安倍総理は「拉致問題は安倍内閣が解決をする」と述べていましたが、一日でも早く拉致問題が解決される日が来ることを願っています。
アニメ「めぐみ」
https://www.rachi.go.jp/jp/megumi/gaiyou.html
安倍総理は「拉致問題は安倍内閣が解決をする」と述べていましたが、一日でも早く拉致問題が解決される日が来ることを願っています。
アニメ「めぐみ」
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モーニングショー「撮り鉄集結」写真を誤紹介 実は2カ月前でした...放送中に訂正・謝罪 (コメント欄)
本日5月20日放送のニュース番組(テレビ朝日系)「モーニングショー」で或る映像が流された。
その映像には「19日」とのテロップを表示されていたが、この映像は実は(本日から二か月前)の2020年3月20日に撮影されていたことが発覚した。
この失態に対しては「自粛にゆるみが出ているという方向性で編集して視聴率を稼ごうとしていたのでは?」といった批判が相次いでいる。
実はフジテレビ系のニュース番組でも同様の失態が明らかとなっている。
※参照:バイキング 緊急事態宣言中と伝えた人出映像めぐり謝罪「正しくは3月のものでした」 (コメント欄)
このようにニュース番組は視聴率を上げたいがために、不適切な報道をしてしまう傾向があり、問題だと言わざるを得ない。
だが、モーニングショーの訂正・謝罪を報じているこのネットニュースを見て、私は「このネットニュースの記事にも問題があるのではないか」と感じてしまった。
JR只見線で福島県を走行していた「キハ40系」の車両は、定期運行の終了に伴い千葉県の小湊鉄道へ譲渡され、輸送過程で19日にJR蘇我駅を通ることになった。
番組は、緊急事態宣言の中、「東北地方で走っている電車が千葉県で走っている」などといった物珍しさから蘇我駅に密集した「撮り鉄」について報じた。
しかし、SNSでは番組で使用された視聴者撮影のある写真について 「テレ朝これ昨日のやつじゃないじゃん ジャカルタ配給のやつだろ」「昨日のじゃなくて緊急事態宣言前の205系のジャカルタ配給やん それをあたかも昨日のように報道するのは良くない」 など、別の日に撮影された違う車両であることが放送中に指摘されていた。
ツイッターでの声を総合すると、3月、車両をインドネシアのジャカルタ首都圏鉄道に譲渡するため、輸送した際の写真と見られる。
これって要するに、この記事を書いたJ-CASTニュースはツイッターで「番組の映像が3月のものであること」に気づいた人々の声を紹介しているだけで、自分たちでは番組の映像が3月のものかどうか確認・検証していないってことでしょ?
ネットでの情報をコピペするだけで、自力では真偽を検証しないというのはメディアとしていかがなものだろうか。
YouTubeで洋楽を聴くことが多い私は、数年前から「あべりょう」というシンガーソングライターに興味を持っていた。
しかし、知人などに「あべりょう」をお勧めしても、反応が冷たいことが多かった。
核攻撃サバイバーなどのように、お世辞にも万人受けする歌詞ではなかったのが要因だろうか。
また、「あべりょう」は初期から他人のYouTube動画に宣伝費を払って自分の曲をCMしていたが、このことも不評だった要因かもしれない。
そして今年に入って、私は店内のBGMで聞き覚えのある歌声の曲が流れていることに気づく。
「この声ってあべりょうだよな…」と感じた私は早速、検索してみた。
そして、曲名が「キミが0歳だった頃」であることを知ったのだった。
この曲の感想としては、邦楽のあの有名曲2曲にメロディが酷似しているなあというものが挙げられる。
具体的には、ミスターチルドレンのHANABIの「ボーカル部分とボーカル部分の合間に流れるメロディ」とあいみょんのマリーゴールドのサビにメロディがかなり似ていると感じた。
因みに、歌詞はオリジナリティーが強く、元ネタは無いように思われる。
〇動画URL
あべりょう キミが0歳だった頃
