私の人生ひまつぶしです。
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本文
2月2日
最初の数杯の酒は良い気分にさせてくれるが、その後はアルコールによって私達は麻痺されてしまう。飲み出してしばらくの間は、 世の中が実際よりも明るく見えるだろう。だが、次の朝、経験するあのひどい落ち込みとけだるさはどうだろうか。AAで、私達は本当の心地良さを手に入れる。酔いと興奮の中のまがいものの感情ではなく、本物の自分自身に対する満足と尊敬と、そして世の中に対する親しみの感情である。
飲酒によって、ある種の楽しみは手に入れることはできた。幸せだと思っていた時期もあった。しかし、錯覚にすぎなかったといえるだろう。次の朝の二日酔いは、楽しみとは正反対のものである。
ポイント
1. アルコールの効果の偽り:最初の数杯は良い気分にさせるが、その後は麻痺され、一時的に世界が明るく見えるのは錯覚である。
2. 飲酒後の悪影響:次の朝にはひどい落ち込みやけだるさ、二日酔いが訪れ、一時の楽しみとは正反対の苦痛となる。
3. A.A.で得られるもの:本物の心地良さであり、自分に対する満足・尊敬、世界への親しみの感情が手に入る。
解説
この文章はA.A.の視点から、アルコールによる「一時的な快楽」と「本物の充実感」の違いを述べています。
アルコールは短期的に気分を高めますが、それは現実を歪める錯覚であり、後には精神的・身体的な苦痛をもたらします。
一方、A.A.を通じて得られるのは、アルコールに頼らない自分自身を認め、周囲との健全なつながりを持つことで生まれる「持続可能な満足感」であり、これこそが本当の心地良さだと強調しています。
考察
アルコールが一時的な逃避や快楽をもたらす一方で、長期的には問題を悪化させることは多くの研究でも示されています。
文章が指摘する「錯覚の幸せ」は、ストレスや心の空白を埋めるための一時的な手段に過ぎず、根本的な解決にはなりません。
また、A.A.で得られる「本物の感情」は、自己受容や他者との信頼関係を築くことで育まれるものであり、これらはアルコールでは決して代替できない人間の根本的な欲求に応えるものと言えます。
現代社会では「即効性のある快楽」に溢れていますが、この文章は「本当の充実感は時間をかけて築かれるものである」ということを改めて教えてくれます。
思い・内省のヒント
- 自分は「一時的な快楽」に頼って、本当に必要なことを先延ばしにした経験はあるか?
- 「自分自身に対する満足や尊敬」は、何をしたときに感じられるか?
- アルコール以外にも、現実を歪めるような「まがいものの心地良さ」に頼っていないか?
「本物の充実感を手に入れるためには、どんなことが大切だと思いますか?」
私はAAで本物の楽しみと、平安と平和を掴み始めているか?
ポイント
1. 核心的な問い:「自分はA.A.を通じて、本物の楽しみ、平安と平和を手にし始めているのか?」という自己確認の問いである。
2. 対比されるもの:アルコールによる一時的な錯覚の快楽とは異なり、A.A.で得られるものは「本物」の感情や状態である。
3. 意味の位置づけ:この問いは、A.A.の実践を通じた精神的な成長や回復の度合いを、自分自身で確かめるための指標となる。
解説
これはA.A.メンバーが自分の回復状況を振り返る際の重要な自己問いかけです。
先の文章で「アルコールによる快楽は錯覚で、A.A.で本物の心地良さが得られる」と述べられていることを踏まえ、「自分は本当にその『本物』を手にし始めているのか」を確認することで、これまでの努力やA.A.での取り組みが実りあるものであるかを見極めます。
「本物の楽しみ」とはアルコールに頼らない日常の中で感じられる喜び、「平安と平和」とは心の安定や対人関係での穏やかな状態を指し、これらは自己受容や仲間とのつながりを通じて徐々に育まれるものです。
考察
この問いかけは、単に「断酒しているかどうか」という表面的な指標ではなく、「心の状態が根本的に変わっているか」を見る深い視点を持ちます。
A.A.の理念では、断酒はあくまでスタートであり、その先にある「精神的な健康」や「充実した人生」こそが目標です。
この問いを自問することで、安易な自己満足を避け、継続的な成長を促すことができます。
また、「掴み始めているか」という表現は、成長が一朝一夕に起こるものではなく、徐々に積み重ねられるものであることを示しており、焦らずに自分のペースで進むことの重要性を教えてくれます。
内省のヒント
- 自分がA.A.に関わる中で、「アルコールの時とは違う種類の楽しみ」を感じたことはあるか?
- 心が平安や平和に満たされる瞬間は、どんな場面か?
- この問いに対して「イエス」と答えられるか?
