筆者が白木屋コピペの初出のスレッドを探る目的で本プロジェクトを開始したのは去年のことである。

そのとき筆者は2005年6月7日の「human5.5ch.net」板の書き込みが初出ではないかと言う仮説を立てていた。

だが、今月上旬の終わりごろ筆者は<Юとにかくオマイら物買うな、金使うなЮ [39]>という2009年のスレッドで以下のレスを発見する。

 

 

582 :金持ち名無しさん、貧乏名無しさん:2009/02/02(月) 11:37:31
>>548
50 名前:受験番号774 投稿日:05/02/09 15:15:42 ID:axbB3/xP
なあ、お前と飲むときはいつも白○屋だな。
一番最初、お前と飲んだときからそうだったよな。
俺が貧乏浪人生で、お前が月20万稼ぐフリーターだったとき、
おごってもらったのが白木屋だったな。
「俺は、毎晩こういうところで飲み歩いてるぜ。金が余ってしょーがねーから」
お前はそういって笑ってたっけな。
俺が大学出て入社して初任給22万だったとき、
お前は月30万稼ぐんだって胸を張っていたよな。
「毎晩残業で休みもないけど、金がすごいんだ」
「バイトの後輩どもにこうして奢ってやって、言うこと聞かせるんだ」
「社長の息子も、バイトまとめている俺に頭上がらないんだぜ」
そういうことを目を輝かせて語っていたのも、白○屋だったな。

あれから十年たって今、こうして、たまにお前と飲むときもやっぱり白○屋だ。
ここ何年か、こういう安い居酒屋に行くのはお前と一緒のときだけだ。
別に安い店が悪いというわけじゃないが、ここの酒は色付の汚水みたいなもんだ。
油の悪い、不衛生な料理は、毒を食っているような気がしてならない。
なあ、別に女が居る店でなくたっていい。
もう少し金を出せば、こんな残飯でなくって、本物の酒と食べ物を出す店を
いくらでも知っているはずの年齢じゃないのか、俺たちは?

でも、今のお前を見ると、
お前がポケットから取り出すくしゃくしゃの千円札三枚を見ると、
俺はどうしても「もっといい店行こうぜ」って言えなくなるんだ。
お前が前のバイトクビになったの聞いたよ。お前が体壊したのも知ってたよ。
新しく入ったバイト先で、一回りも歳の違う、20代の若いフリーターの中に混じって、
使えない粗大ゴミ扱いされて、それでも必死に卑屈になってバイト続けているのもわかってる。
だけど、もういいだろ。
十年前と同じ白木屋で、十年前と同じ、努力もしない夢を語らないでくれ。
そんなのは、隣の席で浮かれているガキどもだけに許されるなぐさめなんだよ。

 

 

この書き込みには<50 名前:受験番号774 投稿日:05/02/09 15:15:42 ID:axbB3/xP>とあり、白木屋コピペが2005年2月9日の段階で2chに登場していた蓋然性を示唆している。

2004年のサイトに書いてあるように、「受験番号774」という名前は公務員試験板のものであり、筆者は直ちに公務員試験板の過去ログを探した。

だが、5ch(旧2ch)の公式サイトにおける過去ログのリストを調べるも、このサイトには2008年9月23日までのスレッドしか載っていなかった。

そのため、必至チェッカーもどきを使って、ID:axbB3/xPというIDを調べることにした。

だが、公務員試験板のログも2010年9月21日までのものしか載っていないと分かり、断念した。

 

このレスが載っているスレを数日間探すも、公務員試験板の2004~2005年頃のスレッドを数十件ほど発見できたという段階で止まってしまい、2005年2月9日の例のスレッドを発見できなかった筆者は或る可能性に気づく。

そもそも初出のレスは削除(あぼーん)されてしまい、現存していないのではないか…。

そうだとすれば、初出のスレッドを発見するという本プロジェクトの目的の達成は絶望的ということになる。

しかし、少し考えてみれば、これはごくごく自然な話である。

このコピペは白木屋のメニューを「色付の汚水」や「残飯」などと形容しており、白木屋の経営陣からすれば侮蔑と感じられる文章であろう。初出のレスが白木屋からの苦情などにより、2chの運営に削除されてしまったとしても何ら不自然ではないのだ。

そして、初出のレスをコピペした書き込みの方は削除されることなく、後世に白木屋コピペの文章が伝えられていった。

 

…そういった暫定的な説を頭に浮かべていた筆者であったが、2004年や2005年の公務員試験板の過去ログを眺めている最中に「あれ…?2004年や2005年あたりの公務員試験板の過去ログってURLがschool4.5ch.netになっているな」ということに気づく。

そのとき或るひらめきが私の脳内を駆け巡った。

私は「school4.5ch.net 過去ログ」とネット検索し、このサイトにたどり着く。

公務員試験板のところをクリック(画像)し、dat落ち時のスレッド数が50を上回っているスレッドを上から順にクリックしていった。

そして「25以上は職歴ないと受からない」というスレッドを発見したのだった。

 

