ablindspotのブログ -355ページ目

モンキーパンチ

今日は神戸JCの皆さまから


脚本作りの宿題を与えられているので


手短に。





最近 周りの方々に


「ギャラリーのブログなのに


アートとかデザインの事を全く書いていないね」と


叱責を受ける。






叱責を受けてる時は「てへっ」みたいな顔をしてごまかすが


僕は「言葉こそがデザインである」と信じて疑わない。







「色使いがどうのこうの」とアートのうんちくを語り


この商品のフォルムが「なんとかかんとか」と語り



そんな知識を語るページで


日本人全体に対して


クリエーティブ能力再開発の草の根運動ができるとは


全く思わない。





それは学芸員のサイトをみればいい。




もしくは


そこまで売れるようになって



深沢さんや安藤さんみたいに



ご自分で講釈たれたらいい









僕が目指しているのは



「無駄」なことに対して


もしくは


感性の「盲点・死角」に対して



「ああ、そういう視点もあるんだな」ということを


このブログやA BLIND SPOTで


感じてもらえる仕掛けを作りたいというところであり



なので



周りに何を言われようが


日常で感じたどうでもいいことを書き続ける。





なんでも意識することが大切で


前にも書いたとおり


意識しなければ


「引き寄せの法則」は生じない。







そうして 僕たちの「言葉」というデザインで


賛同してくれる「表現者」たちが


ご自分たちの感性を表してくれたり




それをきっかけにブラインドスポットに


遊びにきてくれるようになる賛同者がいらっしゃれば


「類友」みたいな感じで


それこそが大きなうねりとなると信じている。







時間がなりわりには前説が長くなりました。












さて最近、神戸中でよくマラソンランナーを見かける。







いわずとしれた


「神戸マラソン」の出場者たちだろう。



健康的で非常によろしい


見た目も爽やかだ




散歩が趣味である僕は


もちろん徒歩だし 


歩きたばこもするから


ぜいぜい言っているランナーを見かけると


「俺は健康的なのか 不健康なのか」と悩まされる











東京マラソンの成功を皮切りに



やれ大阪マラソン


やれ京都マラソン


やれ神戸マラソンと



関西の政令指定都市は躍起になっている



ちょっとしたマラソンバブルだ







東京マラソンまで


きっと役人たちは




警備の問題で


とか


交通規制がどうだ


とかで




百歩譲って



マラソンという経済のカンフル剤を意識していたかもいれないが


そういう前述の言い訳を前提に重い腰を上げなかったと思う







それを



遥かに人が多くて



車が多くて



経済の心臓部




大都市 東京がやっちゃったもんだから



「うちらにも できるっぺよー」



とマラソンバブルが起こっているのを見ると



どうも日本の社会が見えてくる








地方都市が


大都市に負けない魅力を作るためには


大都市にないものをつくり上げる必要があるのであって



大都市にはできないニッチなところを責めるべきであって




大都市の成功事例をそのままあてはめても


同じ42.195KMが


かすんでしまうのでありまする


(普通は逆で 大都市がパクるはずなんだけどね)






農耕民族の典型的な横並び





「あっちの村はたのしそうじゃ」




「んだ、んだ」







まあ



神戸市民が健康になることは非常にいいこととしても


神戸の行政マンの気概を感じることができない事例は



これに始まったことではない





大反対し時期を逃した国際空港建設、



ブームに二歩遅れている閑古鳥ビエンナーレ



横浜を真似して 潰れたレンガ倉庫



赤字だらけの地下鉄二毛作


二匹目のドジョウの六甲アイランド




「これでもか」と




損得勘定ができないのです




ああ、やっぱり


サル真似が好きな街だなと


つくづく感じてしまう




この町はそもそもグルームさんという人が


「神戸市長」といわれるほどに


開拓してきました。



その英国人が作った



過去の遺産をベースに



神戸を演出し



「神戸が日本初のホニャララ」


チョコレートであり


ゴルフであり


なんやらかんやらでありますが



一向に その後の日本初のほにゃららが


生まれておりません。








本当にずるいんだから







過去の威光は枯渇寸前


この町の魅力も枯渇寸前






ほら、見てごらん



異人館の周りは今


空きテナントばかり




こんな神戸に誰がした????






ということで




神戸青年会議所を見習って


僕からの提言






神戸を映画のロケ地として使ってもらうために



映画特区とします



1、ロケスタッフの宿泊費タダ


2、交通規制 喜んでやります


3、映画製作費半額出資します



4、映画学校をつくります


5、映画代一律800円にします



これだけでも世界中から人が集まるのに…




って政治家さんに伝えたことがあるけど


わらって終わりました




「税金の無駄だよ」






グランウド 「デザイン」 ゼロ





この映画特区も

どこかの地方自治体が成功すれば


また 真似をするわけですね







ちょっとは韓国の国家政策を見習いなさい




ソフト産業強化策が功を奏してるじゃないの







クールジャパン??クール神戸?



