ケント公爵エドワード王子(89)の妻であるケント公爵夫人キャサリン妃が2025年9月4日、家族に見守られながら92歳で逝去したことをバッキンガム宮殿が翌日に正式に発表しました。



Katharine, Duchess of Kent


ウィリアム王子の妻であるキャサリン皇太子妃(Catherine, Princess of Wales)とはキャサリンの綴りがKとCで異なります。


夫のケント公爵エドワード王子(89)は、英国王位継承順位42番目。初代ケント公爵ジョージ王子(ジョージ5世の四男)の長男で、エリザベス2世女王の従弟にあたります。また、母マリナ王女はギリシャ王家出身で、エリザベス女王の夫エディンバラ公フィリップの従姉です。






ケント公爵夫人キャサリン妃はキャサリン・ルーシー・メアリー・ワースリーとして、1933年2月22日、ヨークシャー州ホヴィンガム・ホールで誕生しました。父は第4代準男爵の称号を持つ裕福な地主サー・ウィリアム・ワースリー大佐、母はレディ・ジョイス・モーガン・ブルンナー、第四子で唯一の娘として生まれました。母方の祖父も準男爵でした。

※準男爵とは、イギリスの世襲称号の一つで、男爵より下位、ナイト(勲爵士)より上位に位置する称号です。貴族ではなく平民とされ、世襲で引き継がれる称号としては最下位にあたります。敬称はナイトと同じく「サー(Sir)」で、準男爵の妻は「レディ(Lady)」の敬称で呼ばれ、女性が当主である場合は「バロネテス(Baronetess)」となります。





キャサリンは・ワースリーは一族が400年にわたり所有していた土地、ホヴィンガム・ホールの邸宅で生まれ育ちました。



1950年代、キャテリック・キャンプに駐在中のケント公爵エドワード王子は美しく裕福な社交界デビューを果たしたキャサリン・ワースリーと出会いました。サンドハースト大学を卒業したばかりのエドワード王子は、キャサリンの実家からそう遠くないキャテリックで陸軍士官として駐在していました。


1958年8月26日、ケント公爵エドワード王子と交際中のキャサリン・ワースリー

キャサリン・ワースリーは貴族ではありませんでしたが、上流社会の人々と交流があり、ジョージ5世の孫であるケント公爵エドワード王子に出会ったのです。


エドワード王子は誕生当時、王位継承順位6位でした。(現在は42番目)そして、1942年に父ジョージ王子が飛行機事故で亡くなった後、6歳で爵位を継承しました。

エドワード王子の母であるマリナ王女は当初2人の関係を認めていなかったと言われています。ギリシャの王女として生まれ、イギリスの王子と結婚したマリナ王女にとっては、いくら裕福とはいえ平民出身の女性と王子である息子の結婚は考えられなかった事は想像がつきます。



1961年5月30日、ケント公爵と婚約者キャサリン・ワースリー


ケント公爵エドワード王子は身分違いの恋の情熱を冷ますためにドイツへ送られましたが、遠距離恋愛を強いられても2人の恋が冷めることはありませんでした。

二人は1961年3月に婚約を発表し、1か月後に結婚しました。



婚約を発表したケント公爵エドワード王子とキャサリン・ワースリー、母マリナ王女(左)

ケント公爵とキャサリン・ワースリーの婚約は、1961年3月8日、ケンジントン宮殿で、マリナ王女によって発表されました。ケント公爵エドワード王子はキャサリン・ワースリーに、オーバルサファイアの両脇にラウンドダイヤモンドをあしらった婚約指輪を贈ったと言われています。





ケント公爵エドワード王子とキャサリン・ワースリーは1961年6月8日にヨーク・ミンスター(ヨーク大聖堂)で結婚式を挙げました。



ウェディングティアラは「Queen Mary's Diamond Bandeau Tiara」。このティアラについては世界のフリンジティアラpart2でご紹介しました。


2人の結婚は国民に好意的に受け止められました。ケント公爵エドワード王子は、ジョージ3世の治世以降、爵位のない女性と結婚した二人目のイギリス王子となりた。






キャサリン妃はそれぞれ1962年、1964年、1970年に生まれたセント・アンドリュース伯ジョージ・ウィンザー、レディ・ヘレン・テイラー、ニコラス・ウィンザー卿の3人の子供を出産。その後、10人の孫にも恵まれました。



