またどうでもいい話で必死に安倍コピペ女の肩を持とうとするヤツらがわんさか出て来てやがるな案の定。

いろいろいるけど、とりあえずコイツの戯言でも取り上げておこうか。

 

 

三崎氏は5日昼の更新で「なんで高市さんのワークライフバランスを捨てる発言が賛否を呼んでるの?国のトップが覚悟を表明しただけで、民間の人たちに過労を要求したわけじゃないでしょ」と述べた。

 

民間に過労を要求したかどうかなんて関係ないんだよ。高市の、この言葉の扱い自体全く正しくない所こそが批判されるべき対象だ。本来の概念を無視して都合良く言葉を使う、いかにも安倍的なパフォーマンスの滑稽さを継承している点でディスられて当然だってこと。良く聞いとけ。

 

ワークライフバランスという言葉は、第一次安倍政権が国の方針として取り入れ、第二次安倍政権の「働き方改革」において特に強調された言葉である。 

 

ワークライフバランスは本来、「仕事(ワーク)とプライベート(生活)のバランスを適度に保つことで得られる豊かさ」を表す言葉であって、「実際に仕事とプライベートのどちらを重視するのか」「どのようなバランスで働くのが自分にとって幸福なのか」はあくまで人によって異なるものでしかない。

 

誰かに強制されることなく、個々にそれぞれ働き方を決する自由があるという概念こそがこの言葉の持つ意味なのであって、決して「働きすぎはダメ」とか、「一日何時間以上は残業するな」といった一律に逆の意味で強制されるような理由を与えるものでは無かったはずだ。

 

ところがどっこい安倍政権は、「働きたくても働かせてもらえない」「残業したくても出来ない」といった今の状況に繋がるようなルール作りのみに邁進し、むしろ個人のワークライフバランスにおける自由を奪い取ってしまった。

 

その安倍政権の正統な後継者が、わざわざ「ワークライフバランスという言葉を捨てる」と公言して安倍の仕事を否定したのだから、何をかいわんやである。

 

それを「捨てる」と言ってしまえば、まともな日本語の解釈なら、言葉の本来の意味である「個々がそれぞれに決する自由を持つ」という価値観をも捨ててやるぞと言うことになってしまうわけで、それを解って言ってるのなら強権的と取られるような物言いだし、解らずに言ってるならバカじゃねーのか?ってことで、いずれにしろ批判にしか繋がりようのないパフォーマンスなのだよ。

 

てかさ、ケツから青い汁出してるような金の亡者って皆、「幸福」の意味を無理くり自分都合で規定しようとするだろ?こんなふうにさw

 

そして「そもそも諸外国にも負けてる日本が、ぬるいこと言ってる場合じゃない。国民全員がもっと働かない限り、この国は確実に衰退するだけ」とつづった。 

 

衰退しようがどうしようが知ったこっちゃない。働きたいやつは働けばいいし、怠けたいやつは怠けてればいいだけ。それで当人が幸せだっつんなら、何も文句は言えないだろうよって話だ。

 

それに、多くの国民がもっとバリバリ働けるような国にしたいんだったら、少子化になんかしちゃいけなかったんじゃねーのか?

 

だけど、あまりに無策すぎて少子化に陥っちゃったんだろ?

だったらまずは少子化の解消からやんなきゃならねーだろ?

でもそれじゃ間に合わなかったんだろ?

だから外国人連れて来て安値で働かそうってなったんだろ? 

 

それってぜんぶ、自民党の歴史と高市までの「系」でずっと繋がってるような話だろうがよ。

 

それが今になって、シカ蹴ってるからダメだとか、ワークライフバランス言ってる場合じゃねーとかwww

 

ホントご都合主義だよな。

俺からすりゃあな、オマエらが勝手に自己矛盾という名の釈迦の掌で走り回ってるだけにしか見えねーんだけどな?