「自分でいうなっ」て話なんですけど…











つづく


















































時は金なり



私はせっかちではないけれど



高速の渋滞は嫌い







原因がよくわからない渋滞にハマってしまったとき



途中で降りるべきか否か判断に迷う







料金払っててもったいないし、


もうちょっとしたら動き出すかもという期待と





じっとしてるより下道の方が確実に動くのでは



という可能性がせめぎ合い



二択を迫られて、その結果




降りたら降りたでスイスイ走っているように見えるし



そのままいたらいたで

時間かかりすぎてやっぱ降りとけばよかった、となって



正解が分からない。






いつも隣の芝生は青く見える




ホントは大して変わらないのに









お金と時間のじょうずな使い方



どこに重きを置いて使うか








やっぱり高くても


縫製のしっかりした


靴や鞄、流行に左右されないトラッドな服は



長いスパンで見ると絶対にイイし





何十円の節約のために


有限の時間と労力を費やすのは、何か違う気がする




塵も積もれば、、


だけど返ってこないものもある









時間とお金の使い方のバランスが上手な人を尊敬する








今日も高速あのまま乗っとくべきだったな




とか考えてる今の時間こそ無駄な気がしてきたから、やめよ。


















つづく








「いいやつ」禁止令





最近 よく思うこと






「あいついいやつでさぁ…」



「あいつ嫌なやつでさぁ…」



と人間を二極化して評価する方々が非常に多い。






後者はまだ分かる





嫌なものは


嫌なものだ







僕の場合





偉そうで


ケチで


礼節ができなくて






ってのが どれかあると


その烙印を押す



三つそろえば


大フィーバー







なかなか それらのイメージを覆す機会って


ないもんで



偉そうな人は


困ったときに


偉そうじゃなくなるし


困ったことが解消されると


また偉そうになるし






ケチな人は


自分の支出にはけちるけど


人の財布だと 


とたんに気にしなくなるから


余計に気になる





礼節ができない人は


たぶん ずーとそういうので


育ってきてるから


今更 治りようがない





という理由で僕は


そんな人たちを敬遠する









は いいとして




「あいつ、いいやつだね」



と評される人間で


あまり 良い人間に出会ったことがない









「いい人って何なのだろう」


というのが本日のテーマ








「都合がいい」のがいいのか?


「優しい」からいいのか?


「面白いから」いいのか?


「カネ持ってるから」いいのか?






良く分からないが


いわゆる皆がいう


「いい人」を検証してみると




ダントツで


「あいつ、いいやつやね」って


言っている本人にとって


「その時」に「都合がいい」場合が目立つ





「その時」に「都合が悪いやつ」は


嫌なやつになる






対象が自分の中の価値観にあり





その今にも倒れそうなぐらぐらとしたものを


押しつけられるのはたまったもんじゃない








くすぐるポイントをつかんでおけば


いくらでも「良い人」になれることくらい


こちとら わかっとる





へえこら


へえこら


ばひんばひん






でも客観的にみていると


そういう「いい人」に限って


あまり愛を持ち合わせていない場合が多い










で、結局


「良い人」に皆 


カウンターパンチを受けて



「あいつが…」


「信じられない…」



となる。




勝手に「いい人像」を描いていただけじゃないか。









一瞬で人を評価できるほど


みんな目が肥えてるのか?




「大手企業の人事担当が3分で人を見抜く」



なみに


そうは思わない







僕は6年間の寮生活をしてきたから


人間の評価が目まぐるしく変わるのを


人よりも多く見てきた自負がある







建前も必要ない子供だから


採点は大人以上にシビアだ










「いいやつ」ってのは


存在しない。






そんなもの虚構である



みんな無理しているだけ








そして何よりも問題なのは



簡単に



「いいやつ」とカテゴライズして


その人をその枠にはめ込んでしまう


周りの人間たち。






その罠に引っ掛からないように


むしろ



無理をしてでも



「嫌なやつ」であるべきなのかもしれない





そう思いながら


僕は無愛想でありつづける




そうすりゃ



皆が「あいつは無愛想だ」と


嫌ってくれて


「いい人あつかい」してくれないから


こちらはとても やりやすい。






そういう僕は他人に対し


「いい人」という言葉を


意識的に使わないようにしている






こと男性においては




「おもしろい」



「男前」


という言葉を


僕の中では最大級の褒め言葉として


つかっている






面白いか


面白くないか




男前か


男前じゃないか





もちろん


「優しい」とか


「賢い」とか


「知的だ」とか


いろいろと賛辞の形容詞は使うが





「いいひと」という


流動的で、抽象的で、漠然とした言葉は


もういちど言うが


つかわない








僕が男前っていう人は


「いい人」より


きっといい人だ





なぜなら


「男前」という評価をするには



愛と


義理が必要で



なおかつ


そういうものを持ち合わせているか


否かを判断するために


非常に長い時間を必要とするから。






愛っていうのは


長いスパンで相手を思う気持ちだからね





「いいやつ」みたいに


そうそう 簡単に言えなんです



















つづく