ablindspotのブログ -360ページ目

まちづくりって



小さな商店や市場、銭湯、商店街





それぞれの町には、それぞれの店がどこにでもあって




お魚ならここ、お肉ならここ


と住み分けがされていた




でも、今は平均的にそこそこのものが


一定の流通量で、まとまってスーパーやコンビニに集まり


一か所でこと済んでしまう





そうして、町は特徴のないチエーン店、FC店だらけになって


隣町との境目をなくしていく







そのお店たちがあるから、その町になったのか



その町だからそのお店が存在しているのか



ニワトリと卵のようだけれど






特徴ある店、建物、こと、ヒトで町は作られていっているのだと思う。







例えば


神戸市民の1%でも意識して買い物を地元の商店街に変えたとしたら



約1万5000人の消費の仕方が変わることになって




たった1%でも結構すごいことになる。







だから、時間と余裕があるときは


少し手間をかけて

できるだけ、「どこにでもある」ものではなく

「ずっとあってほしいもの」「ここにしかなもの」を意識して

消費生活を送ろうと思う








今日


6年間通っていた王子公園の



アズナス側改札横のクレープ屋さんが

30年の営業を終え、お店を畳んでしまうと聞いて






思い出を喚起させ、共有させてくれるはずの



景色や風景、建物が



だんだんなくなっていく寂しさを感じた。





そんな、秋の空でした。










つづく








ピエロ




月曜日の朝



気持ちいいはずの晴れ渡った秋空の中



エンジントラブルの警告灯がついたまま



怖々とクーパーを走らせる





しゃっくりをし続けるようなエンジン音


ローだと 余計に音と怖さが身に染みる








「どうか ドロンジョ様みたいになりませんように」



と願いながら





アクセル全開で店へと急ぐ途中



対向車線に彼女はいた。


















片側一車線のトラック街道





乗ってきたのであろう自転車を


道路に放り出し


縁石に座りたたずんでいる








行き交うトラック達は


その彼女をひかないように


車体を斜めにしながら


走り過ぎる






「あぶねーばかやろー」



昭和の漫画のような余裕はない






対向車線だったから良かったものの



エンジンを気にしていた僕は



ひょっとしたら轢いていたかもしれない




ってくらいの死角に


彼女はたたずんでいた。








彼女はアルツハイマーの目をして


遠くを見つめていた







定かではないが


彼女はどこか遠くに逃げ出したかったんだろう























青春時代


ばあちゃんと同居している友達が二人いた






その二人とも


その二人の家族とも


ばあちゃんをないがしろにしていた







二人の友達の家とも



隠れ扉のような部屋に



じいちゃんに先立たれてた


ひとりぼっちの

おばあちゃんを閉じ込めていた






六畳一間




二人の友達とも


臭いものに蓋をするように


僕におばあちゃんを会わせまいとしていた。





それでも僕は


無理やり挨拶をし続けた




「お邪魔します」


「お邪魔しました」



いらっしゃい


さようなら



と応えるおばあちゃんたち



そして




いつしか ふたりのおばあちゃんは


アルツハイマーになっていた。







中学生の僕でも分かるほどに


ストレスからくるそれだった。







その友人たちは



いよいよ 



僕をおばあちゃんに会わせまいとした



だから


無理やり 挨拶さえもできなくなった










幼き頃


どれほどにばあちゃんに可愛がられて


あなたは育って生きたの





いつだって




最新のファミコンソフトがあって



最新のコロコロがあって



でっかいゾイドがあって



莫大なお年玉をもらってたあなた







戦中、戦後と


物資で苦労をしてきたから


苦労をさせまい




戦中、戦後と


国や姑に苦労させられてきたから


苦労をかけまい






そんな凛とした


彼女たちは





ただただ、


カオナシとなった孫たちを


手を変え 品を変え


ピエロのように


喜ばせ続けた









ほしがりません 勝つまでは


我慢我慢で質素倹約






そんな青春時代を過ごしてきた彼女たちが


器用な喜ばせ方なんて分かるわけない



だから


孫たちに一番好かれる方法を選んだ






そして 


そんな


たち振る舞いが不器用な彼女たちは 


みごとに資本主義の罠に引っ掛かり


六畳一間に追いやられた








時代に踊らされた


ただのピエロじゃないか






思うに






きっと彼女たちは



戦後 否定され続けた家長制度は


やはり正しかったと


思いながら





戦後 肯定され続けた消費社会は


やはり間違っていたと


思いながら





昔を思い出すように


遠くを見つめ続けているのだろう





そして


「帰るべき家」を探し


さまよい続けるのだろう








「おかえりなさい」







そんな一言を聞くために












つづく
































No money No art


KAM 神戸アートマルシェが今日終わった




メリケンオリエンタルの13階ということもあり



ザ・神戸の景色とともに



いろんなジャンルのアートを楽しめる








ホテルの部屋に飾られているから


実際の自分の家に置いた時の感じを


臨場感をもって実感することができていいなーと思った





正直トイレとかバスタブに置くのはちょっと


意味不明だけど






いつもは、ギャラリーの白い壁に飾られて



遠い存在だったものが身近に感じられる





正直


アートの”相場”みたいなこともよくわからないし


お寿司屋さんの時価みたいに


値段も普段のギャラリーでは書いてないから



とっても、わかりよい







気に入ったものがあれば、買うし




気に入らなかったら、店を出る




いつものショッピングと同じ。






いらっしゃいませ、ありがとうございました



と言われてあらためて感じた







マーケットがなければ



アートもクリエーティブも広がらないし、続かないから






最初にこれ考えたひと



頭いいですねー


















つづく