まいばすけっと・・・首都圏在住の方ならほとんどご存知と思いますが、イオン系のミニスーパーです。2000年代後半に誕生し、どんどん店舗を拡大、今年1000店を超えたようです。私が最初に見たのは川崎大師の近くの店。当時私まだコンビニ経営しており、その時点で「まいばすけっと」の存在や名前は既に知ってました。「これが噂のまいばすけっとか。こんなのうちの近くに出来たらやばいな」と思いましたが、当時は横浜、川崎、東京城南地域で数店展開している程度、まだ「対岸の火事」程度の感覚でした。ところが「敵」は予想を上回るスピードで店舗展開を進め、あっという間にうちの近所にも出店。しかも誘致したのは懇意にしているK不動産のK社長。K社長そりゃ無いよ、と思いましたが、商売だから仕方ない。私もK社長の立場ならやってるでしょう。それまで私の意識は「ライバルは他のコンビニ」でしたが、それ以上に他業態がライバルだということを改めて認識した瞬間です。実際、コンビニと他業態ってコンビニが出現した当初は「時間」が最大の差別化ポイントでした。つまり長時間営業であること。ところが他業態もどんどん営業時間を拡大しました。そうなるとコンビニの優位性ってそんなに無くなるのです。むしろ商品の品揃えや価格面ではハンディがあります。で、実際うちの近くに、まいばすけっとが出来た結果、うちよりコンビニLが影響を受けました。つまり、コンビニLの方がうちより更にまいばすけっとの近くにあった・・・早い話が隣だったのです。その後、コンビニLはオーナーが辞めて直営になり、店内厨房展開等で「対抗」してましたがほどなく撤退となりました。

 

さて、まいばすけっとですが、イオングループがコンビニに対するリベンジのために生まれたスーパーなのだそうです。イオングループは言うまでも無く日本の流通業の覇者です。グループ内では色々な業態があります。イオンはそのあらゆる業態で「覇者」になってきました。ところがコンビニの業態ではなかなか覇者になれない。イオングループのコンビニと言えば「ミニストップ」・・これがトップどころか上位3社にも食い込めない。これが悔しくてしかたない、でイオンはミニストップをどうこうするのではなく、全く新しい業態を作る手に打って出ます。これが「まいばすけっと」。コンビニへのリベンジで誕生したわけですが業態はあくまでもスーパー。それをコンビニサイズの店舗でも成り立つ工夫をして出店戦略はコンビニのドミナント方式。つまりスーパーとコンビニのいいとこ取り。逆にそれぞれの余計なものは省きます。例えばスーパーのような店内調理もないし、日常の買い回りで間に合うものを中心とした品揃えに特化、あの面積で大型スーパーの品揃えはとうてい無理なのでそこは捨てる。そしてコンビニのようなカウンターサービス(宅配便、料金支払い、その他諸々の取り次ぎやサービス)、これらはオペレーションが増えるだけで利益にも貢献しない、しかもレジの待ち時間を増やしてしまう、こんなものはコンビニにやらせておけ、ってことで一切やらない、その他チラシ打ったり特売やったり、そういう余計なことはしない。これらの戦略が効を奏します。他にもコンビニと違う点があります。FC(フランチャイズ)方式はとらず、全て直営である店です。つまりオーナーに気を遣わない?で済む分、出店スピードがとにかく速い。失敗しても撤退も早い。それにFCの場合、ドミナント(一定の地域に集中して出店すること)は配送や管理が効率化できるという、あくまでも本部側のメリットしかありませんが、直営であれば更に店舗間の人員や商品、資材の融通や効率運用が出来るわけです。

 

私、現役だった頃は意地でも他のお店には行きませんでした。それは他のコンビニというだけでなく他の業態もです。「卒業」した後もそれまで経営していた店を利用しました(2015年2月末を以て経営は離れましたが、オーナーチェンジなので、お店はそのまま残りました)。それは今までお世話になったという恩義や、これからも頑張ってくださいという応援からくるものだったのですが、通っているうちに「コンビニ使えねえ」と感じることが増えました。そしてかつてライバルだった、まいばすけっとやその他の店にも出入りするようになります。そしてコンビニやってたとき、いかに「井の中の蛙」だったかを知ることになります。今も、そのコンビニあります。でも利用するのは、宅急便出すとき、料金の支払いするとき、ゴミの券を買うときくらい、月に2~3度程度でしょうか。言うまでもなく、店の利益にならないものばかり。でもしょうが無いよね。買うもの無いもん。今はそのコンビニの前を素通りして信号渡って「まいばすけっと」に通う日々。あまりにも通うもんだから、イオンの株買って優待券使い倒してます。

