朝日新聞デジタル(6月10日付け)のトニー賞についての記事(ニューヨーク=中井大介)のなかに、次のようなくだりがあった。

 「ミュージカル部門の作品賞にはブロードウェイを拠点に活躍している川名康浩(52)がプロデューサーとしてかかわっている『キンキー・ブーツ』が選ばれた。日本人がトニー賞の受賞者に名を連ねるのは初めて。」

 この「日本人が・・・・・初めて」というのは、いったいどういう意味なのだろう。企業としては別、一個人として「名を連ねるのは初めて」ということか?

 そうではないと、すぐに続く関連記事のなかで、以下のように書かれていることと矛盾しかねないからだ。

 「日本企業がプロデュースに加わったミュージカルでは1991年に日本衛星放送の『ウィル・ロジャース・フォーリーズ』が作品賞、92年にテレビ朝日の『ガイス・アンド・ドールズ』がリバイバル作品賞を受賞している」

 個人、企業を問わなければ、過去に日本が関係したベスト・ミュージカルやベスト再演ミュージカルがあったということだ。

 ことしのベスト再演ミュージカル『ピピン』のプロデューサーには、老舗のプロモーター、キョードー東京の名前もあったが、知らぬ間に着々とブロードウェイに地盤を築いていたらしい。

 山﨑芳人社長、おめでとうございます。

 とまあ、それやこれやで、このアメリカ最高の演劇賞トニー賞と日本との関連について、先の朝日の記事でも抜け落ちていた事例を思いつく限り挙げておく。

 1973年、国際特別賞、東宝株式会社。
 63年以来、『マイ・フェア・レディー』ほか多くのブロードウェイ・ミュージカル日本版を上演して来た功績が評価された。この路線の推進者は菊田一夫専務だったが、受賞1ヶ月後に亡くなられてしまった。

 1989年、ベスト・ミュージカル『ジェローム・ロビンズ・ブロードウェイ』、サントリー・インターナショナル。この年、サントリーは『ア・ハイディ・クロニクルズ』でベスト・プレイにも輝いている。
 つまり、ミュージカル、演劇両部のベスト作品にプロデューサーとして名前を連ねたわけだ。希に見る快挙!

 サントリーのブロードウェイへの投資は、佐治敬三社長とアメリカ最大の劇場主シューバート・オガニゼーション、ジェリー・ショーンフェルド会長との信頼関係から始まった。名儀こそサントリーの現地法人名になっているが、すべて佐治氏個人の度量によるものと考えらえる。
 
 サントリーは『ウィズ』『ジェローム・ロビンズ・ブロードウェイ』など招聘公演も積極的におこなった。佐治会長お得意の文化戦略、つまり文化に深く係わることが企業のイメージアップに繋がるという経営姿勢の一環だったのだろう。

 確か佐治氏は、89年トニー賞の際、ベスト2作品のプロデューサーのひとりとして登壇していたはずだ。

 東宝にしろサントリーにしろ受賞したのは会社だが、菊田さん、佐治さんなどリーダーシップをとった個人の印象のほうがずっと強烈だった。そこが後続のWOWOW、テレ朝の場合とは大いに異なるんだなあ。 

 ところで、残念ながらアーティスト個人の受賞はひとりもなし。ノミネーション段階だと次のような人たちがいる。

 石岡瑛子(88年、『Mバタフライ』の装置、2012年『スパイダーマン/闇を消せ』の衣装)
 松井るみ(05年、『太平洋序曲』の装置)
 コシノジュンコ(05年、『太平洋序曲』の衣装)

 あれっ宮本亜門は『太平洋序曲』でノミネートされなかった?作品はベスト再演ミュージカルの候補になったけれど、演出家としての宮本はされなかったんですね。

『ジェローム・ロビンズ・ブロードウェイ』の一場面
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『ジェローム・ロビンズ・ブロードウェイ』来日公演のバンフレット
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