

 

 

 

「羊が羊飼いを必要とするように、人生にはイエス様が必要です。」

 

しかし, 私たちには助けがあります。私たちの牧者である神様は, 人生の計画とすべての過程を神様にゆだねなさいとおっしゃっています。

 

 

 

フェリックス・メンデルスゾーン

(Jakob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdy, 1809–1847)

 

私たちがよく知るフェリックス・メンデルスゾーン(Jakob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdy, 1809–1847)は, 19世紀ドイツが生んだ世界的な作曲家であり, ピアニスト, 指揮者です。彼は9歳でピアニストとして初舞台に立ち, 10歳で作曲を始め, 10代ですでに作曲家として名を馳せました。

 

 

 

フェリックス・メンデルスゾーン

(Jakob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdy, 1809–1847)

 

 

メンデルスゾーンの天才性を明確に示す例の一つが, 17歳で作曲した管弦楽のための序曲《真夏の夜の夢》です。1826年, 17歳の彼はシェイクスピアの戯曲を読み, 深いインスピレーションを受けてこの曲を書きました。驚くべきことに, この曲は単なる習作ではなく, すでに完成された大家の腕前を示していました。当時の批評家たちは, 17歳の若者が書いたとは信じられない「天才的な霊感と完璧なオーケストレーション」に驚嘆しました。

 

 

フェリックス・メンデルスゾーン

(Jakob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdy, 1809–1847)

 

 

また, メンデルスゾーンは凄まじい絶対音感と音楽的記憶力を持っていました。ある日, 彼がピアノを弾いていた際, 突然オーケストラのすべての楽器の音を真似し始めました。演奏が終わると, 隣にいた友人が「楽器が一つ足りないのではないか?」と尋ねました。

 

メンデルスゾーンは少し考えた後, 「ああ, オーボエが抜けていたね」と正確に答えたといいます。このように, 彼は複雑なオーケストラの総譜をわずか数回見ただけで暗記することができ, それは指揮者として活動する際, 楽譜なしで完璧に指揮する能力の土台となりました。

 

 

 

フェリックス・メンデルスゾーン

(Jakob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdy, 1809–1847)

 

 

この偉大な音楽家メンデルスゾーンが, ドイツのある小さな村の古い教会を訪れた時のことです。礼拝堂の中に巨大なパイプオルガンがあるのを見て, 演奏してみたいと思い, 管理人の老人に「少し弾かせていただけませんか」とお願いしました。しかし, 老人は不機嫌そうにそれを断りました。それでもメンデルスゾーンが熱心に頼み込むので, 老人はしぶしぶ許可しました。

 

 

パイプオルガンの演奏

 

 

メンデルスゾーンがオルガンを弾き始めると, 素晴らしい旋律が教会堂の中に溢れ, 恍惚とした空気に包まれました。演奏を終えてメンデルスゾーンが席を立つと, 驚いた老人が尋ねました。「あなたは一体どなたですか?」。「はい, メンデルスゾーンです」。それを聞いた老人は腰を抜かさんばかりに驚きました。「なんと, 私は大変な過ちを犯すところでした。これほど偉大な音楽家だとは知らず, オルガンを触らせないようにしてしまうところでした」。

 

 

 

「今, あなたの人生を神様にゆだねてください。」

 

 

今日, 私たちも, 私たちの人生を成功へと導こうと提案してくださる神様に, 自分の人生をお任せ(ゆだねる)すべきです。今日も神様の前にひざまずき, 助けを求めてください。そうすれば, 人の前にひざまずかなくてもよいようにしてくださるでしょう。

 

 

「今, あなたの人生を神様にゆだねてください。」

 

 

今日も神様の御言葉は私たちに勧告しています。 (箴言 3:6) あなたの行く道すべてにおいて、主を知れ。主があなたの道をまっすぐにされる。

 

この約束は変わることのない, 今も生きている御言葉です。この御言葉を頼りとして, この地で勝利し, 神の国の永遠の命を享受する聖徒となられますよう, イエス・キリストの御名によって祝福し, お祈りいたします。

 

 


私たちは信仰生活を送る中で、牧師先生や教師、あるいは両親から伝え聞いた神様に満足してしまうことがあります。しかし、深い信仰の段階に到達するためには、自分自身が直接神様に出会う経験が必要です。

 

木に登ったザアカイ

 

木に登ったザアカイと、彼を呼ぶイエス

 

 

ザアカイはイエス様についての噂を聞いた後、遠くからでもその姿を見ようと、いちじく桑の木に登りました。すると、イエス様はそんなザアカイの切実な心をご覧になり、木の下から彼を呼び、直接彼の家に泊まるとおっしゃいました。

「イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。『ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、あなたの家に泊まることにしているから。』」(ルカ 19:5、新改訳)

 

 

木に登ったザアカイ

 

木に登ったザアカイと、彼を呼ぶイエス

 

 

結局、イエス様を家に迎え入れたザアカイは、過去を悔い改め、イエス様を受け入れます。その時、イエス様は次のように言われました。

「イエスは彼に言われた。『今日、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。』」(ルカ 19:9-10)

 

パット・ブーン(Pat Boone, 1934-)

 

パット・ブーン(Pat Boone, 1934-)

 

 

 

アメリカの往年の歌手、パット・ブーン(Pat Boone, 1934-)は、歌手としてだけでなく、作曲家、俳優、執筆家として世界的に知られる有名人であり、素晴らしいクリスチャンでもあります。彼がまだ真実な信仰を持つ前、教会には通っていましたが、ヒルトンホテルの高級ナイトクラブに招待され、時々歌を歌っていました。

 

 

パット・ブーン(Pat Boone, 1934-)

 

パット・ブーン(Pat Boone, 1934-)

 

 

彼がそこで歌う際、ホテル側は最高のもてなしをし、創業者であるヒルトン氏のスイートルームを提供しました。それだけでなく、ヒルトン氏専属の料理人が直接料理を振る舞うなど、創業者と同等の高級サービスを受けました。

 

 

パット・ブーン(Pat Boone, 1934-)

 

パット・ブーン(Pat Boone, 1934-)

 

 

ある日、いつものようにヒルトンホテルのクラブで歌い、ヒルトン氏の部屋に宿泊していた時、壁に掛かっているヒルトン氏の肖像画を見つめることになりました。ふと考えてみると、自分はヒルトン氏の部屋で寝て、彼の料理人が作ったものを食べ、彼の肖像画を眺めているけれども、まだヒルトン氏本人に直接会ったことは一度もないという事実に気づいたのです。

 

 

パット・ブーン(Pat Boone, 1934-)

 

パット・ブーン(Pat Boone, 1934-)

 

 

まさにその瞬間、パット・ブーンの心に聖霊の感動が臨み、彼は深い黙想にふけりました。その時、彼が悟ったのは次のようなことでした。「私は長い間、教会に通ってきた。それなのに、私はまだイエス・キリストに直接お会いしていなかったのだ」。パット・ブーンは、心の中で主を直接お迎えしたいという深い霊的な渇望が生まれたと、後に告白しています。

 

今日、私たちもイエス様に個人的にお会いしたいという慕い求める心を持つべきです。私たちが切に主を求める時、主は会ってくださいます。

「わたしを愛する者を、わたしも愛する。わたしを熱心に捜す者は、わたしを見つける。」(箴言 8:17)

 

取税人のかしらであったザアカイ

 

人々に嫌われていた取税人の頭、ザアカイ

 

 

このように主に出会い、主と毎日歩む、命あふれる信仰となることを切にお祈りいたします。