https://www.youtube.com/watch?v=AA9Ha2OkzSY
〇歌詞(あるサイトから引用)
作詞:あべりょう
作曲:あべりょう
生まれた瞬間から生存の確率を上げるための
戦いが始まり泣くことで呼吸の技術を磨き
生まれた瞬間から生存の確率を上げるために
力を合わせて抱き上げて「さあ泣いて!」と願った
か弱いしぐさで抱きつき顔をクシャクシャにして
ぎゅっと母性握って鬼さんこちら命の鳴る方へ
Happy baby birthday 0.1以下の視力で
音のする方へ光ある方へ子宮を抜け出し
Happy baby birthday 深い霧に霞む未来へ
命繋ぐため希望託すためキミを守るため
キミたちは神がまだ人類に絶望してないというメッセージ
毎日ママは キミが泣くたびにオムツを覗いて取り替えて
「これでもか」と叫び泣き止まない キミを赤い目であやし
お隣気にし痛い胸で母乳飲ませ続けても寝てくれない
もう無理って呟いた夜に「あ~う~」って 笑った
か弱い命を抱きしめママもくしゃくしゃに泣いた
それでも母になるため 幸せはこちらキミが笑う方へ
Happy baby birthday キミと同じだけ 泣いてたママを
寂しくない方へ 一人じゃない方へ みんなで寄り添い
Happy baby birthday キミが抱きしめられた分だけ
誕生日にはね誰か抱きしめて誰かを愛して
まだ人類は絶望なんかしちゃいないという神へのメッセージ
Happy baby birthday 生きる意味に悩む旅人よ
音のする方へ 光ある方へ子宮を抜け出し
Happy baby birthday 生きる意味を繋ぐ旅人よ
命運ぶため希望託すため キミを守るため
キミたちは神がまだ人類に絶望してないというメッセージ
成馬零一というプロのライターが漫画『アクタージュ』に関する書評を発表した。
『アクタージュ act-age』が見出した“表現の哲学” メソッド演技と作品の進化を考察 (魚拓 page1~2)
この書評の内容が妥当か否かを論じていく。
なお、以下において成馬氏の文章からの引用箇所は赤字で表記されている。
先日、『週刊少年ジャンプ』(集英社)での連載が二周年を突破した『アクタージュ act-age』は、マツキタツヤ(原作)と宇佐崎しろ(漫画)による演技を題材にした漫画であると同時に優れた表現論である。本作は、高校生の夜凪景(よなぎ けい)が映画監督の黒山隅字(くろやま すみじ)に才能を見いだされ、様々な俳優、演出家と対峙する中で俳優として成長していく物語だ。
「黒山隅字」って黒山墨字のことかな?
誤字脱字はどんなライターもしてしまうことかと思うが、page1で「宇佐崎しろ」を「宇佐崎ひろ」と間違っているのは笑ってしまった。
どうやら成馬氏はアクタージュを「演技を題材にした漫画であると同時に優れた表現論」とみなしているようだ。
夜凪と千世子の対比を見て『ガラスの仮面』(白泉社)の主人公・北島マヤとライバル・姫川亜弓の関係を思い出す人は少なくないだろう。美内すずえの『ガラスの仮面』は、演劇漫画のパイオニアとしてはもちろんのこと、少女漫画の古典と言える現代漫画の金字塔だが『アクタージュ』のキャラクター配置や物語の展開を見ていると『ガラスの仮面』からの影響を強く感じる。
2020年6月3日追記
成馬氏は6月1日にも<『アクタージュ』は「すぐれた表現とは何か」を探求する 全クリエイター必読の演劇漫画を考察>という記事を書いているようだ。この記事はYAHOOニュースにも転載されたが、記事の内容はコメント欄の文章よりお察しの通り。
足を赤く塗った人形に「10万」と貼り紙、「そんな小さな絆創膏では」…立民県連が投稿を削除
立憲民主党三重県連が、公式ツイッターアカウントで、新型コロナウイルスに関連して、国民に一律給付される10万円の「特別定額給付金」について、揶揄(やゆ)する書き込みをしていたことがわかった。インターネット上で「内容が不適切」などと批判が集まり、県連は3日までに投稿を削除した。書き込みは、人形の足元を赤く塗り、出血しているように見せ、「10万」と書かれた紙を貼り付けた様子を収めた画像とともに、「そんな小さな絆創膏(ばんそうこう)では全然間に合わないのよ」などと投稿していた。
