つまり、兵庫県知事選は対岸の火事ではなかったということだ。

 

あまりにもクズ過ぎた自民党支配からやっと脱却する気配があらわれたと思ったら、勝るとも劣らぬクズ政党が支持を集め始めた。

 

人を見る目がどうのこうのといったレベルの話ですら、もはや無いぞ。

 

小麦批判、プランデミック、発達障害不存在、国家主権、教育勅語、基本的人権スルー、反多様性、大東亜戦争肯定、沖縄戦日本軍擁護、スピリチュアル、似非科学、外国人優遇説。

 

ちょっと調べれば、いや、調べなくてもすぐに判るようなデタラメな主張を、さっと挙げただけでもこれだけの数揃えているというのに、まさかの国政選挙の次元で「多くの支持」を集めてるというんだからな。

 

 

この政党を支持する、と公言してるオマエら。

 

一体この政党のどこが支持に値すると言うんだよ?

 

上に挙げたようなバカ丸出しの主張に、オマエらはマジで同調するってのか?

 

そうじゃなく、あえて無視して聞かなかったことにしてるだけなのか?

 

それともこんなバカ丸出しの主張に、はなっから目が行かないほどにフシアナなのか?

 

 

なぁ。その手の中にある大事な一票を、あんなクソくだらない軽々しい主張に委ねる前に、オマエらの考えを聞かせてくれよ。

 

それぞれに思いを発信してくれよ。

 

そうすれば、いかにこの国の愚民構成率が兵庫県と同じレベルだったかをしっかりと可視化出来るからさw

 

 

俺はハッキリ言うぞ。

 

本当にクズなのは、クズ政党なんかじゃない。

 

こんなクズ政党に、平気でこの国を喰らわせようとしているオマエらの方だ。

 

俺は保守主義も進歩主義も、資本主義も共産主義も、その思想の存在意義自体は否定しない

 

だがな、論理的にも合理的にも科学的にも、事実を無視したデタラメな主張をするヤツは絶対に認めない。その主張は明らかに人を騙しているからだ。

 

そして、その主張を軽々しく支持すると言うオマエらはみな共犯で、同じように人を騙すことに加担している。

 

いいか?これは主義主張の問題でも、思想の問題でもないんだぞ?

 

嘘を言いふらすヤツらを、社会のドまん中に据えてどうするんだという話だ。

 

そいつらと一緒に、オマエらが嘘を言いふらしてどうするんだとう話だ。

 

 

 

人としてあたりまえの、ごく簡単な選択でしかないんだよ。

 

まともな世の中でまともな人間として暮らしていきたいと思うなら、こんなデタラメな政党に加担するのはやめておけ。

 

 

マジで、ゼッタイに後悔するんだからな。

 

 

 

(凡女ー留野さんのリクエストに応えて) 

 

人が考える力を身につけるには、「頭の中で情報を廻す」「見て聞いて⇒書いて話す」、事実上これを繰り返す以外に上手い方法なんて無い。また、その作業は皆で一斉に実践すれば結果を仕込めるというようなものではなく、「個々が自身で学ぶ」ことが特に重要で、それぞれが独自の方法で学ぶことによって独自の「考え方」が深まり、その積み重ねがすなわち「考える力」となっていくものなのだ。

 

ところが学校という所では、クラス全員に先生の方を向かせて黒板に集中させ、同じ内容を同じタイミングで全員の頭にねじ込もうとする。およそ人の個性や志向を無視した形式的な授業が昔から変わりなく行われているのだが、残念ながらこの状況では、生徒たちは「一様に放射された情報」を受け止めるだけになってしまい、頭の中で情報を廻すとか、見て聞いて⇒書いて話すといった進歩的なプロセスに自ら「乗っかって行く」ような機会を得ることもなく、好きでも嫌いでもない、別に知りたくもないような知識をただ詰め込まれるだけの退屈な時間を過ごすことになる。

