4月29日は「昭和の日」 私の昭和に対するイメージ。
■ 4月29日は「昭和の日」□ 昭和天皇裕仁(ひろひと)・・・1901年(明治34年)4月29日迪宮(みちのみや)~久邇宮良子女王(くにのみやながこ)と結婚1924年(大正13年)1月26日香淳(こうじゅん)皇后~第124代[在位1926年(大正15年/昭和元年)12月25日]~1989年(昭和64年)1月7日(宝算87)。誕生日4月29日「天長節」⇒「天皇誕生日」⇒「みどりの日」⇒「昭和の日」。□ 平成天皇明仁(あきひと)・・・1933年(昭和8年)12月23日継宮(つぐのみや)~正田美智子様と結婚1959年(昭和34年)4月10日皇后美智子~第125代[在位1989年(昭和64年/平成元年)1月7日~2019年(平成31年)4月30日]。誕生日12月23日「天皇誕生日」⇒「無し」。上皇即位により第126代天皇徳仁との「二重権威」を生じさせない配慮から。□ 今上(きんじょう)天皇徳仁(なるひと)・・・1960年(昭和35年)2月23日浩宮(ひろのみや)~小和田雅子様と結婚1993年(平成5年)6月9日皇后雅子~第126代[在位2019年(令和元年)5月1日~]。誕生日2月23日「天皇誕生日」。**■ お題 「昭和という言葉で想起されるものはなに?」▼本日限定!ブログスタンプあなたもスタンプをGETしよう★ 【私の昭和イメージ】の事柄□ 日本国憲法第二次世界大戦(太平洋戦争/大東亜戦争、1941/12/08~1945/08/15)によって日本人は戦死者約3,100,000人という未曽有の犠牲者をもたらした。中でも、1945年4月1日~6月23日、米軍の沖縄本島上陸による犠牲者は、200,656人。 1945年8月6日、米軍による広島市街への原爆投下で壊滅。被曝(ひばく、放射線障害)犠牲者は、2020年8月6日までの死亡者累計(原爆死没者名簿登録者数)324,129人。1945年8月6日、米軍による長崎市街への原爆投下で壊滅。被曝犠牲者は、2020年8月9日までの死亡者累計(原爆死没者名簿登録者数)185,982人。この掛け替えの無い教訓に基づき、私が生まれる直前の1946年(昭和21年)11月3日に公布され1947年(昭和22年)5月3日に施行された「日本国憲法」には、世界唯一の原爆被曝国として、「戦争の放棄」「戦力の不保持」「交戦権の否認」(以上9条)、「国務大臣の文民性」(66条)を定めている。具体的政策としては、平和憲法を保持していることを誇りに思い、核兵器の根絶に向け国際協調主義の平和外交手段によってリーダーシップを発揮すること。*□ 公害の追放私が生まれ育った昭和時代には、「高度経済成長」の歪(ひずみ)として環境破壊(大気・水質・土壌汚染、地盤沈下など)が深刻化し、絶えることのないような数多くの「公害病」が発生した。しかしながら、私が大学に合格した1967年(昭和42年)に「公害対策基本法」が公布・施行され、私が社会人となった直後の1972年(昭和47年)に「自然環境保全法」が公布・施行された。司法・立法・行政の三権が大いに影響し合って、私が上京した当時はドロドロに汚染していた首都圏の河川・東京湾は、平成年代になると魚が棲める水質となったのだ。【深刻な公害病の代表例】栃木県/群馬県渡良瀬川「足尾銅山鉱毒」熊本県水俣湾「水俣病」(有機水銀中毒)新潟県阿賀野川「第二水俣病」(有機水銀中毒)岐阜県/富山県神通川「イタイイタイ病」神奈川県藤沢市引地川「ダイオキシン中毒」三重県四日市石油コンビナート「四日市ぜんそく」[硫黄酸化物(SOX)]神奈川県京浜コンビナート川崎/横浜地区「川崎ぜんそく」[硫黄酸化物(SOX)]兵庫県阪神コンビナート尼崎地区「尼崎ぜんそく」[硫黄酸化物(SOX)]静岡県富士市「富士ぜんそく」・田子の浦港「ヘドロ」東京都/全国大都市部「光化学スモッグ」東京都江戸川区/江東区「六価クロム鉱滓(こうさい、汚染土壌)」<出典> 石油化学工業協会(JPCA)作成の「日本の石油化学コンビナート」(現在)マップ福岡県・PCB「カネミ油症」(ダイオキシン中毒)全国各地「森永ヒ素ミルク中毒」全国各地「サリドマイド薬害」(奇形児)全国各地「スモン病」(キノホルム薬害)<出典> camp-fire.jp作成の「日本公害地図」*□ 家電メーカーと自動車メーカーの隆盛「高度経済成長」のトリガーとなった「家電 三種の神器」テレビ・洗濯機・冷蔵庫の普及、「3C時代」カラーテレビ・クーラー・カーの普及。1968~70年(昭和43~45年)にかけて、家電各社から高性能カラーテレビが出揃い、大量生産で値段が下がったことによって爆発的に普及し、1973年(昭和48年)にはカラーテレビの普及率が白黒テレビを上回った。▽ 日本の高速道路が驚異的なスピードで相次ぎ開通して行った。幹線道路の全線開通時期は次の通り。65年(昭和40年)名神高速道路69年(昭和44年)東名高速道路・・・71年(昭和46年)首都高速道路と接続。82年(昭和57年)中央自動車道・・・76年(昭和51年)首都高速道路と接続。83年(昭和58年)中国自動車道85年(昭和60年)関越自動車道87年(昭和62年)東北自動車道88年(昭和63年)北陸自動車道<出典> 高速道路資料室(ne.jp/asahi/expressway/dataroom)作成の「日本の高速道路 79年(昭和54年)時点の開通状況」▽ マイホーム、マイカー時代の到来。1960年代(昭和35~44年)は日本車産業が花開いた時代。発売された主な車種は次の通り。57年(昭和32年)トヨペットコロナ、日産スカイライン58年(昭和33年)スバル36059年(昭和34年)日産ブルーバード61年(昭和36年)トヨタパブリカ63年(昭和38年)マツダファミリア66年(昭和41年)トヨタカローラ、66年日産サニー67年(昭和42年)ホンダN36068年(昭和43年)トヨタコロナ/マークⅡ69年(昭和44年)三菱ギャラン70年(昭和45年)日産スカイラインGT72年(昭和47年)ホンダシビック76年(昭和51年)ホンダアコード1970年代(昭和45~54年)は排気ガスによる大気汚染問題を受け、ホンダが開発したCVCCエンジンは厳しい基準をクリアする世界初のエンジンになった。