県連は、ツイッター上で「配慮に欠けた不適切なツイートで、大変申し訳ありませんでした」などと謝罪している。
現金一律給付って共産党や公明党などの政党が声を上げていなければ実現していなかった政策でしたね。
それにしてもこの画像は衝撃的。
それだけ一部の自営業の方々はコロナ禍で大きな被害を受けているということでしょうね。
或る不謹慎な男は言った。
「衰退の一途を辿れる某国の女王が未だ天寿を全うしないのはパンクロックの名曲God Save the Queenを鮮明にさせるためである」と。
彼がそう述べたのは彼女の在位が68年を超えた2月6日のことであった。
適菜収の新著『国賊論』の冒頭で吉田戦車による漫画「伝染るんです」が紹介されている。
(引用:https://ameblo.jp/kamiyamaz/entry-12381382676.html )
この漫画は起承転結による従来の4コマ漫画を乗り越えた画期的なギャグ漫画だったが、どうやら最近は東京新聞とコラボしている様子。
入江奈々という映画評論家がいる。
この人の映画レビューを5つほど読んでみた。
【元ネタ比較】『君の名は。』に1ミリも感動できなかったライターが選ぶ2016年のベスト10!(前編、後編)
【ついついママ目線】『映像研には手を出すな!』1/3
【ついついママ目線】『映像研には手を出すな!』2/3
上の5つの記事を見て、「『2/3』が二つもある」と気づかれた方もいるだろう。
実は一番下の記事の「2/3」は「3/3」の誤植となっているのだ。
記事が公開されてから5週間以上経っているのに何でそんな初歩的な誤植が修正されていないのかは謎だが、肝心の記事の中身も正直言って完成度の高いものではなかった。
まずは<『君の名は。』に1ミリも感動できなかったライターが選ぶ2016年のベスト10!>から。入江氏は映画のプロのライター(評論家)とのことで、仕事柄たくさんの映画を見ているはずなのに、1~5位以外かなり否定的な意見となっている。評論家の仕事は良い作品を良いと評価し、悪い作品を悪いと評価することだ。或る作品を見て「酷いな」と感じたならそう評すればいいだけ。だが、「ドラマ、小説、漫画等の原作由来の映画ベスト10」を挙げよと言われて、5つしか肯定的な映画を挙げられないって(日本の原作由来の映画ってプロが見ても5つしか素晴らしい作品がないってことなの?)と感じてしまった。邦画がそこまで壊滅的な状況になっているようには思えないのだが。
まあただ、「『君の名は。』に1ミリも感動できなかった」というのは理解できるし、この記事は「シン・ゴジラ」と「この世界の片隅に」を評価できているので、完全な的外れというわけでもない。
(ただし、<震災など昨今の日本で実際にも垣間見えた政治家たちの茶番劇>との部分は疑問が残る。首相らが当初、ゴジラの脅威を過小評価していたのは、「ゴジラの存在を現実と認識できていなかったから」である。実際、首相らはゴジラの脅威を認識して以降は、法などの制約と格闘しながらゴジラ対策を進めていた。あと茶番劇とあるが、役人・政治家はゴジラという災害に対して真剣に対処してたでしょ…ヘリに乗り込もうとしていたタイミングで攻撃を受け、首相を含むヘリの乗客全員が急逝という展開は「非常時ってそういった事態あるあるだよね」と感じられるスパイスの効いた展開だった。)
次に、【ついついママ目線】『映像研には手を出すな!』を。
<今年1月からNHKのアニメ放映が始ると、世間をざわつかせ、ジェンダー論が湧き上がった>とあるが、「始る」じゃなくて「始まる」では。あと、「世間」って主語が大きすぎ。令和の日本社会であれば、「世間をざわがせた」という表現は「鬼滅の刃」などが当てはまるだろう。「鬼滅の刃」は紅白に主題歌が登場し、ニュース番組で特集が組まれるほど人気を博した上に、20年近くコミック売り上げ首位を保っていたワンピースを抜き去ったのだから。