皆で一斉に学ぶ。この国ではその姿=学校であるとして、ずっと「それで良いんだ」ということになっており、「個々が自身で学ぶ」を実践する必要性も重要性も大きく語らていない。俺はそれが本当に問題だと思っている。皆で一斉に一様な知識を取り入れさせようとすると、個々が考える力を失ってしまう。元来子供にはさまざまな興味の対象があり、理科ひとつ取っても虫や動物などが好きな子、宇宙や天体が好きな子、飛行機や車など機械が好きな子といったように多様性があるはずだ。

 

子供というものは、こと自分の好きな事に限れば、誰に教えられるまでもなく勝手に学んで行くものだ。放っておけばどんどん興味を膨らませてどんどん吸収し、逆にこちらが質問責めにされたりする。聞かれるまではこっちから教え込む必要なんて全くない。だから本当なら、子供にはただ興味の対象を与えてやるだけで良いのであって、例えば宇宙や天体が好きな子にはそういう本を与えてやりさえすれば、読めない漢字があっても勝手に自分で調べて読み始めるし、どうしてもわからない事があれば親とか大人(先生)に聞いて何とかしようと考えるし、今の時代はネットで勝手に調べたりもする。そんな風に子供が自ら「のめり込んで」行く過程において、考える力は勝手に養われるものなのだ。

子供の個性・個々の学びを無視していること。すべてを一様な学びで、一様な知識・一様な人格を備えさせようとしていること。それが日本の教育のダメなところだと俺は思っている。「勝手に学ぶ」「個々が自身で学ぶ」というのは、本当にこの上なく重要なことなのだ。勝手に学べる環境を与えること、子供にそういう下地を作ってあげることこそが本当の意味での教育だ。そうすれば、考える力なんて自然と身について行くものなのだよ。

 

嫌がる子供にいらぬ知識を詰め込むことがまともな教育であるはずがない。日本の教育はそこを間違えているから、自分の頭で考えることの出来ない、与えられた知識をただ鵜呑みにする人ばかりになってしまう。まるでわざわざ狙って「鵜呑みにする癖」を付けさせているみたいじゃないか。

 

鵜呑みと言えば、前にブログで「円錐の体積」っていうのを書いたんだが、まさにそういう教育こそが人をダメにし、その結果としての今なのだろうと、参院選を前にして俺は声を大にして言いたい。 

 

 

だが俺は、子供の頃から「釈迦のてのひら」に乗ることをひたすら嫌ってきたのだ。身の周りに居た、俗に「エラい」と呼ばれる人たちとはことごとく喧嘩してきたしw、納得出来ないことを飲み込まされるのがどうしても嫌で仕方がなかった。小学校6年の時に教えられた円錐の体積の出し方も、何故そうなるのか?と言って先生を困らせたんだ。そら困るはずだよw、小学生の知識では絶対に説明も理解も出来ないものだったのだから。でも、だったら教えるなと言いたいんだよ俺は。「これはこうなるんだから、言われたとおりに覚えておきなさい」とか言われるのが本当にアタマに来るんだよ!

 

陰謀論とか、誹謗中傷とか、冤罪とか、そういうものは皆一つ残らず、人々が与えられた情報をまんま丸飲みにすることによって引き起こされるものだ。どうせそんなことになるんだから、円錐の体積の出し方を丸飲みする経験なんてしないに越したこと無いだろうよ。そんなものに慣らされて、いったい何の得があるって言うのさ?

いくら注意喚起されても世の中テキトーな言説は増えるばかりで、惑わされる人たちが後を絶たぬのも仕方がないし、何かしら専門知識がかかわってくるような領域では特に、自身の裁量で真偽を見分けるなんてままならぬ者の方が多かったりもする。

 

しかし、最近になって頓にブイブイ言わせるようになった「サンセーのハンタイのサンセーなのだーっ‼」みたいな名前の党を代表とする「有権者のアホさ加減を自らの力に変えて立ち回るタイプ」の政党に、まんまと利用されて相当にズッコケた社会の片棒を担がされちまうような者が居るとしたら、それは明確に断じて自業自得なのであり、テキトーな言説をテキトーな言説だと見定める能力を「自ら欠いていた罪」に対する「罰」であると考えた方がいい。

