アッシェンバッハの彼岸から -25ページ目

Me And My Girl In A Saladbowl

SUZUKI白書~スズキ・ホワイト・リポート
鈴木慶一
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そういえばここのところキシダがムーンライダーズばかり聴いていた。

そこで思い出したのがこの唄である。

”サラダボウルの中の二人”とゆう邦題がついていて、

ネオアコっぽい音がちょっとすてきなこの曲は、一緒に暮らしてるけれど、それぞれ自立している2人の唄。


「シングルベッドがひとつずつ」とか

「僕ら花のビートルズ・エイジ」とか、

「すれ違うけどラクにやってるよね」みたいな歌詞は、

まるで川沿いの地上30メートルに暮らしていた頃の我々をそのまんま唄ってるみたい。

(厳密にいえば、我々はビートルズ・エイジではないし、貧乏学生であったけれど)。


でも、趣味も押し付けないよ、半分だけの愛だよ、とポップに嘯きながらも、

でもね、やっぱり淋しいよねなんとなく。

と、とんでもなく転調を繰り返した後のサビでは歌う。


きょうもテレビでは、無個性な若者が「ふたりの愛は永遠」だのと、みっともない唄を朗々と歌い上げている。

それとも、いとも簡単に永遠だなんて口にするあんたには永遠が見えるのか。

若者が宇宙人に見える、てのは、つまり、わたしが年取ったってことなんだろうか。

それにしても愛だの永遠だのと、恥ずかしくないのかね。


でも、である。

あなたはわたし、わたしはあなた、じゃぁまるでジャイアンだ。

わたしは彼ではないし、彼はわたしではない。

つまり、いくら好きだなんだ云ったところで、

わたしたちは、誰かの全てを理解することもできないし、まして同一化することもできない。

だから、やっぱり愛は永遠に半分でしかないのかも。


その上で、わたしたちは「すれ違うけどラクだよね」じゃやっぱり淋しくて、

「半分の愛」だなんて器用なことはできなくて、

先のことなどわかるはずもないのに、懲りもせず契約を交わしたがる。

でもそれでいいのだ。

先のことなどわからないからこそ、いまが幸せでもあるのだから。