 

白木屋コピペ2005年2月9日

 

 

だが、これで初出が確定と断定できる訳ではない。

初出を探すプロジェクトはまだまだ続く。

 

 

 

 

2020年5月の記事にも書いたように、本ブログの読者の方々からの情報提供も募集中で、続報があれば本ブログ等で直ちに公開していく予定である。

 

 

 

〇経緯(画像ソース

『BLEACH』は2001~2016年に週刊少年ジャンプで連載されていた漫画である。

破面篇の終盤の397話には、ジャンプ掲載時、「何故なら君は死神と―――」という文言があった。

 

 

ばんぶーのブログ-本誌397

 

 

ところが、次の号の週刊少年ジャンプに掲載された398話では文言が「何故なら君は人間と―――」に変わっていた。

 

 

ばんぶーのブログ-本誌398

 

 

そのため、398話がジャンプに掲載された時、読者は困惑した。

藍染の台詞は「死神」だったのか、それとも「人間」だったのか……などと。

 

だが、この困惑は単行本46巻の発売によって終止符が打たれた。

単行本46巻に掲載された397話では、問題の箇所が「何故なら君は人間と―――」に修正されていたのだ。

 

単行本46巻(カラー版)に収録された397話の該当ページ

 

 

ばんぶーのブログ-JC397

(※JCはジャンプ・コミックスという意味。週刊少年ジャンプ漫画の単行本をジャンプ・コミックスという。)

 

 

 

アニメ296話「衝撃の真実…一護に秘められた力!」でも、「何故なら君は人間と―――」の方が採用されている。

 

 

 

 

 

〇考察

最終章で明かされているように、黒崎一護は「死神と滅却師の混血」である。

この設定は一護の「15」という数字や「斬月のおっさん」などといった伏線が示しているように、初期の段階(1巻や8巻など)で既に構想されていた。(つまり「死神と滅却師の混血」という設定は最終章で捻くり出された後付けではない。)

 

文言が単行本修正された理由を考察すると、主に二つの可能性を挙げることが出来る。

 

一つ目は、397話の原稿を書いている時から、久保帯人氏は「何故なら君は人間と―――」という台詞にしようと思っていたが、何らかのミスやトラブルで「何故なら君は死神と―――」という文言がジャンプに載ってしまったという可能性である。

週刊連載は多忙を極めることが多く、比較的ゆとりをもって原稿を制作することが多い久保氏であっても、このようなミスやトラブルが起こることは十分に考えられる。

 

二つ目は、「久保氏は397話の原稿を制作している段階では『何故なら君は死神と(滅却師の混血なのだから)』という台詞がよいと思っており、実際に『何故なら君は死神と―――』という文言でジャンプに載せた。だが、ジャンプに397話が載った直後、久保氏は『何故なら君は人間と―――』という台詞の方が良いと考えるようになり、『何故なら君は人間と―――』という台詞を前提に398話の原稿を制作した。そして久保氏は単行本に397話を収録する際、397話の原稿にあった『何故なら君は死神と―――』を『何故なら君は人間と―――』に修正した」という可能性である。

 

この可能性が正しい場合、なぜ久保氏は「何故なら君は人間と―――」という台詞の方が良いと考えるようになったのだろうか。その理由としては以下の二つが考えられると思う。

 

・397話において藍染は一護に暗示的な問いかけを何度も行っているが、一護に対して事実を凄く直接的に提示している訳ではない。その状況下で、藍染が一護に「君は死神と滅却師の混血なのだ」といった直接的すぎる事実を述べるのは不自然である。

 

・「何故なら君は死神と―――」という台詞のまま一護の父である一心が一護の目の前に登場する展開にしてしまうと、久保氏は読者に新情報を何も与えていないことになってしまう(何故なら、一心が死神であることは既に単行本21巻で読者に明かされているため)。ところが、「何故なら君は人間と―――」と台詞を変更した上で、一心が一護の目の前に登場する展開にすれば、「少なくとも一護の母(黒崎真咲)は虚や死神などではなく、人間であった」という情報を読者に提示することが出来る。46話(単行本6巻収録)から読み解けるように、滅却師は人間の一種である。そのため、より端的に言うなら、「何故なら君は人間と―――」の「人間」とは、「黒崎真咲が(人間の一種である)滅却師だったこと」を示している。

 

なお、397話の台詞の変更を考察するにあたっては、久保氏の伏線のスタンスも参考になるかと思われる。

 

 

 

 

 

〇補足

46話の以下のシーンから読み解けるように滅却師は人間の一種である。

 

最後の滅却師を自認する石田雨竜は「僕はそんな理由で…死神に敵対できるほど感情的な人間じゃない」と発言。

また、石田雨竜は祖父の石田宗弦のことを「優しい人だった」と回想している。

(石田宗弦も石田雨竜同様に滅却師であった。)

