自民党の党是は、「背に腹は代えられぬ」である。

いままで俺はここで何度も書いてきたぞ。

 

ガンバレ無能政府

自民党の政治

マイナンバーカード

航行制御システム

さざ波に流されることだってある

意思決定

偽造ほう助

幕開け

 

コイツら自党の利益のためならなりふり構わずなんだってやるんだ。

あんまり自民党を舐めてんじゃないよw

 

 

 

裏金問題で大幅に支持率落ちた途端、国民にだけは人気があった石破をトップに据えて何とか取り繕うとした。

 

ところが石破がヘタレ過ぎて党の言いなりになったもんだから、逆に国民からは総スカン。

 

と同時にバカウヨどもに大挙して離脱されて涙目w 

 

仕方なく、それ全部石破のせいにして引き摺り下ろすw

 

だったら高市みたいなオラオラレディース系に取っ替えてやりゃあ、なんとかなるんじゃね?

 

ってことでいつもの浅知恵振り絞ったはいいが、今度は公明に愛想つかされて右往左往!

 

もやはにっちもさっちも行かなくなり、党是中の党是「背に腹は代えられぬ」を前面に押し出して、維新だのN党だのとw

 

 

しかしまぁ、なんちゅうみっともない政党なんだろうね?

 

 

というわけで、せっかくだから石破のときみたいに内閣・政権に「命名」しといてやろうか。

 

石破を「ヘタレ内閣」という、これ以上無いぐらい最適な名で呼んだ俺がわざわざ命名してやるんだから感謝しろよなw

 

 

 

国民不在!

「自維」連立 オ○ニー政権樹立!

 

 

 

おめでとうございますぅ~www(なんか最大限自粛w)

昨日の記事を読んだ友人からこんな質問を受けた。

 

「量子って、実際のところ何なん?」

「量子=粒子なの?」

 

まぁ、そうだよなぁ・・・

確かにそういうところが曖昧なままで語られているのが、世の中の混乱のもとだったりもするんだろう。

 

という訳で、めちゃくちゃ簡単に・・・と言うか概念的に「量子とは何か?」に触れられるようになる程度には、なんとか説明を試みてみようかと思う。

 

ただし、量子力学というのは、相対性理論のように一人の科学者がほとんど単独で作り上げた理論ではなく、実に多くの人々が長い年月をかけて携わることで構築された理論体系である。それゆえ「量子」の概念に辿り着くまでにたくさんの歴史的背景が語られなければならないのだが、ここではそれらを大胆に端折って、数名の登場人物の仕事にのみ脚光を当てながら紐解いて行こう。

 

 

始まりは鉄製品の需要だった。

 

ヨーロッパで本格的に重工業が発展しはじめた頃、生産効率を求める要請から鉄鋼炉内の温度管理が課題となり、炉内のエネルギー密度(スペクトル分布)と温度の関係を数学的に明らかにしようとする研究(黒体輻射の研究)が活発になったのだ。

 

やがて電磁気学、熱力学および統計力学といった従来の物理学の見地から、ヴィーンの公式、レイリー・ジーンズの公式という2つの関係近似が導かれたが、これらは一方が光の短波長領域、他方は長波長領域でしか実験データと一致せず、どうしてもその矛盾を解消出来ずにいた。どちらも微視的なエネルギー変化について従来の物理学的見識、つまり「エネルギーは連続的に変化する」という常識の上で適用しようとすると、波長領域の一方で破綻してしまうのだ。その矛盾を解消するため、ここで全く異なる発想が提示されることになる。マックス・プランクによる公式の登場だ。

 

プランクはヴィーンの公式を参考にしつつ、「仮にエネルギー変化が飛び飛びの値でしか起こらないとしたら」という発想でスペクトル分布を導出し、プランクの公式を生み出した。プランクの公式は光のすべての波長領域で実験データをうまく記述出来たが、それは次のような前提によって支えられている。