 
ただその一方で、そうした能力の有無にかかわらず、物事の判断に理を介さず、常に自分の感情・感性を基準にして、つまり「好き嫌い」によって処理しようとするヤツらの如何に多いことか。そんな連中を生み出したのがこの国の教育の欠陥であるとするならば、そんな状況ではたとえ「なんちゃって」であろうが民主主義は間違いなく維持不能と言えるだろう。愚民だらけの民主主義は崩壊に向かうのみだ。

 

 

生活保護を受給する世帯の3分の1は外国人が占めている--。今年3月ごろから、そんな外国人の生活保護を巡る投稿が交流サイト(SNS)上で散見されるようになり、外国人に関する政策がクローズアップされている参院選の公示直前にも広く拡散された。しかし、実際に受給しているのは全体の3%未満で、この投稿の情報は誤りだ。 

 

この記事に書かれているのは、誤情報の拡散にそもそも発信元のテキトーな言説が最も加担していたという事実なのだが、そんな経緯とは無関係に、「3分の1」という、ただ感情・感性に訴えるがためだけの数値が勝手に広がり、それが好き嫌いでモノを考えるシンプルな者たちによって支持されていくのだ、という悲惨な結論こそが重要なポイントだ。

 

もちろん、記事中に「どこがファクトでないか」の説明はある。次の部分だ。

 

厚労省によると、23年度に生活保護を受給した世帯数(23年4月~24年3月の月平均)は全国で165万478世帯で、このうち外国籍の人が世帯主のケースは、4万7317世帯だった。 

 

計算すると、生活保護を受給している全世帯のおよそ2・9%に当たり、指摘されている3分の1には遠く及ばない。22年度も約2・9%と同様だった。

 一方、拡散されている投稿の内容を見ると、全体の受給世帯数は約165万という1カ月分の数値なのに対して、受給する外国人世帯数の方は12カ月の延べ数(約56万)で対比されているため、外国人受給世帯の割合が30%を超えているという誤った数字が算出されていた。

 

つまりこの56万という外国人世帯数は「年間のべ総数」であり、それを1か月分の母数である165万で除算したから30%超=3分の1という数字になっただけ、ということだ。「延べ」の概念を知っていればこんな誤りはすぐにでも判るはずだろう。

 

ところが、当初の情報源には誤解を招くなりの理由もあったという。

 

確認すると、一部で出回っているグラフや記事には、生活保護を受給している外国人の世帯数について、「のべ総数」と記した注釈部分がないものがあった。 

 

ニッポンドットコム編集部に取材すると、3月に配信後に読者から指摘があり、誤解を生じさせることから「のべ総数」という注釈を加え、4月に再配信したのだという。

 

 だが、SNSでは古い内容が更新されないまま広まったことで、「生活保護の3分の1は外国人」という数字が独り歩きしていったとみられる。

 

注釈を載せなかったのなら延べと分らないのだから、それは誤解を招いたのではなくそれ自体が誤情報だったと言うべきだ。もちろん後で訂正を打つのは正しい判断だったし、そもそもの数値は厚労省発表によるものなので、自らデータを参照して事実確認しようと思える者であれば、いつまでもそんな誤情報に囚われ続けるはずはない。

 

が、そもそも外国人がキライで、外国人の存在によって日本人が損していると考える連中にとっては、それにどういう根拠があるかなんてどうでも良く、3分の1という数字をただ歓迎したいから歓迎し、拡散したいから拡散しているだけ、誤情報であろうが無かろうが、それを都合良く利用しているだけなのだ。

 

テキトーな言説にしっかりした根拠を求めず、自分の感情・感性に合いさえすればすんなりと受け入れてしまう。

 

たとえデータが間違っていようが、正しいデータを突きつけられようがそんなことはお構い無しで、自らすすんで誤解の道を歩み続けようと心に決めている。それはあたかも恣意的誤解の実践者のようではないか。

 

悲しいかな、基本そうした連中に対しては、ファクトチェックなど何の役にも立たないのだよ。

 

 

俺はこの話題についていつも疑問に思うのだが、エスカレータを歩くことが転倒事故の主因であるかのような言説は、いったい何処から出てきたんだろうか?「一般に」とか言うからには、ちゃんとしたデータが在るってことなのか?それは参照可能なのか?