 

 

〇追記

36話で浦原喜助は「今でいう黒崎サンのような力を持つ人間達が虚の存在に気付き それに立ち向かうべく修行を始めたのがその始まり(滅却師の始まり)とされてます」とルキアに説明している。つまり、主に尸魂界で暮らしている死神と違って、滅却師はもともと現世で暮らしていた。

243話でも、石田雨竜と破面のアイスリンガー・ウェルナールが滅却師について会話している。

 

 

 

 

 

〇動画

オリジナル : AC/DC - Ride On (Official Audio) - YouTube

LIVE : AC/DC - Ride On (Stade De France, Paris, June 2001) - YouTube

カヴァー : Corb Lund - "Ride On" (featuring Ian Tyson) [Official Video] - YouTube

 

 

 

〇和訳

[Verse1]

It's another lonely evening
In another lonely town
But I ain't too young to worry
And I ain't too old to cry
When a woman gets me down

また孤独な街で孤独な夜を過ごしている

だが、私は心配するほど若くないし

泣くほど老いてもいない

或る女性が私を落ち込ませるときにさ

 

 

[Verse2]
Got another empty bottle
And another empty bed
Ain't too young to admit it
And I'm not too old to lie
I'm just another empty head

また空の容器と空虚な寝台を手にしている

私はそのことを認めるほど若くないし

偽るほど老いてもいない
私は、また、ただの空虚な頭となっている



[Bridge]
That's why I'm lonely
I'm so lonely
But I know what I'm gonna do

私が孤独な理由はそれなんだ

私はとても孤独だ

だが、私は自分が何をしようとしているのか知っている

 


[Chorus]
I'm gonna ride on
Ride on
Ride on, standing on the edge of the road
Ride on, thumb in the air
Ride on, one of these days I'm gonna
Ride on, change my evil ways
Till then I'll just keep riding on

私は乗り続けるつもりだ

道路の端に立ち

空気に囲まれながらヒッチハイクをする

近日中に私は自分の邪悪な道を変えようと考えている

その時まで私はただ乗り続けようと思う

 

 

[Guitar Solo 1]



[Verse3]
Broke another promise
And I broke another heart
But I ain't too young to realize
That I ain't too old to try
Try to get back to the start

また約束を破り

また心を粉々にしてしまった

だが、私は(そう)悟るほど若くないし

スタート地点に戻ろうとするほど老いてもいない

 

 

[Verse4]
And it's another redlight nightmare
Another redlight street
And I ain't too old to hurry
Cause I ain't too old to die
But I sure am hard to beat

そんで、また赤信号の悪夢かよ

また赤信号の道路かよ

私は急いだり焦ったりするほど老いてはいない

天寿を全うするほど老いてはいないから

だが、きっと私が(それらを)克服するのは難しい



[Bridge]
But I'm lonely
Lord I'm lonely
What am I gonna do

けれど、私は孤独だ

主よ、私は孤独だ

私は何をしようとしているのか



[Chorus]
Ride on
Ride on, got myself a one-way ticket
Ride on
Ride on, going the wrong way
Ride on, gonna change my evil ways
Ride on, one of these days
One of these days

乗り続ける

私は片道切符を手にしている

乗り続ける

(私は)間違った道を進んでいる

近日中に自分の邪悪な道を変えようと考えている

近日中に

 

 

[Guitar Solo 2]


[Chorus]
Ride on
Ride on
I'm gonna ride on
Ride on, looking for a truck
Ride on, hmmmm
Ride on, keep on riding
Riding on and on and on and on and on and on and on and on
Ride on, gonna have myself a good time
Ride on, ohh yeah
Ride on, yeah yeah
Ride on, one of these days
Ride on, one of these days

乗り続ける

乗り続ける

私は乗り続けるつもりだ

(私は)トラックを探している

乗り続けている

乗り続ける、乗り続ける、乗り続ける、乗り続ける、乗り続ける

私は楽しい時間を過ごすつもりなんだ

近日中に

近日中に

 

 

 

 

〇解説

Verse1~4でcry lie try dieという脚韻が成立している。

Verse1ではtownとdownの脚韻。

Verse2ではbedとheadの脚韻。

Verse3ではheartとstartの脚韻。

Verse4ではstreetとbeatの脚韻。

 

 

 

 

 

 

 

〇経緯

自作曲「主に祈る唯一のこと」の作詞・作曲が終わり、友人のG君にその曲の歌詞を現代文の読解問題形式で紹介したところ、歌詞についてG君がユニークな解釈を披露してくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

〇読解問題

問題1:本曲における「乾き果てた土地に涙を恵む者」とは誰を指すか。漢字一文字で答えよ。

問題2:「乾き果てた土地に涙を恵む者」の「涙」とは何か。漢字一文字で答えよ。

問題3:「鉛色の幕」とは何か。漢字一文字で答えよ。

 