(以下数式マークアップを用いるため、Wikipedia『プランクの法則』から引用する)

 

具体的には、エネルギーは振動数 ν に比例するエネルギー素量(エネルギー量子) E、すなわち

整数倍の値のみ取りうるということである。

 

上記の式右辺でのhをプランク定数といい、それに振動数をかけたhvをエネルギー量子という。プランクは、このエネルギー量子がエネルギー交換量の単位であること、つまりエネルギーはアナログ(連続的)に変化するものではなく、デジタル(離散的)に変化するものだと定義したことによって正しい結果を得たことになる。いわゆる量子力学に関する大きな流れはここから始まった。

 

エネルギー変化が連続的でないとするアイデアは当時としては衝撃的なものだったが、のちにアインシュタイン光電効果の説明に光量子仮説(光は波であると同時に小さな粒子であるとする仮説)を用いて光子の概念を導入したことにより、さらに具体的イメージを持って知られることとなった。光のエネルギーは光子の持つエネルギーの整数倍でしか表せないという現実である。

 

さて、ここまでのストーリーを通して結論に入ろう。

 

量子というのは、エネルギーがエネルギーとして存在しうる最も小さな塊、言い換えれば「エネルギーの単位」のことである。

このエネルギーの小さな塊(量子)は、とても奇妙な振る舞いをする。観測の仕方によって粒子のように見えたり、のように見えたりするのだ。これを「粒子と波動の二重性」と呼ぶ。量子が粒子として見えている時、それは1個、2個と数えられる。また、量子が波のように見える時でも(量子はエネルギーの単位なので)見えている波のエネルギーの大きさは必ずhv(エネルギー素量)の整数倍となっており、その変化も不連続に起こる。

 

つまり、「量子=粒子」ではない

 

友人の質問に答えるなら、粒子は、「量子の振る舞いのうちの『ある側面』」だと言うしかない。実際のところ、量子そのものの姿を我々は見ることが出来ない。見ようとしても粒子のようであったり、波のようであったり、そんな「世を忍ぶ仮の姿」しか見せてくれないのだ。

 

量子力学の特殊性は、このように「実際何だかわからないもの」であるにもかかわらず、全てが計算通りに行く点にある。厳密に計算どおりの技術展開が可能なため、半導体(エレクトロニクス)、レーザー(光学)、MRI(医療)、量子コンピューター(システム)、原子時計(時間計測)といったあらゆる分野で現実に応用されており、すでに我々の社会に無くてはならないものとなっている。

 

しかし、「では何故そうなっているのか?」について、人類はまだその答えを手にしていない。それは「現実は確率でしか描けない」という、理不尽とも思える結論を導いたコペンハーゲン学派の確率論的宇宙論(コペンハーゲン解釈)にも表れている。アインシュタインがこの解釈を不服として言い放った言葉、「神はサイコロを振らない」はあまりにも有名である。

 

コペンハーゲン解釈についてはまた別の機会にでも書くとしよう。(書かないかも知れないがw)

 

 

 

ちょっと前にブロ友さんの一人が「似非」について書いてたんだが…俺も最近そっち方面で少し考えさせられる事があったので、このタイミングで何かしら書いてみたいと思う。

 

実は最近になって俺は、とあるブログのとある「系」の記事に「いいね」を押せなくなってしまったのだ。

 

もともと手作りの食品や山歩きなど、自然との関わりの中でのさまざまな発見を散りばめたとても瑞々しいブログだったのだが、いつの頃からか、とある微生物資材の関連商品の紹介が頻繁に登場するようになった。俺は最初、それが何のことか良く判らず気軽にいいねを付けてしまってたのだが、のちに良く調べてみたら、かなり「香ばしい」匂いのするようなものであるとわかった。

 

微生物資材というのは基本的に、有機農法や土壌改善、健康食品といった文脈で古くから数多く生み出され、実際に広く使用されているもので、それ自体が科学的研究の一部だったりすることもあるから、一概に肯定も否定も出来ないような領域であり、いわゆる「効き目」「効能」という点で、それが大いに「有る」とか、若しくはまったく「無い」などと、安易に言い切ることが出来ない性質のものだ。

