ぼちぼちやね
日本企業の赤字が深刻
キャノンに
ソニーに
パナに
シャープに…
2000億
7000億
いやー、僕の店が7千億赤字出しちゃってさ…」
ぽりぽり頭を掻いてたら
「こいつ単なる頭おかしいやつに違いない」
となると思う
そう考えると
そのトップ企業は
それなりの内部留保をしているがゆえに
存在し得るに違いない
結局は過去の遺産があっての事
たんなる時代の通過点
ああ 今年も不作じゃ
あ あれ食べよ
蔵の保存食
一喜一憂
つい最近まて”
「V字回復の兆し」の功労者として
意気揚々と鼻息を荒くして
各紙にコラムを書いていた人たちが
意気消沈て”
決算報告している姿を見ると
なんりゃ
監督や芸能人とかわりやしないよねー
と思ってしまう
分かりやすく説明すると
オフシーズンにCMに出まくっている
スポーツ選手たちが思うような結果を
出せなっかったとするならば
「トレーニングに専念せずに
荒稼ぎしたから…・」
「締まっているはずの体がぶよぶよ…」
と非難の嵐となる
世間の冷めた目
最近は
某通信会社の社長や
某アパレルメーカーの社長や
某ハンバーガーショップの社長も
事あるたびに
成功者としての格言
わが社の成功の秘訣を
様々な媒体にてご親切に教えてくれる
広告出稿とのバーターの関係もあるんた”ろうけと”
「かあちゃん、おれ明日経済面トップ飾るよ
ネクタイ何締めようか?」
とか
「あした 雑誌の特集なんて”
後よろしくね ホニャララちゃん」
とか
寵児として
みこしに担がれているのもまんざらじゃなさそうた”
彼らにシーズンオフはないのにね
その昔
有力ファッション雑誌の専属モテ“ルとして
たびたび載っていた友人がいた
確かに彼は
男前
身長も高く
サッカー部出身ゆえにとてもスマート
様になっていた。
しかし 着せられている服が
とにかく良くない
コンビニて”立ち読みしながら
「買わないよ これ」
そんな彼は
僕の視線も指摘もお構いなしに
奇抜な洋服を着ながら
珈琲をのんた”り
ベンチに座ったり
そんな服を着ている友人たちと
笑っている姿が撮影され
ページに存在してた
「買わないよ」
って言ってるて”しょ?
彼はいつしか
載らなくなっていた
そしていま 何をしているのかも
良く分からんが…
結局
前にも書いたことた”けと”
あらゆる情報媒体に求められているソースというものは
「世の中の過半数以上に支持される」ことが大前提になっている
もちろんスポンサーの色が濃く反映されることもあったとしても
「いかに世の中に賛同してもらい、同調してもらえる」が着陸地点
もちろん
そこに成功というスパイスあるがゆえに
(ルックスが良い故に)
皆
ほー
へー
となるし説得されるんた”けと”
それにしても書き手、聞き手の解釈ひとつて”
そのアウトプットは大きく
意図したものと異なってしまう
「すげー」もしくは「かっこいい」
が
「ふーん」
が
「あっそ」
が
「また”言ってるの?」
あっそあたりになると
もう媒体は相手にもしない
なんてたって
世の中が求めていないから
もしくは結果を出せていないから
そして
グローバル企業にとって
世の中とは「世界」なんた”しね
株主総会においては
説明責任は必要た”けれと”も
みこしに担がれたり
みこしに担がれにわざわざ行ったりする必要はない
マスコミに
「もうかりまっか?」
と聞かれれば
「ぼちぼちて”んな」
とはぐらかし
「成功話を知りたきゃ
過去の偉人たちの英知を読みなさい」と
一喝し
本業に専念するような
会社こそが崩れない会社なんじゃろね
資本主義においては
「結果が全て」
とするならば
社長や会長やCEOは
退任 引退するときに
すべてを語るべきかと…
僕はゆえに
私の履歴書を読むのが好きなのて”す
お手洗い?
新聞て”拭きすぎて
痔にならないように気をつけてくんさい
続く
ロゴの語呂
企業の顔だったり
企業イメージを一目で表したり
商品選択の参考になったりする
ロゴ
もし、何のマークも付いていなければ
きっと不安で買うのを躊躇するだろうし
おなじみのマークがあると
無意識に手が伸びてしまうはず
人は変化を嫌う生き物のはずなのに
スタバにau
せっかく定着したロゴを変える
その理由って一体なに?
単純に思いつくものとして
イメージを変えたい
話題をつくりたい
商品展開が初期より広がった
海外にも通用するように英語にする
目指す先が当初と変わった
消費者の対象を絞りたい
とかかな
でも
ロゴひとつ変えるといっても
例えばスタバなら
全世界の店舗の看板、メニュー表、カップ、ナフキン、ショッパー、レシート、名刺・・・
その他諸々の
ロゴの入った備品たちの回収をして
新しく作り直し、全店舗に配分する
前のロゴのは使えなくなるから、破棄されるだろうし。
auにしたって
町にいっぱいあるauショップから
袋から、新しいケータイからCMから何から何まで
経費すんごいかかる
想像しただけで大ごと
そんなマイナスを背負ってまで
今、変える必要があると判断されたロゴたち
前の方がいいとか、違和感あるっちゃあるけど
目的があっての判断だろうし
これからスタバとauを知る世代にはこれが定着していくわけだし
そう考えると
未来への投資として
今必要ということかもしれない
コカコーラのように
初めからほとんど変わっていない
という方が稀なんだろうな
でも
もうコーラといえばあれ
ツーと言えばカー
だから、絶対に変わってほしくないけど。
つづく
まめまき
鬼はそとー
福はうちー
効率を優先する現代社会における
最新の豆まきは
部屋が豆で汚れないように
豆は小さな袋に入れて撒くそうな
掃除が楽だし、後で食べられるし。
エコ エコ エコ エコ
相変わらず
世の中のエコ押しは続いているけど
とりあえず
マトリョーシカのような
デパートの過剰包装を簡易包装にするべきだと思う
mottainaii
不景気といえど
一世帯当たりの子どもの数が減ることで
一人当たりに掛けられる時間も、お金も
昔に比べてだいぶん増えて
習い事もいっぱいしなくちゃいけなくて
そのせいで、外で遊ぶ時間が無くなって
体力落ちるから
体育の授業用の家庭教師をつける親もいるという
何とも本末転倒気味の世の中
過保護ということは
保護が過ぎるという事で
子どもは保護すべき存在
という前提からの言葉だと思うけど
そもそもいつまで保護するべきなのか
子どもっていつまでなのか
ハタチ?
フランスでは小さい頃から
「子」でも「個」とみなすと聞いたけど
日本だと
親にとって子供はいつまでたっても子ども
生きる上での保護は抜きにして
親の従として
個として
子の立場しか知らない今では
何だかよくわからないな
とにかく
過剰からよいものが生まれることはないはず
だと思う
つづく