日本列島改造論
明日と明後日の夜が詰まっている故
今日も僕がアップリケ
とは言っても明後日アップ出来たら
しますからね 大橋さん。
Well、何書こうかしらん
昨日は辛酸一家と孫悟空と会食
仕事の締めにぬか床を混ぜていたところに
赤紙の℡がなっッいた模様
ブログをかきかき
コールバックすると
「八時た”よ大吉集合!」
と軍艦マーチが流れてきた
僕は慌てて車を飛ばし
財布に弾を込め
戦地に向かう
辛酸が気仙沼にいったことをFBにアップしていたため
その話も聞きたかったしね
辛酸と孫悟空と野郎二人て”
「きーよく」酒を交わしているかと
思いきや
大吉ののれんをくぐると
その「ボックス席」はカオスとなっていた
「ぬお 姐さん」←辛酸の奥さんね
驚いた僕は
僕は借りてきた猫のように
みゃーみゃー
名古屋人のようにかーちんコーチンになっていた
僕はひそひそと気仙沼の話を聞いている
その傍らて”は
辛酸の子供たちが内乱状態に陥った。
その熱がピークを迎えるたびに
姐さんの一喝
その熱がピークを迎えるたびに
姐さんの一喝
それはまるて”引いては満ちる
日本海の荒波のよう
目をつぶると
松竹映画のオープニングが目に浮かぶ
僕はそんなことを考えながら
気仙沼の話をずーと聞いていた
とするうちに次男は眠りにつき
長男はKO勝ち
その震災の傷跡の話と
目の前にある平和のコントラストに
僕は何を思えば正解なのかがよく分からなくなった
辛酸は当たり前のように
酒を飲み ご飯を食べ 家族があり 家がある
ことのありがたみを口にしていた
健康を失ったとき
たとえば歯の痛みなんて
この絶望的な痛みをとり出したいという思いに必死
その痛みが取れることに希望を持ち
あわてて歯医者さんに通うが
歯医者さんへのありがたみも
痛みが取れたことに対した後の希望は消え去る
それが日常というもの
その日常に感謝することの大切さ
やね たぶんね
しかしながら
僕等は満たされている限り
感謝もなくなって希望がなくって
希望がないから生きるあかしもなくなるとなる
ゆえに自殺大国
という矛盾を僕等はかかえている
17年前
千葉の学校の寮生活をしていた僕は
神戸の街並みが火の海になっている姿をテレビて”眺めていた
美術の授業中
特別に僕のためにテレビを流してくれたが
その惨状を見て
美術の先生が
「いやーこれて”日本の景気がよくなる」
とぼそっとこぼしていた
そのことばに対し
怒りじゃなく嫌悪感を抱いた
しかしながら
辛酸や孫悟空いわく あの当時
確かに復興バブルが存在し
被害者て”ある彼らが
それはそれは景気が良かったと述懐していた
僕が子供た”ったのた”ろうか
何かを失うことによって
何かを得ることが出来る
焼畑にしても
戦争にしても
もちろん復興もしかり
もっと言えば
マイナスから0にもと”すことが
天災大国に生きていく
我々日本人のミッション、そして天命なのかもしれないね
一方 0からプラスっていうのは
普通が一番って達観しちゃうと
なかなかなりえない
さっきも書いたとおりね
ここ我々の残念なところやけと”ね
て”もね 身の丈をしるもの重要て”ね
現状維持
よくもわくるもアンチカイゼン
引いては ちるちる 満ちる
割り切ってしまえば
そのギリギリの境界線が
陸サーファーな僕たちの舞台なんやろね
国民性
しかしながら
もし僕が遅々としてすすまない
宮城や福島の復興を目の当たりにしたとき
半端じゃない歯の痛みが感覚がマヒし
もっと悲惨な状態に陥っていくに違いない
と思うように
日本の何がしかがマヒし続け
もっと悲惨な状態が未来に待っているに違いない
と思うんやろね たぶんね
生態学的にいうと
震災が起き
生き延びた者は
亡き人の分まて”
生き延びるために
食うために
復旧をし 金を儲け
ゼロの地点まて”漕ぎ付く
その儲かったことが
ある意味 犠牲者への弔いにもなり
被害者としてのご褒美ともなる
泣く人がいて笑う人がいる的なものとはちょっと違うけと”
さっきの天命話じゃないけと”
日本の経済活動って
そんなことの繰り返して”なりたってきたんじゃないかしらん
散る散るミチル
困った時はお互いさま
well…
辛酸いわく
被災者の方々に今のところ
ご褒美はない
視聴率もとれないし
クライアントに煙たがれるから
報道もされない平穏な
「がれきが横たわったままの」普通な日常ならね
人間として テンションもさがっちまうに違いない
前に進めないわけやしね
希望もないし
なきびとも浮かばれないし
嫌悪感が漂うた”け
そんな現状に対し
あらゆる国が恐れていた
日本の「何かあったら結束する」という強みと言える
(その裏に何かがあったとしても…)
前述の陸サーファーの価値観が
戦後教育のおかげて”
向き合えていないわけやね
と感じ
そして本当に全てを失ったとき
そこから全てが始まるに違いない
とも感じた夜
カオスの中
息子が迷路を書いてくれ
とせがんて”来たのは
何がしかのこいんして”んす
僕は無力た”
普通はなんなのか?