 

・・・という訳で、面倒だが俺が代わりに調べてやったよw

 

もちろん、過去に書いたこのファクトチェックも、恣意的誤解の前にはまったく歯が立たなくて当然だ。

 

 

おそらくは俺がこの国に生まれて以来、社会がもっとも困難を極めている今、参院選を目の前にして億千万の恣意的誤解がうごめくこの状況を見ながら、ああ、やはりこの国は教育を誤ったのだなとつくづく思う。大体こんなふうに「理科が生活に役立つか?」みたいな議論があること自体、とんでもなく失敗してる証拠だろうよw

 

 

「科学技術について学んだことを普段の生活に活(い)かすことができる」と思う割合は、日本が44.0%で最少。他の3カ国は6割前後だった。逆に「科学の技術や知識を学ぶことは難しい」と思う割合は、日本が65.6%で最多だった。
 理科で学ぶ知識は、料理やものづくりなど暮らしや社会のさまざまな場面に関わっている
 
俺はこの論点そのものがおかしいと思う。科学技術の知識を普段の生活に生かせるかどうかを問うたところで肯定的な反応が得られないのは当然で、それは現実社会において科学技術は総じてブラックボックス化されているからだ。中学・高校程度の学びで得られた「科学技術の知識」など、社会に出て役に立つなんてことはほぼ無いと言っていい。「社会に出たら理科は不要」という調査結果に対し、上記のように苦悶するのはバカげていると思う。
 
ではまともな論点で話をしよう。理科という教科は「科学の技術や知識」を学ぶものではなく、「物の理(ことわり)」を学ぶものだ。知識を身につけるのではなく、「考え方」を身につけるのがその目的なのである。理科を学ぶには数学が必要だ。数学は理科を学ぶための言語であり、その「論理」をつかさどる。数学はあくまで人が生み出した論理言語的ツールでしかないのだが、それと自然界・宇宙の摂理とを結びつけるのがまさに理科なのである。ゆえにそれが「物の理」に繋がっている。
 

物の理を学ぶことは恣意的誤解の排除に役立つ。たいていの人は罪の意識を抱くこともなく恣意的誤解を軽やかに実践しているが、しかしそれは物の理からすれば明確に罪なのである。データに基づかない、事実に即さない判断がそこに介在し、物の理が示す「真」をあえて無視しようとしているからだ。もし物の理を心得ていたら、そんなことは罪悪感にさいなまれて出来なくなるはずじゃないか。

 

最近になって俺は、「世の中がおかしいのはシステムの問題ではなく、人の考え方がおかしくなっているからだ」と思うようになった。トランプの台頭も、兵庫県知事の居座りも、予言に右往左往する社会も、すべて「おかしな考え方・恣意的誤解」の投影でしかない。そんな考え方する人の激増は、結局のところすべて教育の失敗が生み出しているんじゃないかと思っているんだがな。

 

知識を教えようと必死になるが、考え方は教えない。上の議論にあるとおり、そもそも考え方を教えていることすら認識していないんだ。そんな教育じゃ、何が正しいかは好き嫌いで判断するという大人に誰もが育って全然おかしくないはずだろう?

 

(追記)

※これを書いたあとで別の記事がUPされていた。

 

 

理科教育は単なる暗記ではなく、“なぜ?”を問い、検証し、論理的に考えるプロセスそのものが重要にもなり、その思考法は、科学だけでなく、人と議論したり、何かを選択したりするときにも大きな力になるのです 

 

その通り。これは極めてまともな評論だ。

 

日本の子どもたちが理科の重要性を実感できていないという今回の調査結果について、レン氏は「単に理科が難しいと感じていたり、学校教育全般に将来への希望が持てていない可能性もある」と指摘したうえで、「“なぜ?”を問う米国の探究型学習のような姿勢が必要ではないか」と話す。 

 

日本では、受験のための知識偏重の授業によって、「理科=暗記科目」「社会と結びつかない科目」と見なされてしまっている可能性がある。 

 

同感だ。アホみたいに暗記させたがる日本の教育ってマジでどうにかならんもんだろうか。