曲名:主に祈る唯一のこと

 

歌詞:

一人じゃない私は

かげを忘れていた

頬に氷ふくんで

ぬくもり飲み込めた

 

来て私のところに

ただあなたに会いたい

一度だけの人生

一度だけの願い

 

 

輪舞曲のように

あの日のままでいい

一度限りでいい

一瞬だけでいい

 

来て私のところに

ただあなたに会いたい

一度だけの人生

一度だけの願い

 

 

乾き果てた土地に

涙を恵む者は

鉛色の幕を

ときに広げて

ときに切り裂く

羊を護るために

けれど火輪なんかじゃ

ぬくもり補えない

 

来て私のところに

ただあなたに会いたい

一度だけの人生

一度だけの願い

 

 

(問題1のヒント: 曲名の中に答えが含まれているよ!)

 

 

 

 

 

〇私(以下「A倉」と表記)とG君(以下「G」と表記)のコメント

07:22        G             Q1.ナイル川 Q2.洪水 Q3.弾丸

07:32        G             エジプト=トルコ戦争のポエムだな、A倉さんの教養が見えますね

10:10        A倉         曲名…

13:08        G             真面目に考えてみるわ

16:22        G             Q1.主 Q2.雨 Q3.雲

16:22        A倉         普通に正解

16:23        G             もう一捻りしてあげればよかった

16:24        A倉         まあ、この歌詞は凡庸なラブソングだろうし、ラブソングって別にシンプルでもいいと思うけどね。

16:24        G             露土戦争にこじつ…関連付けた答えにしてあげたほうが雅だったね、ごめんね

16:25        A倉         ぶっちゃけ根拠に基づいているなら強引な解釈も一興だとは思う。露土戦争を暗示する箇所って挙げれる?

16:27        G             ロンド→十数回露土戦争が繰り返されたことの暗喩

16:28        A倉         「輪舞曲のようにあの日のままでいい」という文言なのでロンドは「あの日のままでいい」への修飾になってる(マジレスすまん)

16:28        G             乾き果てた土地→毎度毎度同じ場所で戦争するせいでバルカン半島はもうボロボロ

16:29        G             あの日のまま→初期の露土戦争はトルコ優勢

16:29        G             つまり国境を昔のままにしてほしいというトルコの願い

16:29        A倉         涙に対応してない!

16:29        G             涙は国民と兵士の血潮だよね

16:30        A倉         「来て私のところに ただあなたに会いたい 一度だけの人生 一度だけの願い」とか「ぬくもり」などから「二人でいれた日のまま」と解釈するのが自然でしょ。いずれにせよ、凄い発想力だと思う。確かに「血の涙」というフレーズは存在するね。

16:31        G             鉛色の幕云々→鉛玉の弾幕を拡げるロシア軍とトルコ軍の弾幕を切り裂くロシア軍

16:32        A倉         鉛色の幕の主語は「乾き果てた土地に涙を恵む者」ですよ!

16:32        G             この歌は後半の露土戦争を表しているんだから

16:34        G             バルカン半島に攻めこんできたロシア軍が自軍敵軍と関係なく血の雨を降らせる大攻勢を仕掛けている様を描いていると捉えるのが自然

16:35        G             羊を守る→バルカン半島の中のキリスト教徒を守る(建前)

16:36        A倉         その解釈だと「恵む」という動詞のニュアンスと合わねえじゃん!

16:36        A倉         絶妙な感じでツッコミどころがあるのはセンスが逆にいるよねえ。

16:36        G             なんで?

16:37        G             バルカン半島に血の雨を降らせるロシア軍は現地のキリスト教徒を守るという名目で弾幕を拡げたり切り裂いたりする。

16:38        G             だけど戦火では我々トルコ軍は負けない!ってトルコ軍の意思表明でしょ

16:39        G             来て云々→手前らはトルコ軍の手柄首にしてやる、はよ首晒せ

16:40        G             オスマン帝国らしい勇ましさの表明だぁ(恍惚)

16:40        G             恵みとはつまり戦功を表している

16:42        G             後期露土戦争にのぞむトルコ軍の将校がこの戦で武功を挙げてみせるという意気込み表明している情景が目に浮かびますね

16:42        A倉         普通の人であれば「ラブソングだね」で終わるところをこんなにもユニークな視点で鑑賞できるのはG君の才能

16:42        G             (ラブソングでは)ないです

16:42        A倉         ミリタリーの要素皆無なのに露土戦争の歌詞と強引に解釈する発想は面白いが、やはり文法を無視しないと、こじつけをするのは難しい模様。

16:43        G             は?無視してないが?