村田兆治さん、最晩年はお気の毒でした。いずれも真相はわかりませんが、9月の逮捕劇も?でした。「あれで逮捕されちゃうの?」ってのが正直な感想。同時に他山の石として自分も気をつけなければ、とも思いました。先日、ある飲食チェーンの店頭。画面タッチ式の券売機が置かれてます。そこでタクシードライバーと思われる60代後半の男性が奮闘しています。あーでもない、こーでもない、って感じで四苦八苦することおよそ3分。ようやくお目当ての券を手に席に着けました。昔だったら席について「並一つね」っていえば済んだことに3分奮闘したわけです。それでもその男性、最後までおとなしく奮闘してました。私だったら画面叩いてたかもね。また別の日、同じお店。今度は40代くらいのお兄さん。やはり奮闘しています。画面叩きはしないものの「なんだこれ?」とか「わかんねーぞ」とかぶつぶつ独り言。実はここ券売機は2台並んで有り、1台はキャッシュレス専用。そのお兄さん、キャッシュレス専用機で奮闘していて、最後にようやく決済の画面まで辿り着き再び「なんだこれ!」を発声。舌打ちしながら隣の現金使える方に移って再度奮闘。私だったらここで店出ちゃうね。ここまでは飲食店での事例。今度はスーパーやコンビニのレジでは・・・・よく「キャッシュレスでスピードアップ」「レジの待ち時間が軽減」などと言ってますけど本当かなあ。レジでフリーズしてる人結構見るんだけど。「現金の方が早くね?」ってよく思います。といいながら私paypay払いにdポイント上乗せしてプラス10秒ほどご迷惑掛けてますが。またパソコンとかスマホも叩きたくなること、しょっちゅうありますよね(私だけ?)例えば何かの申し込みフォーマットに入力している時とか、ログインする時とか。予期せずエラーサインが出たりすることがあります。「どこがエラーじゃ?!」「俺はまちがってない!」何回やっても駄目、やはり画面を叩きたくなりますね。実際叩いても壊れるのは自分のパソコンやスマホ。相手は痛くも痒くもありません。損するのは結局自分。生身の人間が相手なら仮に表面的にでも「すみませんね」と言ってくれて対応策も出してくれるでしょうが機械はそうはいかない。安い料金を売りにする大手のサイトなどは敢えて電話対応はしません。「不快な思いをしたくなければもっと高い料金払えや」ってことでしょう。これから益々「人間」が対応しない商品やサービスが増えます。ただでさえ加齢で感情コントロール出来なくなるのに、いらいらの元凶が増えそうです。村田兆治さんは機械相手に怒った結果、生身の人間にも手が「触れた」ってことでしょうか。まさに明日は私かも、って感じです。

 

 

前回は大学の春の新歓で騙し打ちのように○×研究会というサークルのメンバーになってしまった話を書きました。要するに勧誘にホイホイついていったらこうなった訳です。で大学では授業にはほとんど出ないのに、こちらは割合ちゃんと「勤め上げた」次第。だから前回でも書きましたが、教室を共にした友達はいませんが当時の仲間、諸先輩とは今も親交があり、先日も東松山で会社経営のK先輩のところにお伺いしたりしました。また○×研究会は他大学とも交流があり、ある飲み会の席でN大学で同学年のMYと向かい合わせになりました。その時MYのことはそんなに印象には残っていなかったのですがそれから1年ほど後のこと。3年生になり私は下高井戸から西武池袋線の椎名町に引っ越してました。ある日、椎名町の路地裏をブラブラ歩いていると横をランニングの兄ちゃんが通り過ぎました。その兄ちゃん、通り過ぎたと思ったらいきなり振り返り「やあ岡村君じゃ、こんなとこでなんばしちょっと?」と九州弁で話しかけてきました。それがMY。最初は誰かと思いましたが、そうそう前に飲み会であった確かN大学の奴だと思い出しました。ただ向こうが名乗るまでMYの名前は思い出せませんでしたけど。で近所に住んでいることが判明。MYとは何故か気が合い、大学時代はお互いの家を行き来したり一番深い付き合いをする関係になりました。MYは西武池袋店でバイトをしており私も彼の紹介で入店。卒業までの2年間地下の食品売り場で世話になります。その時、隣の売り場にいたのが当ブログによく登場する兄弟分のYTです。つまりYTとはMYの紹介がきっかけで今日までの縁が出来たわけです。さて時は下り2000年代。YTは私の紹介でコンビニオーナーになってます。ある日YTが「今度ある人と会うんだけど俺だけじゃ間が持たないから一緒に来てくれ」というので、YTの店の近くのファミレスにこれまたホイホイとついていきました。そこにいたのがYTの店の常連でITさんという会社経営者。その時はこれといった話もなかったのですが、それから頻繁にITさんと会うようになり、その後ITさんは引っ越したのでITさんとYTは疎遠になったようですが私は今もITさんとおつきあいしてます。2010年くらいだと思いますがITさん主催の忘年会が上野の割烹でありました。10名ほど参加したのですが、その中の一人がKHさん。その時は名刺交換だけだったのでKHさんの素性も何も知らなかったのですが、その後ITさんと3人で飯を食ったりすることが何回かあり、1対1で会うことも増えました。年上だと思ってたのが実は同学年ということもわかり、そのうち何の仕事してるかもだんだんわかりました。そのKHさんから紹介されたのが不動産業やってるU社長。そのU社長の事務所に伺ったとき居合わせたのが、やはり不動産業のC社長。その後C社長のネットワークを軸に私の仕事が広がることになります。またKHさんからは、その後THさんを紹介されます。このTHさんとも腐れ縁ともいえる関係になります。

 

こうやって振り返ると今の仕事や交友関係、つまり付き合いの1~2割は元を辿るとITさんということになります。そのITさんの元を辿れば兄弟分のYT、YTの元を辿るとMY。あの日、椎名町の路地裏でMYとばったり会わなければこの1~2割の付き合いはなかったことになります。そしてそのMYとも元々は○×研究会の縁。1981年春のあの日、先輩に声を掛けられホイホイついていったのが全ての始まりだったということです。