■ 4月30日は「図書館記念日」
1950年4月30日、「図書館法」が公布されたことに因み、1971年の「全国図書館大会」で4月30日を「図書館記念日」とすることが決定され、翌1972年から「日本図書館協会」(中央区新川1-11-14) が実施した。
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□ 「図書館」に関する近代史
1872年、文部省は書籍館(しょじゃくかん、湯島聖堂内)を設立した。
1877年、東京大学の創設に伴って、「東京大学附属図書館」も設置された。
1880年、「東京大学法理文学部一覧」英文版に、同大学の図書館の紹介としてTosho-Kuan (Library) of the Universityの記述が使われた。
1886年、ジェームス・カーティス・ヘボンが編纂した「和英語林集成」第三版から、libraryの訳語として「図書館」が登場した。
1887年、文部省は改めて書籍館を「図書館」と統一的に改称した。
1897年、「帝国図書館」(上野恩賜公園内。現在は「国際子ども図書館」)を設置した。
1899年、「図書館令」が公布された。
1908年、1892年に結成された日本文庫協会が「日本図書館協会」に改称された。
大正時代に入って漸く、「図書」の呼び方が「としょ」または「ずしょ」から、「としょ」へと収束されて行った。
1948年6月5日、「国立国会図書館」(赤坂離宮内) が開館した。
1950年4月30日、「図書館法」が公布された。
1961年11月1日、「国立国会図書館」が永田町の旧在日ドイツ大使館跡地へと移設され、改めて開館した。
1971年、全国図書館大会で、日本図書館協会が4月30日を「図書館記念日」として1972年4月30日から実施すると決定した。
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昨日4/30(土)の午後、散歩途中に「国際こども図書館」で鯉のぼりを撮影した。
20220430--15:45撮影
□「国際こども図書館 小泉八雲記念碑」(1935年)
国際子ども図書館は、国立国会図書館の上野支部図書館(旧・帝国図書館)を転用し、2000年に日本初の児童書専門の国立図書館として設立された。転用に当たり安藤忠雄氏の設計で改修が行われ、東側にガラスのエントランス、西側にカフェテラスが付加された。
小泉八雲 [パトリック・ラフカディオ・ハーン (Patrick Lafcadio Hearn)1850年6月27日~1904年9月26日]の多才な業績を称えた。
ギリシャ生まれのイギリス人新聞記者、紀行文作家・随筆家・小説家、日本研究家・日本民俗学者。1890年に特派員で来日し松江中学英語教師に転じ、小泉セツと結婚。熊本五高、神戸で執筆専念。1895年に帰化し小泉八雲と改名。その後は東京帝国大学や早稲田大学の英文学講師として精力的に日本紹介の筆を執った。
主な著作・・・知られぬ日本の面影 (Glimpses of Unfamiliar Japan、1894年)、仏陀の国の落穂 (Gleanings in Buddha-Fields、1897年)、影 (Shadowings、1900年)、日本雑録 (A Japanese Miscellany、1901年)、骨董 (Kotto、1902年)、怪談 (kwaidan、1904年)。
東京帝大時代の教え子であった詩人・土井晩翠(本名・林吉)が、結核のため早世した長男・英一の遺言に基づいて小泉八雲を偲んで建てた。八雲の肖像のレリーフを正面を嵌(は)め込み上部に壷を囲む天使達の群像がいる噴水になっている。両脇には「文盡人情美」「筆開皇國華」という言葉が刻まれている。
20200913撮影
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【私の図書館の思い出】はやや多いと思う。
▽ 中学3年(1962年)の時、身体の急成長で能力が落ち陸上クラブを辞めて読書クラブに移ったが、圧倒的多数の女子たちに攻められっ放しで、男子数名が図書室の書棚裏に逃げ込んだところ、顧問の国語教師に告げ口され、男のクセにダラシナイと一喝(いっかつ)された。女子からのパワハラの人生初洗礼!!
▽ 大学浪人期(1966年)には夏頃から毎日、おにぎり4個の持参で受験勉強に勤しんだ。受験参考書中心から問題集中心へのシフト。志望大学学部への合格は市立図書館のお陰である。今も区立図書館を訪れる度に受験生らしき姿を見掛けると、思わずヨイショしたくなる。高校時代の劣等生が飛躍的に成績向上したことは奇跡に近かった(高笑い)!!
▽ 大学2年(1968年)の夏休みは、西洋哲学史、特に実存哲学を齧(かじ)った。飽きること無き知識欲!! 連帯を求めて孤立を恐れず!!
【私の好きな哲学者・文学者】
哲学・・・デカルト(1596-1650)、パスカル(1623-62)、ヘーゲル(1770-1831)、ニーチェ(1844-1900)、サルトル(1905-80)。
現象学的方法論・・・フッサール(1859-1938)、メルロー=ポンティ(1908-61)、西田幾多郎(1870-1945)、務台理作(1890-1974)。
文学・・・ドストエフスキー(1821-81)、カミュ(1913-60)、大江健三郎(1935-)。
▽ 新人サラリーマン期(1971-73年)では、大学で法律学・政治経済学を学んだ(苦笑)私としては経営学のジャンルが弱点と感じていた。会社の企画部門の見習社員としてマーケティング手法を勉強する必要性に迫って、入門書を漁(あさ)って本屋や会社図書室に出入りするようになっていた。
▽ 時は巡り巡ってサラリーマンをリタイアしてから「コロナ禍」までの約10年間(2009~19年)は、本屋・TSUTAYA・区立図書館通いが日課のようになった。
【私の好きな作家】
()内年次はデビュー時期。
私小説・・・太宰治(1936)
推理・時代小説・・・松本清張(1951)、宮部みゆき(1987)
ノンフィクション・歴史小説・エッセイ・・・司馬遼太郎(1956)
経済・社会小説・・・山崎豊子(1957)
社会小説・エッセイ・・・五木寛之(1966)
ノンフィクション小説・・・村上春樹(1979)
推理小説・・・東野圭吾(1985)、横山秀夫(1998)、伊坂幸太郎(2000)
彼らの原作やそれに基づく映像化作品(映画・テレビドラマ)の解説・感想をブログに掲載することが趣味となった。