16:44        G             一人じゃない私→将校だから当然部下がいる

16:45        A倉         鉛色の幕の主語など色々と強引ではあるぞ…。まあ分かってて文法を無視してるんだと思うが。

16:46        G             影云々→平和ボケして戦争の気配を忘れていた

16:46        G             頬が云々→平和だったから冷たいビールだけで十分に日々の恐怖を飲み込めた

16:46        A倉         「戦火の影」とはいうよね

16:47        A倉         ビールじゃなくてウイスキーなどのほうが「氷」に合うかもね

16:47        A倉         てかさ将校と部下の関係に「ぬくもり」って普通いわなくね?それってBLじゃん!

16:47        G             来て以下四行→来いよロシア軍、俺の武功にしてやる

16:48        G             上司と部下も絆の比喩でしょ

16:48        A倉         絆という範疇なら仕事上での信頼感と言えるだろうな。だけど「ぬくもり」はちょっとBLチック。

16:49        A倉         そんなのが目標だったら「一瞬だけでもいい」とはならんだろ。「勝利よ永遠なれ」とかの方が普通かな。

16:49        G             日露戦争の広瀬少佐の「杉野はいずこ」の逸話を忘れたのか?

 

16:50        G             

輪舞曲云々→昔の国境線に戻したいという想い

乾き果てた土地云々→攻めこんできたロシア軍

涙→敵味方問わない血の雨

鉛色の幕云々→ロシア軍の乱れのない戦術機動の比喩

羊を守る云々→異教徒からキリスト教徒を守るというロシア軍の建前

 

16:54        G             けれど云々→ロシアのもたらす戦火では自分と部下を倒せはしないという見栄

16:55        G             見事に筋が通っている

16:56        G             見事な仕事だと関心はするがどこもおかしくはない(ブロンティスト並みの感想)

16:56        A倉         主語がロシア軍将校という視点はなかったなあ

16:57        G             トルコ軍将校が謳うんやゾ

16:57        A倉         オスマン帝国軍将校ってことかな

16:57        G             厳密に言うならそうですね

16:58        G             18世紀はオスマン帝国優位に進んだ露土戦争も19世紀に入るとロシアの近代化を原因としてだんだんと負けるようになってきた

16:59        G             そんな情勢の中、老いた将校がかつての栄光を取り戻してみせるという気勢をあげるポエム

17:00        G             一度云々はもう年老いているから次がないことの比喩でしょ

17:00        G             目の黒い内に攻めてきてほしいってワケよ

17:01        G             これでワイの正しさがわかったでしょ

17:01        G             (ラブソングでは)ないです

17:02        A倉         いやぁ…批評を創造に高めた小林秀雄に匹敵するほどの発想力だったよ。私の予想だけど、ノストラダムスの大予言もこういう風に著者の意図とはどんどん乖離して読まれていったんだろうなあ…。

17:03        G             露土戦争の背景知ってれば普通に読めばわかるでしょ

17:03        G             どう考えてもラブソングではない

17:07        G             作戦室で記憶より小さくなったトルコの領域を眺める老将軍

17:07        G             辺りを見れば手塩にかけて育ててきた直属の部下たち

17:08        G             今度こそ勝って昔の栄光を取り戻すという意気込みと反比例するかのような体調不良

17:09        G             迫る死期を感じとり、自分が死ぬ前にロシア軍を撃滅したいという思いが募る

17:10        G             いつもいつもロシア軍はバルカン半島に血の雨を降らせ土地を乾きで満たすが、軍人である将軍にとっては戦功の恵みでもある

17:12        G             キリスト教徒を守るという薄っぺらな建前では我々トルコ軍の結束は破れないという確信を抱く将軍

17:12        G             だが死期の方がロシア軍より早いかもしれないという焦燥感はぬぐえない

17:13        G             そういうポエムでしょ

17:13        G             いやぁ見事に情景を言葉にできた

17:14        G             これより正しい解釈はないね(ウットリ)

17:14        A倉         実際はロシア帝国の方が先に滅んだのだが、第一次世界大戦がオスマン帝国の衰退を決定づけたのは論をまたない。

17:15        G             でも度重なる戦争の末バルカン半島は取られたからその点ではトルコの負けゾ

17:16        A倉         英国の三枚舌外交の(道義的な)罪は大きい

17:17        G             今の世界の問題の九割は欧米のせいで更にその内七割はブリカスのせいだぞ

17:18        A倉         しかし、あんだけ謀略を駆使して世界の頂点に立ったにもかかわらず、今や日本同様の衰退途上国になってしまった英国。

 

(なお、G君は17:18の私のコメントに対して「日本はクーデターレベルの政権交代が起こればまた復活するから」という趣旨の持論を展開している。)

 

 

私がB'zを知ったのは中学生の頃である。

中一のとき以来、私は名探偵コナンの組織編(黒の組織が登場するストーリー)に高い関心をもっていて、アニメに目を通すことも多かった。

コナンのアニメのオープニングかエンディングかでB'zという単語を何度も見かけ、家族の前で「名探偵コナンのアニメってビーゼットの曲が多いみたいだね」と言ったところ、家族から「ビーズって読むんだよ、それ」と返された。

