村田兆治さん、最晩年はお気の毒でした。いずれも真相はわかりませんが、9月の逮捕劇も?でした。「あれで逮捕されちゃうの?」ってのが正直な感想。同時に他山の石として自分も気をつけなければ、とも思いました。先日、ある飲食チェーンの店頭。画面タッチ式の券売機が置かれてます。そこでタクシードライバーと思われる60代後半の男性が奮闘しています。あーでもない、こーでもない、って感じで四苦八苦することおよそ3分。ようやくお目当ての券を手に席に着けました。昔だったら席について「並一つね」っていえば済んだことに3分奮闘したわけです。それでもその男性、最後までおとなしく奮闘してました。私だったら画面叩いてたかもね。また別の日、同じお店。今度は40代くらいのお兄さん。やはり奮闘しています。画面叩きはしないものの「なんだこれ?」とか「わかんねーぞ」とかぶつぶつ独り言。実はここ券売機は2台並んで有り、1台はキャッシュレス専用。そのお兄さん、キャッシュレス専用機で奮闘していて、最後にようやく決済の画面まで辿り着き再び「なんだこれ!」を発声。舌打ちしながら隣の現金使える方に移って再度奮闘。私だったらここで店出ちゃうね。ここまでは飲食店での事例。今度はスーパーやコンビニのレジでは・・・・よく「キャッシュレスでスピードアップ」「レジの待ち時間が軽減」などと言ってますけど本当かなあ。レジでフリーズしてる人結構見るんだけど。「現金の方が早くね?」ってよく思います。といいながら私paypay払いにdポイント上乗せしてプラス10秒ほどご迷惑掛けてますが。またパソコンとかスマホも叩きたくなること、しょっちゅうありますよね(私だけ?)例えば何かの申し込みフォーマットに入力している時とか、ログインする時とか。予期せずエラーサインが出たりすることがあります。「どこがエラーじゃ?!」「俺はまちがってない!」何回やっても駄目、やはり画面を叩きたくなりますね。実際叩いても壊れるのは自分のパソコンやスマホ。相手は痛くも痒くもありません。損するのは結局自分。生身の人間が相手なら仮に表面的にでも「すみませんね」と言ってくれて対応策も出してくれるでしょうが機械はそうはいかない。安い料金を売りにする大手のサイトなどは敢えて電話対応はしません。「不快な思いをしたくなければもっと高い料金払えや」ってことでしょう。これから益々「人間」が対応しない商品やサービスが増えます。ただでさえ加齢で感情コントロール出来なくなるのに、いらいらの元凶が増えそうです。村田兆治さんは機械相手に怒った結果、生身の人間にも手が「触れた」ってことでしょうか。まさに明日は私かも、って感じです。

 

 

