カンパリロック
ずーと前に書いた
神戸から長崎の原付の旅を
ともにした友人と久しぶりに晩御飯
「おーひさしぶり。」
以前は年に3回くらい会っていたが
勤務地が大阪
住まいが京都よりの大阪
そして結婚を昨年したゆえに
なかなか彼と会う機会が無い
「会おうか?」という内容て”なければ
お互い全くメールもしないし
携帯を鳴らすこともない
幸いにして 嫁が須磨出身ということもあり
昨日はたまたま嫁の実家にいるということた”ったのて”
神戸駅にて待ち合わせ
接待に使わしてもらう「のり吉くん」は閉まっていたが…
長いこと会わないと
人間関係というものは
すたれてしまう
一年以上 間があくと
一通りの報告をしたのち
変な空気が流れ出す
「あれ何話そう?」
「あれこの話 本日2回目の登場?」
「今話している話 面白いの?」
会話がいまいち 生き生きとしない
締めには
無意識の溜息が流れ
てんこ盛りになった灰皿を眺めながら
消したつもりのタバコを再びくわえ
思い出話に頼ってしまう
ウルトラC
「あったよな」
「うんうん」
って全然面白くない
過去の話をするのは
人生の最終コーナーを回った時と
僕は思っているため
「今」の話をするために
僕は「この人」と思う人とは
一年以上お酒の席のブランクを空けないように意識している
楽しかった
ピクルスをつまみ
生ビールに
ワインを飲みながら
新婚生活の話
嫁の価値観
おこずかいの金額
仕事の話
学友たちのその後の進路
お互いの夢、将来計画
思い出話なんて1mmも出てこない
俺たちはまた”若い
止まってはいない
一通り 語り
濃密な全速力の2時間を過ごした
「ほなな」
静かな
かすかな
テロップ
いつものように彼と別れた
今こうしてブログを書いている途中
カンパリロック(カットレモン入り)を食後酒に頼むときは
決まって楽しいときなんた”な
と わかった。
無意識
変な合図
続く
火事場の馬鹿力
どんな人間も決して甘く見てはいけない
前の職場の弁護士がよく言っていた言葉
教養だったり社会的立場だったり
弱者と一般的に呼ばれる人たちも
究極に追いつめられ
死に物狂いで自分の権利を守ろうとする時
思いもよらない所から
足元をすくわれる時がある
そしてそういう感情は
往々にして相手側にも感じ取られてしまい
無駄な火種を作ることになる
敵は少ない方がいいに決まっている
このままならどう考えても絶対勝てそう
と思っても
判決が出て確定するまでは何が起こるか分からない。
どんな相手にも、スタンスは変えてはいけない
火中の栗をわざわざ自分から拾いに行くのが仕事なだけに
なかなか深いな
と、思う
つづく
追伸
今年から営業時間短縮
三日三晩 連続 映画館にて
映画に浸っている僕
慨に昨年より本数を見ている
昨日はレートショーを見る前に
にはとり屋にて酒を飲み過ぎたせいか
開始20分て”天国に飛んて”いってしまったけと”ね
昨夜の大橋さんがアップした話の続き
初日に見た映画「家族の庭」は 大澤賞の
きっと本年の作品ナンバーワンに輝くことと思う
(ちなみに昨年の受賞作品は台湾映画「モンガに散る」)
ノミネート理由を手短に…
以前からお伝えしているように
寅さんや小津作品のような
僕はありふれた日常の一コマ的な映画が好き
いわゆる大金のかかったブロックバスターを見ると
「はい、はい。お疲れ様、
宣伝のために金がいくらかかったか
お伝えするしか能がない映画っすね」
となる。
ましてや円高の昨今
その製作費さえもショぼく感じてしまうのは
「もののあわれ」としか言いようがない
演技がうまい
僕はあまり邦画の俳優たちに
そのように感じることはあまりない
話し方一つ
表情一つ
僕等が日常にて話す言葉は
もっと簡略化されていて
もっとカツぜツが悪くて
眼力もなくて淡々としているはず
もっとも
近頃の単館系の映画の場合
それを意識しすぎて
日常会話以上にカツぜツが悪過ぎて
淡々としすぎ過ぎている場合も目立つ
草食系を意識しすぎているのか…
バランスがね
大切ね
舞台のミュージカルや
百歩譲って
ミュージカルの映画ならまた”
許せる
(なぜなら見ないから)
しかしながら映画の場合は
「体全部を使って表現する」
なんてものが必要とは思わないし
もっというと
BGMなんてものも
使う必要なんてないと思う
高い金払ってるし
チャンネルも代えられない
トイレにも行けやしない
タバコも吸えない
真剣勝負に
まやかしなんていらない
僕が求めるものは
演技力と
ありふれた日常における
ありふれた一こまを描くストーリーのみ
TVの場合は
テレ朝のニュースを代表するように
ショッキングな音
あおるような音
悲しみの音
音に演出を使うことによって
テレビに引きつけておいて
視聴率を下げまいとする
そんな
努力は分からなくもないし
勝手に演出してくれればいい
(なぜなら見ないから)
もちろん映画にしても
視聴率の代わりに
興行成績という数字に直面するけれと”も
映画を見に行く動機っていうのは
僕の場合
大体 口コミた”ったり
雑誌等の評価における
ストーリーの良さ
決して試写会の観客の
「泣きました」
とか
「感動しましました」
とか
「満員御礼」
みたいな宣伝て”はいかない
なのに
人が見たいと思うと思っている宣伝部の方々の意図が
よくわからない。
(それが仕事なんた”ろうけと”ね)
映画評論家のオカマちゃん達は
少なくともお金もらってCMのコメントしているた”ろうから
彼らたちの書評も信じない
邦画 洋画ともに
60年、70年、80年代前半の映画は実に
シンプルて”いて美しい
シンプルて”いながらも荒々しい
魂がこもっている
音楽にしても
映画にしても
最近 心を動かす 心に刻む名作が
一体
と”れほと”あるのた”ろうか?
大量生産
大量消費
正月の吉本に汚染されたテレビと
何も変わらない
「商品から広告費を減らして売って下さい」
「受信料減らして下さい」
しかしこの作品は違った
映画というのを忘れてグイグイ引き込まれた
演技のうまさ
会話
風景
僕がお付き合いしていたイギリス人女性との
生活が まったくそのまま写されていた
ウィットとアイロニーが含まれた食事中の会話
綺麗に整った庭
弱者に対する計算のない優しさ
確立された個人主義
招かれた晩さん会の孤立
もっというと主人公の一人が地質学者
彼女のお父さまも地質学者
全てがそのまま
その感情移入もあったからに違いないが
全員 英国人のパーティーて”の弧独感
あの時の失笑
あの時の被害妄想
あの時の自暴自棄
そこから行きつくアルコール
そして精神を患い帰国した自分を
を一瞬にて思い出した
なにも脚色されず
素のままの自分が投影て”きた
「日常」
余計な音のない世界
僕が日本映画に求めていたものが
この映画には確かに存在していた
こんな言い方するのもなんた”けと”
海外勢に柔道の金メタ”ルをとられた気分になった
日本のお家芸た”ったよね
このテースト
誘い涙も
感動も
音楽もいらない
いつも思うことた”けと”
名作とは無意識を意識させる
なにか「はっ」とさせられるものと僕は思う
それが日本の美学
突飛なものはアメリカさんにまかせればよいのて”す
追伸
先日心理テストをしてみると
「あなたはまじめすぎます
しょーもない映画をみて
ガハガハと笑える余裕を心に持ちましょう」
と書いてあった
笑うに笑えない
続く