 

 

 

あらら、ブロ友さんたちが一斉に溜息ついているぜww

 

昨日の自民党総裁選の結果に、多くの人がガッカリの意を表明している。「一番なって欲しくない人」が選ばれてしまったと。

 

しかしこれ裏を返せば、「自民党」という腐れ体質の代表格をこの世から抹殺するのにもって来いの選挙結果だったとも言えるんではないかな。

 

今の世の中は転換点に差し掛かっている。アメリカ史上最低知能のトランプ政権の台頭は、民主主義の本家であるあの国が、ここでどう踏みとどまるのかを試すための試金石だと考えることも出来る。

 

同様に日本でも、高市という最悪の安倍コピペ女を支配者として掲げてみて、それが如何に腐った選択であったかを国民が認知する大きなチャンスであり、最後のギャンブルになるとも言えるんじゃないだろうか。

 

もちろん、これで国民の誰もが気づかないようならもうアウトだろう。正直、俺も悲観しかない。この国の人々のアホさ加減は既に盤石だと示す兆候はいくらでもあるのだからな。

 

しかしこれから始まるのは明らかに、参政党だの日本保守党だのといったクズだとか薄らハゲしか寄り付かないような政党と、安倍マンセー返り咲きを目指す自民党とのバカウヨの獲り合い合戦でしか無いんだぞ。若しくはそれらクズ・ハゲ・アベ合同政党によるバカウヨ馴れ合い合戦のどちらかでしかない。

 

そんなもの見せられて、たとえ「なんちゃって」だろうがこの民主主義国家の偉大な国民がフツーに喜ぶと思うか?絶対にそれは無いだろう?仮に喜ぶとしたら、それはもはや「まともな国家ではない」ことの証拠であり、我々はこれ以上の状態を望めないことになる。だったら、もういいじゃないか。諦めるしか無いってことなんだよ。我々日本国民は、所詮その程度の民族だったということだ。それだって、普通に考えて「さもありなん」だろう?

 

とにかく、ウザ過ぎて見たくもない茶番劇がやっと終わってくれたのはありがたい。俺に言わせりゃ神に感謝するレベルだw

 

あとはクソくだらないバカウヨの獲り合いでも眺めながら、歴史ある無能政党の終焉か、はたまた2千何百年だかの老害国家の終焉か、そのどちらになるのかをキッパリと見届けてやろうではないか。

 

 

一流プロのアンサンブルと、中学生のそれ。聞く側がどういう評価を下すかという問題。

 

 

人気番組『芸能人格付けチェック 秋の3時間半スペシャル』(テレビ朝日系)で、名門音大を卒業したプロと中学生による楽器演奏の混合アンサンブルを聴き比べる企画がありました。プロの演奏を当てた方が“正解”で、中学生を選んだ方は“不正解”ということです。

 

 これをめぐって、いま議論が起こっています。

 

 ネット上では、“プロに劣るものとして用意された中学生達に対してコンセプトから失礼”とか、中学生の演奏をプロと間違えた出演者が「私たちの耳が悪い」と卑下して笑いを取ったことに、多くの批判の声があがっているのです。

 

 一連の経緯を見ると、一生懸命演奏した中学生に対する同情として番組に批判が集まっていますが、ここに日本の音楽番組が抱える問題が現れていると感じます。 

 

この番組、たまたま俺も見ていた。で、俺も残念ながら中学生の方が「良かった(※)」と判定した一人なので、一応なんか書いておこうと思うw

(※「良かった」であって「一流プロだ」ではないところがミソ)

 

まず上の引用記事は、人の自由な感性を超えて「客観的正解」を設定しようとする風潮に苦言を呈するものなのだが、その問題は確かにあって、他の番組でも廉価な設定のレストランやコンビニ商品、冷凍食品などを「一流料理人」が品評する企画があったりするし、漫才の出来・不出来を同業者が審査して優勝者を決める企画なんかももちろんその部類なわけだ。

 

俺もこの記事にまったく同感で、「一流」の言うことが正解だとするのは権威主義的価値観でしかないと思っている。元来モノの価値を見定めるのは個人の自由な感性によるものでしかなく、そこにわざわざ社会的スタンダードを差し挟む余地など無いはずだ。

(↓その点について過去に書いた記事)

 

ただ、今回の一流プロ vs 中学生の件で出演者全員が(俺もだがw)中学生を選んでしまったのには明確な訳があるので、権威的に設定された正解云々とは切り離して語ってみよう。