前回は大学の春の新歓で騙し打ちのように○×研究会というサークルのメンバーになってしまった話を書きました。要するに勧誘にホイホイついていったらこうなった訳です。で大学では授業にはほとんど出ないのに、こちらは割合ちゃんと「勤め上げた」次第。だから前回でも書きましたが、教室を共にした友達はいませんが当時の仲間、諸先輩とは今も親交があり、先日も東松山で会社経営のK先輩のところにお伺いしたりしました。また○×研究会は他大学とも交流があり、ある飲み会の席でN大学で同学年のMYと向かい合わせになりました。その時MYのことはそんなに印象には残っていなかったのですがそれから1年ほど後のこと。3年生になり私は下高井戸から西武池袋線の椎名町に引っ越してました。ある日、椎名町の路地裏をブラブラ歩いていると横をランニングの兄ちゃんが通り過ぎました。その兄ちゃん、通り過ぎたと思ったらいきなり振り返り「やあ岡村君じゃ、こんなとこでなんばしちょっと?」と九州弁で話しかけてきました。それがMY。最初は誰かと思いましたが、そうそう前に飲み会であった確かN大学の奴だと思い出しました。ただ向こうが名乗るまでMYの名前は思い出せませんでしたけど。で近所に住んでいることが判明。MYとは何故か気が合い、大学時代はお互いの家を行き来したり一番深い付き合いをする関係になりました。MYは西武池袋店でバイトをしており私も彼の紹介で入店。卒業までの2年間地下の食品売り場で世話になります。その時、隣の売り場にいたのが当ブログによく登場する兄弟分のYTです。つまりYTとはMYの紹介がきっかけで今日までの縁が出来たわけです。さて時は下り2000年代。YTは私の紹介でコンビニオーナーになってます。ある日YTが「今度ある人と会うんだけど俺だけじゃ間が持たないから一緒に来てくれ」というので、YTの店の近くのファミレスにこれまたホイホイとついていきました。そこにいたのがYTの店の常連でITさんという会社経営者。その時はこれといった話もなかったのですが、それから頻繁にITさんと会うようになり、その後ITさんは引っ越したのでITさんとYTは疎遠になったようですが私は今もITさんとおつきあいしてます。2010年くらいだと思いますがITさん主催の忘年会が上野の割烹でありました。10名ほど参加したのですが、その中の一人がKHさん。その時は名刺交換だけだったのでKHさんの素性も何も知らなかったのですが、その後ITさんと3人で飯を食ったりすることが何回かあり、1対1で会うことも増えました。年上だと思ってたのが実は同学年ということもわかり、そのうち何の仕事してるかもだんだんわかりました。そのKHさんから紹介されたのが不動産業やってるU社長。そのU社長の事務所に伺ったとき居合わせたのが、やはり不動産業のC社長。その後C社長のネットワークを軸に私の仕事が広がることになります。またKHさんからは、その後THさんを紹介されます。このTHさんとも腐れ縁ともいえる関係になります。

 

こうやって振り返ると今の仕事や交友関係、つまり付き合いの1~2割は元を辿るとITさんということになります。そのITさんの元を辿れば兄弟分のYT、YTの元を辿るとMY。あの日、椎名町の路地裏でMYとばったり会わなければこの1~2割の付き合いはなかったことになります。そしてそのMYとも元々は○×研究会の縁。1981年春のあの日、先輩に声を掛けられホイホイついていったのが全ての始まりだったということです。

このタイトルのネタ、いくらでも出てきて下手すると「その10」くらいまで行きそうなので、取りあえず今回の「その3」で一度締めたいと思います。

で、今までは怪しげなセールスや勧誘といったネガティブな捉え方で書いてきましたけど、還暦の今振り返ると、自分の人生そのものが「ついていったらこうなった」で出来ているといっても過言ではありません。「締め」はそんな振り返りを中心に書きたいと思います。

私、大学について今思えば「よく4年で卒業できたなあ」って思うくらい授業出てませんでした。だから大学の同級生の友達はいません。では大学時代の友達とか繋がりが全くないかと言えばそうでもありません。それはサークルの繋がりです。入学したての春のキャンパス。各サークルが出店(でみせ)を出して新入生勧誘合戦をしています。あてもなく一人歩いていた私に、ある先輩が声を掛けてきます。サークル名も告げず「とにかく面白いからついてきて」・・・なんの躊躇もなくホイホイついていく私。で、そのサークルの出店に着いて愕然とします。○×研究会・・あえて○×の内容は書きませんが、過去にも、そしてこれからの人生でも1ミリも関わることのないであろう分野。これは「無し」だな、と席を立とうとしたら「まあまあ」と引き留められ「何も今決めなくても良いんだよ。今日はそろそろ終わるから、この後みんなと飲みに行こう」・・・「飲みに行こう」に弱い私。やはりホイホイついていく。ちなみに今の時代なら未成年の飲酒はまずいですよね。勿論、当時もまずいんですが「空気」は高校卒業で実質解禁でした。初めての歌舞伎町、当時大学生御用達だった「東京サントリーacb店」でごちそうになり、しっかり家まで送られて・・・送ってくれた先輩から「明日待ってるよ」・・・もう逃げられん・・・・

今考えれば、いくらでも「バックレ」られたんですがウブで律儀な当時の私、その後卒業までしっかり「勤め」あげます。

長くなるので続きは次回後編で