だが、本作「映像研」はどうか。確かに一部のアニメ好きの人々の間では話題になっていたかもしれない。だが、それを「世間」と言えるのか。「世間をざわつかせた」という表現をみて、私は太宰の「それは世間が、ゆるさない」という指摘を思い出した。
<ただ、「どうして男の子じゃないの?」と言われると「どうして女の子じゃいけないの?」と返したくなる気持ちもある>とのことだが、男の子じゃないことに違和感を持った人の大半は、「そういった特徴のキャラって男の子の方が自然な気がする」と感じただけで「そういったキャラは女の子であってはならない」と感じたわけではない。
漫画・アニメに限らず、創作物では作者の意志等の理由で、世間一般とかけ離れた特徴を持つキャラがよく出てくる。本作のこの3人もそういったキャラだ。作品の完成度を左右するのは、そのような世間一般との乖離に意味・魅力があるか否かだ。単に奇をてらっているだけのキャラは出オチでしかないし、無意味ですらある。
次の記事でも、入江氏はアニメ上での記号的な“女の子像”に沿った女性キャラ(萌えキャラ)に不快感を表明している。
<日本の大きな文化であり、多くの人が子ども時代から馴れ親しむアニメにおいて、そこで描かれるジェンダーに違和感や不快感を感じることが多い。まあ、それは今に始まったことじゃなく、私が言わなくてもフェミニストたちが声を大にして叫んできたことではある。でも、たびたび声高に批判される、わかりやすく記号的な“女の子”キャラよりも、アニメファン以外の多くの人が目にするヒット作で、さりげなく描かれているバイアスのかかったジェンダーのほうが私は違和感を感じて不快でゾッとする>とあり、新海誠の「君の名は。」に不快感を持ったことを述べていく。
<しかしながら純愛ラブストーリーでヒロインをそういった性的な目で見ていないようなスタンスを取りながら、実は女性を性的に消費しているところが不快なのだ>とのことだが、作中において主人公は朝起きて胸を揉むなどヒロインを性的な目で見ている。入江氏は「君の名は。」を本当に視聴したのだろうか?
そもそも日本語がおかしい。<実は女性を性的に消費>とあるが、作中において主人公が酒を飲むに至る展開に不自然さはなかった。しかも、「消費」って表現自体が意味不明。ドルオタがアイドルを消費する場合は、CDだの費やされて消えた物体が存在する。しかし、ここでいう消費って誰が何を費やしたというのか?
新海監督が異性の唾液に萌えているという話はテレビのインタビューでも出ていた。しかし、入江氏のこの表現が正しければ、そういう(多くの男性・女性が持つであろう)性癖全てが異性を性的に消費していると言えてしまうのではないか。例えば、王子様キャラが好きな女性がイケメンキャラが出る少女漫画を見て、メロメロになっている状況も、「この女性は異性を性的に消費している」と言えてしまう気がする。私は「その女性がイケメンキャラが出るその少女漫画を読んでいるのは、自分の好み(色気が絡むなら性癖)を満たすため」とは思うが、その女性が男性を性的に消費しているとは思わない。
唾液フェチという男性に嫌悪感を持っているのなら、率直に「私は唾液フェチと言うジャンルを不快に感じるから、唾液フェチを連想させるシーンは作中で出してほしくなかった」と書けばよいのではと思った。
【ついついママ目線】『映像研には手を出すな!』2/3 (「3/3」の誤植)
<これも大ヒット作である細田守監督の『おおかみこどもの雨と雪』では、ベッドシーンでのおおかみおとこの獣っぽさがショッキングだと当時話題にもなったが、それもさることながら、何故彼らは避妊をしないのだろう?ということが気になって仕方なかった>の続き。
入江氏は作中で避妊に関する描写がなかったことに不満を持っている。
避妊は恵まれない出産を防ぐ上で重要といえるが、作中で避妊というテーマがないからといって、監督が「まずは女性を守る避妊をしないのが当然のように描いて」いるわけではない。あと、ヒロインの花の夫はオオカミであって、人間社会と対比される自然界の存在である。当然であるが、自然に対して人間社会の論理は通用しない。人間社会では死はタブーとされる傾向にあるが、自然は災害、海難事故等であっさりと人の命を奪っていく。被侵略者が侵略者に「我々には人権があるのに何故我々の人権を踏みにじるのか」と主張するのは正当な行為だが、自然に命を奪われた者の遺族が自然に対して抗議をするのは馬鹿げている。
