ablindspotのブログ -374ページ目

ワレワレ ウチュウジン ハ オコッテイル



まあ、なんてセンセーショナルなタイトル。








先日の新聞によると 私たち地球人は 




かの宇宙からやってきたことが判明したらしい






わたしたち日本人が



モンゴルや中国や韓国から



海を泳いで渡ってきたのか舟でやってきたのか知らないが



大陸からやってきたことは間違いない










これすらも不思議な感じがするんだけども







で もっとさかのぼって 恐竜をもっとさかのぼって



植物もアメーバもさらに遡って行くと



隕石についた得体の知れないものが生命の始まりだったようで








ほー、ぼくらは隕石に運ばれてきたのかぁ




と思うとさらに 変な気持になる。









石にのって宇宙を旅していた僕等の超ご先祖様が




たまたま地球に着陸したわけですね 







「よっこらせ」










地球外生命体が存在している可能性は極めて高い





と各新聞は結んでいたが










その彼らは



今日もどこかで 「地球寄ってく?」とか言ってたり







星の王子さまに出てくるよっぱらいの星で




へべれけになって王様ゲームをしているのかもしれない。










 UFOが実在するとすれば




彼らのメカニックは 




人間のそれをはるかに上回っているわけで





それこそ 原爆や水爆というレベルではなくて






ボタンひとつで地球を壊せるレベルまで達しているに決まっている。







チュドーン








宇宙人たちにとって 別にそんなことしてもなんの意味もないから




今まで そんなことをしなかったんだろうけど






ジェットスキーのようにUFOを乗り回す宇宙人は




昨今の地球人に きっと怒っているに違いない







というのも




現在 地球人が排出している宇宙ゴミが




半端じゃないようで








日本をはじめとする先進国、



またBRICSも含め 




国威発揚のためか 宇宙の権益のためか




どっかん どっかん




スペースシャトルや人工衛星を打ち上げているが







それらの大量の残骸が 




超高速で宇宙中を巡り巡っているとのことをラジオで先日取り上げていた。








となると もう宇宙の交通ルールなんてあったものでなく






「あぶねえ、あぶねえ、死ぬとこだったよ。」







で前述の気性の荒い



暴走族な宇宙人たちは






「おい、おい、ちょっと地球人 最近調子乗ってんじゃないの??」




「シメるか?そろそろ」





みたいな感じで




abちゃんみたいにヤラれてしまう可能性だってあるわけだ。









僕等から一般人からすれば 




「僕等がやったことじゃないし 助けてよ。」





「僕等は一回もスペースシャトル打ち上げに賛成してません。」






といいたいけども



カーナビでGPSとか利用してるし



天気予報も見てるし




と考えると 言い訳がきかない








もう ああ 想像力が追いつかない。









「ごめんなさい 宇宙人様、




天気予報もう見ません、地図も自分で読みます。」







とか全地球人が土下座して 





宇宙に向かって謝ったりして許しを乞うんだけど






「あれ方角どっち向いたら いいの?宇宙ってどっち?」





みたいな感じで もうハチャメチャ








ぼくらになすすべはない。






竹やりで応戦するしかない。









ビールもっと飲んで



腹芸でもして笑いをとって許してもらおうかな















つづく

必要とされるということ


価値の曖昧なものを証明するむずかしさ







見る人が見れば相当なものだったとしても




自分にとってそれが


相当で相応でないとき



そのものの価値はゼロになる






これだけ多様化、商品間の違いのなさが広がると



作り手側は、きっと混乱するはず。






ぼくたちは どこへ向かって発信すればよいのか







万人受けを狙うのか、


鉄則的にニッチを攻めるのか







隙間を攻めるには、他を切り捨てる


勇気が必要だし


隙間にいる人たちに、ピンポイントに伝えるのが難しそうだ










受け取る側だって



いったい、何が違うの



と店員さんにいちいち聞かなきゃならない








そこのところのせめぎ合いを


目に見える形にするのが




マーケティングなのだろうし





誰が見ても一目瞭然


価値があると伝わるなら




マーケティング部は廃部になる









価値の明確な代表の


マネーですら





お釣りをすべて新札で返す






というひと手間で


最後の最後までなんとなく気持ち良いお店




という気持ちにさせてくれる









きっと、相手の望む形で望むものを届けること




がベスト









商品だけでなく




愛情、友情、思いやり、優しさ、正義



曖昧なものはきっと全部そう









なんて



わかっちゃいるけど




言うは易し行うは難し  






なのだ













つづく













閉幕



夏の風物詩、甲子園が閉幕した。





野球経験者のほとんどが


「今年は日大三高で決まりだよ」と言っていたが


三高が本当に優勝した。




凄いな 経験者達の目は。







決勝であれだけ大差がつくと


三高のブロックの反対側、



つまり光星学院サイドのブロックは 


きっと悲しくなるんだろうし


そのブロックの代表高に県予選で負けたチームは


三高の凄さをしみじみと感じるのだろう





分かりやすく言えば 


三高が仮に一点差で優勝していたとしたら


光星学院に一点差で負けた東洋大姫路のメンバーからすれば



「たら、れば」で優勝してたかも



が通用するし




東洋大姫路に兵庫県大会で僅差で負けたチームがあれば



「俺たちも ひょっとしたら甲子園で優勝できたかも」的な



気持ちが芽生えて生涯の誇りとなりえていたわけだ。









競って 競って ドラマが生じるから


高校野球であって 



視聴者からしても圧倒的大差に「残念さ」を感じてしまう








2年前 長谷川さんの試合を見に行ったが


1R 20秒くらいでTKO勝ちしてしまい


 


「ほえ」



確かに長谷川さんを応援していたが


もうちょい 相手にも頑張ってほしかった悲しさ





人はわがままだ、


負けても文句をいうし


勝っても文句をいう。




という前置き





本題




今回 球児たちを見ていて



「負けた後のすがすがしさ」が目立った。




「やるべきことをやりつくしたんで さっぱりしました。」的なコメント






次行こうよ。次







最近の少年は大人だ。


達観している。





「人事尽くして天命を待つ」でケセラセラ



視聴者は


「泣き崩れること」や「泥臭さ」にも高校野球らしさを感じていた…はず。







ガムシャラを通り越した初老の方が若者を慰めるような言葉





これは若者が「掛けられる言葉」であり


「発する言葉」ではなかったようなコメントが横行していた。





やることやりました



結果、「1位じゃないとだめなんですか?」




と似ていると感じたのは僕だけだろうか?





よくもわくるもない。



当事者じゃないから


「ほっといてくれ」という話だし



視聴者のために野球をやっているわけでもない。





ただ ひょっとすると





ラグビーのように


巨人戦のように


他のマイナー競技のように


視聴率が取れないからという理由で



高校野球が深夜枠に追いやられる可能性もなくもない気がした。











つづく