正月3日に行こうとした近所の神明神社、
拒否されているようなプレッシャーを感じて初詣を諦めたけれど、
今日また、お散歩がてらに行ってみました。
何かしらの大きさ?みたいなのは感じましたが今回は拒否を感じず、
お参りしてお守りをいただいて来ました。
ちょっと買物とかもして・・・
うん、どこかでポイントカードを落としてしまって凹みました。
まぁ・・・
諦めてアプリと連携させたのでカードをなくしてもポイントは失わずに済んだし、ポイント自体も利息が付くようにポイント預金みたいなのに入れたり運用に回しているのでカードを拾った人にポイントを使われてしまう事はないのだけれど、一々アプリを起動させるのが面倒臭くてカードを使っていたのでちょっと、かなり凹んだな。
急いで落とした可能性の有るところ全部回って、お店とかで落し物として無かったか聞いてみたけれど届いていなかったしね。
スピリチュアルなことに余り傾倒したくないけれど、
ちょっと最近色々思うところがあって、今まで買ったことも無かったお守りをいただいてきてしまう。
今日も厄除けの、スサノオ命のブレスレットタイプのお守りをいただいてきて、身につけている。
アマテラス大神でも月読命でもなく、何となくスサノオ命だなと思ってしまった。
なんとなく、
天照大神の加護を受けたかたの力に少しでもなれたら良いのになと思ってしまっているから。
自分は、間違いなく無宗教だ。
宗教なんて信じていない。
自分が何処かの神社の氏子なのかどこにも所属していないのかも知らない。
菩提寺が曹洞宗で或る事をかろうじて知っているだけ。
が、宗教は信じていなくても信仰を持っていないわけではない。
おそらく、
自分は信仰はアニミズム、 宗教はシャーマニズムだと思っている。
八十万、八百万の神々、道端の石や、草木や、お米の一粒一粒など、あらゆるところに宿る神々を、信じているというのとは違うかもしれないけれどすんなりと受け入れられる。
これはアニミズム。精霊崇拝的な信仰だと思っている。
一方、シャーマニズムのように、神との間に巫人(神官や僧や神父、牧師など)が挟まり、神の仲介と言いながらも結局は人に対しての尊敬や敬意を示す事になるものを宗教だと思っている。
そういう意味で自分は結局は人の価値感に左右される宗教は信じていない。
自然現象としての在るがまま、なるがままの事象に、そこに何かの意思が有るのならばそれが精霊や神というものかもしれない、その事象に神としての名をつけて敬うものを八十万(やそよろず)、八百万(やおよろず)の神を掲げる神道だと思っている。
神話と民話、神と妖怪の間に似たような話しはたくさん有る。
神に対する畏怖と、それを恐怖やおどけた話しにして妖怪の逸話になるような、
そんな、自然と溶け合っているような、
だから、都市伝説でさえ、信仰とも思わないままに、日本人の無意識に籠められた八百万の神々に対する信仰とも自覚しない信仰が籠められているのではないかと思っている。
別に崇め奉るとかで無くとも、信仰するしないで無くとも、その存在をたとえ物語としてでも忘れずに伝えられている事が、日本人の根底に根付いている信仰なのではないかな?
なぁ~んて、適当な事を考えたりしています。