1962年10月8日、ウガンダ独立式典に出席され、ウガンダのエンテベにある政府庁舎の階段に立つケント公爵夫妻。キャサリン妃は6月26日に長男ジョージ・ウィンザーを出産してから約3カ月後。


エリザベス女王の代理として、ケント公爵エドワード王子とウガンダ独立記念式典に出席するなど、当時は王室の主要メンバーとして公務をこなされました。








2002年、ケント公爵キャサリン妃は「Her Royal Highness(殿下)」という呼称の使用をやめ、王室での公務を減らすことを決断しました。それ以降、彼女はキャサリン・ケントまたはキャサリン・ダッチェス・オブ・ケントと名乗りましたが、正式な呼称(宮廷回覧文など)は引き続き「HRH The Duchess of Kent(ケント公爵夫人殿下)」でした。公務から遠ざかる決断をしたキャサリン妃でしたが、2011年のウィリアム王子とキャサリン・ミドルトンの結婚式、2012年のエリザベス2世女王即位60周年記念式典におけるバッキンガム宮殿でのコンサートとセント・ポール大聖堂での感謝祭、2018年のハリー王子とメーガン・マークルの結婚式など、主要な行事には出席されました。しかし、ここ数年は姿を見せることはなく、2022年のエリザベス2世女王の葬儀と2023年のチャールズ3世国王の戴冠式にも出席されませんでした。


2018年のハリー王子とメーガン・マークルの結婚式




ケント公爵夫人キャサリン妃が最後に公の場に姿を現したのは、2024年10月9日、ケント公爵エドワード王子の89歳の誕生日を記念した演奏が行われた時でした。
マイケル・オブ・ケント王子、ケント公爵エドワード王子、ケント公爵夫人キャサリン妃、次男ニコラス・ウィンザー卿が、2024年10月9日、エドワード王子の89歳の誕生日を祝って、ケンジントン宮殿のレン・ハウスの外で、ロイヤル・スコッツ・ドラグーン・ガーズの3人のパイパーの演奏を鑑賞しました。

ロイヤル・スコッツ・ドラグーン・ガーズ(カラビニエ連隊とグレイ連隊)の3人のパイパーが、ケンジントン宮殿のレン・ハウス前で演奏し、ケント公爵エドワード王子の89歳の誕生日を祝いました。
※ケント公爵エドワード王子はロイヤル・スコッツ・ドラグーン・ガーズの副大佐であり、1955年から1971年までロイヤル・スコッツ・グレイ連隊の将校を務めました。連隊はその後、1971年に第3カラビニエ連隊(プリンス・オブ・ウェールズ・ドラグーン・ガーズ)と統合され、ロイヤル・スコッツ・ドラグーン・ガーズとなりました。





夫エドワード王子の父である初代ケント公爵ジョージ王子は、1936年に伯父エドワード8世が退位を表明した際、廷臣たちから後継者として名前を挙げられたことがあったと言われています。そのため、長男のエドワード王子とその妻であるキャサリン妃も事と次第によっては現在のイギリス国王と王妃となっていた可能性もあったことになります。



2022年9月8日にエリザベス2世女王が崩御したことを受け、ケント公爵夫人キャサリン妃は2025年9月4日に92歳で逝去するまで、イギリス王室の中で最高齢となりました。キャサリン妃逝去により、現在の最高齢は夫のケント公爵エドワード王子(89)です。



1986年、夫妻の銀婚式を記念した写真



2002年に公務のほとんどから退くまで、地道に公務を務めてきたキャサリン妃を称え、英国のキア・スターマー首相が「長年にわたり、彼女は最も勤勉な王室メンバーの一人でした」と声明で述べました。


ケント公爵夫人キャサリン妃の逝去発表後、王室の住居では半旗が掲げられ、王室一同は彼女の葬儀の日まで喪に服すことが宣言されました。

英国政府も、公爵夫人の死を悼んで半旗を掲揚するよう命じました。

エリザベス2世女王の許可を得て、カトリックに改宗していたキャサリン妃の葬儀はカトリックの葬儀となり、国王夫妻を含む高位王族らが参列する予定です。

これは英国近代史において王室メンバーのために執り行われる初のカトリックの葬儀となります。




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以上です。

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