高校生のとき『名探偵コナン 純黒の悪夢』という劇場版を視聴する機会があったのだが、エンディングの方でB'zの曲が聴こえてきた。

そのとき、私は「メロディも歌詞も普通の曲だな」と感じた。そして「JourneyのWheel in the Skyの方が作品の雰囲気に合っているような……」とも感じた。

既に「B'zに熱狂的なファンが多数いるらしいこと」は知っていたので、「もし自分がこの映画の監督だったら、日本国内での興行収入を重視する場合はB'zのこの曲を、アニメ作品の完成度を重視する場合はWheel in the Skyを流すかな」と考えた。

因みに、『純黒の悪夢』を視聴した数週間後に改めてその曲をYouTubeで聴いてみたら「エンディングの儚い感じは少しお洒落だな」と感じたし、この曲には光るものもあると思っている。

 

 

大学に入ってすぐの頃、Hey JudeをYouTubeで聴いていたらB'zのfarawell songという動画が「あなたへのおすすめ」で表示されてきた。

試しに聴いてみると、アウトロの部分で「おや?」となった。

なんとHey Judeのアウトロの部分があからさまに模倣されていたのだった。

「これビートルズのカヴァーなのかな?」と思い、farawell songの歌詞が載っているサイト(そのサイトはJASRAC公認との表示があった)などで調べてみたが、クレジットにビートルズのメンバーの名前は無かった。

この出来事以降、私はB'zの姿勢に疑問を抱くようになった。

 

もちろん一定の範囲内におけるオマージュは世間でパクリとはみなされない。

クロマニオンズの「ワンゴー」という曲(『ラッキー&ヘブン』収録)のイントロとアウトロはチャック・ベリーへのオマージュであろう。

私はこの曲を聴いたときに「甲本ヒロトはクレジットにチャックベリーも載せるべき」とは思わなかった。

文学の世界においても、埴谷雄高の『死靈』を読んで、「ドストエフスキーのパクリだ」と言い出す人はいないだろう。

ゲーテも「私のメフィストフェレスも、シェークスピアの歌をうたう訳だが、どうしてそれがいけないのか? シェークスピアの歌が丁度ぴったり当てはまり、言おうとすることをずばり言ってのけているのに、どうして私が苦労して自分のものをつくり出さなければならないのか?」と語っている。

 

B'zの二人組やファンたちが「B'zはパクリばかりって言ってる奴が多いけど、B'zは分かっててやってるだけだから(笑)」と広言しているのは有名な話だ。

事実、「B'zは洋楽のリスペクトをしているだけ」と軽く考えている人は少なくない。

 

だが、「本来であればカヴァーとして発表すべき曲を『あくまでリスペクトだから著作権料は全部自分たちが頂くぜ』と言わんばかりに、元ネタの著作権者に対価を払わずに発表していく」というのはまずいと思う。

 

もちろん、わたくしA倉R郎も作詞作曲をしている身なので、作詞作曲をしてみたら気づかぬうちに先行する曲の一部に似てきてしまったというのは、あるあるだし、そういった状況が実はそこまで珍しいものではないというのも理解できる。

基本的に単音で構成される歌メロであれば特にそうなりやすい印象もある。

だとしても、一つのアルバムであからさまな洋楽のパクリ曲を何作も収録というのは、その域を遥かに超えてしまっていると言わざるを得ない。

 

ある洋楽と出会い、その曲の素晴らしさに取り憑かれてしまったのならば、元ネタとなった曲のミュージシャンに著作権料を払うなどした上で、アレンジするなり演奏するなり発表するなりすればよいだけの話なのだ。

 

 

 

 

 

最後に、B'zを尊敬しているというYouTubeコメントの問題点を述べて、この記事を結ぶことにする。

 

https://i.imgur.com/MaS10Wc.png (魚拓

 

本当にロックを愛してるんだろうね。そして作曲や表現の天才なんだと思う

→本当の天才であれば先行する有名曲に全く似ていないヒット曲を書けるのでは?

 

 

他のミュージシャンの他の曲も、大抵は少なからずルーツが感じられるはずなんだよね・・調べればさ。 でもそれは野暮だからしないってだけ

→私は「自分の音楽活動のルーツは〇〇です」と公言しているミュージシャンを何百人と見てきたが、彼らが野暮であるようには全く見えなかった。このYouTubeコメントを書いた方は、或るミュージシャンの音楽的起源(ルーツ)を探る研究家や評論家が洋の東西を問わず数えきれないほど存在しているという事実に気づいてみても良いのかもしれない。

 

 

Bzは、「世界にはこんなに素晴らしいロックが有るのに、日本人は、日本語じゃないってだけで聞きもしない」のを ほんとうに憂いてたんだろうね

→既に日本語ロック論争などでその話題は議論されている。また、ビートルズの日本武道館LIVEが社会現象になったり、QUEENと日本の関係が切っても切り離せないものであったりと、B'zのデビュー前の時点で、日本の(特に若い世代の)洋楽人気はそこまで低いものではなかった。