続く
続く
studio a blind spot
妹が店にパソコンを忘れていっており
しかも起動したままなので 拝借してこのブログを書いている。
なぜ拝借したかというとDが打てるからという単純な動機。
いつもは
音読み訓読みを駆使し
dの記号の漢字を呼び起こすものの
さすがに
電 は違う読み方が分からないし
デザインも「て”」と打たなければならないし
こともあろうに
わがギャラリーのAblindspotのDも打てなかったから
ひそかに
わーい
わーい
Ablindspotってタイピングできることが非常に嬉しく感じるのであーる
さてさてうちのギャラリーは
夏季休暇に入っているから
あんまりエキシビジョンについて
書くことが出来ない
とは言えども
ギャラリーは稼動してないため
夏季休暇もくそもない
秋口には待望の
第二回目が行われるような予感が
その告知はもちのろん
様々なところに顔を出し お声を掛けさせていただいている
大橋さんからさせていただくとして
いやいやコモト君に続き
二人目の作家さんが決まるまで
非常に長かったね
実に一年の歳月
もちろん東京の方々や
海外在住の方にも見ていただき
うちの箱のポテンシャルを評価していただき
こんなにすごい方々が
評価してくれてんのに
なぜみなさんに
「やってみたい」
はないにしても
「見てみたいなぁ」
くらいの興味が沸かないのだろうか
と何回も大橋さんとミーティングをした
それはまるで
過去の世の中の偉人たちが
人類に役に立つものを
自信を持って 売り出したものの
あんまり評価されず
在庫の山を抱えて
「なぜなんだろう いいものなのに」
って頭を抱えている姿にダブる
って手前味噌だけどね
しかしながら偉人達は腐らず
来る日も来る日も諦めることなく
草の根的な営業活動を続けた
そんなある日
スパークするときがやってくる
というサクセスストーリーを頭に浮かべながら
大橋さんとああでもないこーでもない
と作戦を練っているが
やっぱりこうやって地道に
ブログを書き続けていることが
何よりも大切なんだよな
と思う
そうして いつか画面の向こうのあなた様が
重い腰をあげて
「よっしゃいっちょやったるかー」
とStudio a blind spotを使っていただくことを
心よりお待ちしている次第なんです
もちろん知り合いにも
色んな方々にも
「作家さん探しとくね」
とか
「声掛けとくね」
とか
そんな声に
ちょっと期待してみるけども
「ね」で終わる言葉は甘い
と感じつつ
大橋さんの絶えまぬ努力によって
第二回目のエキシビジョンが
決まったとき
彼女は半狂乱で
裸踊り
はしなかったが
営業のとき 後輩が
「おーさわさん 取れました」
といったとき以上に感慨にふけった
ご愛読していだいている皆様
今一度
われわれの表現が町を活性化させる試みに
ご協力くださいませ
そしてこの町を元気付ける社会実験に
ご参加くださいませ
グラフィック
プロダクト
インスタレーション
映像
音
…
その作品に自信があるのであれば
一点豪華主義でもかまいません
レンラクマツ
studio ablind spotヨリ
続く
越えるということ
国境を越える、というのはどんな感覚なんだろう
と思うことがある。
外国に行ったことはあるけれど
二ヶ国以上を行き来するとか
地続きで隣の国に入る
という経験はしたことがない。
人類みな兄弟とはいえ
一歩足を踏み入れただけで
別の世界、別の文化が息づいているところにトリップすることができる。
目に見える線が引かれているわけではないだろうけど
その線を超えるときの気持ちを体感してみたい
と思う。
国境ではないけれど
南北の38度線や東と西との壁
命や宗教、哲学、思想、家族、全てを投げ打って
全てを賭けて超える線もあれば
一生越えられない線もある
一方でひょいと、歩いて簡単に超えることができる線もある
どこに産まれるか、どこで生きてゆくか
閉塞感を味わわずに、人生を選択することができる
そんな場所に産まれるか、そうでないか
そんなことをふと考えながら43号線を走っていると
西宮市、芦屋市、神戸市と標識が見える。
いつも無意識に市をまたいでいる自分
芦屋なんてちょこっとの距離だから、一日に何度もまたいだりする。
国境が近くにある人にとっては
通勤で隣の国に行ったり
隣の国のスーパーにご飯を買いに行ったりしているのかもしれない
平和と平穏が保たれていれば
芦屋市と神戸市を行き来するように
意外と普通のことなのかも
と思ったりする。
つづく