「ブラタモリ」#17「博多」#18「福岡と鉄道」あらすじ<放送日時変更>【更新】
◇■■ NHK-G 「ブラタモリ」#17「博多」、#18「福岡と鉄道」撮影ロケ情報:7/28(火)・・・博多駅、昭和通り、那珂川~中洲~博多川、呉服町、櫛田神社、地下鉄工事のため発掘調査現場。7/29(水)・・・西鉄/天神大牟田線・薬院駅、天神バスターミナル、博多南線博多南駅~新幹線車両基地。取材協力: 大庭康時、立石武泰、中野等、平兮元祥、山田広明。資料提供: アジア航測、福岡市、福岡市博物館、福岡人文社。映像デザイン: 岩崎敦CG制作: 戸枝誠憲写真: 山田大輔ディレクター: 浜崎智史プロデューサー: 石原謙一郎*出演: タモリ、桑子真帆アナナレーション: 草彅剛(SMAP)「ブラタモリ」*最近のブログ「ブラタモリ」#12「仙台その1」(2015/07/11放送), #13「仙台その2」(2015/07/18放送)「ブラタモリ」#14「松江」(2015/08/01放送), #15「出雲」(2015/08/22放送)「ブラタモリ」#16「軽井沢」(2015/08/29放送)◇■ #17「博多~博多誕生のカギは『高低差』にあり !? ~」9.10激甚災害により一週遅れの放送となる。【初放送】9/19(土)19:30~20:15【再放送】9/20(日)13:05~13:50【あらすじ】ブラタモリ、ついにタモリさんの地元・福岡へ !今回の舞台は「博多」。朝9:30頃の中洲。地形名が町名になっている。ここで、福岡市博物館/学芸員(江戸時代の博多などを研究): 宮野弘樹さんが登場。友だちに「ブラタモリで博多やるぞ」と言ったら、「(博多の)どこやるとや?」「(何も)なかろうもん」。桑子さんに質問---宮野「〇〇祇園山笠、JR〇〇駅、〇〇華丸・大吉、XXソフトバンクホークス、XX空港、XX県」。桑子「〇〇が博多、XXが福岡」。見事に正解。では、博多と福岡の違いは?桑子「博多はエリア、福岡は県」。タモリ「ちょっと違う。話せば長いことだが(短めに)、今立っている(那珂川の)中洲が博多と福岡の境目。福岡は元々福岡って言ってなかった。黒田の殿様が来て(福岡側に)城を築いた時に、先祖の生まれ故郷・岡山県福岡を地名に付けた。そして厳密に言うと俺は福岡の人間。博多の人は『あぁ~』って言う感じ。」博多は伝統的な商人の町。福岡は武士の町。*境目の痕跡が残っている場所・・・「正保福博惣絵図」(1646年)に描かれた石垣の一部。ここで、タモテバコが登場。今日のお題は、「博多誕生のカギは『高低差』にあり」。2000年の古い歴史がある博多の片隅に残る、知られざる「高低差」をテーマに、博多誕生の秘密をタモリさんが解き明かす。パッと見たところ博多は平坦と思うが、実は「高低差」があるのだ。博多は、アジア貿易の玄関口、2000年の歴史。町割を考えたのは豊臣秀吉で、「太閤町割」と言った。戦国時代に九州が乱れに乱れ大火で何度も焼けた。安土桃山時代---1587年(天正15年)、石田三成や黒田官兵衛が区画整理した。ここで、学芸員(博多の地形スペシャリスト)・本田浩二郎さんが登場。一番高い所(5~6m位しかないが、背骨)を貫いている、博多湾~博多駅を繋ぐ「大博通り」を町割の基準とした。元々、博多の町は二つの砂丘だったが、弥生時代から陸地が広がって、繋がった(陸橋)。タモリ「小さい頃(非行に走る前の高低差少年?時代)の思い出に、池みたいなものがあった」。博多のデコボコは解消されずに舗装などを載せている。1977年(昭和52年)から発掘調査を開始。「HKT」と略して何次発掘調査の出土品を呼ぶ。*次に、平安時代の痕跡へ。タモリ「高校時代に段差があるなと思った場所がある」。夏の風物詩「博多祇園山笠」でお馴染みの「櫛田(くしだ)神社」で見つけた段差の謎とは ?古代から中世への地形、砂丘の縁(ヘリ)の名残り。航海の前後に、小舟で接岸し、当時の日本最大貿易都市・博多の櫛田宮でお参りした。