 

 

だからこそ最高に素敵な楽曲に感化された自身のセンスを最大限に活かして、さらに磨きをかけ、かけ続けた。 そうやって(少なくとも日本人には元祖を圧倒する程の)ロックの名曲を日本に発信しまくった

→はっぴいえんど、忌野清志郎、ブルーハーツ、モップス(The Mops)など、洋楽にルーツを持つミュージシャンであれば、誰であれ「最高に素敵な楽曲に感化された自身のセンスを最大限に活かし、磨き続ける」という行為は、やっていて当然なのではないか。

 

 

オンリーワン気取りで自身の創作や表現の幅を狭め・可能性を狭め、結局は芸術活動を終えてしまう小さな輩よりも

→先行する曲からパクらなければ、誰でもオンリーワンである。

つまり「オンリーワン気取り」ではなく「文字通りのオンリーワン」なのである。

この方の世界認識によると、「先行する名曲からパクらないこと」は「自身の創作や表現の幅・可能性を狭めること」であるそうだが、正気なのだろうか?

そもそも、甲本ヒロトが「やめたければ、やめればいいんだよ。ビートルズだってやめたんだし」と述べていたり、クリームやセックス・ピストルズの活動期間が短かったりすることが示しているように、活動期間の長短と、その音楽活動が後世に遺してゆく影響の大小は必ずしも一致しない。

 

 

本当に素晴らし物に対して欠かさぬ勉強を続けて、そこに敬意と愛を欠かさず、 日本人へ最高のロック作品を発信してくれる、し続けてくれて、日本の音楽文化を変えた彼らは尊敬でしかないよね

→元ネタに敬意と愛を持っているのなら、パクった曲はカヴァーとして発表し、元ネタの作詞作曲者のクレジットを明示すれば良い。

そうすれば、自分たち(B'zの二人組)だけではなく、元ネタとなったミュージシャン(orその著作権者)にも利益をもたらすことが出来る。

B'zが長期的に売れ続けているというのは確かだが、「日本の音楽文化を変えた」という主張に根拠はあるのかは不透明なように思う。

 

最後になるが、この方はもう少し客観性を持ってみても良いのではないだろうか。

 

 

ここ最近、適菜収氏が、藤井聡氏と武田邦彦氏を批判することが増えてきた。

きっかけはコロナ渦である。

私は藤井聡氏・武田邦彦氏の書籍を何十冊も読んでいる訳ではないが、両氏の書いた文章を読んで感じるのは「或る対象を最初に観た時の直感を重視している方なのかな」ということだ。

大阪都構想、地球温暖化等のトピックに関して言えば、その最初の直感が妥当な場合は良い結果となるが、そうでない場合は宜しくない結果となってしまう。

両氏に限らず、持説が適切なのか否かを自ら真摯に検討していくことは、非常に大切な行為である。

 

 

 

 

※参考記事

【藤井聡】今、「自粛派」になってしまっているのは、コロナに壊される「社交」を持たない人々なのだと思います。 | 表現者クライテリオン (the-criterion.jp)

 

緊急事態宣言を批判する、藤井聡氏の「公開質問状」の論証は不十分|江草 令|note

 

「日本の高校生全員にワクチン、50人が死亡か半身不随などの副作用に」は誤り。大学教授の発信、YouTubeで30万回再生 (buzzfeed.com)

 

最近は「人それぞれ」というフレーズが世間で(特に一定の年齢層より低い世代で)多用される傾向にある。

 

例えば、ひろゆき氏はLIVEでこう述べている。

 

例えば人それぞれな話ってあると思うんですよ。あれが旨い、あれが不味いとかって話は話し合っても一つの答えが出ないじゃないですか。
そういうのを議題にして答えが出ると思って延々と議論しているのが2ちゃんねるとかにいる頭の残念な人なんですよ

 

2ちゃんねる黎明期なら兎も角、ここ最近のネット掲示板で、「答えが出ると思いながら延々と議論している人」がどれほどいるのかは分からない。ネット掲示板やSNS等におけるレスバトルでは、持説の正しさを立証することが目的なのではなく、相手を論破(or論破しているかのような雰囲気を醸成)することが目的と化している感すらある。なので、このひろゆき氏の主張が正しいのかは不明といえる。

 

 

こんな記事もあった。

 

日本の若者が深い友人関係を築けなくなった「決定的理由」(飯田 一史) | 現代ビジネス | 講談社(1/5) (ismedia.jp)

 

大学で教えていて感じますが、若い人は「人それぞれ」という言葉が好きです。誰かが何かを言ったりやったりしたことに対して「人それぞれだからね」という処理の仕方をする。これは他人の意見や多様性を尊重しているようでいて「私は関わりません」と言っているのに非常に近い。議論してもらっても「人それぞれだから」で終わってしまって意見が深まらない。

