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海の人類史—パイオニアたちの100万年@インターメディアテクの続きです。

 

人類はいかに海と向き合い、挑戦してきたか。

100万年にわたる人類の海の開拓史をたどる展覧会です。

 

▼前回

 

 

 

  日本列島を目指した航海者たち

 

30万〜10万年前にアフリカで誕生した現生人類、ホモ・サピエンス。

彼らが日本列島へ渡海してきたのは、約3万8000年前の後期旧石器時代。日本への渡来ルートは3つあったと考えられている。

 

※展示の地図にルート名を加筆

  • 対馬ルート:朝鮮半島から対馬を経由して九州に渡る(3万8千年前)
  • 沖縄ルート:大陸と陸続きだった台湾から琉球諸島に渡る(3万5千年前)
  • 北海道ルート:シベリアから陸続きだった北海道へ歩いてくる(2万5千年前)

このうち、対馬ルートと沖縄ルートは海を渡らなければならない。

 

3万8千〜3万年前に日本列島周辺で同時多発的に渡海が起こったことは、この頃に本格的な海洋進出のはじまりを示すと考えられる。

 

 

船世界最古の航海の証し

約3万8千年前の神津島の黒曜石本州で見つかっており、これは往復航海の物的証拠として人類史上最古級とされる。

 

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井出丸山遺跡静岡県沼津市の遺跡から見つかった、神津島産の黒曜石で作られた石器


黒曜石は本州でも採取できるのに、わざわざ沖合の島まで採りに行っていたのはなぜだろう?質が良かったからかな?

 

 

 

 

  日本列島に渡る舟

 

先史時代の舟は植物素材で朽ちやすく、1万年以上前のものは見つかっていない。

そのため、日本列島へ到達した舟がどのようなものだったのか直接的な証拠もないが、旧石器時代でも刃部磨製石斧を使えば、縄文時代のような丸木舟の製造が可能ではあったようだ。

 

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左上から時計回りに丸木舟、竹筏舟、芭蕉筏、草束舟

 

数年前、丸木舟に乗って実際に沖縄ルートで到達できるかを科博が実験していて、私もプロジェクトの展示を何度か見かけた。

 

台湾から約200km離れた与那国島を目指す「3万年前の航海 徹底再現プロジェクト」

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旧石器人たちは、台湾沿岸部から見えないはずの与那国島をどうやって見つけたのか。

目指す陸地も目視できない長い航海である上に、世界最大級に流れの強い黒潮をどう越えたのかなどを検証した。

 

 

実験航海では、草や竹の舟では失敗に終わったが、丸木舟では黒潮を越えられた。

 

潮の流れとか材木とか当時とどれくらい同じ条件なのかな?どんな証明になったのか詳細はわからないけど、男女5人で漕ぎ続け、途中で針路を見失いつつも、最後には潮に身を任せるなどして、出発から45時間で与那国島まで到達している。

 

 

 

  縄文人と海

 

丸木舟を主力舟にしていた縄文人は、活動水域をさらに広げた。

伊豆諸島は八丈島、九州からは石垣島まで到達した証拠が残されている。

 

下差し本土から180km離れた八丈島の倉輪遺跡から出土した縄文遺物

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島外から運ばれた動物の骨や土器などが、縄文人の渡海を物語る*1

 

約5500年前、縄文土器と石製品を携え、犬と猪を連れた集団がここに集落を築いた。

島の資源状況を見通した上で、「縄文の暮らし」に必要な物資を運んだ計画的な移住で、数百年続いたと見られる*2

ちなみにこれらの縄文土器は、関東だけでなく東北から近畿まで本州各地のものが出土しているそうで、その経緯も気になる。

 

 

筋肉海の男はムキムキ!「縄文マッチョ村」

史上最強の縄文人?

日本列島史上、最も太い上腕骨!

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保美貝塚(愛知県田原市)から出土

 

右隣の「江戸時代の平均的な男性の上腕骨」と比較しても明らかに極太あんぐり

 

運動量が多いと、骨も太く頑丈になる。

海辺に暮らす縄文人の骨は、内陸のそれよりも太い傾向にあり、これは漁労などの海洋活動の影響と考えられる。

 

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保美貝塚では、当時の男性の全国平均より太い骨が多く見つかっていることから、「縄文マッチョ村」と呼ばれている笑*3

なかでもこの骨は、特別にマッチョだそうだ。

 

すごい骨といえば、マグロの骨もデカかった。

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宮城県気仙沼市の波怒棄館遺跡(約7千〜5千年前)から出土

 

縄文人は長距離航海だけでなく、マグロ漁*4や貝製品の流通などもしていた。

 

 

などなど。

謎いっぱい冒険いっぱい海の人類史でした波もいもい

 


 

海の人類史 パイオニアたちの100万年 [ 東京大学総合研究博物館 ]

 

海の人類史 – パイオニアたちの100万年
会期:2024.07.05-10.06
会場:インターメディアテク GREY CUBE
料金:無料

*1:ちなみに、八丈島からさらに700km離れた小笠原諸島には縄文文化が及ばず、約2000年前に謎の集団が来ていた。独特の土器や石器を持っており、マリアナ諸島から来たのではとも考えられている(大型帆走カヌーでフィリピンなどから南太平洋へ拡散した集団)

*2: 八丈島には約7千年前から縄文人が到達していた可能性があるが、資源に乏しい環境で生活は長く続かなかったようだ(湯浜遺跡

*3: マッチョ村の女性も頑丈な骨だが、海岸部の縄文人としては普通だそう。

*4: 縄文人は1万年ほど前から外洋沿岸域を回遊するカツオやマグロ、イワシ、サバ、イルカなどを捕まえていた。縄文時代中期末(約4500年前) 以降になると、三陸地方などで漁具の多様化・高度化が顕著となる。当時の漁具の多くは、材質の違いを除けば、現代使われているもののとあまり違わないというのもすごい。