 

だから、その人がそれを「良いものだ」と考えて取り入れていることについては、あくまでも個人の勝手であって何も問題無いし、俺は取り立てて意見したりするつもりもない。そもそも「効く・効かない」は何ごとも人の主観によるところが大きいのだ。植物にモーツァルト聞かせると良く育つ?とかなんとかいう話もあって実践してる農家もあるぐらいだから、そういう信念でやっている以上、他人がとやかく言うことなんて出来やしないだろう。

 

じゃあ、何故俺がいいねを付けられなくなってしまったか?なのだが。

問題はその微生物資材そのものにではなく、その開発者の主張にあるのだ。

 

(俺のこの記事は、あくまで俺自身が「いいね」を押せないことの理由を述べるものであり、決してその資材そのもの、及びその資材を有益に利用出来ている人の立場を否定したり攻撃したりするものでは無いことを、まず最初にご理解願いたい。そのためここでは、当該微生物資材やその開発者・研究機構について固有名詞を一切記載せず、可能な限り一般論として処理したいと思う。これを読んで心当たりのある人は、その点を踏まえて華麗にスルーしていただければ幸いである)

 

その開発者は、とある著名な大学の農学研究者だそうだ。

 

開発当初、彼はあくまで農業分野における微生物資材として土壌改善効果の可能性などに言及するのみで、その主張にはまだ現実味があったのだが、時を経るうちに彼はその特定の領域をはるかに超えて、当該資材にはさまざまな効能が有るというふうに拡張主張をし始め、やがてその「万能性」すらうたうようになった。

 

そしてその万能性の根源として、あろうことか 「波動」「意識」「エネルギー」 といった、非科学的理屈を用いて主張するようになってしまったのだ。

 

俺はこの開発者の主張の変遷について1990年代~現在まで調べてみたのだが、90年代後半から2000年頃に、国連や開発途上国の援助などで取り上げられてブームとなった後、2000年代に入って急激に拡張主張をし始めたようだ。そして顕著なのが2011年の東日本大震災以降で、「善なる波動によって放射能を無害化する」とまで言い始めた。どうも商品としてビジネス的に成功を収めたことがトリガーになっているような気がするのだが、問題なのは「波動」「意識」「エネルギー」のような妙竹林な概念を持ち出すことにより、専門知識を持たない人たちに「なんだかわからないが凄いらしい」といった印象を与えようとする意図を感じることだ。

 

開発者は講演などで「この技術は量子レベルの波動技術である」「善なる波動を持ち悪を善に転換する力を持つ」「人の意識(祈り)や感謝の気持ちが資材に伝わりより高い波動を発する」「エネルギー体として機能し放射線や有害物質を変換できる」 などと述べることがあるようなのだが、このような「波動」理論は、物理学的にも生化学的にも定義されない概念であり、ゆえに科学者の多くはこれを疑似科学・宗教的世界観と見なすことになる。

 

ここでは一つ、開発者の言う「量子レベルの波動技術」という言説に焦点を当てて深堀りしてみよう。

 

確かに、量子力学の世界では「波動」という用語が頻繁に登場する。代表的なのはシュレーディンガー方程式である。これは三次元の偏微分方程式であり、その未知数として「波動関数(ψ)」を含む。この波動関数は、粒子の位置と運動量を同時に正確に知ることができないという「ハイゼンベルクの不確定性原理」のもと、粒子の存在を確率的に記述するものである。波動関数の絶対値の二乗が、特定の位置に粒子が存在する確率密度を示す。

 