「ワンオペ子育てで大変な目に遭ってるのを監督が美談として描いている」のかは意見が分かれるだろうが、単に「シングルマザーでもQOLの高い生活を送れるような社会を目指していけばいいだけなのでは」という話な気もする。
そのあと、入江氏は宮崎駿にもケチを付けるのだが、内容が酷い。
<いったい宮崎駿監督は女性をなんだと思っているのだろうか? 逆境にも決して負けないかわいい少女か、バケモンのように巨大でなんでも受け入れる全能の母親か、非常に両極端。したたかに地味に生きる等身大の女性には魅力を感じないのだろうか? 不快も憤りも通り越して呆れてしまう。>
入江氏は宮崎作品を本当に見ているのだろうか?したたかな女性キャラも地味目な女性キャラも豊富に登場していることを知らないらしい。私は入江氏の宮崎作品への無知さに「呆れてしま」った。
<こういった男性にとって都合のいい歪んだ女性像が、国民的な大ヒット作でシレッと描かれて、作品を見る多くの人たちの深層意識にヌルっと刷り込まれてしまうのが不快だし、怖いと感じる。子どもたちは、そういったバイアスがかかっていると気づかずに、これが自分たちの生きている世界の基準として受け止めてしまうんじゃないかと心配になる。>
アニメ愛好家はアニメで「クリクリお目々でかわいい声の女性キャラ」を浴びるほど見聞きしたとしても、現実の女性がそうあるべきと刷り込まれていくわけではない。あと、ある作者がある対象を描写するにあたっては、その作者それぞれの価値観が反映されるように思うのだが、そういった価値観もバイアスに含まれてしまう気もする。例えば、あるアニメーターが人物というものはスピーディーに動いているべきという価値観を持っているとする。そのアニメーターは人物が描かれたアニメを制作するときに、人々をスピーディーに動かす可能性が高い。そのことをバイアスというだろうか。
<それらに比べると、『映像研には手を出すな!』のヒロインたちは男性たちにとって都合のいい歪んだ女の子たちではない。むしろメカなどに長けていて一般的に男性が得意とする分野をおびやかしているかもしれないし、クリクリお目々でかわいい声でもなくて媚びる要素ゼロの女の子たちだ。そんなヒロインたちが、ただただ自分たちのために自分たちの好きなことに一生懸命邁進する姿が見ていて気持ちいい。アニメにもっとこういうキャラクターや作品が増えるといいのにと思う。アニメというメディアは子どもたちも目にする機会が多いのだから、キャラクターたちももっともっと多様化しても良いのじゃないだろうか。>
なろう系や女性ヲタクを釣るための深夜アニメなど世の中には、キャラが類型化しているアニメ作品も多いが、独創的でオリジナリティー溢れるキャラが登場するアニメも多い。キャラのバリエーションは大いに越したことはない。
結論を言うと、部分的には入江氏の主張に頷ける部分もあるのだが、独断性や論理の飛躍が目立つ箇所も多く、映画評論の出来としては今一つな印象が否めないと感じた…といったところか。少なくとも、入江氏はもっと宮崎作品を見た方が良さそう。
おぞましいキャバ嬢の方がいたようです。
キャバ嬢「18万円貸してくれませんか?」オタク客「よく考えたけどちょっと無理かな」 →本性を現す
18万円を貸してくれなかった(返す意思があるのかは不明)だけで本性を現してくる地雷だったみたいですね。
暴言を吐いたうえでブロックとは人として終わってますよね。
ところで何でこういう風に金銭感覚が狂ったキャバ嬢の方が多いかというと、
若さを対価にして高い時給を稼ぐ習慣が身についてしまっているからなんですね。
当然、年齢を重ねて若くなくなれば、性産業で得られる収入も下がっていきます。
しかし、いまさら若い頃に大金を稼げてしまった旨味を忘れることは難しいと。
このおぞましいキャバ嬢の方が、数十年後単位で幸せな生涯を歩めるのか疑わしいですね。