(ルカによる福音書 11:5-9、新共同訳) [5] また、イエスは言われた。「あなたがたのうちのれか、友達のところへ真夜中に行って、次のように言うとする。『友よ、パンを三つ貸してください。[6] 旅行中の友達がわたしのところに来たが、出すものがないのです。』[7] すると、その人は内側からこう答えるだろう。『面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちもわたしのそばで寝ています。起きてきて何かをあげるわけにはいきません。』[8] しかし、言っておく。その人は、友達だからということで起きて何かを与えることはないにしても、しつこく頼めば、起きてきて必要なものは何でも与えるであろう。[9] そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」


私たちは神様のもとへ行くとき、時として神様をあたかもケチな方であるかのように考えてしまうことが多々あります。私たちが切実に求めて初めて、しぶしぶ少しずつ差し出すような、そんな方だと。しかし、神様の御性質は決してそうではありません。

 

 

「フッツパ(Chutzpah)」の意味は、無礼、図々しさ、厚かましさなどを指すと同時に、勇気や度胸、挑戦精神などを意味することもあります。

 

神様は豊かに押し入れ、揺すぶり入れ、あふれるほどに注いでくださる御性質を持っておられます。しかし、私たちが神様に何かを求めようとするなら、必ず切実に祈らなければなりません。今日、イエス様は私たちの祈りが「フッツパ(Chutzpah)」の祈りでなければならないと、たとえ話を通じて教えてくださっています。フッツパはイディッシュ語の chutzpah に由来し、英語圏でも広く使われるようになりましたが、その根源はヘブライ語の חוצפה です。ヘブライ語のフッツパの意味は、無礼、図々しさ、厚かましさなどを指すと同時に、勇気や度胸、挑戦精神などをも意味します。

 

 

 

Fritz Kreisler (フリッツ・クライスラー, 1875-1962)

 

1962年にこの世を去ったアメリカの Fritz Kreisler (フリッツ・クライスラー, 1875-1962) は、世界的に有能で熟達したヴァイオリン奏者として広く知られている人物です。彼はロマン派の作曲家としても有名ですが、オーストリアのウィーンで生まれ、フランスの市民権を取得した後、のちにアメリカの市民権を得てアメリカに定着しました。

 

 

 

Fritz Kreisler (フリッツ・クライスラー, 1875-1962)

 

彼は帰化する前、第一次世界大戦時にオーストリア=ハンガリー帝国の陸軍将校として参戦し、負傷しました。そのため、彼はしばしば演奏で集めたお金を傷病兵のための治療費として寄付していました。ヴァイオリニストである彼は、常に良いヴァイオリンを探していました。しかし、演奏で得た収益の多くを慈善事業に使っていたため、手元に貯金はありませんでした。

 

 

 

Fritz Kreisler (フリッツ・クライスラー, 1875-1962)

 

 

そんなある日、旅行中に非常に素晴らしいヴァイオリンに出会いました。彼がこれまで出会ったヴァイオリンの中で、音が最も優れた最高のヴァイオリンでした。彼は持ち主に、後でお金を持ってくるから誰にも売らないでほしいと頼み、持ち主もそうすると約束しました。

 

 

 

Fritz Kreisler (フリッツ・クライスラー, 1875-1962)

 

しかし、しばらくして、お金を貯めてそのヴァイオリンを買いにそこへ行ってみると、持ち主はすでに約束を破り、そのヴァイオリンを別の人に売ってしまった後でした。そこでクライスラーはそのヴァイオリンを買った人を探し回り、ついにそれを買い取った楽器収集家を見つけ出しました。そしてクライスラーはヴァイオリンを自分に売ってほしいと提案しましたが、断られてしまいました。

 

 

 

Fritz Kreisler (フリッツ・クライスラー, 1875-1962)

 

結局、彼はすべてを諦めて立ち去ろうとしましたが、最後にそのヴァイオリンで一度だけ演奏したいという思いに駆られました。そこで彼は楽器収集家に、そのヴァイオリンで一度だけ演奏させてほしいと願い出て、ついに許しを得ました。クライスラーはそのヴァイオリンを手に取り、切実な思いを込めて、狂おしいほどに演奏しました。

 

 

 

Fritz Kreisler (フリッツ・クライスラー, 1875-1962)

 

演奏が終わり、彼が帰ろうとした時、楽器収集家が彼にそのヴァイオリンを差し出しながら言いました。「このヴァイオリンの持ち主はあなたです。あなたの手に委ねられてこそ、このヴァイオリンは真価を発揮することができます。このヴァイオリンをあなたに差し上げましょう。」

 

 

 

 

今日、私たちもこのように神様の前で、切実さにもがき苦しむ心で祈る者とならなければなりません。「神様、今、私の祈りを聞き届けてくださらなければ、私は退くことができません」という切迫感を持って祈るべきです。適当に祈って、聞き届けてくれたらいいし、そうでなくても仕方がないというような、生ぬるい心で揺れ動く祈りをしてはなりません。

 

 

 

小林ハル, 1900-2005

 

三本の弦を持つ日本の伝統楽器である三味線の最高の名人となった、日本の伝説的な Goze (小林ハル, 1900-2005) についての記事を読んだことがあります。この女性は、生まれた時から目の見えない視覚障害者でした。三味線を弾き、食べ物を乞うて命をつなぎながら、いつしか三味線演奏の最高手となったのです。その女性のモットーは「命がけで弾く」というものだったそうです。

 

 

 

小林ハル, 1900-2005

 

寒い冬の日、他人の家の門の前に立ち、主人が出てきて施しをしてくれることだけを願う燃えるような心で、一曲、また一曲と演奏する時、その女性の心情は誠に切実だったことでしょう。閉ざされた門が開き、主人が米一升でも持って出てきてくれることを心から待ち望み、必死に演奏したはずです。

 

 

 

小林ハル, 1900-2005

 

自分の生計がその演奏にかかっているという切迫した心情で毎回演奏していたため、いつしか日本最高の三味線名人の座にまで上り詰めたのです。

 

 

 

小林ハル, 1900-2005

 

そうです。今日の私たちの祈りも、祈りの場に立って、決して退くことができないという切迫感、すなわち「フッツパ」の祈りを捧げる時、天の御座を動かし、神様の権威が現れる歴史が起きるのです。このような祈りの答えを受けられますよう、主の御名によって祝福いたします。