ほかにも「困ってるみたいだから、本当だったらやってあげたほうがいいんだろうな」と思っていても「人それぞれだから」踏み込まない。たとえば「サークル、やめようと思う」と言われたとしても、本人が理由を言わないかぎりは深く聞かないし、引き留めない。淡泊です。逆に何か相談したい、支援してほしいと思っている側も友人関係を維持するためにこそ遠慮して事情を話さず、助けを求められない。
「人それぞれ」という距離の置き方が主流になってしまっている状態では、本音で意見を交わすことも、ケンカをすることもとても難しい。関係性の修復が約束されておらず、あっさりと切れてしまうわけですから。

 

 

この指摘は平成十年代に生まれた私にとって、かなりの説得性を有するものである。

 

これは、私がTwitterで述べた「野島伸司氏が以前ほど若者人気を得られなくなった要因」の考察にも沿っていて、最近の若者は一度、友人・知人と喧嘩・口論をしてしまうと、そのまま疎遠になってしまうリスクが高いため、そもそも喧嘩・口論が起こらないような言動を最初から取ることが多いのである。だから、ワンダーエッグ・プライオリティーで川井リカや大戸アイなどのキャラが、相手のことを思って激高したような台詞を友達に浴びせるというのは、野島伸司氏が10代・20代だった頃なら普通だったのかもしれないが、今の若者では余程のことがない限り起こらないシチュエーションだと言えるのではないだろうか。

 

 

 

「人それぞれ」は「人によって意見が異なっている状態」を意味する表現である。このフレーズを用いることで、周囲との軋轢を避ける効果などが期待でき、また、(他人に迷惑をかけない限りにおいては)多様性を妨げないことにもつながる。

だが、このフレーズはコミュニケーションの可能性を狭めてしまう危険性を含んでいる。

他人との交流によって或る人物の意見・価値観が変容していくのは有史以来、非常に普遍的な現象であるにも拘らず、このフレーズは、そういった意見・価値観の変化を抑えてしまう。

レヴィナスが述べているように、人は、他者という自己の世界から隔絶した(超絶した)存在と触れ合うことで、イリアの恐怖から解放されていくが、周囲とのコミュニケーションを情報の交換の延長かのように捉えている限りにおいては、イリアの恐怖から脱出することなど不可能だろう。

コロナ禍は人間交流にかなりの制限をもたらしている。

こういった状況の中、「人それぞれ」という表現に着目することで見えてくるものは多いと思われる。

 

 

 

 

 

「しょうがない」というフレーズがある。

語源は「仕様がない」で、「他に良い方法がない」という意味である。

つまり、このフレーズは「諦観」や「割愛」や「断念」といったニュアンスが強いと考えられる。

だが、世の中には「他に良い方法があるのではないか」といった必死さもなく、「しょーがない」「しょーがない」と口癖のようにつぶやく人々がいる。

あくまで主観だが、「しょうがない」というフレーズを思考停止のワードとして使っている日本語話者は少なくないのではないかと感じている。

最近『呪術廻戦』という漫画が流行っているらしい。

作者の茶見氏と、詩人にして漫画家の久保帯人氏の対談でも取り上げられているこのフレーズの是非に対して所感を述べていく。

このフレーズは時と場合によっては正しい。

「『嫌い』という感情が無ければ、そもそも或るコンテンツに自ら触れたりはしないのではないか」という主張はそれなりの説得性を含んでいる。

安藤チャンネルの動画がアップロードされるたびに、わざわざ安藤チャンネルにアクセスして、その動画に低評価を付けている人々は、特にそうであると言えそうだ。

だが、北朝鮮の拉致被害者の親族で、北朝鮮の最新情勢を逐一追っている方がいたとしても、その方に「~さんって、北朝鮮のこと好きなんですか?」と訊くような愚か者はいないであろう。

知人からこんな画像が。

 

画像:https://i.imgur.com/tGL9T6a.png  (魚拓)

 

高校三年の頃から思ってきたことを踏まえながら、この画像について述べていく。

 

簡単に言えば、このツイートは足し算的に考えられないものを強引に足し算的に考えてしまっているという問題を抱えている。

世の中には、足し算的に考えられるものと考えられないものがある。

例えば百円玉を10個分集めたら千円札1枚と同じ価値となる。

このようにお金は足し算的に考えることが出来る。

だが、時間はそうではない。

「2秒作業したあと1秒休憩というサイクルを3600回繰り返す仕事」と、「1時間作業したあと1時間の休憩を挟み再度1時間作業するという仕事」は、作業時間と休憩時間の合計こそ完全に同じである。

しかし、前者と後者はどう考えても別物である。

はやと氏と同様の話はよく聞くが、そもそもそれが足し算的に考えられるものなのかどうかを吟味すべきであろう。