【母性】
女子高生が自宅の中庭で倒れているのが発見された。母親は言葉を詰まらせる。「愛能う限り、大切に育ててきた娘がこんなことになるなんて」これは事故か、自殺か。母の手記と娘の回想によって、同じシーンをそれぞれの立場から綴った物語。☆どちらのどこまでが本当なの...?と。自分が良いように解釈し、その事実と異なる事柄が、気がつけば、自分の中の真実としてインプットされてしまう。うん、良くある話し。私の弟も4~5歳のとき虚言癖?現実逃避?みたいなことを言う時があった。私は小学生なのにダンスの仕事が忙しく、母は私につきっきり。その間、弟は祖母とずっと一緒にいて。その日も私と母が夜帰ると、弟が「今日は、ばぁばと、はとバスに乗って東京タワーに行ったんだ!とっても楽しかった~」と。それはまったくのウソなんだけど、本人は本当に行ったつもりになってて...なんだか、伝えられない寂しさがあるんだなぁと、私も母もすごくハッとした記憶がある。☆経験がないので私は「子」の立場しか分からないけれど、子どもを産んだら「母」にはなるが、全員がすぐに「親」になれるわけではないのかもね。私の母親は、一人暮らしもしたことがなく、お恥ずかしいことに炊飯器の使い方も知らないまま、若いうちに私を産んだらしく。大切に愛情いっぱい育ててきてもらった!と胸を張って言えるけど、子どもながら、あーーお母さん成長したなぁと思う瞬間がたくさんあったようにも思う。一緒に成長してきたな、と思う。そんな感覚が小さい頃からあるから、「お母さん」というよりかは、一人の人間同士としてずっと生きてきた気がする。みんな一人一人違う人間なんだから、思うようにいかなくて当たり前!と思うのは、そんな母親の影響だと思う。☆【母性】を読むと、親も元々は子なわけだし、すぐに親になれないってこともあるだろうなぁと思わされる。でも子は、当たり前のように親からの愛を求めるものだなぁとも。親も子も一人の人間なんだもの。すれ違いも、想いの受け取り違いも起こるんでしょう。そんな中で、名前を呼んであげること抱きしめることって当たり前だけど、とっても大切だね。それは、親子間だけではなく、友だちにだって、好きな人にだって、今関わる全ての人に通じることだと思う。ないものをいくら求めても仕方がない。与えると決めてみれば、みえてくるものがきっとあるはずだと思う。どんな時も、どんなことに対しても、まずは自分が恐がらず愛することからはじめたい!な、一冊です。☆追伸: 名前を呼ぶ。といえば、私はお腹をすぐ壊す子どもで、両親から、ピーちゃんと呼ばれていました。ただそれだけの話なんだけど、家族間でのあだ名って意外とみんなあるみたいで、それを聞くのがとっても好き!29年前の母とわたし。