ここで、境内の焼き餅露天のオヤジが馴染みのタモリに焼き餅サービス。桑子「熱い熱い! 熱い熱い! 熱い熱い! ホントに熱い。(子どもにも)熱いよね」。タモリ「古代の段差の跡がちゃんとあそこにあります。餅食ってた少年はそんなこと全く知らないでしょうね。私もそうだったし、何時かは気付くでしょう」。*江戸時代からの伝統が残る道筋へ。鰻の寝床のような家屋が密集し、博多織や博多人形などの職人が暮らしていた。博多区冷泉町を歩く。白山亭・再来軒・九州リオン刀鍛冶による博多鋏(はかたばさみ)の職人・「高柳商店」(博多区冷泉町6-28)の三代目・高柳晴一さん。戦前までは20軒の鍛冶屋があったが、今は高柳家1軒だけ。タモリ「昔は博多のどの家庭にもあったんです」。高柳「古民家が好きで、ここにしがみ付いて来ました」。タモリ「博多の人って、歴史をあんまり考えない。どんどん新しい物好きなんでしょうね」。高柳「好きやすの飽きやすって言うんですかね」。タモリ「鴻臚館(こうろかん)って、平安時代にあった迎賓館=外交・交易窓口施設の跡。西鉄ライオンズの平和台球場⇒遺跡が出て来た⇒福岡ダイエーホークスの福岡ヤフオクドームへと移る。遺跡に対して冷ややか。高柳さんみたいに大切にしようと思うと変人扱いされる。」*博多最大級の高低差を目指す。太閤町割より古い町割。博多で最も寺社が集積する御供所地区。「御供所公民館」(博多区上呉服町2-27)。鎌倉時代の日本最初の禅寺「聖福寺(しょうふくじ)」。その境内で、幻の町割りの跡を発見 !?創建当時は最も高い場所だったが、800年の間に周辺の方が追い付け追い越せと高くなってしまったため、今では境内の方が低い。ここで、聖福寺第133代住職・細川白峰老師が登場。宝物殿に文化財の数々。国指定重文「銅鐘」は朝鮮鐘(高麗時代)・・・11世紀に小早川隆景が寄進したもの。 市指定有文・「(中世博多)古図」・・・16世紀室町時代末期の博多を描いた唯一現存するもの。そこには「蓮池」が描かれていた。モリタ少年のデ・ジャブ。今は通りの名前やバス停の名前(博多区中呉服町)としてのみ残っている。更に、境内の石畳が「くの字」に曲がっている箇所発見。山門~仏殿を結ぶ主軸に平行したライン=聖福寺ライン(タモリ命名)=鎌倉時代のラインと、太閤町割後の塀に直交するライン=安土桃山時代のラインとが合流した地点に他ならない。実は御供所地区の町の中にも同様の痕跡があった。例えば、上呉服町3の通り、西教寺(上呉服町9-4)の内外.。*博多2000年の歴史が一目で分かる場所とは?地下鉄の駅舎工事に向け、博多遺跡の発掘現場「HKT203」だった。貝原整形外科医院(博多区祇園町8-20)前の大通り。ここで、福岡市埋蔵文化財調査課・星野惠美さんが登場。砂が中心の現場。1面(約1m)が江戸時代、2面が鎌倉時代、3面が平安時代・・・宋貿易の墨書陶磁器・天目椀・土師器※、4面が奈良・古墳時代、5面(最下面)が弥生時代・・・甕棺墓(かめかんぼ)と人骨※※。重層的(シームレス)に生活し続けた痕跡が分かる複合遺跡。※ タモリが発掘に挑戦すると、11世紀頃の土師器(はじき)だった。※※ ロケ当日の朝、人骨が見つかった。2000年の悠久を越えてタモリが会った古代人。中洲の3m位下はもう弥生時代だった!!タモリ「いいのかね、ドンチャン騒ぎばっかりしていて。有り難くこの土地を楽しむということですね」。【参考】□ タモリさんの略歴1945/8/22南区市崎生まれ⇒市立舞鶴小学校(中央区)⇒市立高宮中学校(南区)⇒県立筑紫丘高校(南区)⇒一浪⇒1965早稲田大学第二文学部西洋哲学⇒モダンジャズ研究会マネージャー、学費未納のため抹籍処分⇒以下、略。□ 櫛田神社(博多区上川端町1-41)5月博多松囃子(博多どんたく)の出発点、7月博多祇園山笠、10月博多おくんち。□ 臨済宗聖福寺(博多区御供所町6-1)1195年(建久6年)創建。、1587年(天正15年)復興事業・太閤町割り。