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クボタケシ展4日目

みなさま、こんばんは。

やっぱり寒い日になりました。


雨が、ブラスポに冷えをもたらしました。


一方で、アラジンストーブという思いやりにあふれた贈り物ももたらされ


心身ともに、優しさの灯が燈りました。


本当に、みんなに支えられてのブラスポ。

感謝しきれません。ありがとうございます。



今回のクボタケシ展。


美術関係者や美大出身者

そういったアートに関わりをもつ方々のご来場をたくさんいただいています。


そんな方たちから、すごくいい空間
と言っていただけるのは

何とも面映ゆく、でも、やはり嬉しく思うのです。


純粋に、何かを一筋に行う、ということは

それ以外の事を犠牲にする、ということでもあり

両立すると言うことは、純粋に一筋に行う

ということを犠牲にする、ということでもある。


どちらとも、信念をもって、長く続ける
という事は難しいことのようでもあり、結局は人間、どちらを選んでも、それが自分の一番楽な生き方

という気もする。


とはいえ、執着や、固執、熱中や、拘りを注げる対象と出会えること、気づけること

というのも、一つの運命であり、才能である

とつくづく感じる。











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おつかれんこん


ルミナリエのせいか夕方のお客さんがとても少ない




当店は物流関係のお客様が多いせいか


普段お見えになる方々がスコーンと抜けて


レストランで山彦が響きそうなくらいな静けさ



のおかげで仕込みに専念できる分


最後のレジの精算ボタンをひねると気落ちする




スコーン




今朝 有馬街道の二号線にぶつかる所から


オアフ島いきの浜手バイパスがすこぶる混んでいた。



すこぶる混んでいたから



「げ 遅刻する」


と思い


島行きの右車線ではなく


磯上行きの左車線を走りぬけ


海中トンネルからオアフ島にもぐりこもうと考えていたところ



数珠繋ぎの右車線に「スコーン」を発見



おばちゃんが運転していた車と前を走る車には


空白と呼べる距離であったのであわてて入り込んだ



ありがとう おばちゃん



無事 神戸大橋に合流できたものの


橋上では5車線あるにもかかわらず各車線とも牛歩戦術が繰り広げられ



どの車線が「渋滞のアミダクジばば」か分かりゃしないので


ときどき車をすり抜ける馬鹿バイクたちをさけながら


勘に頼り一番左に移りそのまま店に滑り込みセーフ




結局 車線でもなく 降りきったところで


バイクと乗用車が事故の現場検証をしていた




どうでもいい話だし


だれもが経験する話だけど




僕はどっちが悪かったかしらないが


仮にバイクが加害者だったとして


そのバイクを運転する人間のちょっとした判断・確認ミスが


こんだけ遠く離れた有馬街道の入り口まで影響したことに


人の世をかんじるのです




出口近くで先頭を走っている人間が事故ると


入り口の人間は入ることすら許されない



その流れに乗っちゃった人間は


みな待ちぼうけをくらい


いらいらして車の中でタバコぷかぷか


灰がズボンに落ちたり



クラクションがブーブー鳴って



「うっせーよ馬鹿。おれじゃねーよ」


なんだとー


と喧嘩が始まったり



「事故?そんなもんしるかクビじゃ」と


取引先や上司に怒られたり



その後遅れた時間を取り戻すために


スピード違反で捕まったり


しかも点数がなくなって新婚旅行のレンタカー借りれず


タクシー旅行になっちゃったり




夜勤明けの警察は交通整理に追われ


ミンミン打破を飲みすぎて胃を壊したり



そのさきの市民病院で最後を看取ることを出来なかった人や



東京行きの飛行機に乗り遅れた人々もいたりして


銀行を怒らせ その会社の融資が降りずに


倒産



そんなところまで加害者も考えはしないと思うが


その一瞬の判断ミスによる経済損失は果てしなく大きい




これと同じように



一家の家長や一国の首相や一社の社長や


先端という意味では現代に生きる我々が犯す


ほんの少しの判断ミスで



家族にも国民にも社員にも


ミライにいきる後世の人たちにも


本当に迷惑をかけるんだな



みたいなね




「今がよければいい」


「今が楽しければよい」


「自分がよければよい」


「生活保護もらえばいい」





そういった風潮の中で


