7月某日、海の人類史—パイオニアたちの100万年@インターメディアテクに行きました。
およそ100万年前から海を渡っていたらしい人類。
人類がいかに海と向き合い、挑戦してきたか、その歴史をたどる展覧会です。
人類最古の渡海の達成から、本格的な海洋進出、縄文人の海洋活動といった先史時代の挑戦、そして時代がグンと飛んで現代の海運・海事業の挑戦を紹介する2部構成。
海の人類史を塗り替えたフローレス島
特に興味深かったひとつは冒頭、フローレス島のこと。
フローレス島は、インドネシア東部の島々が点在する地域「ウォレシア(Wallacea)」に位置する。
赤矢印がフローレス島。赤点線で囲んだところがウォーレシア(ざっくり)。
展示の地図に赤い部分を参考図をもとに加筆。間違いあったらごめんなさい。
アジアとオセアニアの接点にあたるこの地域は、水深が深く、島々は孤立した状態にあるため、独自の進化を遂げた多様な生物が生息する。
そんな秘境の地へ、私たちホモ・サピエンスよりも前に辿り着いていたのがフローレス原人。
推定身長105cmほどの小型の人類。
20世紀までの常識では「初めて海を渡ることができたのはホモ・サピエンスであり、それ以前の原人や旧人は大陸の外に出られなかった」と長らく考えられていたが、2003年、この小さな人類の発見がそれを覆したのだった。
骨の模型もあったが、幼児くらい小さい(左)。
フローレス原人が極端に小柄になったのは、孤島から脱出できずにその環境に適応したからか。
およそ19万〜5万年前まで島の洞窟で暮らしていたが、ホモ・サピエンス出現の頃に姿を消した。ホモサピに絶滅させられたのか、どこかへ引っ越したのか。
フローレス人の骨が発見された洞穴 ※展示外
Image Credit: Rosino via Wikimedia Commons
アジア大陸からフローレス島へ渡るには、少なくとも20〜30kmの海峡を越える必要があり、原人以前の人類は島へ漂着すらしなかった。
しかし原人は、先進的な航海能力を持っていたのではないとしても、なんらかの海との接点を持ち始めていたようで、フローレス島のほかにもルソン島やスラウェシ島など、東南アジアの島々の広くにホモ・サピエンス以前の人類がいたことがわかってきたという。
フローレス島の不思議な生き物たち
不思議なこの島には、小さな人類のほかにも、小型のゾウや巨大な鳥などが生息していた。
左から巨鳥、オオトカゲ、大型ネズミ、小型ゾウ、フローレス原人の実物大図
ゾウやトカゲは遊泳能力が高く、ネズミは小さいため漂着しやすく、鳥類はその飛翔力でウォレシアに到達していた。
巨鳥は絶滅したハゲコウの一種で、体高180cmほど。
その隣は「コモドドラゴン」として知られるオオトカゲ。
巨鳥もオオトカゲも、島に渡ってくる前からもともと大型であったと考えられている。
一方、ネズミは島で体長40cmほどに巨大化し、ゾウもまた島に来て150cmほどにまで小さくなったとされる(ちなみにネズミは今でも食用として人気のある現存種、ゾウは絶滅している)。
こうした島の環境によって体の大きさが変化することを、
フローレス原人が小さいのも島嶼化の影響と考えられている。
つづくかも…もいもい
▼つづきました
誰かに話したくなる 摩訶不思議な生きものたち [ 岡部 聡 ]
海の人類史 – パイオニアたちの100万年
会期:2024.07.05-10.06
会場:インターメディアテク GREY CUBE
料金:無料
現代の私たちは、海から多くのものを得ていますが、そのような今は、旧石器時代にはじまった祖先たちによる海の開拓史の上に築かれたものです。最新の研究によれば、3万8000年前頃に現れた「最初の日本列島人」は、漂流民ではなく、困難な海を渡ってきた「航海者」でした。巨大マグロを捕えるなど、その後に続いた縄文人の海への挑戦も、見逃せません。そんな祖先たちが海で成し遂げてきた数々のことからは、「人間の力」の大きさを思い知らされます。しかし現代の私たちも、海への挑戦をやめたわけではありません。現代人は海で何をしようとしているのか―本展では、海運業におけるその最前線の一端を紹介します。そこでは高機能の追求を超えた思想的な革新が起きており、人類と海との関係が新たなフェーズに入りつつあることがわかります。本企画では、東京駅前のインターメディアテクの特別展示スペースにて、人類の海に対する100万年の挑戦史を、学問とアートを融合させるインターメディアテク独自の手法で展示します。この展覧会が、私たちと海との関係を見つめなおす機会になることを願っています。