はちま寄稿という有名サイトがある。
友人がそのサイトは良くないと言っていたが、そのサイトを見てみると色々な記事があった。
不安をあおるテレビが『コロナウイルス』について絶対報道しないこと (魚拓)
【画像】あの有名な「マスコミが捏造報道する風刺画」、ネットを反映した最新改良版が登場! これは秀逸w (魚拓)
今の時代、テレビや新聞などの従来のメディアよりネットの方が有益なことも少なくない。
ただ、ネット情報は玉石混交なので、今まで以上にメディアリテラシーが必要な時代だといえる。
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今の時代、テレビや新聞などの従来のメディアよりネットの方が有益なことも少なくない。
ただ、ネット情報は玉石混交なので、今まで以上にメディアリテラシーが必要な時代だといえる。
適菜収という哲学者がメルマガで「小林秀雄のカラー写真を見たことがない」と書いていた記憶があるが、高校の国語用の便覧に小林のカラー写真が載っていた。
引用:『新版三訂 新訂総合国語便覧』(改訂43版)292頁
昨日、私は適菜氏が書いた新書『小林秀雄の警告 近代はなぜ暴走したのか?』を読んだ。
本書は小林の人格面と思想に関する言及が多く、小林の指摘が、今の日本社会に深く当てはまることに気付かされた。
小林は『ヒットラアと悪魔』でこう述べている。
人間は侮蔑されたら怒るものだ、などと考えているのは浅薄な心理学に過ぎぬ。その点、個人の心理も群集の心理も変りはしない。本当を言えば、大衆は侮蔑されたがっている。支配されたがっている。
この文はフロムが『自由からの逃走』で指摘した現象を述べているのだろう。
近代人は自由を手に入れたが、自由とは「自分のことを自分で決めていくこと」でもある。
その結果、近代人は「自分の選択は正しいのだろうか?」などと不安を感じ、この不安から逃れたいと思うようになる。
そんななか、全体主義政権が現れ、その政権が「我々に従えば、福祉を保証する!」と宣伝するようになると、近代人は自分の不安から逃れるために、その政権が誇示する権威に自ら従うようになってしまう。
フロムが指摘したこのような現象は、どの民主主義社会でも起こりうる。
当時もっとも民主的と言われていたワイマール憲法下のドイツ社会でナチス政権が誕生したのもその最たる例だ。
適菜氏は、本書以外にも『ゲーテの警告 日本を滅ぼす「B層」の正体』、
等の新書を発行しており、いずれも現代社会に対する批判を述べている。
適菜氏の本は小林秀雄やニーチェといった偉人の思想をもとに、近代社会への考察を行っているため、一読する価値があると私は考えている。
ニーチェは、全ての価値を否定したニヒリストと思われがちですが、実際は逆なのです。
ニーチェは、人間愛を抱き続けた保守の哲学者だったのです。
ニーチェは、キリスト教を否定しましたが、心の清廉なキリスト教徒やイエスを否定したわけではありません。
ニーチェに関して深く知りたい方は、適菜収の著作『新編 はじめてのニーチェ』と『ニーチェの警鐘 日本を蝕む「B層」の害毒』が参考になるでしょう。
私は小説などを書くことが生き甲斐だが、今のところプロの文筆家になろうとは考えていない。
完成度の高い作品を書いた作者が、存命中に正当な評価を受けなかった例は、歴史上存在する。
今の自分みたいにアマチュア精神を貫いていれば、自作が売れていなくても気にする必要はない。
だが、プロとなれば、売れる作品を書かねばならなくなる。
ある作品が売れるか売れないかは、どうしても運の要素が強くなってしまう。
つまり、アマチュアならば自分の理想を思うがままに追求できるのに、プロだと運に左右される立場になりがちなのだ。
それが、自分がアマチュア精神を望ましいと考えている最大の理由である。
母校の後輩で、ラノベ新人賞に挑戦している青年がいる。
その後輩の応援のため、その新人賞を調べたり、その後輩の作品の意見文を書いたりするようになった。
そのうち、以下の事実を知るようになった。
ラノベなどの新人賞は一次選考→二次選考→最終選考という順をたどる。
二次選考の後に三次選考が入ることもある。
最終選考は有名人が選者となる。
二次選考(と三次選考)は文学の専門家やその業界に精通している人が選者となる。
新人賞の運営によっては二次選考(と三次選考)の選者を公表している場合もある。
そして、一番ブラックボックスなのは一次選考だ。
一次選考は下読みとされる人たちが担当する。
下読みの方の質はばらつきが大きく、最終選考まで残るレベルの作品を酷評するような「質の悪い」人も、実は少なくないのだ。
公募で届く、数百~数万の作品は(大抵は複数の)下読みの人たちに、決められた作品数ごと割り振られる仕組みだ。
一次選考で下読みの人から評価を受けられなかった作品は二次選考まで行くことなく、落選となる。
つまり、一次選考であなたの作品の下読みをすることになった人があなたの作品を読み、
あなたの作品を良い作品と評価しなければ、落選となるということだ。
かつては、「日本語がきちんと書かれていて、作品としての体裁が整っていれば、一次選考は通る」と言われていた。
だが、二次選考に進む作品が全体の1割前後(賞によって差はある)であることを考えれば、