つまり量子力学における「波動」とは、ミクロな世界における存在確率のゆらぎを数学的に表現したものにすぎない。コペンハーゲン解釈の立場では、「粒子の状態は観測されるまでは確率的であり、空間内の各点に存在する可能性としてしか把握できない」とされる。さらに、ド・ブロイの提唱した「物質波」の概念は、すべての運動する物体が運動量に反比例した波長をもつとし、粒子と波動の二重性を理論的に結びつけるものだ。

 

ここで重要なのは、こうした量子力学的な「波動」は、マクロな世界でのエネルギー伝播(でんぱ)の波、 たとえば放射線のうちX線とγ線が相当する電磁波のような 「波動」とはまったく別物だという点である。電磁波はマクスウェル方程式から導かれる古典物理学的な波であり、シュレーディンガー方程式のような確率振幅の記述とは無関係である。開発者の主張する「波動技術」は、このミクロとマクロの概念を混同してしまっているように見える。

 

さらに開発者は、「微生物は人間の思いや環境の波動に影響されるため、実験条件の違いで結果が変わる」とか、「科学的実験では生命の波動や意識を測定できない」といった主張も行っているのだが、これはまるで、コペンハーゲン解釈における「観測によって状態が定まる」という考えを借用して都合よく別の文脈に転写したような話であり、言ってみれば誤用である。こうした誤用は、量子力学を題材にした「スピリチュアル科学」系の言説で繰り返し見られる典型的なパターンであり、正直「また出たなw」と思えるような話なのだ。

 

量子力学は確かに奇妙な理論である。光は波であり粒子でもあり、観測が結果に影響を与えるように見える。こうした現象の理解には高度な数学的・物理学的素養が必要だが、その理解が十分でないまま「意識が現実を変える」といったスピリチュアルな解釈に飛びつく人々が後を絶たない。二重スリット実験を「人の思いで結果が変わる」証拠だと誤解する例は、インターネット上でも無数に見られる。

 

この開発者の言う「波動」は、量子力学的な確率振幅、古典的な電磁波、さらには人間の意識や脳波といった異なるレベルの「波」をすべて混同したまま一括して語っているように見える。結果として、量子力学とは無縁の独自の形而上学的概念を打ち出しながら、それを「科学的」と称しているにすぎない。量子力学を学んだことのない人々がこれらを区別して理解するのは極めて困難であり、むしろ「量子」や「波動」といった言葉の持つ神秘的で権威的な響きに惹かれ、内容を吟味しないまま信じ込んでしまうケースがほとんどだろう。いわば「量子力学」という看板のもとで展開される、見た目だけの疑似科学なのである。

 

俺は以前からこのブログで、「科学とは疑うことである」と何度も書いてきた。この世界にある「わからない領域」を解き明かすには、前提として「わかっている領域」の中から可能な限り誤謬を取り去らなければならない。それゆえ科学者は、この世界を、この宇宙を科学するために、自身の仕事を常に疑い続ける矜持を持たねばならぬのだ。疑っても疑ってもどうにも疑いようのない証左を得るために研究努力することこそが科学者の科学者たる態度であろう。俺は少なくともこの考えを曲げるつもりはない。

 

たとえば微生物資材の有効性を科学的に解明しようとするなら、「思いの強さによって効果が変わる」といった、まるで「科学」という学問の根本原理である「反証可能性」を封じるような主張をするのではなく、いかにして定量的に効果を実証するか、その方法論を堂々と打ち出すべきなのだ。上記のように「量子」や「波動」といった素人に馴染みのない概念を持ち出して煙に巻き、闇雲に信じさせようとするような行為はほとんど「虎の威を借る狐」でしかない。疑うことを放棄し、「信じる」をお題目とするような科学者の態度を俺は決して認めない。

 

という訳で、この資材を愛用している方々にはまことに申し訳ないが、俺はこのような理由により資材のPRに加担することは出来ない。したがって、この資材に関する記事については「いいね」が出来ないということをご理解願いたい。もちろん裏を返せば、この資材とは無関係の記事であればこれからも「いいね」を押させて頂くし、資材の利用そのものに対して、決してケチを付けたりはしない。