ミャンマーでクーデターが起きてから、1日で4か月です。軍による市民への弾圧で犠牲者が増え続ける中、政治的な発言がこれまでタブー視されてきたスポーツ界でも、身の危険を顧みず抗議の声を上げる動きが広がっています。
ミャンマーでは、ことし2月のクーデター以降、軍による市民への弾圧が続き、現地の人権団体の調べでは、治安部隊による銃撃などで800人を超える市民が犠牲になっています。
こうした中、ミャンマーのスポーツ選手たちが相次いで行動を起こしています。
サッカーでは、ワールドカップアジア2次予選のためミャンマー代表が日本に遠征していますが、複数の選手が参加を辞退しました。
その1人で、代表としておよそ10年間プレーしてきたゾー・ミン・トゥン選手はNHKの取材に「私は市民の側に立ちたい。正義の側に立つことを決めた」と、辞退の理由を話しています。
さらに、今回代表に参加した選手たちも、今月28日に行われた日本戦の際の国歌斉唱で誰も歌わなかったほか、控え選手の1人が軍への抗議の意思を示す、3本の指を立てるポーズをとりました。
また、競泳でもミャンマーの国内記録を持ち、東京オリンピック出場が有力視されていた選手が、現体制のもとで出場すれば軍の宣伝に加担することになりかねないとして出場辞退を表明するなど、これまで政治的な発言がタブー視されてきたスポーツ界でも、身の危険を顧みず抗議の声を上げる動きが広がっています。
サッカーワールドカップアジア2次予選に臨んでいるミャンマー代表への参加を辞退したという選手は、NHKの取材に対し、辞退の理由について、市民への弾圧を続ける軍に抗議するためだったと明らかにしました。
取材に応じたのは、ミャンマー代表としておよそ10年間プレーしてきたゾー・ミン・トゥン選手です。
4月、ワールドカップアジア2次予選に向け、ミャンマーサッカー連盟から代表への参加を打診されましたが、クーデター以降、軍による弾圧でサッカーファンを含む多くの市民が苦しんでいる現状を見て、悩んだ末、辞退したということです。
ゾー・ミン・トゥン選手は「私は市民の側に立ちたい。1人の親として、子どもたちに正しいことを教えたい。だから正義の側に立つことを決めた」と、辞退の理由を述べました。
一方で、日本との試合に出場できなかったことについて「ヨーロッパで活躍する日本の選手たちとプレーできる機会だったが、とても残念だ。試合をただ座って見ていなければならない気分は、言い表すことができない」と、選手として複雑な胸中を口にしました。
ゾー・ミン・トゥン選手は「軍の独裁が終われば、またミャンマーのためにプレーしたい」とした上で、日本に向けては「ミャンマーで何が起きているのか、国際社会に知ってもらえるよう助けてほしい」と呼びかけました。
ことし7月に開幕する東京オリンピックへの出場を辞退した、ミャンマーの選手もいます。
競泳男子の50メートル自由形でミャンマー記録を持つウィン・テット・ウー選手(26)は、家族とともに4年前(2017年)に移住したオーストラリアを拠点にトレーニングを続けていて、東京オリンピック出場が有力視されていました。
しかし、祖国で起きたクーデターのあと、市民が毎日のように軍による弾圧の犠牲になっている状況に心を痛め、4月、フェイスブックへの投稿を通じて東京大会に出場しないことを表明しました。
投稿した文章では「今のミャンマーオリンピック委員会は、多くの無防備な市民を殺した軍部の操り人形でしかない」と批判し、現体制の下でミャンマー代表として出場することは軍の宣伝に加担することになりかねないと訴えました。
その上で「国民の血で染まった旗のもとでは、オリンピックの行進には参加できない」と強調し、東京大会に出場しないことでクーデターに抗議する意思を表明しました。
ウィン・テット・ウー選手にとって、オリンピック出場は子どもの頃から目指していた夢でしたが、これを諦める決断について「私は幸運にもオーストラリアで暮らすことができていますが、ミャンマーでは毎日、人々が弾圧され、若い人たちの将来が奪われています。彼らとの連帯を示すために出場断念は必要でした」と話しています。
また、IOC=国際オリンピック委員会に対し「今のミャンマーオリンピック委員会を承認し続けることは、軍部による支配の正統性を認めることになる」として、ミャンマーの選手たちが個人の資格で東京大会に出場できるよう求める書簡を送ったということです。
さらに、今後はミャンマーオリンピック委員会の承認取り消しを求める署名活動を始める予定で、ミャンマーのほかのスポーツ選手たちとも連携していきたいとしています。
こうした中、ウィン・テット・ウー選手は今も毎日、厳しいトレーニングを続けています。
「ミャンマーに民主主義が戻る日が来れば、たとえ選手ではなくても、若い世代を育てる指導者などとしてオリンピックに参加したい」と、ミャンマーの選手が祖国の代表として、誇りを持って国際大会に出場できる日を見据えています。
日本にいるミャンマー人も、軍に立ち向かう姿勢を強く示してほしいと母国の選手たちに呼びかけています。
サッカーのミャンマー代表は、ワールドカップカタール大会アジア2次予選のため来日し、クーデターが起きたあと初めてとなる国際試合で、今月28日、日本代表と対戦しました。
会場となった千葉市のスタジアムの外には試合前、在日ミャンマー人およそ100人が集まり「軍部のサッカーチームをサポートしない」と書かれたプラカードを掲げたり、スタジアムに向かって「スポーツへの軍の介入に反対する」などと声を上げたりして抗議しました。
参加者の1人、イェ・ニェインさん(57)は、かつてミャンマーでサッカー選手として活躍しましたが、1988年、反政府デモに参加したあと身の危険を感じ、日本に逃れました。
来日したミャンマー代表のコーチ陣には、当時、同じリーグでプレーしていた知り合いもいるということです。
イェさんは「国の代表になるというのはほとんどの選手の夢だが、いまのミャンマーの状況を考えると、私だったら参加しない」と話し、軍に抵抗して拘束された選手や代表への参加を辞退した選手もいる中、今回来日したメンバーには憤りを感じると言います。
一方で、それぞれに招集を拒否できない事情や、高いレベルでプレーしたい選手としての葛藤があったはずだと、その胸の内をおもんぱかっています。
それでもイェさんは「逮捕された選手など、ほかのチームメートのことを考えて彼らと同じ立場に立たないといけない。ミャンマーの代表として、国民が感じていることを代弁してほしい」と話し、選手たちにも軍に立ち向かう姿勢を強く示してほしいと呼びかけています。