もし答えにくい場合は、何が足りないと感じるか?
この問いを通して、自分の現在の状態について、どんな気づきがありましたか?
黙想
愛を実践しよう。愛の欠如は私の生きる道を塞いでしまうから。
あらゆる人の中の良いものを見るようにつとめよう。好きなタイプの人達も、そしてまた、私をイライラさせたり、私の性格に合わない人達の中にも。人はみな神の子どもなのだ。愛することに励もう。
愛の欠如は不毛であり、そのような私が、どうして愛のスピリットの中に住まうことができるだろうか。すべての人々と愛し合おう。
なぜなら、愛は与えるほど私の中から湧き出るものだから。
ポイント
1. 黙想の核心:「愛を実践すること」を中心に据え、愛の欠如が生きる道を塞ぐと述べる。
2. 愛の対象:好きな人だけでなく、イライラさせる人や性格の合わない人も含め、全ての人に対して、その中の良いものを見ようと努める。
3. 根拠:人はみな神の子どもであり、愛のスピリットの中に住むためには愛することが必要。
4. 愛の特質:愛は与えるほど内から湧き出るものである。
解説
この黙想文は、スピリチュアルな視点から「愛の実践」の重要性を説いています。
単なる感情としての愛ではなく、「あらゆる人の中の良い面を見出す努力」「困難な相手に対しても接する寛容さ」といった、積極的な行動としての愛を提唱しています。
また、「愛の欠如は不毛で道を塞ぐ」とし、愛を実践することが自分自身の成長や生きる道を拓く鍵であると示唆しています。
「与えるほど湧き出る」という表現は、愛が「消費するもの」ではなく、「実践することで豊かになるもの」であることを強調しています。
考察
この内容はA.A.の理念とも通じる部分が多く、仲間とのつながりや他者への理解・包容が回復に欠かせない点と一致します。
人は誰しも「好き嫌い」を持ちますが、「全ての人に良い面を見ようと努める」ことで、自己中心的な視点を超え、より広い視野で人間関係を築くことができます。
また、「愛は与えるほど湧き出る」という考えは、相手に愛を捧げることで、自分自身の内面も豊かになるという心理学的・スピリチュアルな洞察を含んでいます。
現代社会では対立や偏見が目立ちますが、この黙想文は「積極的な愛の実践が個人と社会の両方を変える」というメッセージを伝えています。
内省のヒント
- 自分が「イライラさせる人」や「性格の合わない人」と接するとき、その人の良い面を見ようと努めているか?
- 「愛を与えること」で、自分の内面が豊かになったと感じる経験はあるか?
- 「愛の欠如が道を塞ぐ」という言葉に、自分自身の経験が当てはまる部分はあるか?
この黙想の内容を実践するために、今日から少しでも取り入れられることはありますか?
祈り
人々のいろいろな欠点に目を向けることなく、力の限り愛することができますように。私が人々を愛するように、愛されますように。
ポイント
1. 祈りの内容:人々の欠点に目を向けず、力の限り愛することができるよう願うとともに、「自分が人を愛するように、自分も愛されるように」と祈る。
2. 核心的な考え:「欠点を見ないで愛すること」と「愛することと愛されることの相互性」が重視されている。
解説
この祈りは、他者への愛を「欠点を見過ごし、良い面に目を向けて接すること」と位置づけています。
単に「愛しなければ」という義務感からではなく、「力の限り」努めることを願っており、人間的な限界を認めながらも積極的に愛を実践しようとする姿勢が表れています。
また、「自分が人を愛するように愛されるように」という部分は、愛が一方的なものではなく、与えることと受け取ることが相互に結びつくものであることを示唆しています。
考察
この祈りは、人間関係における「寛容さ」と「相互性」の重要性を教えてくれます。
誰にでも欠点はありますが、そればかりに目を向けると、相手の良い面が見えなくなり、対立や孤立につながりやすくなります。
一方、欠点を見ないで愛することは「盲目的に認めること」ではなく、「相手の全体像を受け入れ、良い部分を尊重すること」を意味します。
また、「愛することで愛される」という相互性は、人間関係が循環的であることを反映しており、自分自身の姿勢が周囲からの応えに影響することを示しています。
この考えはA.A.の仲間同士の関わり方にも通じ、「他者を受け入れることで自分も受け入れられる」という回復の基盤となります。
内省のヒント
- 自分が他者を見るとき、欠点よりも良い面に目を向ける努力をしているか?
- 「愛すること」と「愛されること」の関係について、自分なりの経験や考えはあるか?
- 特定の人に対して、「欠点を見ないで愛する」ことが難しい場合は、何がそうさせているか?
この祈りの内容を心に留めることで、明日から人と接する際の姿勢を少し変えてみようと思いますか?