*[番外]「かろのうろん」(博多区上川端町2-1)タモリ 「やっぱり博多はうどんでしょ ! うどんはコシだと言う人がいるんですけど素人ですね。うどんはね、食べるもんじゃないんですよ。うどんは飲み物」。中洲川端の「かろのうろん」のごぼ天うろん。◇■ #18「福岡と鉄道~福岡発展のカギは『鉄道』にあり !?~」9.10激甚災害により一週遅れの放送となる。【初放送】10/3(土)19:30~20:15【再放送】10/4(日)13:05~13:50 ゴルフ中継で中止【再放送】11/3(火・祝)8:15~9:00取材協力: 宇都宮照信、JR九州、JR博多シティ、西鉄、JR西日本、福岡市博物館。資料提供: 九州大学記録資料館、交通新聞社、塔文社、西鉄、福岡市博物館。映像デザイン: 山口高志写真: 山田大輔ディレクター: 宮本岳彦プロデューサー: 垣東大介、一坊寺剛【あらすじ】タモリさんの "ふるさと" 福岡 ! 猛暑!!西鉄福岡(天神)駅の次、薬院駅前。タモリ「1年半住んでいた頃は高架ではなかった。私鉄と市内路面電車が直交していた。直交できたんですよ。その音はジャジャジャジャジャン」。ここで西鉄広報課の吉富実さんが登場。筋金入りの鉄道マニア。何と! その音を、吉富さんは中学生の時にカセットテープで録音していた。タモリ「これは電車の中で録っていますね」桑子「この仕組みを見て鉄道が好きになったんですか?」タモリ「なるほどなあと思って。よく考えられているな、鉄道は、と。原点ですね。鉄道ファンになった」薬院は、タモリさんが "鉄道ファン" になる切っ掛けとなった思い出の場所だった。!ここで、タモテバコが登場。今日のお題は、「福岡発展のカギは"鉄道"にあり!?」。明治中頃、実は九州で人口が3番目の町だったという福岡市。1889年(明治22年)時点の人口①鹿児島市57,822人②長崎市54,502人③福岡市50,847人④熊本市42,725人。それが、九州一の大都市に発展するに当たって、路面電車、西鉄、九州新幹線などの鉄道が果たした大きな役割を、タモリさんが探る。タモリ「西鉄電車に乗るのは40年振りです。高架駅になって初めて。電車の色も違いますね」桑子「昔は何色だったんですか?」タモリ「昔はチョコレート色みたいな」桑子「今、ミント色になっちゃった」タモリ「ちょっとすみません」と言って指差しで安全確認ポーズ。天神駅まで乗車。福岡市は、九州の玄関口、150万都市となった。天神地区・・・大型商業施設やオフィスビルが集積する九州最大規模の繁華街。ここで、近代史研究家の益田啓一郎さんが登場。益田「福岡は、まさに鉄道が作った街と言っても過言ではない。それが分かる場所にご案内したい」天神駅ビル屋上から見下ろす。天神発展の起点は、路面電車が明治の終わりにクロスし、ここが交通のハブ(結節点)になったこと。商人の街・博多と武士の街・福岡は、江戸時代には一体となっていなかった。大きな転機をもたらしたのが、明治時代に活躍した二人の民間人だった。"電力王"松永安左エ門が路面電車を開業。"博多一の商人"渡邊與八郎がもう一つの路面電車を開業 ⇒ 後の渡辺通り。昭和30年代の路面電車は年間乗客数1億人突破。いつも超満員だった。現在の市内で、路面電車の痕跡が、未だ一カ所だけ残っている。西鉄天神高速バスターミナルからバスで移動。何と!! ロゴマーク、"ブラタモリin福岡"、鉄路の痕跡←天神の電光掲示板が用意されている。"鉄路の痕跡探しの旅"に出発。タモリ「何でも揃う柳橋連合市場がある」到着したのは、馬出地区~箱﨑地区。路面電車がなくなって36年、唯一この区間だけに痕跡が残っている。専用軌道⇒後の馬出通り・・・かつて自動車が入ることのできなかった路面電車専用の道。電停を今でもバス停として使っている。盛り上がった踏み切り跡、枕木の再利用。筥崎宮(はこざきぐう)・・・1000年以上の歴史を持つ神社、勝ち運の神様。