預かりもの
昨日のよる家の階段から落ちた
しかも登ろうと思って落ちたから
足の前側全面的に打撲
めっちゃいたい
階段から落ちるのは三回目で
あとの2回は朝起きてすぐ
10段くらい上からずざざざざと滑り落ちた
おしりめっちゃいたい
小さいころからぼーっとしてて
あんまり繊細な子供ではなかったから
食卓の上のお味噌汁とかすぐこぼしたり
食器落として割っちゃったり
荷物忘れてきちゃったり
道にふらふら迷ったり
物をよく落としたり
なんだか
ほとんど今もだけど
注意力散漫すぎる!
といつも怒られていた。
怒られるたび、気をつけよう気をつけようと思ってるけど
2分後には元通りでまた怒られる
それでも
完全に治ってはいないけれど
お茶を習ったという事で
日常のものの扱い方が変わったような気がする
「気」がする
もちろんイイもの、値段もイイものを使うから
丁寧になるというのもあるけれど
モノでも何でも
それは、自分だけのものではない
というか
例えば永く受け継がれてきたものなどは特に
今はたまたま自分の手の中にあるけれど
後世に残していくために
自分が「預かっている」だけ
という心理があるはず
そういう心もちで過ごせたら
きっと全部大切にできるのだ
つづく
デモ産業
またまた時間がない…
2割6分のスタッフがFA宣言したのち
結局 現場に閉じこもる日々が続く毎日
そして 今日も神戸JCのミーティングが
9時から始まる為 (本当は8時からだけど)
とても急ぎ足で書くときに限って
なぜかしら 変換ミスや 誤字が多くて
イライラする午後六時
と書きだしてから
お客様の来店が続き
再開すること
午後六時半
さて何を書こうか?
そういやずっと前に
バーテンの人と話していた
「デモ産業」について
語ろうじゃないか。
バーテンいわく
脱サラを目指す客、
サラリーマンに嫌気がさしている客の
口癖として
「ラーメン屋でもやろうかな」
「バーでもやろうかな」
「カフェでもやろうかな」
「お好み焼き屋でもやろうかな」
と語る客が多いらしい
で そのバーテンが総称として
「でも産業」と言っていた
バカ言っちゃいけないよ
簡単に皆が思いつく仕事ほど
街中に多い仕事ほど
「でも産業」ほど
難しいものはないんだよ
と二人で話していた。
どんな仕事も
本当に大変
生きていくのって大変
メダカだって
アメンボだって
大変さ
それにたいして
蔑みの意をこめて
「~でも」って。。。。。
パティシエでもなろっかな??
弁護士でもなろっかな?
美容師でもなろっかな?
医者にでもなろっかな?
歌手にでもなろっかな?
になんて簡単にいうヤカラがいたら
まわりの人間は
「バカじゃないの??」
という評価を下すだろうし
その侍業の方々は
きっと相手にしないはず
同じように
「デモ産業」に従事している方々は
そのように「小さな夢」を語る方々を
心の奥底からバカにしているのです
「やってみなさい」と。
もしくは
「やったらわかる」と。
しかしながら 我々は
そんな客に対しても
「いいですね~、どんな店にしたいのですか?」
と相槌を打たなきゃいけないわけです
ばかばかしい。
おわり
つづく
っとに大変なんだから
「デモ産業」に浸かっている僕が
言うから間違いないです
シェアお願いします
カーシェアリングの看板を街中でよく見かける
他にも
シェアオフィス
シェアハウス
も最近よく聞く
FREEの次は、シェアがアツいのか
「所有する」
という行為はもう時代遅れなのだろうか
自分一人だけのものにするということは
一種の怖さも持ち合わせている
わずらわしさや責任も自分が負うということで
車でも家でも
所有者になった時点で
申請やら、税金やら、修繕やら
色々とアフターメンテが必要とされるし
土地や家なら地価の上がり下がりというリスクを背負うことになる
そんな冒険をしてまでの
一国一城のあるじ的発想はイマドキ流行らないのかもしれない
私も物に対する執着はあまりないけれど
買うという行為は楽しい
ダメだけど
買うことで満足して、後はほったらかしと言うこともままある。
でも、ものを買うという行為は
単純に、
人間にとっての純粋な楽しみの一つだと思うし
シェアするという事だけで
人間の本能はほんとに満たされるんだろうか
心理的問題だけてはなく
モノが欲しいという衝動なくして
これから先の
経済、消費活動のモチベーションは保たれるんだろうか
消費に関して、共産主義的になっていくなら
もの作り大国ニッポンの
国内消費の未来はやっぱり暗い
物質的シェアが当たり前になったら
そのうち、シェア彼氏とかできちゃったりして
つづく