いつも近くにいるのが当たり前で

君がいなくなるなんて
夢にも思っていなかった



いつしか言葉を交わすようになった僕らは
一緒にいる事が当たり前で
頭の回らない僕は


君が本当はどうしたいのかを
考える事すらできなかった



君に出会う前の僕は
知らず知らずのうちに
味気ない毎日を
版で押したような生活を送っていた


君が現れて
この世界には
小さな事が喜びで
一つ一つのものに
きれいな色があるのだという
当たり前の事を
君は改めて僕に教えてくれた



君はいま遠くへ行こうとしている

僕が君にしてあげれる恩返しは何かないのだろうか

もしできるなら
どんな事でもしてあげる



でも
そんな僕の言葉に
君は寂しそうに微笑むだけだった



桜の花びらの散る頃に
君は僕の手の届かないところに
行こうとしている


僕の心の中には
君の本当の気持ちを大切にできなかった後悔が
花びらのように
舞い続けている



いつか
もう一度帰ってきて欲しい



あの桜がまた
満開に咲き誇る時に


君は
いつか
戻ってきてくれるだろうか…








小学生の頃
友達の家に遊びに行った時に
初めて楳図かずおの

「へび女」

を読んだ



友人の姉のものなのかお母さんのものかは定かではない

とにかくボロボロの単行本だった


一目見てあまりの絵の恐ろしさに何度もためらいながら

結局最後まで読んでしまった


寒気がするほど怖かった…


小学生には刺激が強すぎたのだ



ふと窓の外を見ると日が沈もうとしていた

「僕、帰る」

と友人に告げると
僕は自転車を思いきり飛ばした


早く帰らなきゃ

早く帰らなきゃ

早く帰らなきゃ…

へび女が…くる!



それから
夜トイレに行くのが怖くなった
昔の家はトイレが遠い北側にあったからだ


できるだけ我慢して歌を歌いながらトイレに行くようになった



やっとへび女の恐怖が鎮まった頃

家の近くの川でザリガニを取って遊んでいた
川幅10mぐらいの川だった


ふと向こう岸を見ると
大きいへびが水辺にいた


怖くなって追っ払おうと思った


それで
僕は石を投げた


石はへびの近くに落ちた


その時へびがこちらを見た!


次の瞬間
へびは川に入り

僕に向かってS字を描きながら水面を凄いスピードで泳いできた


ぎゃああ

へびが怒った!!



僕は恐怖のあまり
全身の毛が逆立ちした


「うわぁあ~!!」
と叫ぶと一目散に家に向かって走り出した


怖くて怖くて
足がもつれて転びそうに何度もなった


やっとの事で家にたどり着くと
玄関の鍵を締め
家の窓や扉をすべて閉めて鍵をかけた


へびが入ってこれないように


そして
押し入れに入ると
布団にくるまって
ガタガタ震えた



へびが来る

へびが来る

怒ったへびが来る

へび女に化けて

僕に仕返しにくる

僕は噛まれる

噛まれてへびになる

噛まれてへび人間になる



そう考えてわんわん泣いた



泣き続けあげく
そのまま寝てしまった…



目が覚めて

恐る恐る外にでると

もう夕飯時だった



母親にどこにいたのかと
こっぴどく叱られた



そういう訳で


へび女は…


トラウマです。







あれは三年前の
もう夏も終わるといった頃の事だった


久しぶりにまとまった休暇を取って
僕は田舎を旅していた


あてどなく
電車を乗り継ぎ
気に入った風景に出会うと
そこで降りて
歩き
宿を探した


その町は
海が見える小さな山あいの町だった


海辺の風景は
夏の暑さを残して
潮の香りを漂わせていたが

山あいの草原には
一面のコスモスが静かにゆらゆらとゆれていた


僕は小さな駅を降りると

ツクツクボウシの鳴く
ひなびた田舎道を歩いた

コンビニすらない
時代に取り残されたような小さな町


遠い昔に
こんな風景を見たような記憶があった


もう夕暮れになろうとした頃に
一軒の宿屋を見つけた


「時計のない宿」

という名の奇妙な宿屋だった


日本家屋のこざっぱりとした
藁葺き屋根の宿


引き戸を開けて中に入ると
かすりの着物を着た初老の男が出迎えてくれた


彼は上品な物腰で

「いらっしゃいませ、お待ちしておりました。どうぞごゆっくりなさってください。ただ、一つだけお願いがございます。お客様の時計をお預かりさせてください。この宿では時間を忘れて心からくつろいで頂きたいのです。」


ちょっと驚いたが
なるほど面白い趣向だと感心した


更に驚いた事に
ここにはカレンダーもテレビも電話も無かった


しかし通された和室は
とても居心地がよく
硝子戸の向こうには小さいながら落ち着いた庭を見る事ができた


ぼんやりと外を眺めていると
鳥のさえずりや
優しい風
葉っぱの落ちる音
小川のせせらぎを聞く事ができた



あぁ
気持ちいい


なんと解放された空間だ


あまりの居心地の良さに
僕は何日も連泊する事にした



時間や曜日に縛られずに
のんびりと過ごす事が何という幸せな事か



それから何日たった事だろう


いったいどれだけの時を過ごしたのか


一週間のようでもあり

一年を過ごしたようにも感じた


宿の主人に

「そろそろ帰らなくては」

と言うと

「いいじゃありませんか。せっかくいらしたのですから、気のすむまでいつまでもいて頂いても、ちっとも構いませんよ。」

と諭された


つい僕もそんな気持ちになって



そんな訳で


僕はまだ


時計のない宿に


滞在しているのです。