鳥居前で、古い鉄柱を見つけ、タモリ「これ、市電の(溝付き)レールですね」1924年(大正13年)福岡駅誕生。デパート開業。人口が1889年50,847人⇒1940年306,763人に急増。大牟田線(天神~久留米~柳川~大牟田・炭鉱)・・・西鉄の前身の1つ「九州鉄道」。タモリさんが丁度一番、利用していた当時のエース車両・・・モ363, 定員130人、自重34.3屯、製造・昭和27年(1952年)3月・近畿車輛・・・があった。タモリ「7,8~10歳の頃よく乗っていた。用もないのにブラブラ、デパートに行って遊ぶんです」昭和30年代には年間乗客数8,000万人。ここで、西鉄車両整備課主任の山本幸秀さんが登場。吉富「この車両は今年1月で運転休止、3月で手続き上は廃車になっている」大牟田線を支えた313形でまもなく解体予定。山本「変圧電源ボタンを押して頂いて」、タモリ「動いた」、山本「エアモーターだけはまだ命が残っている」、タモリ「コンプレッサーのことだよね。懐かしいね、この音。いつも後ろから見ていた」。様々な音の声帯模写を披露。鉄道マニアの定番。ブラタモふるさとコレクション、略してブラコレ。1960年頃の西鉄に残る珍しい映像・・・中学校の先生に提案したPV 「バスによる修学旅行~山口・広島コース」。タモリ「ひょっとするとオレの中学校じゃないか?」桑子「正解です。福岡市高宮中学校御一行様です」タモリ「ちょっと待って、このバスガイドさん知ってるかもしれない。もの凄い奇麗なバスガイドさんだった。名前サインしてもらった。清水何とかさん、旅行中ずっとその人見てた」<桑子アナに似た美人でした>JR博多駅。タモリ「昔はもっと北の方にありまして、移転しました」航空写真比較移転直後1964年(昭和39年)当時は、駅周辺には何も無かった。11年後の1975年(昭和50年)には大変貌を遂げた。大きな切っ掛けは新幹線の開業・・・山陽新幹線が博多まで延伸、東京までひかりで1200kmを6時間56分。九州の玄関口に。ここで、JR西日本新幹線博多駅長の厚母一義さんが登場。名前が同じ。山陽新幹線全線開業40周年。陰で支える場所が完成。厚母駅長から300円キップがプレゼントされる。桑子「300円で乗れるんですか? タモリさん知っているんですか?」タモリ「知っていたけど乗るのは初めて。話せば面白い。」列車番号737となって引き込み線から博多南(那珂川町)の車両基地「博多総合車両所」行きとなる。9分で到着。住民から利用させて欲しいとの要望を1990年に承認。それから人口増加し今では1日14,000人近くの利用客。ここで、博多総合車両所設備科長の髙垣秀晃さんが登場。500系新幹線・・・日本初の時速300km達成車両、博多~東京4時間49分。タモリさんが一番好きな車両。0系新幹線(22-1047)・・・当初時速210km。タモリ「当時は車内にスピードメーター表示され、200kmを超えると拍手が起きていた」福岡市の人口1889年5万人、1975年100万人、1979年九州最大都市となった。桑子「タモリさんが上京した時は?」タモリ「新幹線ができたばかり。『ジャズとお笑いの夕べ』の翌日、新幹線に乗って上京した」 鉄道が引かれることによって人の流れは全く違って来る。今回は地下鉄をやらなかったが、更に違って来るだろう。*【参考】□ 福岡市内にJR「福岡駅」は存在しない。西鉄/天神大牟田線「西鉄福岡(天神)駅」・・・福岡市中央区天神2-11-2。JR鹿児島本線「南福岡駅」・・・博多区寿町2-9-30。JR博多南線「博多南駅」・・・春日市上白水8-166。JR「博多総合車両所」(東海道・山陽・九州新幹線の車両基地)・・・春日市と那珂川町にまたがる。□ 路面電車福博電気軌道が1911年(明治44年)開通。西日本鉄道福岡市内線は、1942年(昭和17年)~1979年(昭和54年)2月に全線廃止。2008年(平成20年)11月、「LRT(新型路面電車)導入の検討開始。◇