 

結論から言えば、A(一流プロ)の演奏はミックスバランスが悪かったのだ。

 

我々の耳は、現代の「緻密に計算された」音楽の構成に慣らされている。楽器の位置、距離、楽器どうしの音域のカブり、タイミングなど、きちんとバランス良く収まった音楽をさんざん聞かされているのだ。その耳でAの演奏を聴くと、もうすぐにそのバランスの悪さに気が付いてしまう。

 

このバランスの悪さの一番の原因は、チェロだ。チェロの音量がデカ過ぎる。さらにそれに引き摺られるようにして、他の弦の音量も非常に大きくなる。その結果ピアノとマリンバが影に隠れてしまっている。

 

ではなぜそんなことになったのかと言うと、もちろん演奏者の腕が悪かった訳ではなく、使用している楽器の影響が大きいと考えられる。

 

番組ではこの問題の出題時に「弦についてはプロも中学生も自前の楽器で演奏」と注釈が流れた。逆にピアノとマリンバは双方とも共通のものだという。弦は、バイオリン2本、ビオラ2本、チェロである。当然、プロは一流の楽器を使っているから、比較すれば弦の音量、倍音、帯域に圧倒的に差が出てしまう。

 

その結果、プロの演奏では弦(特にチェロ)が目立ち過ぎてピアノの出音の粒立ちが悪く、最初の四分打ちからボヤけていたし、Bメロの高域のアクセントもマリンバの定位もハッキリ聞こえなくなってしまった。

 

対して中学生の演奏は音のバランスがちょうど良く、弦が主張しすぎないためにピアノもマリンバも、定位までハッキリ綺麗に聞こえてた。その差が響いて、出演者全員が中学生の演奏の方を「良い」と思ってしまったのだろう。

 

このように楽器構成によってミックスバランスが悪くなるのは生演奏には往々にしてあることだから、ストラディバリ、ガルネリ、アマティといった弦楽器がどれだけ物凄い音を出すかを知っている人なら、演奏の技術や音量バランスなどに騙されることなく「どちらが一流プロの演奏か?」の質問を「どちらが一流の楽器による演奏か?」に変換して正解を出せるハズなのだ。

 

この問題のポイントはむしろその点にあって、「楽器の一流さこそ揺ぎ無いもの」という視点で見さえすれば、プロかアマチュアか?といった権威主義的価値観に濁されることなく格付けチェックが可能だったのである。そういう意味ではこの番組の意図があながちダメだったというわけでも無いんだよな。

 

ただし番組は放送されるものなのだから、テレビの前で聞いている視聴者への配慮は元来必要なものだという観点からすると、マイクのセッティング及びミキシングは、もうちょっとどうにかなったのではないか?というのはある。見る限り両者の演奏においてマイク位置など変更は無いようだから、セッティング時に「中学生の演奏・楽器に合わせた」可能性が高いのだ。それだと当然、プロの演奏・楽器では完全にバランスが崩れるわけで、視聴者の耳にはそれが大きく影響するに決まっている。

 

まぁ、あえてそれを狙った(視聴者をも騙したかった)というのはあるかも知れんがなw

 

ちなみに俺は家族で聴いていて「これでBが正解じゃないなら、この番組はヤバいことやってるぞw」と言ってたんだが、そのとおりになってしまって苦笑するしか無かったw

 

音楽というものは、作家や演奏家だけで決まるものでは無く、様々な媒介が存在して我々の耳に届けられるものなのだよ。

 

「すべての芸術は音楽という状態にあこがれる」 

 

ウォルター・ペイター の言のとおり音楽はその形・完成形を持たぬ、哲学的に言えば形而上の芸術であり、その実態はあくまで空気の振動でしかない。したがって絵画・彫刻・建築などの様式美を伴う「形あるもの」とは異なり、音楽は無限の付加価値を許容するのだ。

 

我々の耳は、それを自由に受け止めることが出来る。それってホントに素晴らしいことじゃないか。

 

最近、その付加価値をまっこう否定するような発言で炎上した例があったようだが、それについてはまた別に機会に触れようと思う。(触れないかもしれないがw)