どうやら最近は一次選考の段階でかなりの数が落選しているとみて間違いない。
明らかな愚作が、一次選考で落ちるのは当然のことだ。
だが、下の事件を知り、私は驚愕した。
<第23回電撃小説大賞受賞作『86 ―エイティシックス―』は、当時かなりのインパクトを持って世に送り出され、大きな好評を得る結果となりました。
「『86』は前年の電撃小説大賞にも応募していたのだが、一次選考で落選してしまった。その作品の最後に2ページ加筆して再度応募したら、今度は大賞を獲ってしまった」
もちろん、小説というものは、ラスト2ページがそれまでの内容の価値を大きく変えてしまうこともあり得るメディアなので、前年度の『旧86』が失礼ながら大した作品ではなく、受賞した『86』が傑作であったと単純に考えることも、一応可能ではあります。
しかし常識的に考えて、一次落ちと大賞ではいくら何でも結果が違いすぎです。
前年度に『旧86』を落とした下読みさんに、翌年の『86』を読ませたら、果たしてそれを、大賞に値する作品であると評価していたのでしょうか。
また、ラスト2ページを加筆しただけで再度応募したということは、全体の文章のほとんどが前年度のままであったということになります。
つまり、『旧86』の段階で、すでに日本語的には大賞を獲れる器であったわけです。
これこそまさに、現代の一次選考が「日本語の不出来で落としているわけではない」ことを示す、何よりの根拠になるでしょう。>
結論を言えば、一次選考は運の要素がかなり強いということだ。(上記で引用したサイトを是非、読んでほしい。)
つまり、後世の人々が評価するような作品をあなたが書いたとしても、その作品が公募の新人賞なりで、正当な評価を受けられる保証はどこにもないのだ。
また、プロを目指して新人賞を狙うようになると、そのうち自分の理想とする作品ではなく、新人賞で受けが良さそうな作品を書くようになってしまいかねない。
だから、新人賞は本気でプロを目指している人以外は、そこまで投稿するメリットがないのでは、と自分は考えている。
結論。新人賞はプロを狙う一部の人以外は、極力、出さない方が良いのかもしれない。出すにしても自制的に。
児童体罰で懲戒の小学校教諭 自宅待機処分中にFB投稿 ツーリング・グルメ満喫
https://mainichi.jp/articles/20200226/k00/00m/040/295000c
児童体罰ってどの程度の暴力だったのかと気になり、記事を見てみると
>男性教諭の体罰は2019年12月23日、腹部に両足で乗られるなどした男子児童の親からの相談で発覚。
>同25日から自宅待機となった。その後の調査で他の児童らへの体罰も分かり、
>20年2月7日、男性教諭は停職6カ月の懲戒処分を受けた。
という文章がありました。
小学生ってあんなにからだ小さいわけじゃないですか。
そんな小さな体の上に大の大人が両足で乗るって人としておわってい…。
>市教委によると、男性教諭は19年4月、6年生の担任に就任。
>同12月までの間、クラスの児童37人の約半数にこめかみを両拳で押さえたり、
>ほうきの柄で足をたたいたりするなど、日常的に体罰を加えていた。
この教師は「暴力はしつけだ!暴力は立派な教育だ!」と思い込んでいるのかもしれません。
しかし実際は暴力って刑法で禁じられている(立派な)犯罪なんです。
つまり本来であれば、この教師は暴行罪に該当するはずなんですよ。
体罰は学校教育法でも禁じられているのに、この教師は学校教育法の法文を読んだことがないのでしょうかね。
謹慎期間中に知人らと旅行に行って、Facebookに暇つぶしらしき写真を投稿し、「鰻(うなぎ)うまし」とコメントしているような問題教師に付ける薬は果たしてあるのでしょうか…。
自分は幼少期のころからこの国の将来に希望的な観測をしていませんでした。
小学生の段階で「数十年たっても地球温暖化、少子高齢化、民族問題、経済格差はどうせ解決しないだろうな」と思っていました。
その予感は妥当でした。
むしろ事態は深刻化する一方なのかもしれません。
私の未来は明るくないし、この国の未来も暗いでしょう。
最近、政府は星野源をCMに起用して「子育て支援をサポート!幼児教育・保育無償化!」と宣伝しています。
女性に人気の高い星野源が起用されたのは、女性にポジティブな印象を持ってもらい、「政府が子育て支援に力を入れてる!」というイメージを庶民に広めるためでしょう。
ですが、給食費など明らかに子供らにとってプラスとなる費用が対象外とされていたり、家庭によっては逆に経済的な負担が増えてしまったりと「それ意味あるの?」と言わざるを得ない例も少なくないとのことです。
今の日本政府って、本当にすべきこと(地球温暖化や少子高齢化などの深刻な問題を解決するために必要なこと)に力を注がなきゃいけないのに、(そのような政策を)やっている感の演出に力を注いでしまっているのではないでしょうか。
「やらせ」は本当に辞めてほしい
ネット社会じゃなかったら「なりすまし」は発覚していなかった可能性が高い
https://www.nicovideo.jp/watch/sm20376117
あと最近olovideoという映像アーティストを知ったんだが、普通に才能あると感じる
「テレビパン」とか「偽ニュース映像の作り方」とか笑うしかない