Me And My Girl In A Saladbowl
鈴木慶一
そういえばここのところキシダがムーンライダーズばかり聴いていた。
そこで思い出したのがこの唄である。
”サラダボウルの中の二人”とゆう邦題がついていて、
ネオアコっぽい音がちょっとすてきなこの曲は、一緒に暮らしてるけれど、それぞれ自立している2人の唄。
「シングルベッドがひとつずつ」とか
「僕ら花のビートルズ・エイジ」とか、
「すれ違うけどラクにやってるよね」みたいな歌詞は、
まるで川沿いの地上30メートルに暮らしていた頃の我々をそのまんま唄ってるみたい。
(厳密にいえば、我々はビートルズ・エイジではないし、貧乏学生であったけれど)。
でも、趣味も押し付けないよ、半分だけの愛だよ、とポップに嘯きながらも、
でもね、やっぱり淋しいよねなんとなく。
と、とんでもなく転調を繰り返した後のサビでは歌う。
きょうもテレビでは、無個性な若者が「ふたりの愛は永遠」だのと、みっともない唄を朗々と歌い上げている。
それとも、いとも簡単に永遠だなんて口にするあんたには永遠が見えるのか。
若者が宇宙人に見える、てのは、つまり、わたしが年取ったってことなんだろうか。
それにしても愛だの永遠だのと、恥ずかしくないのかね。
でも、である。
あなたはわたし、わたしはあなた、じゃぁまるでジャイアンだ。
わたしは彼ではないし、彼はわたしではない。
つまり、いくら好きだなんだ云ったところで、
わたしたちは、誰かの全てを理解することもできないし、まして同一化することもできない。
だから、やっぱり愛は永遠に半分でしかないのかも。
その上で、わたしたちは「すれ違うけどラクだよね」じゃやっぱり淋しくて、
「半分の愛」だなんて器用なことはできなくて、
先のことなどわかるはずもないのに、懲りもせず契約を交わしたがる。
でもそれでいいのだ。
先のことなどわからないからこそ、いまが幸せでもあるのだから。