我々は本当にいいわけがない




すべては線でつながっている


そして負は波紋のように拡散して行く




※それが気にならないからこういう風潮になるんだろうけどね


※でも次世代くらいのことは考えようよ




やはり慎重に確実に石橋をたたいて渡るくらいの


あのおばちゃんくらいに


人生レースにおいての距離感を持たねばならないし



一方でただおばちゃんのように隙間を空けすぎると


(譲りすぎると)


隣国的に付け入られる可能性もあるしね



主体として

すべての組織


すべての人生


舵取りは本当に難しいし




一方で


客体として我々は点にしかすぎない




その点としてのバトンを落とさぬように


責任を真剣に果たすことが


舵取りとして重要だなと






交通事故の渋滞に巻き込まれるたびに


修身的なことを感じるわけなんです



















ディベートーベン




こんばんわー



今日は静かな一日でしたが



みなさまいかがお過ごしでしょうか?







僕は今




大橋さんとのミーティングを終え



非常にすっきりしているところです







まあ内容は全くギャラリーのこととは関係ありませんでしたが



1時間ほどノンストップひばりくん








うん




そうやね



まぁまぁやね



へーそうなんだ





聞き上手は話し上手といいますが




それはあくまでも沈黙は金的な美徳であり




一種のしゃべりな人への戒めの言葉かもしれません







なぜならよく話すほうが




頭がフル回転するにするに決まっている





私は何々だ。なぜなら~



という論理展開をして行くほうと





上記の相槌的なほうと





どっちが頭を使うかなんて



頭を使わなくても分かる答えで





話すほうとしては







「あれ これ それ どれ



そういえば あの話あったなぁ



この話のオチはどのようにつけて




どういう結びにしようかいの




これさっき話したな



かぶっているな



これもう一度言いたいな



でも三回目だしな




ああそういえばこの切り口があった




ここでコレ使おう




ああ退屈そうだな」





なんてことを次々考えなくてはならない






ときおりトラップしかけて



聞き手に対し




「あなたはどう思う?意見は?」



なんて急に話をふるもんなら




しどろもどろになり



目が泳ぎ




ひどい人なら





「あれ質問なんでしたっけ?」




という逆質問が出てきたりする





だからね




こういう質問しているの





なんていうアフターケアまでしなくてはならない








これ僕

 





「きーてんのかよ」





といわれるのは僕の十八番で





実は頭の中で




話し手の声なんて



ミュートに近く




話し手の「まぁそれは後で話すとして」



の後の話の続きどうなるんだろ





とか





さっきの話のオチおもしろくないなぁ





とか





そういえば猪瀬知事ってチビ太ににているなぁ





とか





ああこの人ちょっと太ったね





とか





あああしたシフト回るかなぁ




とか





最近温泉行ってないなぁ








というように



話し手が唾を撒き散らしている間



僕は大概 断片的で想像的に思いをめぐらして



自分との対話に実は忙しくて





というか全く聞いていないことが多い





ワンフレーズ一人総理大臣





だからこそ





自分のことを話すのがとても苦手で



こうやって話を長々とすると



頭がちょっと疲れると同時に



脳が覚醒されている感じがしなくもないのです







・短いセンテンスで分かりやすい



・端的で押さえどころをつかんでいる



・人の心をえぐる言葉を発する



・一人ブレストしない、つまり脱線せず起承転結を話せる






そういうことが出来る人は



ちゃんとそういう雄弁な自分を経て



学習して そぎ落とし



シンプルにいけるわけなんですね








つまり




話し上手は話し上手ですし



聞き上手は話し下手なんです









もっと話そう

自分のことを






運命ではなく



単純にサボっていてるだけで


練習を怠っているわけで

能力が足りてないのではないのです



それが僕の悩みであります






ただそれだけ